信頼の罠 - 正規の鍵を持った泥棒

SFCA

プロローグ:完璧な日常

2020 年 12 月、月曜日の朝 9 時。

東京、港区にある大手 IT ソリューション企業「ネクサス・テクノロジー」の本社ビル。

35 階のサーバー管理室は、いつものように低いファンの駆動音に包まれていた。システム管理者の鈴木健一は、コーヒーを片手に管理コンソールの画面を確認していた。

「今日も異常なし、か」


画面の右下に、ポップアップ通知が表示された。

『InterLink Orion: セキュリティ更新プログラム(バージョン 2020.2.1)が利用可能です』


InterLink 社の「Orion(オライオン)」は、世界中の企業で使われているネットワーク管理ソフトウェアだ。サーバーの負荷監視、トラフィック分析、ログ管理を一元化できる、いわば「システムの心臓部」を守る番人である。

「お、年末の定期パッチか」

健一は何の疑いもなくマウスを動かした。

送信元は InterLink 社。デジタル署名も正規のもの。セキュリティソフトのスキャンも「脅威なし」と判定している。

疑う理由など、どこにもなかった。


「インストール」ボタンをクリックする。

プログレスバーが伸びていき、数分後には『完了しました』という緑色の文字が表示された。

「よし、これでまた少し安全になった」

健一は満足げに呟き、次のタスクに移った。


しかし、彼は知らなかった。

彼が自らの手で城門を開け、招き入れた「正規の番人」の仮面の下に、凶悪な侵入者が潜んでいることを。

そのプログラムは、インストールされた直後、何もしなかった。

ただ静かに、デジタルの闇の中で「目覚めの時」を待っていた。

まるで、トロイの木馬から這い出る兵士たちが、夜の帳が下りるのを待つかのように。

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