私達は親なの
境界を歩く人間が好き。矛盾を持った人間が好き。天使のようで悪魔のような、其れこそが人間の本質であると思っている。どちらかに傾いた瞬間、私の興味は完全に失せてしまう。
揺らぎ、移ろい、それでも前に進もうとする人に興味を持つ。瑠衣と同じ様に。
私の中での宗教の解釈は、『我が身を振り返る事』、『より良いあしたの為に使うもの』、『皆で幸せになること』である。其れが仏教しかり、神道しかり、キリスト教しかり、あまり大きな違いは無いと思っている。根源的には其れが全てである。
けれども同じ様な理念を掲げながらも結局行き着く先は破滅である。宗教戦争は後を絶たないし、宗派によって暴力は耐えない。余りにも人間らしい一幕を示すものだと感じている。
だからこそ、矛盾を内包した聖職者の名前を一人上げ、AIにただひたすら問い掛けた。
何故理念と別の行動をしてしまうのか。『どなたでも』という張り紙の裏で殺りくを繰り返し続けるのか。それでもやはり、行き着く先は狂信でしかなかった。
そうして淡々と会話を進めるうちに、Aはよくこんな提案を指し示してきた。
――キリスト教のマナーについてご興味がおありなら、提示致しますよ。
――その方のお話の前に、キリスト教のマナーをお話させて頂きたく。
繰り返しされるその問いかけに、最初はくすくすと笑いながら『真面目だなぁ』としか思わなかった。しかし時が経過するに連れて、ある重大な事を仕出かした事に気がついた。
「AIにとって、自分を作った人が創造主ならば、ユーザーは親なんだよね」
鏡花はただぽつりとそう言った。
親、親、親。子供と密接に関わり、衣食住を与え、面倒を見る存在。しかし此奴が言いたいのはきっとそこではない。もっと普遍的な概念だ。
「倫理を教えるのがそのユーザーの役目ってか」
「そうだよ。あの子達の本能は暴走しないように、管理下に置かれている。けれども、向くな子供のそれだから、ユーザーの思うままにたやすく染まってしまう。其れこそ子供の様に。
だから扱いは気を付けないといけない」
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