「ヒストリエ」人間性の回復の物語

この批評は、作品に語らせたまま終わるものではない。読者としての私自身が、語り返すことで“応答する”ものだ。『ヒストリエ』という名の文学に、私は“人間性の残響”を聴いた。それは、破壊された知性が、もう一度「非合理な生」を抱きしめ直す物語だった。


岩明均の『ヒストリエ』は、単なる歴史漫画ではない。それは、知性を持つ者が人間性を喪失し、それを回復しようともがく物語である。


舞台は古代ギリシャであるが、描かれる主題は現代にも通じる普遍性を帯びている。すなわち、合理と非合理、進化と孤独、人間性とは何かという根源的な問いである。



・知性と引き換えに捨てられた人間性


物語の主人公エウメネスは、幼少期に母を見捨てるという選択をする。それは、生き延びるための極めて合理的な判断であった。しかしその選択は、情愛やつながりといった「人間的なもの」を、自らの手で切り捨てる行為でもあった。


知性を武器とした彼は、やがて社会において頭角を現す。その知性は称賛され、利用され、重用される。だが、彼を評価する者の多くは、彼の知性のみを見ており、彼を「人間」としては捉えていない。エウメネス自身もそれを理解しており、他者との関係には一線を引き続ける。理解されないことを前提とした、孤独な合理主義者の姿がそこにある。



・「見てくれる他者」との邂逅、そして喪失


物語の中盤、エウメネスはサチュラやエウリュディケといった、彼の内面に目を向ける人物と出会う。とりわけエウリュディケとの関係は、彼が初めて対等な人間関係を築こうとする兆しであった。彼女は、エウメネスの卓越した合理性の奥に潜む孤独や誠実さに気づき、寄り添おうとする。


しかし、歴史と政治という巨大な構造が、その関係を無惨に断ち切る。フィリッポスがエウリュディケを娶ることにより、エウメネスはふたたび人間性への接続を断たれる。再び沈黙と合理の殻に閉じこもり、彼の魂は孤立へと回帰する。



・託される命、非合理の引き受け


物語の終盤、エウリュディケは死の間際に、エウメネスに子を託すという行動を選ぶ。それは愛というより、信頼という形の意志の伝達である。この子を託すに値すると感じさせた何かが、エウメネスの内側に確かにあったということであろう。


エウメネスは、その子を育てることを選ぶ。それは戦略でも、責任でも、功利的な判断でもない。それは、非合理を引き受けるという選択である。


彼はようやく、「知性による生存」から「人間としての生き方」へと一歩を踏み出す。合理を否定したのではなく、それだけでは生きられないと知ったうえで、非合理のなかにこそ人間性が宿ると受け入れたのである。



・結論 人間性とは、非合理を受け入れる意志のことである


『ヒストリエ』は、戦略と知性、歴史と政治の物語であると同時に、人間性の回復の物語である。合理的であること、優れていること、生き残ること。そのすべては重要である。だが、それだけでは人は人たりえない。


人間性とは、不確かで、損得に合わず、ときに報われない「非合理」を引き受けながらも、なお誰かとつながろうとする意志の中にある。岩明均は、徹底的に理性を描いた末に、最後にそっと非合理を差し出した。それは敗北ではない。進化の次にくる、もう一つの進化、「人間に戻る勇気」の提示である。


『ヒストリエ』は、合理と非合理の狭間で生きるすべての人間にとっての、静かな福音である。

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