第28話 桜空ラボの実態
思考回路が乱れる私の耳に、植村の言葉が入ってきた。
「どうして、そんなに簡単に勤め先が判明したんですか。既に、捜査二課がプロファイリングを行っているんですか」
「確かに、捜査二課は、プロファイリングを進めている。だが、SNSに登録していたメールアドレスが問題になった」
「何故、メールアドレスが問題になったんですか。山内係長の話し振りでは、捜査二課は、プロファイリングを始めたばかりのようですが」
「登録されていたメールアドレスが、全て、《桜空ラボ》の社用メールだった。全てのメールアドレスのドメイン名が、「@sakurasora-lab.or.jp」となっていた。杉浦のメールアドレスと、ドメイン名が一致している」
杉浦の名前を聞き、脳裏に樽谷さんの笑顔が浮かんだ。
顔面に動きが生じた樽谷さんを思い出し、戦慄した。
「もしかして、樽谷さんは、《桜空ラボ》に乗り込んだのでは?」
抑えようとしても、声が震えた。
山内係長が、苦笑した。山内係長の苦笑には、労りが
「
もしかして、公認会計士監査を続けているのだろうか。ポメラニアンと化した加賀が、泣いていそうだ。
「杉浦と言えば、社用パソコンの解析依頼が来ていませんよね。近々、依頼が来るんですか。スマートフォンも、解析依頼が来ていませんし」
植村の問い掛けに、山内係長の顔が、渋くなった。また樽谷さんが問題を起こしたのか、と身構えた。
「私のお手柄ですね」
鈴原さんの声が飛んで来た。鈴原さんは、監視カメラ映像から目を離していなかった。
「鈴原さんが、杉浦の潜伏先を突き止めた。杉浦は、全国の温泉を巡った後に、東京に帰って来ていた」
「
植村の呆れ声に、心の中で、秘かに
「温泉か……杉浦の代わりに、行きたいよなあ」
温泉旅行を渇望する山内係長を、植村と共に、生温い目で見詰めた。
山内係長が、私たちの視線に気付いた。山内係長が、姿勢を正した。だが、威厳は取り戻せなかった。
部下たちの冷ややかな視線に負けず、山内係長は、芯の通った声を出した。
「杉浦のクレジット・カードの履歴から、杉浦が全国の温泉宿を巡っていた、と捜査二課が突き止めた。星空リゾート鬼怒川、草津湯宿和の庭、和倉温泉財前屋、熱海温泉加賀旅館……高級旅館ばかりだ。交通費も含めて、相当な出費を重ねている」
「ライオンのケージに取り付く前に、温泉旅行をするとは。度胸があるのか、理性を失っていたのか、理解に苦しみますね」
植村は、頬杖をしながら、言葉を零した。植村の言葉に、私は言葉を被せた。
「実際に、私が目の当たりにした杉浦は、本気で、死ぬ気でした。最期の時が来るまでに、やり残したことを、成し遂げたかったのでは?」
「やり残したことが、温泉旅行なのか。もっと他にないのか。珍味を味わい尽くすために、海外に飛び立つとか」
「それは、植村の願望でしょう? 私だったら、推しの俳優が出演している舞台のDVDを、見返し続けて、目に焼き付けるけど。死ぬ瞬間、
山内係長が、大きく咳払いをした。私と植村が、山内係長を見遣ると、今度は、私たちが、冷ややかな眼差しを向けられていた。
「兎にも角にも、杉浦は、箱根の藤堂花壇旅館から、小桜動物園を目指した。小桜動物園に向かう前に、府中本町駅に寄り、多摩川に荷物を全て投げ捨てた。ビール工場の前の辺りだった。その後は、南武線で立川駅まで行き、青梅線に乗り換え、小桜動物園に向かった。社用のパソコンもスマートフォンも、見つかっていない」
「フィッシング・メールを送付した本体のパソコンが、見つからなかったんですね」
植村の言葉に、沈黙が訪れた。
社用のパソコンに眠っていた情報の中に、目ぼしいものは、存在したのだろうか。今となっては、確かめられない。
山内係長が、手を叩いた。催眠術から覚めたように、私と植村は、山内係長の顔を見詰めた。
「干支軍団の中で、今回、SNSのIPアドレスを開示できたアカウントは、《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》のみだ。残りの干支軍団は、チート・ツールの開発を依頼されていなかったため、電子計算機損壊等業務妨害罪に問える状況ではなかった。スマホゲーム内でアカウントの乗っ取りは行っていないから、不正アクセス禁止法も犯していない」
「《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》が残りの干支軍団とやり取りをしていて、犯罪関係者だと判断できる事実が見つければ良いですよね。そうすれば、捜査令状を請求できる可能性があります」
植村が、決然と言い放った。今回ばかりは、植村の言葉に
「そうだな。城ヶ崎さんと植村君は、手分けして、《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》のSNSのアカウントの解析を行うように」
私の机の上のスマーフォンが鳴り響いた。山内係長を見ると、山内係長の目が、次に採るべき行動を促していた。
スマートフォンを手に取り、電話に出ようとした。スマートフォンの画面を見て、電話を切りたくなった。加賀からの電話だった。
山内係長の目が光る中、渋々、電話に出た。
切羽詰まりながらも、加賀は、無声音で話していた。スマートフォンを耳に強く押し当てた。
「助けて下さい。今から樽谷さんと共に、《桜空ラボ》に向かいます。覆面パトカーの準備は整っているため、同乗して下さい」
「申し訳ございませんが、声が小さくて、聞き取りにくいです。もう少し、大きな声で話して頂けますか。それに、現在の状況を教えて下さい。今、樽谷さんは、《ビルド・アップ・マネー》の資金の流れを追っていたのでは?」
「だからですよ。先ほど、SSBCから、干支軍団の情報は、ご提供頂きました。干支軍団と《ビルド・アップ・マネー》が繋がりました」
心臓が跳ね上がった。七瀬の証言が、証明されつつある。
「干支軍団のプロファイリングが終わったんですか! 捜査二課の方々が優秀である、と存じ上げていますが、
「大声を出さないで下さい!」
「加賀、いつまで待たせるんだ? 何か、不適切な行いをしているのか」
樽谷さんの地鳴りのような、低い声が聞こえた。「少々、お待ち下さい」と樽谷さんに向かって、加賀が叫んだ。早口で話し始めた加賀の声がした。
スマートフォンを耳から離した。スピーカーに切り替えた。
山内係長を見据えた。山内係長と植村の周辺に、張り詰めた空気が漂っていた。
「干支軍団と《ビルド・アップ・マネー》が繋がったそうです。加賀さんが電話を下さいましたが、現在、暴走中の樽谷さんを
樽谷さんと加賀の会話が、しばらく続いた。不毛な問答が漏れ聞こえた。樽谷さんの低い声と加賀の怯えた声が、捜査支援分析センターの根城を支配した。
植村が、同情の眼差しを私に向けた。
「城ケ崎、大変な相手と渡り合っていたんだな。この事件が解決するまでは、城ケ崎を
「植村の言葉は、信用に値しない」
「お待たせしました。樽谷さんから、城ケ崎さんを連れていく許可を
息切れした加賀の声が、スマートフォンから飛び出した。既に、加賀が息切れしている状況に、全力で逃げたくなった。
「山内係長です。城ケ崎を貸しますので、状況を共有して下さい」
上司によって、逃げ道が
「先ほど、《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》の本名と勤務先が判明しました」
電話越しに唾を飲む音が聞こえた。
「やはり、《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》は《桜空ラボ》に勤務していました」
思わず私も唾を飲み込んだ。
「加えて、樽谷さんが、《ビルド・アップ・マネー》の資金の流れを追い、幾つか関係者の口座を凍結しました。その中に、《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》の口座が含まれていたと発覚しました。《虎》、《辰》、《蛇》、《猪》には、各々、十万円が振り込まれていました」
「干支軍団に指示を与えていた《コアラ》の契約者である杉浦に、資金は振り込まれていなかったんですか」
加賀が、一つ一つの言葉を丁寧に発音した。自身に言い聞かせているようだった。
「《ビルド・アップ・マネー》から杉浦に資金が渡っていないか、確認しましたが、見当たりませんでした。主犯と疑われる人物のため、我々も
混乱の渦中にあった脳味噌の回路が、更に、乱れた。
《桜空ラボ》の経理部長の杉浦が契約していたSNSが、干支軍団に指示を与えた。干支軍団の働きによって得た、ゲーム代行の代金が、小桜動物園の振込口座に渡った。
小桜動物園の振込口座から《ビルド・アップ・マネー》に資金が渡った。
《ビルド・アップ・マネー》の資金が、《桜空ラボ》の社員に渡った。
干支軍団の中身であった《桜空ラボ》の社員が生み出した資金が、最終的に、《桜空ラボ》の社員に支払われている。
《桜空ラボ》の社員は、自社のスマホゲームを荒らして、資金を得ている。
《桜空ラボ》は、どういった人物たちで構成されているんだ?
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