第14話

「おはようございます」


 振り向いて、エレベーターの最奥の端っこに立っている安村さんに挨拶をした。


「え? ぼ、僕?」


 辺りを見渡しながら驚いたように声を上げた安村さん。


 ミーアキャットを彷彿とさせる動きのキョドり具合が妙にツボに入る。


「はい、おはようございます」


「あ、あぁ、おはよう……えーと、どなた?」


「牧野といいます」


「牧野さんか……でもなんで僕?」


 なんかいちいち驚くところもツボである。


「安村さんですよね?」


「僕の名前知ってくれてるの?! なんで?」


 知ってちゃ悪いのか、同じ会社に務めているのに。


「いつも素敵なネクタイをされているので覚えてしまいました」


 そう言うと見る見るうちに首から上が真っ赤になっていった安村さん。


 これは失敗してしまったパターンだろうか?


 タイミングがいいのか悪いのか、下りる階に着いてしまったため「では失礼します」と言いエレベーターから下りたのだが、なんと安村さんも下りてきた。


 安村さんの階はこの一つ上の階なのに。


「ま、牧野さんっ!」


 今にも噛みつきそうな勢いで名前を呼ばれたので、これは説教でもされるのかと思いながら振り返ると、安村さんがさっきよりも更に顔を真っ赤にして私の前までやってきた。


「ネッ、ネクタイ、褒めてくれてありがちょ」


『今噛んだ? 噛みましたよね? ありがちょ?! 実際噛んでそう言う人初めて見ましたよ!』


「いえ、どういたしまして」


「ネクタイ、本当に素敵に見える?」


「はい、見えますよ」


 実際には超個性的で目立つだけだけど、なんて言えない。


 モジモジしている姿がなんとも言えない味わいがある。


 これもまたおつであり、萌える。


「そっか。僕のネクタイに注目してくれる人がいたのか……嬉しいな」


 どうやら嬉しくなると真っ赤になるタイプのようだ。


 どこまで赤くなるんだ? と問いたいくらいに真っ赤っかである。


 エレベーター前なのでまたドアが開いて、遠野さんが下りてきた。


「おや、安村さんじゃないかい? 牧野さんと一緒なんて珍しいね。二人ともおはよう」


 どうやら遠野さんと安村さんは知り合いのようで、仏のような穏やかな笑みを浮かべた遠野さんが私達に声をかけてきた。


「おはようございます、遠野さん」


「あぁ、遠野さん、おはよう。牧野さんと知り合いなの?」


「牧野さんとは同じ課なんだよ。こんなおじいちゃんにもとっても親切にしてくれる優しい子でね、お昼も一緒に食べてくれるんだよ」


 今ではすっかり飯友の遠野さん。


 最近では遠野さんの奥様が私用にお弁当を作りたがっているのだと聞いている。


「こっちのお弁当箱とこっちのお弁当箱、どっちが好みか聞いてほしいって言われてね」


 と、この前二種類のお弁当箱の画像を見せられたばかりである。


 一つは蓋にお花がプリントされたピンク色のプラスチック製のお弁当箱で、もう一つは古き良き時代の幼稚園児などが持っていたというあの金属製の、私は存じ上げないキラッキラデカ目の謎の女の子キャラが描かれた、まさに昭和レトロと呼ぶべき品だった。


 迷わず金属製のお弁当箱を選択したのは言うまでもない。


 そのお弁当箱は遠野さん達の娘さんが中学に上がるまでとても気に入って使っていた物らしく、それを選んだ時の遠野さんの顔が素晴らしかった。


「このお弁当箱をまた使ってくれる人がいるなんて感慨深いものがあるねぇ」


 しみじみと語る遠野さんの笑顔、プライスレス!


 そのうちあのお弁当箱に、遠野さんの奥様が作ってくれたおかずが並び、私の元へと届けられるのだと思うと、手間をかけさせてしまうので申し訳ない気持ちもするが、それ以上に非常に楽しみである。


 大幅に話が逸れてしまった。


「本当にいい子だね。牧野さんね、僕のネクタイに気づいてくれたんだよ」


「そうなのかい? それはよかったねぇ。今日も華やかで素敵なネクタイだよね。奥さんが選んでくれたのかい?」


「今日のはね、うちのとデートした時に二人で選んだんだよ。ちょっと派手すぎかとも思ったんだけど、『あなたが地味なんだから、ネクタイくらい派手にしなさい!』ってうちのが言うから」


『なんですか、その素敵エピソード! もっと詳しく聞きたいくらいですよ!』


「あ、この歳でデートなんて、若い子からしたら気持ち悪いよね?」


「いえ! 全く! むしろ素敵です!」


「そ、そうかな?」


 食い気味に反応してしまったので安村さんは少し驚いていた。


『そのハニカミ照れ笑い最の高っす!』


 そんなことを考えてるなんて思ってもいない二人は、その後も始業時間ギリギリまでほのぼのトークを繰り広げており、私はそれを黙って聞いていたけど、脳内は終始お祭り騒ぎだったことは言うまでもない。


 愛妻の話を照れながらするおっさん達は、彼氏自慢をしてくる若い女子とは違って非常に微笑ましい。


 奥様への愛情と感謝がしっかり伝わってくる内容の場合は特に心が洗われるような不思議な清涼感すら沸き起こってくる。


 よく、「うちの妻がさー」と奥さんのダメなところばかりをグチグチ話しているおっさんがいるが、あれはダメだ、いただけない。


『それはお前が悪いからだろ!』と思う内容が多い上に、毎日家事をこなし、家庭を支えてくれている奥様に対しての感謝が一切感じられず、とにかく不快だ。


 自分の妻の評価をわざわざ人前で下げる行為に一体なんのメリットがあるのか全くもって理解できないし、「いや、あーは言ってるけど、あれで奥さん一筋だから、あの人」なんて他者からフォローが入ることがあるが、「は? あれで?」としか思えない。


 むしろ、「奥様に今まで捨てられなかったことが奇跡なんであって、そんなことを外で言いふらしてるのがバレたら即捨てられるぞ!」と思っている。


 口は災いの元と昔から言うではないか。


 はよ気づけ、妻の下げネタで乾いた笑いだけを誘っているおっさん共!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る