第5話 勇者、外の世界を知る

 ――ドスンッ。

「ん!?」


 自分の体が床に打ちつけられた衝撃で目が覚めた。襲撃かと思い、辺りを見回すが、そこは小さな一室だった。体を起こし、目をこする。落ちた衝撃で若干腰が痛い。

 ずいぶん昔の夢を見ていた気がする。あれは自分がまだ五歳くらいのことだ。剣士だったじいちゃんは、よくオレの稽古をしてくれた。


 そういえば昨日、異世界に転移してきたんだった。オレが出会った異世界人第一号であるこの部屋の主は、ベッドの上に座り、不機嫌そうに腕を組んでいる。まずは彼女にあいさつをしなければ。

「おはよう、マシロ」


 昨日のあの様子だと、彼女は相当オレのことをうとましく思っているだろう。突然来た知らない人間、しかも知らない世界から来た他人なのだから当然だ。無視されるかもなぁ、などとあくびをしながら思っていたが、予想ははずれ、「はよ」と短いあいさつが返ってくる。


 びっくりして思わず目を見開くと、部屋の主であるニイミマシロは「なに」とこちらをにらんだ。

「まさかマシロがあいさつを返してくれるとは思ってなくて驚いたんだ」

 正直にそう告げると、彼女はあきれたようにため息をついた。

「あいさつを返すのは人として基本中の基本でしょ。あいさつしないやつ、あたしは大っ嫌い」


 根は真面目なんだなぁと思っていたら、どうやら無意識に口角が上がっていたらしい。

「なに笑ってんの」

 軽くキレながらマシロがオレを蹴飛けとばそうとしたので、サッと身をかわす。マシロは避けられたことに納得がいかなかったようで、豪快にチッと舌打ちをすると、ベッドから気だるそうに降りた。


 壁時計を見ると、時刻は午前九時を指していた。シグリルアでは毎朝早起きをしてトレーニングにいそしんでいたから、変な感じだ。

 自分の部屋ではないのに不思議と寝心地が良かったのはマシロのこのふかふかベッドのおかげだろう。ちゃんと床で寝たはずなのに、自分でも気づかないうちに彼女のベッドに潜り込んでいたのは申し訳なかったが、正直記憶にないから謝りようもない。


 彼女の朝ご飯はなんだろう。ニホンという国について勉強したところによると、米とみそ汁、魚といった和食と呼ばれる朝食のメニューが定番だそうで、なぜかオレの母国シグリルアとほぼ同じだった。食べているものはニホンとシグリルアはどういうわけか似ているらしく、それゆえにニホンを研究する人が多いのだろう。

 現代のニホンではゆっくり食事をする時間が取れない人がたくさんいるようで、朝食には手軽に食べられるパンが人気らしい。


 マシロは冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、立ったまま食べ始める。手軽なヨーグルトを食べる人も多いとなにかの教材に書いてあったのを思い出す。マシロはあっという間にヨーグルトを食べ終えると、洗面台に行き、歯を磨き始めた。


「え、もう終わりか?」

 あれだけの食事では腹がもたないのではないか。思わずマシロに声をかけた。

「終わりってなにが。朝ご飯のこと?」

「あ、ああ。それだけではお腹が空くんじゃないのか?」

 するとマシロに代わるようにオレのお腹が元気よく音を立てた。


 マシロはオレの腹を目を細めて見ながら、「朝はたくさん食べると気持ち悪くなるから」と言い、ぶくぶくとうがいをした。

 彼女の行動をずっと見つめていると、先ほどよりもさらに大きなお腹の音が鳴り、オレはお腹をさすった。期待はしていないが、一応あるじに訊ねてみる。

「なにか食べるものって……」

「うちにはあたしの食べる分しかない」

 ですよねー。


 お金もないし、オレってば、このままだとお腹が空きすぎて死ぬんじゃないだろうか。まだまだ元の世界でやり残したことがあるというのに。


 マシロは昨日オレが粉々こなごなにしたスマートフォンと呼ばれる機械を眺めたのち、テーブルの上に置かれたこれまた変な機械を触り始めた。二つに折り畳まれた、厚さは二センチくらいの黒い物体だ。

 マシロは折り畳まれたそれを九十度より少し大きめに開いた。彼女の後ろから中をのぞき込むと、一方には絵画が映っていて、その画面にはたくさんの四角が整然と並んでいた。四角の下には『word』『Excel』など読み方はわからないが文字が書かれている。


 画面に対する面には、これまたたくさんの四角があり、その四角たちは本体部分から浮き出ているようだった。ひとつの四角の中に『A』『ち』と複数の文字が書かれている。マシロはその四角をすばやい動きで押し始めた。どうやらボタンのようになっているようだ。


 オレはマシロの隣に移動した。

「これは何の道具なんだ?」

「スマホのでっかい版みたいなやつ」

 スマホ、いわゆるスマートフォンと呼ばれる電子機器は、世界中のだれとでも連絡が取れる機械だとマシロから昨日説明された。そして今マシロが使っている機械はパソコンと呼ぶらしい。同じような機能を持っているのになぜ二種類もあるのかオレにはよくわからない。

 ただわかるのはこの世界の技術の進歩は恐ろしいということだ。


 マシロはせわしなく動かしていた指をふととめる。

「ユーリ、外出るよ」

「ん? そ、外?」

 いや、外とかそんなことより、彼女は今オレの名前をはじめて呼んだぞ。自然に呼ばれすぎて一瞬戸惑った。


 オレの反応がにぶかったからだろう、マシロはもう一度同じことを口にした。

「ちょっと聞いてんの? 今から外出るよ、って言ってんの」

「わ、わかった。外だな、外」


 マシロはカバンを肩にかけ、玄関へと向かう。オレも慌てて彼女のあとを追うが、なにかを思い出したのか、マシロはくるりと向きを変えた。急に振り返った彼女に危うくぶつかりそうになり、体がのける。

「あ、ダメだ。ユーリ、その前に服脱いで」

「服?」

「ユーリのその恰好だとコスプレ感がすごいから違う服着た方が良いと思って。あ、コスプレの意味はわかるの?」

 部屋に戻り、クローゼットを開け放ったマシロは、後ろに立ち尽くすオレをちらりと見てからそう言った。


「コスプレ……あ、ああ、わかる。自分とは違う人物の見た目を真似すること、と習った」

「ん、まあまあ正解。てかコスプレ知っててスマホ知らないってどういう学習順序なのよそれ。あんたの服は目立ちすぎるから、あたしの服貸してあげる。っていってもサイズは小さいかもだけどね」


 ハンガーにかかった白い半袖Tシャツと、ベージュのカーゴパンツをマシロはクローゼットから引っ張り出した。この世界のファッション用語は複雑でなかなか覚えるのに苦労したが、意外と役立ちそうだ。Tシャツには真ん中にたぬきのイラストが描かれていて、こういう服が流行っているのだろうかと首を傾げたくなる。

 ほいっと投げ渡された服をキャッチし、着ている服を脱いだ。元いた世界では男女が同じ部屋で着替えるなんてありえない行為だが、マシロは全くといっていいほど興味がなさそうにパソコンとやらをまた操作しているので、オレも気にせずに着替える。あの機械はそんなにも面白いものなのだろうか。


「着替えたぞ」

 オレがマシロに声をかけると、彼女はパソコンから視線を上げ、いきなりぶふっとふき出した。お腹をおさえながらうつむき、笑っている。

「くはっ、はははっ、やっば! イメージと違い過ぎて笑えるんだけど!」

 マシロは楽しそうに一人で笑っている。彼女はこんな風に声を出して笑うのか。


 一通り笑い終わったマシロはふぅーっと一息つくと、オレのそばに来て少しだけ背伸びをし、オレの髪の毛を触った。

「あとはこの髪と目をどうにかしたいなぁ。髪は帽子でなんとかするとして……この青い目、どうにかなんない?」

「どうにかと言われてもだな……こちらの世界の技術にはないのか? 瞳の色を変えるような魔法は」

 マシロはオレの髪から手を離すと、腕を組んでうなった。

「うーん、なくはないけど。ちょい待ってて」

 彼女はそう言ってカバンの中をガサゴソとあさる。なにやら小さな物体をカバンの中から取り出した。オレはマシロの手の中にある物体をのぞき込むが、なんなのかさっぱりわからない。


「マシロ、これはなんだ?」

「カラコン」

「か、カラ、コン? とはなんだ?」

 マシロが物体の封を切ると、中には同じモノが二つ入っていた。水に浸かっているのだろうか。カーブを描いたようなその二つの物体は、中心が黒くなっている。


「カラーコンタクトって言って、目の色を変えられるの」

 カラコンとやらを右手の人差し指の腹に乗せたマシロは、左手でオレの目を無理やり開かせた。

「お、おい、マシロ、なにをする気だ!?」

「なにって、これをあんたの目にぶち込むのよ」

「は!? こ、これを目の中に入れるということか!?」

「だからそうだっつってんじゃん。ほら動かないで」


 目の中にゴミが入るのとはわけが違う。自ら異物を目の中に入れるなんてこの世界の人間はどうなっているのだ。

「あーもう、動かないでって」

 イライラが隠せないマシロはお得意の舌打ちをすると、あろうことかオレを床に押し倒した。いや、どういう状況だこれは。


 そしてその異物をオレの目に入れる。

「い、痛く……ない?」

 目に異物感は若干あるが、想像していたより全然痛くない。動きが止まったオレを見たマシロは、チャンスとばかりにもう片方の目にも同じものを入れる。

「よーし、まあいいんじゃない?」

 仰向けになったオレの上に馬乗りになったままのマシロは手をパンパンとはたき、満足気に口角を上げた。機嫌が良くなったようでなにより。


「自分ではなにもわからないのだが、これで目の色は変わったのか?」

 疑問を口にすると、マシロはカバンの中から手鏡を取り出し、オレに向ける。

「おお! マシロと同じ色になった!」

 両親から受け継いだ青い瞳のオレの姿はそこにはなく、黒い瞳のオレが映っていた。なんともこの世界は便利な道具で溢れているようだ。


「じゃこれでなんとか外には出られるね」

 マシロは一仕事終えたかのように肩を回すと、オレから立ち上がり再び玄関に向かった。

「さっさと行くよ、ユーリ」

 そう言って振り返る彼女のあとにオレも続く。外の世界はどんな感じなんだろう。

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