一つではない真実
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年8月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。
時代は今から20年くらい前、すでに、21世紀になっていて、パソコンの普及はもちろん、電車の中や、街を歩く人のほとんどが、携帯電話を片手に、前も見ずに歩いていた時代のことであった。
その頃、
「私立探偵」
ということで、雑居ビルの一室に、事務所を構えていた佐久間探偵であったが、なかなか私立探偵といっても、そのほとんどが、
「浮気調査」
などが多かった。
まるで、興信所のようなもので、実際に、今では、
「その違いはほとんどない」
と言われている。
そもそも、興信所というと、
「公の捜査」
を行うもので、
「私立探偵」
というのが、
「主に浮気や、不倫調査」
などと分けられていたが、今では、その役割に差がなくなってきたというものだ。
多分、
「どちらかが近づいた」
ということなのだろうが、結局は、どちらにしても、
「影から捜査を行う」
ということでは、最初から変わりはないといえるだろう。
今から20年くらい前に起こった事件を、この佐久間探偵が依頼を受け、
「実際に解決できなかった」
ということから、その事件の後半から、探偵事務所を取り巻く環境が一気に変わってしまい、時代は流れて、
「今の時代に至る」
ということになる。
「この20年という間、長いようで短かった」
と感じる人もいれば、逆に、
「短いようで長かった」
と思っている人もいるだろう。
今は、この事務所は、佐久間探偵から引き継ぐという形になったことで、事務所は、
「水上探偵事務所」
ということになっている。
水上探偵は、今42歳になっているので、20年前というと、二十歳そこそこというところであろうか。
まだ助手だったという、
「青年探偵見習」
というところで、それでも、
「助手が数人いた中に、まだ若いが、優秀だ」
と、佐久間探偵には、見込まれているようだった、
当時も、事件というのは、そんなにあったわけではなく、依頼自体も、そこまではなかった。
実際に、浮気調査なるものも、平成になってすぐくらいは、結構あったのかも知れない。
なんといっても、
「バブル経済の時期」
ということで、
「事業拡大すればするほど儲かる」
ということで、実業家などは、その儲けは、結構なものだっただろう。
当然、
「オンナを囲う」
というくらいは、普通にあっただろう。
それこそ、金があるのだから、その金にものを言わせれば、
「買えない者はない」
ということで、
「金さえあれば」
という時代だっただろう。
ただ、奥さんは、当然面白くない。
「自分も浮気をすればいいだけ」
ということになるのだろうが、
「旦那から金をもらって、別の玉の輿に」
などと考える人もいたようで、
「旦那の弱みを握って、たくさん金をふんだくってやる」
という考えを持っている人である。
ただ、実際には、
「探偵を雇って調べさせ、それを証拠にして、いかにそれを利用するか?」
ということまで、探偵が考えることではない。
奥さんとすれば、
「弁護士に相談する」
ということになるのであろう。
そもそも、弁護士というのは、
「依頼人の利益を守る」
ということが最優先ということであるから、
「倫理的に正しくはない」
と思われることでも、
「法的に正しければ問題ない」
ということで、
「夫婦が壊れようとも、依頼人が得をすれば、それでいい」
ということから、
「不倫に対しての証拠をつかんだ後、いかに処置をするか?」
ということで、
「弁護士が暗躍していた」
ということもあっただろう。
しかし、時代は、
「バブルの崩壊」
ということになり、
「一夜にして、社長や実業家は、一文無し」
いや、それどころか、
「多大な借金を抱え込む」
ということで、
「夜逃げしないといけない」
というくらいの状態になるほどの、世の中の大混乱であった。
そんな時代も、何とか乗り切って、少し低成長ではあるが、社会は落ち着いていた時代であった。
「せっかく探偵になったのに、浮気調査ばかりで面白くない」
などというのは、贅沢な話で、その浮気調査ですら、なかなか依頼がない時代になってきたのだった。
というのも、
「そもそも、結婚する夫婦がいなくなった」
ということが大前提である。
「結婚している夫婦のどちらかが浮気をするから、不倫になるわけで、素行調査が必要になり、離婚の際に、いかに、慰謝料をふんだくって、別れることができるか?」
ということが問題なのだ。
それなのに、元々の結婚する夫婦というのが減ってきたということであれば、
「不倫の数も、絶対数が少ないのだから、当然少ないということになる」
しかし、
「そもそも、結婚しようという人が、どういう種類の人だ」
ということになるのだろう。
確かに、昭和の時代というと、
「結婚して、家を守っていく」
というのが当たり前の時代だった。
だから、
「結婚しない」
ということは、
「結婚ができないダメ人間」
というレッテルが貼られるくらいだった。
それこそ、
「結婚しない」
あるいは、
「彼女がいない」
というのは、
「肉体的に、どこか悪いところがあるのではないか?」
という詮索を受けても無理もない時代。
「種なしなんじゃないか?」
と言われたりもした。
「伝染病の中で、おたふくかぜなどは。大人になってかかると、子供が作れなくなる」
といわれることがあったが、それを真剣に気にするという時代だったのだ。
だから、
「結婚できない」
というと、大きな問題で、これが、
「結婚をしない」
あるいは、
「結婚をしたくない」
などというのは、論外で、数は圧倒的に少なかったであろうが、いなかったというわけでもないだろう。
そんな時、どのような解決方法があったのか、その時代に生きていないので分からないが、それなりに、家族ごとに、解決方法があったということなのだろう。
それだけ、
「結婚」
というものが大切なことであり、
「生きていく上での当たり前のことだった」
といえるだろう。
だから、
「絶対に結婚させる」
ということで、
「許嫁」
などということがあったのだろう。
もちろん、人間は、
「異性を好きになる」
ということが基本で、
「種の保存」
というものの営みができてくるということになるのだろうが、結構というものを、
「家同士の結び付き」
ということから、
「親が子供の結婚相手を決める」
という時代もあった。
昔であれば、
「戦国時代」
などというと、
「政略結婚」
ということで、
「同盟関係を結び、領土保全を図る」
という時代があった。
ただ、
「大日本帝国」
の時代は、
「国防」
という観点から、
「徴兵制」
というものもあり、子供ができれば、
「天皇陛下のために、兵役に服する」
ということで、
「男子をたくさん作る」
という時代もあった。
ただ、時代的に、不況にあえぐ時代というのもあり、
「農村などでは、娘を売りに出さないと、次の日の生活ができない」
などということでの、人身売買が、行われた時代もあった。
それでも、大東亜戦争に突入すれば、今度は、その徴兵制が、
「男子に対して、学生までにも、赤紙が届く」
ということで、結婚というものが、
「赤紙が来た」
ということで、
「兵役に就く前に、男の悦びを味わっておく」
ということが当たり前のこととして、
「急遽結婚」
ということが行われた。
男性も、
「生きて帰ってこれる保証がまったくない」
ということで、白羽の矢が立った女性としても、まるで、
「人身御供になった」
かのように、出征する夫に身体を任せ、夫が出征していくと、今度は、
「嫁いだ家の嫁」
ということで、こき使われることになる。
特に、戦時中の婦人会などにも駆り出され、まだ、男尊女卑の時代だったことで、かなりのみじめな思いもあったことだろう。
それが、結局は、敗戦を迎え、
「大混乱の戦後を何とか乗り越えると、そこには、戦勝国から押し付けられた、民主主義」
というのが待っていた。
要するに、
「全国民が法の下で平等で、人権というものが保障される」
というものだ。
徐々にであるが、
「男尊女卑」
という考え方もなくなっていき、
「もはや戦後ではない」
といわれるようになると、今度は、それまで差別を受けていた人たちが、立ち上がり、
「古い風習」
というものが、なくなっていくというものである。
「特に男女差別」
であったり、
「住んでいる地域の問題」
としての、
「部落問題」
そして、
「同和問題」
などというものが、学校教育によって、その考え方が、それまでとまったく違う、
「民主主義」
というものが、植え付けられることになった。
そんな時代に、
「結婚」
というものも、今までのような、
「親が決めた結婚」
として、形式的な、
「見合いによる結婚」
というものから、
「結婚相手は自分で決める」
という、
「恋愛結婚」
というものに、徐々に変わっていったのである。
「見合い結婚」
というものが、
「親が決めたもので、しかも、女性は男性の家に嫁入りする」
という昔からの、
「家督相続」
というような考え方が、蔓延ってきたが、恋愛結婚という考え方が出てくると、
「それが当たり前」
ということになった。
しかし、恋愛結婚というのは、それまでの、
「家督相続制度」
から考えると、
「実に民主的で、自由な発想」
といえるだろう。
しかし、逆に考えると、
「家」
というものから離れて、個人主義ということで、
「個々の責任の下に結婚する」
ということを、どこまで分かっているのか?
ということである。
確かに、
「結婚は自由にできるし、好きな人と結婚する」
というのが、一番の理想だというのも、間違いではないだろう。
しかし、そのために、それまでの、
「見合い結婚」
というものに比べ、その責任の度合いが、はるかに高くなっていることに気づかず、
「ああ、好きな人と結婚できた」
ということで、
「結婚というものが、ゴールだ」
と考えてしまうことが、大きな軋轢を持たせる時代もあったのだ。
親が結婚した頃は、
「恋愛結婚」
などというのは、
「ありえない」
と言われ、
「恋愛結婚を最先端の考え方だ」
と思っている若者からは、それまでの、
「結婚制度が、実に古臭く、バカげているように思えてならない」
ということになる。
時代を動かしているのは、
「これからの若い連中」
ということも、時代の流れで変わってきたことだ。
それ以前は、
「年寄りの考え方が、亀の甲より年の劫」
ということで、まるで、
「長老の考え方が絶対だ」
というような時代から、戦後復興においては、どうしても、若い力が必要ということで、いつの間にか、
「長老が、偉い」
という考えから、
「社会を動かすのは、若い連中」
と代わってきたことで、軋轢も次第に、若者に有利に進んでくることになるだろう。
そうなると、
「恋愛結婚というものが当たり前だ」
というようになり、
「恋愛結婚というものが当たり前だ」
ということになると、次第に、
「若者が力を持つ」
という時代になってくる。
それが、
「高度成長の時代」
というのを生み、次第に、
「日本が、世界の最先端」
ということになってくるのだった。
そういう意味で、
「民主主義の最先端」
という考えが出てきて、恋愛結婚というものも、当たり前になってきた。
だが、そこには、
「いいことばかりがクローズアップされる」
ということでの、影の部分が、潜んでいるということを、誰も気づいていなかったのかも知れない。
恋愛結婚のピークから、20年くらいで、その、
「結婚」
ということが、まったく違った形になってくるということを、
「果たして誰が、想像したことだろう」
ということである。
それこそ、平成になってから、それまで、浮かれ騒ぎ状態だった、
「バブル経済」
というものが崩壊し、結果として、
「社会の大混乱」
というものを引き起こし、一番の問題は、
「そのバブル崩壊というものを、誰も予知できなかったのか?」
ということであった。
「絶対に銀行は潰れない」
という神話だったものが、一番に破綻してしまったことで起こった、
「バブル崩壊」
知っていたからといって、どうなるものでもないかも知れないが、今となって思えば、
「これが一番の疑問だった」
といってもいいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます