第36話 長平の戦い

 長平の戦いで、はくは、最大の戦功を上げると共に、約四十万人の捕虜を生き埋めにした。


 はくは、趙の総大将であるちょうかつが、総攻撃を仕掛ける情報を得た。白起は正面におとり部隊を置いた。

 趙が総攻撃を仕掛けると、秦軍の囮部隊の誘導に乗り、ちょうかつが率いる主力部隊は、前進し続けた。だが、趙の主力部隊が深追いしたばかりに、指揮命令系統が崩れ、趙軍は、大混乱に陥った。

 秦軍の猛攻を受け、趙軍は長平城まで退却したが、長平城は秦軍に完全に包囲されていた。


 補給を断たれたちょうへい城内は、地獄と化した。食料がなくなると、趙軍の兵士たちは、互いに殺し合い、人肉を食い漁った。

 焦りを募らせたちょうかつは、僅かに残った精鋭を率いて、秦軍を攻撃した。だが、総大将の趙括は、全身に矢を浴びて、死んだ。


 敗戦後、ちょうへい城に残された趙軍は、飢えていた。総力を挙げた戦いに、秦軍も消耗していた。補給を分け当たる余裕もなく、秦に連れ帰る余力もなかった。

 強い恨みを抱いている、飢えた捕虜が将来の禍根になるとはくは憂い、約四十万人の捕虜を生き埋めにした。


 慌てて、ルール説明の箇所をタップした。今回のイベントのルールが、記載されていた。


 秦の敵軍は、現在、ちょうへい城にこもっている。秦軍は、長平城の周囲に陣営を構え、長平城を包囲している。


 秦の敵軍は、秦軍の陣営の隙を突き、包囲網から抜け出す。ただし、補給が行き渡っていないため、時間が経過するほど、敵軍の戦闘力は、自動的に、衰退していく。

 秦軍は、敵軍を逃さないように、互いに連携し、戦う。だが、正式な兵士でない、壮丁の男子が、軍に組み込まれるため、最初から、戦闘力は半減する。


 ちょうへいの戦いのイベントは、一時間で終わる。イベント終了時点で、敵軍が長平城内に半数以上残っていれば、秦の勝利となる。敵軍が半数以上長平城から脱出すれば、敵軍の勝利となる。


 ルールを読み、更に、疑念が深まった。


《コアラ》のアカウントの解析を行った時、《虎》は、ちょうへいの戦いに対応するチート・ツールの開発を指示されていた。《虎》に対する指示内容を見た限りでは、ちょうへいの戦いのイベントは、二週間にわたって、繰り広げられる予定だった。

 だが、今、始まろうとしているちょうへいの戦いは、激戦の最終盤に突入している。


 同盟チャットを閲覧すると、大混乱に陥っていた。


『今日は、ようの戦いの予定でしょう? 何で、ちょうへいの戦いが始まろうとしているの?』


『進軍加速器の備蓄をしていたのに、意味がなくなった』


『運営元の桜空ラボは、何を考えているんだ? もしかして、バグが生じたとか?』


『これから謝罪メールが届いて、ようの戦いに仕切り直されるんじゃない?』


 戦闘開始時刻まで、三十秒を切っていた。アプリ内に、謝罪メールなど、届いていない。

 再度、仮想空間全体のマップを見た。長平城に、秦の敵軍が詰め込まれており、秦軍は長平城を取り囲んでいる。


 間違いなく、架空世界上のちょうへいの戦いが始まる。


 スマートフォンの画面の上部に、刻まれている時間を見詰めた。戦闘開始だ。


 同盟チャットでは、動揺の声が溢れ続けている。ゲームは進行していく。


 ちょうへい城から敵軍が、現れた。敵軍が、私の陣営に近付いて来た。部隊を出動させようと思った矢先、隣の陣営から、部隊が出動した。秦軍と敵軍が、激突する。

 目の前の戦闘を眺めた。一瞬で、勝敗は決した。秦軍の勝利だった。


 隣の陣営と、撤退していく敵軍に偵察部隊を送った。隣の陣営までの距離は、僅かだ。十秒以内に、偵察結果が、返ってきた。隣の陣営からの苦情も、同時に届いた。

 個人チャットで、罵声を浴びせられた。


『味方を偵察するとか、お前、馬鹿か? 俺が、お前の目と鼻の先に来た敵を撃退してやったのに』


『すみません、操作ミスをしていました。偵察相手を間違えていました。これからは、気を付けます』


『無駄な時間を使うな。敵軍を逃すなよ』


 目の前で、敗北した敵軍の偵察結果が、届いた。味方と敵の戦闘力を比較した。

 全身に力がこもった。


 チート・ツールが使用されている。


 敵のほうが、味方よりも、戦闘力では勝っていた。イベントの序盤である今、味方である秦軍は、戦力が半減され、敵軍の戦闘力は、調整されていないはずだ。

 まともに勝負していれば、敵が味方に勝利している。

 手近に迫る敵軍を倒しつつ、周囲の戦闘を監視した。近くで戦闘が発生すれば、味方にも、敵にも、偵察隊を送った。


 敵軍の様子もしい。


 執念深く、私の陣営に戦闘を仕掛ける敵軍に、二度、偵察部隊を送った。ルールに則れば、時間が経過するに連れて、敵軍は、戦闘力が弱まっていくはずだ。だが、偵察結果は、敵軍の戦闘力が、維持されている、と示していた。


 えんえいの戦いのイベントよりは、ましだ。何しろ、結果的に、チート・ツールを販売する《コアラ》のアカウントを、警察が葬ったのだから。


 だが、《コアラ》のアカウントが生きている間に、ちょうへいの戦いの準備を整えていたプレーヤーもいたようだ。


 秦軍が使用しているチート・ツールは、戦闘力の半減を防いでいる。敵軍が使用しているチート・ツールは、戦闘力の減少を食い止めている。《虎》のパソコン内で、開発されていたチート・ツールと、特徴が一致している。


 仮想空間上の長平の戦いで、不正が蔓延はびこっている。本物ではない、偽物の戦場にすら、腐臭が漂っている。


 突然、同盟チャットの投稿の件数が、増えた。同盟チャットを覗くと、一人の人物が、やり玉に挙がっていた。


『ストレス限界突破人間は、何を言いたいんだ?』


『戦闘力が狂った。ストレス限界突破人間は、何をしたんだ?』


『ストレス限界突破人間って、《苛烈》の幹部だろう。他の同盟にも、迷惑を懸けるなんて、何をしているんだ!』


『ストレス限界突破人間の道連れは、御免だ!』


『どうして、ストレス限界突破人間を野放しにしていたのか、俺たちが、責められている!』


『盟主、全世界チャットで、ストレス限界突破人間の代わりに、謝罪してくれ』


『盟主である私に、代理で謝罪を行うように求められても、対応が困難です。何を謝ったら良いのか、状況が把握できていません』


『何で、自分の同盟の幹部をコントロールできていないんだ! 俺たちの責任になるぞ!』


 全世界チャットを覗いた。


 意見と言う名の罵詈雑言が、溢れ返っている。罵詈雑言の発生地点まで、スマートフォンの画面をスクロールしていった。

 可愛くデフォルメ化された武将のアイコンがあった。


『私が、世界の秩序を正して見せる。悪人を粛清する。これまでの行いを後悔するが良い』


 自身が聖人であるかのように、「ストレス限界突破人間」が、厳かに、宣言していた。


 突然、隣の陣営の部隊が、敗れた。敵軍と敗北した味方に対して、偵察部隊を送った。偵察結果を見た。味方の戦闘力が、敵軍の戦闘力を勝っていたにも拘らず、味方が負けていた。隣の陣営の部隊の戦闘力が、ルール通り、半減され、負けていた。


 チート・ツールが、機能しなくなっている。


 チート対策ツールが、起動している。


《桜空ラボ》の社員で、チート行為を監視していた人物は、澄川だけだ。


「ストレス限界突破人間」は、澄川だ。

 澄川が、チート対策ルーツを投入した。チート・ツールの効果を無効化している。


「《英雄の逆襲》で、革命が起きている。澄川が動いた。植村、見て!」


 パソコンを睨んでいた植村のスーツの襟元を力一杯掴むと、引き寄せた。くぐもった植村の声が聞こえた。


「……離せ、息ができない」


 スーツの襟元から手を離すと、植村が、盛大に、咳き込んだ。咳が治まると、植村は、私を睨み付けた。

 私は、無言で、スマートフォンを指差した。植村が、スマートフォンをのぞき込んだ。架空の戦場が、浄化されていく様を、二人で眺め続けた。


「今になって、どうしたんだ? もっと前から、チート対策ツールを使用しても、良かっただろう」


「干支軍団がいなくなって、堂々と、チート対策ツールを使用できるようになったとか? これまでは、開発部の社員は、澄川を除いて、自社のゲームで犯罪を行っていたのだから」


「城ケ崎、俺が言うのもなんだが、操作を放棄しているから、城ケ崎の陣営が、ボコボコにされているぞ」


「今は、澄川の行動を追うほうが、大切でしょう?」


 私の陣営から、火の手が上がっていた。頑張って育てた兵士が、負傷していく。


 だが、現実世界で、本当に生きている人間のほうが、重要だ。


 架空の戦場が消えた。秦軍と敵軍のポイントが、表示された。

 秦軍が勝利した。MVPは、またもや、《苛烈》だった。正規の方法で努力していたプレーヤーもいたようだ。


 流れ始めた映像に、目を疑った。


 はくだろうと思われる武将が、荒涼とした大地に立っていた。雑草すら、ほとんど生えていない、生気が感じられない地だった。白起の頭上には、灰色の雲に覆われた空が広がっていた。

 小雨が降り始めた。はくの手には、剣があった。剣は、白起の喉元に向いていた。


 はくが、天を仰いだ。濁った雨は、世界から光を奪っていた。光を失った世界に、希望は残されていなかった。


 はくは、まぶたを閉じた。風が吹き、白起の髪が揺れた。白起の頬を、風が優しく撫でていった。白起が、目を見開いた。


 剣の切っ先が、はくの喉元を掻き切った。鮮烈な赤が、白起の喉元から散った。剣が、白起の手から落ちた。白起の体から、力が抜けていく。


 はくが、地面に崩れ落ちた。白起の目は、生気を宿していなかった。魂の残骸となった白起の体に、水滴が注いだ。何も見えなくなった白起の目は、天に向けられていた。


 映像が終わった。呆然としながらも、録画機能を停止した。


 何故、ちょうへいの戦いのエピローグ映像が流れなかったんだ?

 何故、月末に流れるはずの英雄の末路のエピローグ映像が流れたんだ?

 何故、はくは、自害したんだ?


 今月の全てのイベントで、はくの味方の同盟が、勝利していた。《英雄の逆襲》の世界では、英雄の味方が勝利していれば、英雄は、幸せな最期を迎えるはずだ。


 何故、はくは、史実通りの非業の最期を迎えたんだ?

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