アンチホワイトクリスマス

羽鐘

第一章/ひがむ男のクリスマス


 静かな夜だった。外の寒さをそのまま伝える壁の薄さでも、車の通る音は聞こえない。

 ポータブルファンヒーターは灯油を切望して、電子音の嗚咽を漏らしている。けど、それを買うお金を渇望する僕の手によってシャットアウトさせられた。

 次の給料日まで、財布に吹きすさぶ寒風は止む気配がない。

 部屋の中でも息が白くなる。多分、雪が降っているし、朝には積もり、僕の名前――白雪――のように街を覆うのだろう。


 もうじき訪れるクリスマスを考えると、白く染まる世界を喜ぶ人もいるだろうが、僕の心は、根雪が固く積もるほど凍てつく。

 誰が産み出したんだ?

『クリぼっち』なんて呪いの言葉を……

 眉間をほんの少しだけ狭くして、僕はサークル活動のためパソコンに向き合い、感情のない言葉を刻んでいった。


 三浪の貧困バイト生活になる前は、僕にも彼女はいた。

 でも、僕が大学進学に失敗し、その次の年も同じ結果だったとき、彼女から別れを告げられた。

 呼び出されたファミレスには、彼女と、何故か兄が隣にいた。


「白雪が大学生になるまで、待つのはつらいの……」

 彼女は下を向き、横目で兄に言葉を促す。鈍い僕にも二人の関係はすぐに分かった。

「まあ、そういうわけだから」

 兄は申し訳なさそうに言ったが、言葉の裏に誇らしさが紛れていた。

 兄の言葉は、鉛玉のような熱さで、凍り始めた僕の頭を撃ち抜いた。


 喘ぐように口を動かそうとする僕を見ながら、兄は「これは払っておくから。勉強頑張れよ」と、伝票を片手に立ち上がり、彼女もそれに続いた。

 残されたのは僕と冷め切ったコーヒーだけ。


 それからの、期待に応えられない僕を見る両親の眼差しは、春風の季節とは思えぬほどの冷たさで心臓を突き刺した。

 桜の花びらが肩に落ちる頃、僕は実家を飛び出した。

 それ以来、僕の城は、八畳一間のボロアパートになった。

 


 ◇ ◇ ◇

 

 バイトに向かう電車のなか、スマートフォンが薄いダウンの胸ポケットで震えた。

 吊り革から手を離した瞬間に車体がぐらりと揺れ、隣のくたびれたサラリーマンと肩が触れた。

 感情のない視線で僕を一瞥して目をつぶる彼に頭だけ下げて、スマートフォンを開いてみた。


 グループチャットの通知だった。発信者は、僕が所属する創作サークルのリーダーの片柳湊かたやなぎみなと

『この冬、我が『リア充撲滅部隊』のメンバー全員で、クリスマスを題材とした作品を書くことにします。』

 僕はすぐに敬礼のスタンプを打ったものの、心の中では暗鬱とした雲がのしかかっていた。

『リア充撲滅部隊』という名とは裏腹な、メンバー全員が恋い焦がれたいと願っている皮肉。窓の外の雪景色は、あてのない心の種火を消し去る寒さだった。


 溜め息が車窓を曇らせたとき、またスマートフォンが震えた。

 通知には『勇士』と兄の名が浮いている。

 ガラスをさらに曇らせて開いたメッセージには『来春、結婚する。正式に利奈と婚約した。』と文字が踊っていた。

 僕の彼女だった人が兄と結婚する。

 優秀な兄が、美しく献身的な彼女と結ばれるのだから喜ばしいことなのに、心の雲がさらに厚みを増していく。


 しばらく呆然と画面を睨んでから『おめでとう』とだけ返すと、今度は3歳下の妹の春香からのメッセージを受信した。

『勇士兄さん、結婚するってさ』

 何気ない言葉に刃が含まれていることを、春香は知っている。

『たった今、連絡きた。良かったんじゃない?』

『それだけ?』

『それ意外、言うことないだろ』

 メッセージを打つ指のささくれがちくりと痛んだ。

 電車が二度、線路の継ぎ目で揺れた。

『なんか、色々諦めたら? 彼女のことも、弁護士になる夢も』

 春香からの返信は、目の前の白い景色を灰色へと変貌させるのに十分だった。



 ◇ ◇ ◇


 電車のモーター音が耳の奥でざらつく。

 吊り革を握る手が汗ばむ。

 瞼がぴくぴくと震えるたびに、春香の言葉が砕け、破片となって突き刺さった。

 ――諦めたら?

 両親と同じ大学に進み、弁護士となる。幼い頃から、そう夢を見ていた。

 しかし、勇士が弁護士となり、春香も僕より先に大学進学を果たした。

 さらには、勇士と利奈が晴れて結婚するとなれば、もう僕の存在価値はないということだろう。


「不公平じゃ、ないか……」

 坂道に差し掛かって唸りを上げるモーター音に、僕の声が吸われていく。

 僕の出来が悪いのは理解できる。努力も足りていないのだろう。

 でも、あまりにも周りが恵まれていれば、僕だって卑屈になってしまう。


 勇士に対する感情は完全に弱者のひがみでしかない。でも、それがどうした?

 僕からこぼれ落ちた幸せを拾われて、僕に祝えと言われても、そんなことできるわけがない。

 そんな残酷なまでに美しい白い世界を祝福するなんて、僕には無理だ。

 吊り革を握る指先は、ゆっくりとその色を無くした。


 

 午後八時を過ぎ、バイト先のラーメン屋は、ようやく落ち着きを取り戻してきた。

 驚くほど旨いわけでもなく、驚くほど安いわけでもないのだが、何故かひと足は途絶えない店だ。

 目の回るような忙しさの割に、時給はあまり良くないけど、交通費と賄いが支給されるのは大きな魅力だった。


 店内には、不釣り合いなクリスマスソングが流れている。

 どいつもこいつも、そんなに恋人と楽しく過ごしたいものなのか……

 むくむくと膨らむ忌々しい気持ちをすすぎ落とすように皿を洗う僕に、先輩が声をかけてきた。

「おい白雪、クリスマスのバイト代わってくんね?」

 スマートフォンを見ながら、わざとらしく浮かべた困った表情が鼻についた。

 でも、そうは言っても、クリスマスに特段の用事がないから、上手い断りが頭に浮かばなかった。

「えっと……別に、いいですけど……」

「サンキュー、お前はクリぼっちだと思ってたから助かったよ。お陰で彼女と楽しく過ごせるわ」

 馴れ馴れしく肩を叩き、先輩は意気揚々とホールの片付けに向かっていった。


 店内に相変わらず流れるクリスマスソングに、ラーメンを啜る音が混じり、僕の不快指数を高めていった。

 僕の何が、そんなに悪いのだろう?

 疫病神に取り憑かれているとしか思えないほど、幸運から見放されてる気がする。  

 白雪という僕の名前すら、僕自身を縛る呪いのようだ。


 そこで、僕はふと、ひとつの考えが浮かんだ。

 そうだ、呪いだ。

 そんなに世の中の人が、ホワイトクリスマスというロマンチックなシチュエーションを望むなら、僕がプレゼントしてあげよう。

 みんなが望むように、僕の作品で、たくさんの雪を降らせ、最高のホワイトクリスマスを過ごしてもらおう。

 クリぼっちの僕が、ひがみという呪いを目一杯込めた、全てが凍てつくクリスマスを。


 思いがけない方向から、創作のアイデアが降ってきたことで、僕はニヤリと口角を上げた。

 どんぶりの泡が流れ落ちていくように、僕の頭の中がぐるりと回り、どんどんとアイデアが雪のように降り積もっていった。



 八畳一間のワンルーム。

 相変わらずポータブルファンヒーターは灯油を催促している。

 雪はやんだものの、寒さは壁の薄さをすり抜けてくる。

 丑三つ時の静けさのなか、冷蔵庫の唸り声だけが響く。

 耳の縁が赤くなっている。かじかむ指に白い息を吹きかける。

 パソコンを起動させ、僕はサークルのサイトにログインする。

 キーボードを叩く音がモニターに、僕の作品タイトルを召喚させる。

『アンチホワイトクリスマス』

 僕からの最高のクリスマスプレゼントが、言葉を紡ぎ始めた。

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