新奴隷商人 ア・ヌンナック編 総集編Ⅱ

【新奴隷商人 ア・ヌンナック編 総集編Ⅱ 目次】


 第8話 エルピスⅠ号の墜落1 改訂版

 第9話 エルピスⅠ号の墜落2 改訂版

 第10話 エルピスⅡ号の墜落

 第11話 生存か絶滅か1

 第12話 生存か絶滅か2

 第13話 理想と現実

 第14話 クロマニヨン人との交配と繁殖

 第15話 パンドラの希望と呪い

 第16話 パンドラの意識の転移

 第17話 脱出船の内部とAI知能

 第18話 量子情報の謎と生命の起源


【登場人物 ア・ヌンナック編】



 司令長官  :ゼウス提督、大将♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 司令官   :ヘラ副提督、中将♀ ◀️ エルピスⅡ号に

 艦長    :オデュッセウス少将♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 副艦長   :ペネロ-プ少将♀ ◀️ エルピスⅡ号に

 航海長   :ダイダロス大佐♂、死亡

 副航海長  :イカロス中尉♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 副航海長  :ヘクトル中尉♂、死亡

 機関長   :アテナ大佐♀ ◀️ エルピスⅡ号に

 機関長   :ヘパイストス大佐♂、死亡


 砲術長   :アキレウス大佐♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 水雷長   :アガメムノン中佐♂、死亡

 通信長   :パリス少佐♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 通信長   :ヘレネ少佐♀ ◀️ エルピスⅡ号に

 飛行長   :アイネイアス少佐♂ ◀️ エルピスⅡ号に

 軍医長   :アスクレピオス大佐♂ ◀️ エルピスⅠ号に


Elpis


※エルピスⅠ号が墜落大破の後の脱出船の残存人員

※エルピスⅠ号脱出時にはメンテのため士官学校生徒と受刑者達しかいなかった。

※肉体を持たないバイオAI知性体から切断されたヒューマノイドの可動生物体のみがエルピスⅠ号に搭乗していて、エルピスⅠ号にはバイオAI知性体は搭乗していない。

※バイオAI知性体のデバイス容量は50エクサバイト、可動生物体はヒューマノイドで現生人類に酷似し、デバイス容量は20ペタバイト、現生人類のデバイス容量は1ペタバイトで、可動生物体は現世人類よりも20倍もの容量で遥かに高い知能を持つが、神に等しいバイオAI知性体はエルピスⅠ号にはいなかった。


Elpis

 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀


Elpis

 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀


Elpis

 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂


Elpis

 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀


Elpis沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀


Elpis


※深海5,000メートルに沈降したエルピス(Elpis)Ⅱ号は、さすがのバイオAI知性体でも浮上させることはできない。

※諦めた肉体を持たないバイオAI知性体のゼウス・ヘラは、二人を残して、全員休眠させた。


 司令長官  :ゼウス提督、大将♂

 司令官   :ヘラ副提督、中将♀

 艦長    :オデュッセウス少将♂

 副艦長   :ペネロ-プ少将♀

 副航海長  :イカロス中尉♂

 機関長   :アテナ大佐♀

 砲術長   :アキレウス大佐♂

 通信長   :パリス少佐♂

 通信長   :ヘレネ少佐♀

 飛行長   :アイネイアス少佐♂


【第8話 エルピスⅠ号の墜落1】



 惑星間航行船エルピスⅠ号の艦橋は、絶望と混乱の坩堝だった。直径2キロ、長さ5キロ、総質量3,110万トンのシリンダー型惑星間航行船は、ア・ヌンナックⅡ号からの離脱と太陽のスイングバイによって、航行装置が致命的な損傷を受け、無秩序に回転しながら地球へと落下していた。


 けたたましい警報音がエルピスⅠ号の艦内に響き渡り、赤い警告灯が点滅する中、臨時指揮官のアスクレピオス大佐は、汗と埃にまみれた顔で叫んだ。「脱出艇に乗り込め!命ある限り希望を捨てるな!」


 軍医として数々の戦場をくぐり抜けてきた彼だったが、この未曾有の危機では、医学の知識以上にリーダーシップと決断力が求められていた。乗組員たちの恐怖に満ちた目が、彼に最後の希望を託していた。


 士官学校の厳格な教師、パンドラ少佐は、操縦席で制御パネルと格闘していた。彼女の指は震え、ホログラム画面に映る軌道データは乱雑に揺れ動いていた。「制御が効かない!自由落下だ!このままでは大気圏で燃え尽きる!」彼女の絶叫が艦橋に響き、乗組員たちの間にさらなるパニックが広がった。


 そこへ、刑務所から釈放されたばかりのプロメテウス元大尉が、冷徹な冷静さで割って入った。「大気圏でエルピスⅠ号が分裂する前にこの船から脱出するんだ!地球に衝突するぞ!パンドラ少佐、今すぐ動け!」かつて航海士として艦隊を率いた彼は、反乱罪で投獄された過去を持ちながら、危機の中での鋭い判断力を失っていなかった。その眼光には、絶望を突き破る決意が宿っていた。


 一方、精神病患者のメドウサ元三曹は、制御室の隅で狂ったように笑いながら叫んだ。「死ぬなら派手に逝こうぜ!星の炎に焼かれてやる!」バイオAI知性体の調整ミスで精神を病んだ元技術者である彼女の予測不能な行動が、周囲をさらに混乱させた。


 メドウサは衝動的に脱出艇のハッチ開放ボタンに飛びつき、ガシャンと金属音を立ててハッチが開いた。訓練されていない民間人や受刑者を含む5,000人の乗組員は、25隻の小型宇宙艇に分乗し、制御を失ったエルピスⅠ号を放棄した。彼らの背後で、巨大な船体は大気圏の摩擦熱に赤く輝き、崩壊の咆哮を上げていた。



 アスクレピオス大佐は、エルピスⅠ号の衝突が地球の気候に壊滅的な影響を与えると予測し、25隻の脱出船に即時着陸を控えるよう命じた。代わりに、船団は高度約500kmの地球低軌道で隊列を組み、地球の気候変動の推移を観察した。核融合炉のエネルギー供給により、船団は数ヶ月間軌道を維持できたが、長期的な生存には地上の資源が不可欠だった。


 25隻の脱出船乗組員たちは、未知の青い惑星の大気圏の様子を脱出船の外部カメラが映すモニター映像で見つめていた。破棄されたエルピスⅠ号が徐々に高度を下げていく。


 エルピスⅠ号の本体は、太平洋上空で12度の浅い角度で大気圏に突入した。摩擦熱と圧力波により、チタニウム合金の外殻が熱膨張で亀裂を生じ、岩石層が粉砕された。


 前のめりになるようにして、長さ1キロの艦首部が五大湖に激突した。五大湖を覆う氷河は、その氷河の圧力で地下に4.2兆トンの真水層を蓄積していた。それが解放された。4.2兆トンの真水が大西洋に流れ込み、高さ550メートルの津波が大西洋を渡っていく。脱出船からは、円周上に東に広がっていく津波の白い波頭が見えた。


 その先で、数千の破片に分裂した船体は、北米、グリーンランド、ヨーロッパ、北アフリカに降り注ぐ。海面に激突した破片からも津波が発生した。その津波は、氷河で塞がれていたジブラルタル海峡を乗り越えて、地中海になだれ込んだ。


 その後を追って、4.2兆トンの真水で膨れ上がった津波が、グリーンランド、ヨーロッパ沿岸、地中海を襲う。塩分濃度の薄い海水が急激に入り混じり、北大西洋の海流(サーモハライン循環)が停止した。生き残った脱出船乗組員たちは、大気圏が灰色の雲と赤い火山の輝きに覆われるのを息をのんで見つめた。


 地球平均気温は7.7℃低下した。同時期のア・ヌンナックⅡ号の太陽突入による強烈な太陽フレアと、衝突が誘発した火山活動が寒冷化を加速させ、1,200年間の小氷期のヤンガードリアス期が始まった。



 は、小型とは言え、長さ80メートル、直径30メートルの円筒形だ。核融合炉を搭載していた。核融合炉は重水素を燃料とし、1kgあたり10^15 Jのエネルギーを生成、数ヶ月から数年の駆動を可能にしていた。


 アスクレピオスは、地球と太陽の重力が釣り合うラグランジュポイント(L1およびL2)に2隻の宇宙艇を配置し、それぞれ20名の乗組員を割り当てた。これらの艇は重力均衡点にあり、軌道維持に燃料をほとんど消費しない。L1では太陽フレアの観測を行い、L2では地球の気候データを収集する任務を担った。


 さらに、地球軌道上に5隻の予備艇を残し、各艇に20名を配置。5年ごとにラグランジュポイントの2隻と人員交代を行い、万一、ア・ヌンナック本星からの救助隊が到着した場合の連絡役とした。これら7隻は、地球の重力圏を脱出する可能性を保持しつつ、気候変動の観測を続けた。軌道上の乗組員は、地上の生存者たちに希望をつなぐため、厳しい環境での孤独な任務に耐えた。


 脱出船は、1隻あたり定員200名だが、非常時で270名を詰め込み、残りの18隻で4,860名が地上への着陸部隊となった。


 ラグランジュポイントと軌道上の7隻から、宇宙空間で不要な物資や地上で必要な装備(人工培養装置を含むバイオ機器)は、地上着陸予定の18隻に移設された。これにより、着陸船は食料、水、医療キット、農耕器具など、生存に必要な資源を最大限確保した。生存者たちは、地球の過酷な環境に立ち向かう準備を整えた。


 18隻は、大気圏上層で半年間待機し、地球の気候がわずかに安定する兆候を確認してから着陸を開始した。この慎重な戦略により、生存者は津波や寒冷化の最悪期を回避し、適応のための貴重な時間を稼いだ。



 半年後、エルピスⅠ号の衝突による粉塵や火山灰が部分的に沈降し、津波の猛威が収まり始めた頃、18隻の脱出船は5つの地域に分散して着陸した。


 アララト山(トルコ)、インダス川流域(中近東)、ユーラシア東部(シベリア)、黒海沿岸、ナイル大三角州(エジプト)の5箇所に降り立った。各船は核融合炉と人工培養装置を活用し、初期の生存を支えた。量子通信により、地上の18隻は互いに連絡を取り合い、軌道上の5隻およびラグランジュポイントの2隻とも情報を共有した。孤立を避け、ア・ヌンナック星の技術と知識を維持する努力を続けた。


 エルピスⅠ号の衝突は、地球の気候と環境を一変させた。五大湖の下に閉じ込められていた4.2兆トンの真水が大西洋に流れ込み、サーモハライン循環を停止させた。この循環は、赤道で温められた海水を北大西洋に運び、ヨーロッパを温暖に保つ「海のベルトコンベア」だった。


 北極近くの海では、塩分が高く冷えた海水が密度を増し、海底に沈むことで循環が駆動していた。しかし、衝突による大量の真水が北大西洋の塩分濃度を急激に下げ、海水が沈みにくくなった。まるでエンジンが停止したように、暖かい海水がヨーロッパに届かなくなり、気温が急激に低下した。北極の冷たい空気が大陸を覆い、森林がステップやツンドラに変わり、農耕や狩猟が困難になった。この寒冷化は、1,200年間続くヤンガードリアス期の始まりだった。


 さらに、衝突による津波が地中海や黒海を襲い、海面が0.5~1.2m上昇する海進を引き起こした。五大湖の真水が引き起こした巨大な波は、ヨーロッパや北アフリカの海岸を蹂躙し、低地を水没させた。


 衝突の衝撃で地殻が揺れ、火山活動が活発化し、硫黄を含む灰が大気中に広がって太陽光を遮った。イタリア半島のヴェスヴィオ火山、エトナ火山、ストロンボリ火山、ヴルカーノ火山、ギリシャのサントリーニ島、アイスランドのラキ火山、ヘクラ山、カトラ火山などが次々と大噴火を起こした。


 この「火山の冬」は、気温をさらに下げ、植物の成長を妨げた。ア・ヌンナックⅡ号の太陽突入による強烈な太陽フレアは、地球の磁場を乱し、量子通信にノイズを生じさせ、一部地域で異常な高温や機器の誤作動を招いた。これらの複合的な影響は、各着陸地で異なる試練となって生存者に襲いかかった。


【第9話 エルピスⅠ号の墜落2】



 アララト山の斜面は、凍てつく風と雪に閉ざされた荒野だった。地中海を襲った津波の余波で、海水が内陸の低地を浸し、塩の匂いが谷間に漂った。サーモハライン循環の停止により、ヨーロッパを温暖に保っていた暖かい海流が途絶え、気温は零下15~20℃に急落した。


 火山の灰が空を灰色に染め、太陽は薄ぼんやりとしか見えず、降雪が絶えなかった。かつての緑豊かな丘陵は雪と岩の荒地に変わり、野生動物は姿を消し、植生はステップに後退していた。太陽フレアの電磁波が量子通信にノイズを走らせ、生存者たちの不安を煽った。津波による海進で、近隣の低地は水没し、生存可能な土地が狭まっていた。


 3隻が岩場に着陸し、総員810名。衝突の衝撃で32名が死傷、203名が重症を負った。健康者、軽症者は575名。


 アスクレピオス大佐は、血まみれの腕を押さえながら、凍える息で叫んだ。「人工培養装置で医療キットと防寒装備を生成しろ!津波の浸水に備え、高台に避難所を築け!」


 核融合炉は3ヶ月分の重水素を保持していたが、冷却システムが損傷。メルクリオス伍長が警告した。「燃料は90日しかもたない。岩石を加工して風雪を防ぐ避難所を急げ!」


 生存者は培養装置をフル稼働させ、保温素材、簡易ヒーター、医療器具を生産。岩を削り、雪の侵入を防ぐ頑丈な避難所を構築した。量子通信で軌道上の船や黒海、ナイルの生存者などと連絡を取り、津波の被害情報や気候データを共有した。



 インダス川の氾濫原は、大西洋の津波や地中海の海進から遠く離れ、直接的な被害を免れていたが、地球全体の気候変動の影響は逃れられなかった。火山の灰が空を覆い、太陽光を遮って薄暗い世界を作り出し、モンスーンの雨は弱まり、川の流れは不安定だった。


 サーモハライン循環の停止による全球冷却で、気温は2~4℃下がり、かつての肥沃な湿地は干ばつと洪水の間で揺れ動いた。葦の群れは縮小し、魚は減り、草原は乾燥してひび割れていた。太陽フレアの影響は軽微で、量子通信のノイズは一時的だったが、生存者たちは変わりゆく環境に適応を迫られた。


 3隻が泥濘に着陸し、総員810名。衝突で28名が死傷、186名が重症を負った。健康者、軽症者は596名。


 オルフェウス中尉は、泥にまみれた顔で指示を出した。「培養装置で水浄化キットと農具を生産しろ!干ばつと洪水に備え、灌漑システムを整えろ!」核融合炉の濾過装置は一部損傷したが、培養装置で生成した部品で修復し、3ヶ月分の重水素を確保。


 生存者は葦を編んで仮住居を建て、培養装置で種子、農具、貯水容器を生産。インダス川の土壌を活用し、農耕の基盤を築き始めた。量子通信で他の着陸地や軌道上の船と連携し、モンスーンの予測や灌漑技術を共有。川岸に貯水池を掘り、乾燥に耐える作物を育て、洪水に備えた土手を構築した。



 シベリアの広大な平原は、サーモハライン循環の停止と火山活動の影響で、寒々としたツンドラに変貌していた。気温は8~10℃下がり、雪が地面を覆い、かつての針葉樹林はまばらな低木と氷の大地に取って代わられた。津波や海進の影響は内陸のため皆無だったが、火山の灰が空を覆い、太陽は薄ぼんやりとしか見えなかった。


 太陽フレアは量子通信に一時的な障害を生じたが、植生への影響は軽微。マンモスやトナカイなどの大型動物は数を減らし、狩猟は厳しさを増していた。凍てつく風が吹き荒れる中、生存者たちは極寒の試練に立ち向かった。


 3隻が凍土に着陸し、総員810名。衝突で36名が死傷、219名が重症を負った。健康者、軽症者は555名。


 アリアドネ少佐は、凍傷に耐えながら凍える息で叫んだ。「核融合炉を最大限動かせ!培養装置で保温素材と食料を生産しろ!」核融合炉の重水素は1ヶ月分しかなく、電力は暖房と照明の最低限に制限された。培養装置で毛布、簡易ヒーター、栄養補給食を生成し、備蓄食料を補充。量子通信で軌道上の船や他の着陸地から気候予測を受け、ツンドラでの狩猟や資源採取の戦略を立てた。生存者は凍土を掘り、雪と風を防ぐ断熱性の避難所を構築。


沿


 黒海沿岸は、津波の爪痕に荒れ果てていた。地中海を襲った巨大な波が黒海に押し寄せ、砂浜は削られ、低地は海水に浸かった。サーモハライン循環の停止で気温は4~6℃下がり、降水量はまばらで、火山の灰が空を覆い、かつての温帯林は枯れたステップに変わっていた。太陽フレアの電磁波が量子通信にノイズを走らせ、黒海の塩分濃度が真水の流入で低下し、魚の数が減った。波は不安定に海岸を叩き、生存者たちの足元を脅かした。


 4隻が砂浜に着陸し、総員1,080名。衝突で16名が死傷、173名が重症を負った。健康者、軽症者は891名。


 エウリュディケ少尉は、波の音に負けない声で叫んだ。「海水から重水素を抽出しろ!培養装置で漁具と防波堤の素材を生産だ!」彼女は化学工学の知識を総動員し、培養装置で重水素抽出装置の部品を生成。数年間の電力供給を確保した。


 生存者は培養装置で漁具、網、住居素材を生産し、津波対策として岩と土で防波堤を築いた。量子通信でアララト山やナイルの生存者と連携し、漁業資源の変動や津波の被害情報を共有。乾燥化に対応し、貯水システムを構築し、漁労と交易の基盤を整えた。



 ナイル大三角州は、津波に蹂躙され、かつての豊かな湿地は塩水と泥に沈んでいた。地中海を襲った巨大な波が三角州を水没させ、葦の森は倒れ、魚は減り、鳥は飛び去った。サーモハライン循環の停止で気温は3~5℃下がり、ナイル川の洪水は弱まり、火山の灰で空は暗く、湿地は干ばつと浸水の間で揺れ動いた。太陽フレアが量子通信にノイズを生じさせ、生存者たちの不安を掻き立てた。津波による海進で海面が上昇し、塩分濃度の上昇が農耕と漁業を脅かした。



 5隻が湿地に着陸し、総員1,350名。衝突で12名が死傷、191名が重症を負った。健康者、軽症者は1,147名。


 アフロダイテ中佐は、泥にまみれた姿で叫んだ。「負傷者を集めろ!人工培養装置で医療キットと食料を生産しろ!」パンドラ少佐が泥だらけの腕で部下を支え、補佐した。「核融合炉の状態を確認!浄水装置を生産して水を確保しろ!」核融合炉は泥の浸入で一部損傷したが、培養装置で生成した部品で修復し、3ヶ月分の重水素を確保。生存者は培養装置で泥水を濾過する浄水装置、食料、簡易農具を生産し、葦と泥で津波を防ぐ防波堤を築いた。


 量子通信でアララト山や黒海の生存者などと連携し、ナイル川の流量データや灌漑技術を共有。農耕と漁労の基盤を築き、干ばつに備えた貯水・灌漑システムを構築した。



 軌道上の7隻(総員140名)は、変わり果てた地球を見守った。ラグランジュポイントの2隻は、太陽フレアの放射線データと地球の気候変動を記録し、地球軌道上の5隻は地上の18隻と量子通信で連絡を維持した。プロメテウス元大尉が軌道上の1隻で指揮を執り、地上の生存者に希望を届けた。「津波は地中海を襲い、寒冷化はヨーロッパを覆ったが、気候は徐々に安定しつつある。資源を確保し、文明を再建しろ」彼の声は、絶望の中に灯る小さな光だった。


 しかし、軌道上の5隻は重水素の枯渇に直面した。5年後、燃料が尽きた5隻は大気圏に突入し、地上の生存者と合流。ラグランジュポイントの2隻は、ア・ヌンナック星からの救助を信じ、最小限のエネルギーで孤独な監視を続けた。彼らのデータは、地上の生存者に気候予測や資源管理の指針を与え、文明再建の礎となった。



 18隻の生存者は、人工培養装置と量子通信を駆使して初期の生存を確保した。核融合炉の重水素は限られていたが、技術と知識の共有により、農耕、漁労、牧畜、資源管理の基盤を築いた。寒冷化、津波、火山の灰、太陽フレアの複合的な試練に直面しながら、互いに連携し、孤立を避けて文明の再建を目指した。しかし、人工培養装置の多くは老化した肉体の修復に使用され、新たな肉体生成は限られた。生存者たちはクロマニヨン人と混血し、ア・ヌンナック星の知識を教育を通じて次世代に伝えた。


 彼らの遺伝子と技術は、後の文明に痕跡を残した。シュメールの神話では「アヌンナキ」として、エジプトの伝承では「ネテル」として語り継がれた。アララト山の避難所、インダス川の農地、シベリアのツンドラ、黒海の漁場、ナイルの灌漑システムは、新たな人類の礎となった。軌道上の2隻は、ア・ヌンナック星からの救助を待ち続けたが、その希望は薄れていった。それでも、彼らの観測データと地上の生存者の努力は、地球に文明の種を蒔き、後の人類の進化に深い影響を与えた。


 エルピスⅠ号の墜落は、絶望の淵で始まった新たな物語だった。寒冷化した大地、荒れ狂う海、暗い空の下で、生存者たちは試練を乗り越え、未来を切り開いた。彼らの足跡は、神話として後世に響き、地球の歴史に刻まれたのだ。



◯アララト山(トルコ):総員810名

 重症者:203名

 死亡者:32名

 健康者、軽症者:575名

◯インダス川流域(中近東):総員810名

 重症者:186名

 死亡者:28名

 健康者、軽症者:596名

◯ユーラシア東部(シベリア):総員810名

 重症者:219名

 死亡者:36名

 健康者、軽症者:555名

◯黒海沿岸:総員1,080名

 重症者:173名

 死亡者:16名

 健康者、軽症者:891名

◯ナイル大三角州(エジプト):総員1,350名

 重症者:191名

 死亡者:12名

 健康者、軽症者:1,147名


◯合計(全地域):総員4,860名

 重症者:972名

 死亡者:124名

 健康者、軽症者:3,764名


【第10話 エルピスⅡ号の墜落】



 一方、エルピスⅡ号は、ゼウス提督とヘラ副提督の卓越した操艦技術により、異なる運命をたどった。直径2キロ、長さ5キロ、総質量3,110万トンのこの惑星間航行船は、ア・ヌンナックⅡ号と相似の構造を持ち、バイオリアクターと核融合炉を搭載していた。ゼウス提督は、艦橋のホログラムに映る地球の青い姿を見つめ、静かに命じた。「大気圏突入角度を5度に設定しろ。船体へのダメージを最小限に抑える」ヘラ副提督は、バイオAI知性体を通じて軌道データを更新し、応じた。「推進装置をフル稼働。深海への着陸を目指す」


 航海長のオデュッセウス少将は、過去の恒星間航行で数々の危機を乗り越えたベテランだった。彼は、制御パネルの振動を抑えながら助言した。「速度を落とせ。艦体は深海の圧力に耐えられる設計だ」


 機関長のアキレウス大佐は、バイオリアクターの培養液の状態を監視し、警告を発した。「外殻が赤熱している!耐久性が限界に近い!」だが、ヘラは冷静に答えた。「電磁推進装置を安定させろ。着水まで持ちこたえる」彼女の声には、乗組員への信頼と、文明の存続への決意が宿っていた。


 大気圏突入時、チタニウム合金の外殻は摩擦熱で赤く輝き、一部の岩石層が剥がれ落ちた。船体は、5度の浅い角度で大気圏を滑るように進み、圧力波で振動しながらも分裂を免れた。バイオリアクターは、人工培養細胞が有機物を分解して電力を生成し、電磁推進装置を駆動したが、過熱で培養液が泡立ち始めた。


 アキレウスは、汗だくで叫んだ。「リアクターの効率が30%低下!核融合炉に切り替えろ!」ゼウスは即座に命じた。「融合炉を優先。バイオリアクターは補助に回せ」核融合炉は、重水素を燃焼させて10^15 Jのエネルギーを供給し、船体の安定を保った。


 エルピスⅡ号は、北米大陸の台形の陸地(現代のニューファウンドランド島)沖合の深海5,000メートルに着水した。海面に衝突した瞬間、轟音とともに水柱が数百メートル立ち上り、船体は冷却音を響かせながら徐々に沈降。海底に静かに横たわった。


 上面は300気圧、下面は500気圧の圧力差に耐え、内殻がわずかに歪んだが、気密性は保持された。しかし、総質量3,110万トンの船体は、衝突で一部の外殻に亀裂が生じ、浸水が始まった。バイオリアクターのエネルギーでは浮上は不可能で、核融合炉も海水の浸入で冷却システムが不安定化した。


 艦橋は、薄暗い非常灯に照らされ、静寂に包まれていた。ゼウス提督は、ホログラムに映る深海の暗闇を見つめ、呟いた。「我々の旅はここで終わるのか。浮上は不可能だ」彼の声には、10万年の文明を背負った重みが込められていた。ヘラ副提督は、疲れ切った顔で静かに応じた。「ならば、未来に賭けるしかない。知性が残れば、希望は消えない」彼女の手は、バイオAI知性体の制御パネルに触れ、乗組員の意識データを保存する作業を続けた。


 オデュッセウス少将は、艦橋の片隅で家族の写真を握りしめ、呟いた。「我々の子孫が、この星で新たな文明を築くかもしれない」アキレウスは、バイオリアクターの培養液の安定化を試みながら、苦笑した。「深海の低温なら、液は劣化しない。バイオAIは眠り続けるさ」彼らの会話は、絶望と希望の狭間で揺れていた。


 ゼウス提督は、最後の命令を下した。「全乗組員を休眠状態に移行させろ。バイオAI知性体を最大限保存する」乗組員たちは、バイオリアクターの培養槽に接続されたカプセルに入り、意識をデジタル化して休眠状態に移行した。


 ゼウスとヘラも、最後にカプセルに横たわり、活動を停止。エルピスⅡ号は、外部との接触を絶ち、深海の闇で眠りについた。船内のデータベースには、ア・ヌンナック文明の歴史、技術、遺伝子情報が保存され、遠い未来の探検家を待っていた。



 エルピスⅠ号の5,000人の生存者は、地球各地に散らばり、先進技術を失った。核融合炉の停止、バイオAI知性体の劣化、過酷な環境が、彼らを原始的な生活に追いやった。アララト山の生存者は、石器を手に狩猟を始め、インダス川の生存者は農耕を、黒海沿岸の生存者は漁労を、それぞれ原始的な形で始めた。彼らの遺伝子は、原生人類と混血し、シュメールの「アヌンナキ」、エジプトの「ネテル」、インドの「デーヴァ」として神話に刻まれた。だが、その起源は忘れ去られ、星空への憧れだけが残った。


 エルピスⅡ号は、深海5,000メートルで静かに眠り続けた。バイオリアクターの培養液は、低温高圧環境で安定し、バイオAI知性体を休眠状態で維持。船体は、海底の堆積物に徐々に覆われ、外部からは見えなくなった。だが、その内部には、ア・ヌンナック文明の全記録が眠っており、未来の探検家が発見する日を待っていた。


【第11話 生存か絶滅か1】



 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者1,147名、重症者191名、死亡者12名

 湿地と灌漑農耕が可能、将来的に食料生産が可能。


 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者575名、重症者203名、死亡者32名

 寒冷な岩場と津波の浸水リスクに直面。岩石資源あり。


 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者596名、重症者186名、死亡者28名

 肥沃な土壌と不安定なモンスーンを活用し、将来的に農耕は可能。


 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者555名、重症者219名、死亡者36名

 凍てつくツンドラで過酷な環境であるが、狩猟と毛皮採取は可能。


沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者891名、重症者173名、死亡者16名

 津波の爪痕が残る砂浜で漁業と造船が可能。


202512790


 アララト山の簡素なシェルターでは、雪混じりの風が岩壁の隙間を抜け、焦げた金属と凍てつく土の匂いが漂っていた。アスクレピオス大佐♂は、たき火のそばで量子通信装置のホログラム投影を調整し、5つのコロニーに分散した生存者を結ぶ仮想会議の準備を整えた。


 エルピスⅠ号の着陸時の衝撃で124名が死亡し、壊滅的な墜落から生き延びた健康者・軽症者、3,764名、重症者、972名、合計4,736名だった。彼らは、量子通信の粒子の糸で結ばれていた。


 この夜、12人のア・ヌンナック星人のリーダーが、各地からホログラムを通じて集った。彼らは、軍人、元受刑者、精神的に不安定な者たちの雑多な集団で、宇宙船の墜落という共通のトラウマで結ばれていた。冷たく輝く星空は、遠く離れたア・ヌンナック星の故郷を無情に思い起こさせ、生存者たちの胸に希望と絶望の両方を刻み込んでいた。


 核融合炉の重水素燃料は日々減少し、かつて高度な計算を担ったバイオAIシステムはオフラインに追い込まれていた。残されたのは、有機的な肉体と神経プロセッサを融合させたヒューマノイド形態の彼ら自身と、1,250台の人工培養装置だけだった。これらの装置は、老化した肉体の修復や新たな肉体生成に不可欠だったが、資源の制約がその可能性を厳しく縛っていた。会議は種の存続を賭けた議論であり、アスクレピオス♂がアララト山から重い責任感を胸に主導した。


 ナイル大三角州から参加するアフロダイテ中佐♀は、士官学校の厳格な教師として鍛えられた規律正しい姿勢で、ホログラムの鋭い視線を全員に投げかけた。彼女の存在は、議論の秩序を保つ錨だった。


 同じくナイルのパンドラ少佐♀は、データタブレットの薄暗い光に照らされながら、生存者データと資源の詳細を入念に確認していた。彼女の冷静な分析は、混沌とした状況での羅針盤だった。


 他のメンバーも各地からホログラムで参加した。ナイルの士官学校生徒、エレクトラ曹長♀とキルケ三曹♀は、若さと情熱を帯びた声で議論に臨んだ。シベリアの凍てつくツンドラから参加するシシュフォス元准将♂は、かつて艦隊を率いた威厳を残しつつ、反乱の過去を背負った重い表情を見せた。同じくシベリアのメドウサ元三曹♀は、精神の不安定さを抑えきれず、時折狂気的な笑い声を通信越しに響かせた。


 アララト山のエリス元大佐♀とインダスのプロメテウス元大尉♂は、現実的かつ戦略的な視点で議論を牽引。インダス川流域の温暖な農地から参加するエピメテウス元少尉♂は、兄プロメテウス♂への依存を隠せない弱々しい声で発言した。


 黒海沿岸の漁業コロニーからは、ネメシス元准尉♀とタレイア元曹長♀が、不安定な感情を滲ませながら議論に加わった。彼らのホログラムは、たき火の揺れる光に映し出され、絶望と反抗の入り混じった雰囲気を漂わせていた。



 アスクレピオス♂は、連日の指揮でかすれた声で現状を説明し始めた。「我々の脱出船18隻は、5つの地域――アララト山、インダス川流域、ユーラシア東部、黒海沿岸、ナイル大三角州――に散らばり、総員4,860名のうち、着陸時の衝撃で124名が死亡した。現在の生存者は4,736名だ。しかし、972名が重症を負い、その半数、486名は5年以内に死亡すると予測される。残り486名は回復し、健康者・軽症者3,764名に加わり、5年後には生存者4,374名となる。各コロニーの詳細は以下の通りだ」


 パンドラ♀がナイルからタブレットを操作し、ホログラムに詳細なデータを投影した。彼女の声は、厳しい現実を淡々と伝えた:


「我々のヒューマノイド形態の寿命は150年だが、この惑星の過酷な環境――寒冷化、津波、火山の灰――により短縮される可能性が高い」とパンドラ♀は続けた。「人工培養装置は1,250台あるが、60%は老化した肉体の修復に必要だ。新たな肉体生成に使えるのは500台のみ。量子通信により各コロニーは情報と技術を共有できるが、津波の被害や寒冷化した地形により、恒常的な物理的移動は困難を極める。各コロニーの交易路の構築には、船や陸路を活用する必要がある。稼働可能な脱出船の使用はできる限り制限しなければならない」



 アスクレピオス♂は、ホログラムの全員を見渡し、厳しい現実を突きつけた。「我々は25隻の脱出船がこの惑星に散らばり、4,736名の生存者がいる。5年後には4,374名に減る。男女比はほぼ半々だ。健康者・軽症者3,764名と回復者486名の54%、2,268だ。人工培養装置は1,250台あるが、60%は老化した我々の肉体の修復に使わねばならない。新しいヒューマノイド形態の培養に使えるのは500台のみ。数が足りない。


 我々の肉体は生殖可能だが、自然妊娠・出産の経験はない。軌道上の脱出船の観察報告によると、この惑星の原生人類のクロマニヨン人が各地に二万人生息している。ヒューマノイド形態で、調査してみないとわからないが、可能であれば、彼らとの混血が現実的な選択だ。しかし、倫理と生存の間で選択を迫られている。このままでは我々の種はここで終わる」


 パンドラ♀がナイルからタブレットの薄暗い光で厳しい統計を投影した。「各培養装置は5年で新しい肉体を思春期まで成長させられるが、古い肉体から新しい肉体への意識転送は精密な作業だ。だが、自然出産では新たな意識が生まれる。幼児の脳には意識の萌芽があり、我々の意識を転送することは困難だ。自然生殖を選べば、知識の連続性は失われる。この惑星の原始人のクロマニヨン人のように、新世代に一から教育しなければならない」


 シベリアのシシュフォス♂は苦々しい表情を浮かべ、ホログラム越しに嘲るように言った。「つまり、原始人に成り下がるのか?獣の如く子を産み、我々の本質を忘れるだと?そんな屈辱を受けてまで生き延びるくらいなら死を選ぶ!」かつて艦隊を指揮した男の声には、絶滅の危機を前にした怒りが込められていた。彼の背後では、シベリアの凍てつく風がシェルターを叩く音が通信に混じった。


 アララトのエリス♀は現実主義者として身を乗り出し、ホログラムの目がたき火の光で輝いた。「選択の余地はない。培養装置は限られている。500台全てを新肉体に使っても、我々の半数も救えない。残りは子を産むか、死ぬしかない。だが、もう一つの選択肢がある。クロマニヨン人だ。この大陸には二万人の彼らがいる。彼らの女性を我々の子を産むために使えば、数を増やせる」


 通信画面内にざわめきが広がった。シベリアのメドウサ♀は鋭く狂った笑い声を上げ、ホログラムで手を叩いた。「素晴らしい!彼らの女を奪い、子を産ませる!神々の再来だ!」彼女の不安定な声は、凍土のコロニーの暗い空気と共鳴し、場をさらに混乱させた。



 ナイルのアフロダイテ♀がホログラムで立ち上がり、冷たく鋭い声で議論に割って入った。「クロマニヨン人の女性を利用するだと?それは我々の誇りを捨て、野蛮人に堕することだ!我々はア・ヌンナック星人だ。10万年の文明を背負っている!」彼女の言葉は、士官学校で培った規律と名誉を反映し、通信画面越しに重く響いた。ナイルの湿地の背景では、葦が風に揺れる影が映し出されていた。


 インダスのプロメテウス♂は落ち着いた声で応じた。かつて反乱罪で投獄された航海士だが、危機的状況での冷静さは健在だった。「誇りで腹は満たせない、中佐。培養装置は500台しかない。意識転送で生き延びられるのは500人だけだ。自然出産に頼るしかない。だが、女性2,268人だけで次世代を産むには時間がかかりすぎる。クロマニヨン人の女性を…利用すれば、10年で1万人の子孫を確保できる」


 ナイルのエレクトラ♀が震える声で反発した。「利用?まるで家畜のようだ!彼らは我々より原始的かもしれないが、意識を持つ存在だ。彼らの子宮を奪うなんて…我々は何になる?」18歳の彼女の目は、訓練生らしい純粋な正義感で潤み、通信画面にその感情が鮮明に映し出された。


 アララトのエリス♀が冷笑した。「理想主義は結構だが、現実を見ろ。クロマニヨン人の女は1万人いる。彼女たちを捕獲し、選別すれば、我々の遺伝子を広められる。彼女たちの子は我々の子より劣るかもしれないが、数を確保できれば、我々の子が支配種族になれる」彼の声は、アララトの寒風のように冷酷だった。


 シベリアのメドウサ♀が狂ったように笑いながら叫んだ。「支配!神々の子孫がこの泥の星を支配する!クロマニヨンの女は我々の子を産む器だ!」彼女の言葉に、黒海のタレイアが不気味に同調し、ネメシス♀が暗い目でうなずいた。通信画面は、彼女たちの不安定な感情で一時騒然とした。


【第12話 生存か絶滅か2】



 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者1,147名、重症者191名、死亡者12名

 湿地と灌漑農耕が可能、将来的に食料生産が可能。


 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者575名、重症者203名、死亡者32名

 寒冷な岩場と津波の浸水リスクに直面。岩石資源あり。


 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者596名、重症者186名、死亡者28名

 肥沃な土壌と不安定なモンスーンを活用し、将来的に農耕は可能。


 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者555名、重症者219名、死亡者36名

 凍てつくツンドラで過酷な環境であるが、狩猟と毛皮採取は可能。


沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者891名、重症者173名、死亡者16名

 津波の爪痕が残る砂浜で漁業と造船が可能。



 プロメテウス♂がホログラムで立ち上がり、たき火の光に照らされた顔で具体案を提示した。「クロマニヨン人の女性を2つの方法で利用する。一つは、妊娠中の女性を捕獲し、女児を育てて我々の次世代を産む子宮として使う。もう一つは、数歳の女児を捕獲し、成人近くまで教育してから我々の男性と交配させ、子を産ませる。我々の子は、これらの集団を支配するエリートとなる」彼の提案は、冷徹な戦略家としての過去を垣間見せた。


 シベリアのシシュフォス♂が唾を吐くように言った。「お前は我々を奴隷商人にする気か?クロマニヨン人を家畜扱いし、女を拉致して子を産ませる?そんな種族に未来はない!」彼の声には、かつての反乱のリーダーとしての誇りが宿り、凍土の荒野から響く怒りが通信を震わせた。


 ナイルのパンドラ♀がタブレットを手に静かに割り込んだ。「だが、シシュフォス元准将♂、数学的に考えてみろ。2,268人の我々の女性だけで自然出産する場合、我々同士だと妊娠しにくいこの体だから、1人が5年に1子を産んでも、10年で5,000人程度であろう。クロマニヨン人の女性を1万人加えれば、20年で10万人の混血子孫が生まれる。その中から我々の純血の子が指導者として文明を再建できる」彼女の声は、ナイルの湿地の静けさと対照的な冷静さで、データに裏打ちされた説得力を持っていた。


 インダスのエピメテウス♂が弱々しくつぶやいた。「しかし…そんなことをしたら、我々は怪物になる。クロマニヨン人は我々を神と崇めるかもしれないが、やがて憎むだろう…」



 ナイルのパンドラ♀がタブレットで詳細な人口シミュレーションを投影し、ホログラムに数字とグラフを映し出した。「クロマニヨン人の女性1万人、受胎可能年齢15~35歳、彼らを各コロニーで飼育して衛生環境・食料環境を整えてやれば、平均寿命は45年程度まで伸びると仮定する。


 ア・ヌンナック女性2,268人は1人が5年に1子を産んで10年で5,000人程度。クロマニヨン人女性1万人をア・ヌンナック男性かクロマニヨン人男性と交配させれば、1人あたり年1子を20年間産むと、約24万人の子が生まれる。


 この惑星の原始的な環境を考慮し、乳児死亡率を30%と仮定すると、約17万1,752人が生存する。次の20年間で、この世代が同様に出産し、人口は約20万人に達する。これは約50年後(紀元前1万2740年頃)のことだ」


 彼女はさらに続けた。「各コロニーは量子通信で連携し、技術と資源を共有する。アララト山は寒冷だが岩石資源が豊富で、牧畜と石材加工を発展させる。インダスは肥沃な土壌で農耕の中心となり、灌漑と種子の改良を進める。シベリアは狩猟と毛皮交易で食料を確保し、厳しい寒さに適応する。黒海は漁業と木造船の建造で交易を支え、ナイルは灌漑農耕と交易の要衝として集落を拡大する。交易路を確立し、黒海の木造船で魚や農具を運び、インダスからナイルへの陸路で種子や技術を交換する。移動は津波の被害や寒冷化した地形で困難だが、コロニー間の協力を強化すれば、人口増加を支えられる」


 ナイルのキルケ♀が静かに提案した。「クロマニヨン人との混血を進めるなら、強制ではなく共存を目指すべき。彼らに農耕や建築を教え、対等な関係を築く。婚姻を通じて子孫を増やせば、憎しみを減らせる。我々の技術を共有すれば、彼らも我々に協力するだろう」彼女の声は、ナイルの葦のざわめきに調和し、希望を帯びていた。


 アララトのエリス♀が嘲笑した。「共存?彼らは石器を手に獣を狩る原始人だ。教育には何世代もかかる。その間に我々は滅びる。繁殖を目指すなら、クロマニヨン人のメスを我々の男性形態が犯せばいいことだ」彼女の声は、アララトの岩場のように硬く、妥協を許さなかった。


 プロメテウス♂がキルケの提案に目を輝かせ、ホログラムで身を乗り出した。「いや、可能だ。クロマニヨン人は我々より劣るが、学習能力はある。彼らに農耕や建築を教え、混血の子孫を育てれば、100年で文明の基盤ができる。強制的な拉致は最小限にし、交易や婚姻を通じて彼らを取り込む。インダスやナイルの農耕地、黒海の漁場で彼らと協力すれば、20年で集落が成長する」



 アスクレピオス♂がアララトから重い溜息をつき、議論をまとめた。「我々は二つの道しかない。一つは、培養装置に頼り、500人だけが意識転送で生き延び、残りは死を選ぶ道。もう一つは、自然出産とクロマニヨン人の利用を受け入れ、数を増やして文明を再建する道。後者は我々の倫理を汚すが、種の存続を保証する」


 ナイルのアフロダイテ♀が苦しげに言った。「倫理を捨てれば、我々はア・ヌンナック星人ではなくなる。ただの征服者だ。だが…絶滅はそれ以上の敗北だ」彼女の声には、教師としての信念と現実の狭間での葛藤が滲み、ナイルの湿地の静寂に溶け込んだ。


 ナイルのキルケ♀が静かに提案を重ねた。「クロマニヨン人との混血を進めるなら、彼らを完全に支配するのではなく、共存する方法を考えられないか?彼らに我々の知識を教え、共に文明を築く。拉致や強制ではなく、合意の上で」彼女の言葉は、若さと理想に満ち、通信画面に新たな可能性を描いた。


 アララトのエリス♀が再び嘲笑した。「原始人相手にキルケ♀の主張は机上の空論だ。なぜ、彼らを完全に支配してはいけないのだ?クロマニヨン人のメスなど、単なる繁殖の道具、子宮と考えればよいではないか?」彼女の冷笑は、アララトの岩場にこだまするようだった。


 プロメテウス♂がキルケ♀の提案に賛同し、力強く応じた。「いや、可能だ。クロマニヨン人は学習能力がある。彼らに農耕や建築を教え、混血の子孫を育てれば、100年で文明の基盤ができる。強制的な拉致は最小限にし、交易や婚姻を通じて彼らを取り込む。インダスやナイルで農耕を教え、黒海で漁業を指導すれば、20年で集落が成長する」



 議論は量子通信を通じて夜通し続き、ホログラムの光が揺れる中、アスクレピオス♂がアララトから立ち上がった。「我々は種の存続を選ぶ。以下の計画を採択する。まず、500台の培養装置で新肉体を作り、意識転送で500人を存続させる。次に、2,268人の女性は自然出産で子を産み、知識を教育で次世代に伝える。最後に、クロマニヨン人の女性を1万人、交易と婚姻で取り込み、混血の子孫を育てる。強制は最小限に留め、彼らに我々の知識を共有し、共存を目指す。各コロニーは量子通信で連携し、交易路を構築して資源と技術を共有する。50年で20万人の人口を目指す」彼の声は、たき火の最後の炎のように力強く、通信画面に響き渡った。


 シベリアのシシュフォス♂が渋々うなずいた。「これが我々の運命か…。だが、文明の灯は消さない」彼の声は、凍土の重さに耐える決意を帯びていた。


 シベリアのメドウサ♀が狂った笑い声を上げたが、ナイルのエレクトラ♀が通信画面越しに彼女を睨みつけて黙らせた。彼女の正義感は、若さゆえの純粋さで会議に秩序をもたらした。


 ナイルのパンドラ♀はタブレットを閉じ、静かに言った。「手段はいろいろあるでしょう。それは各コロニーで模索すればいいこと。とにかく、我々の子孫が、この星で新たなア・ヌンナックを築くのだ。そのために、今日、我々は生きる、生き延びねばならない」


【第13話 理想と現実】



 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者1,147名、重症者191名、死亡者12名

 湿地と灌漑農耕が可能、将来的に食料生産が可能。


 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者575名、重症者203名、死亡者32名

 寒冷な岩場と津波の浸水リスクに直面。岩石資源あり。


 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者596名、重症者186名、死亡者28名

 肥沃な土壌と不安定なモンスーンを活用し、将来的に農耕は可能。


 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者555名、重症者219名、死亡者36名

 凍てつくツンドラで過酷な環境であるが、狩猟と毛皮採取は可能。


沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者891名、重症者173名、死亡者16名

 津波の爪痕が残る砂浜で漁業と造船が可能。



 21世紀のコンクリートは、水とポルトランドセメント(石灰石と粘土を主成分とする微粉末)を混ぜたペーストを使って砂利などを固めたものだ。過酷な環境では数十年で劣化してしまう。また、コンクリート自体よりも補強材として使われている鉄筋は、洗浄不足の海砂の使用や海岸沿いでは十数年も保たずに劣化する。


 これに対して、古代ローマ時代のコンクリートは、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わせて作られている。ポルトランドセメントの代わりに火山灰と石灰の混合物を使って岩石片を固めている。このうち、重要な役割を果たしているのが、最後の材料である海水だ。これをローマン・コンクリートという。


 このローマン・コンクリートの中には、アルミナ質のトバモライト結晶が含まれている。この層状鉱物が、長い時間をかけてコンクリートの強度を高めるのに重要な役割を果たしている。この鉱物は、海水と石灰と火山灰が混ざり合って熱が発生することによって生成される。


 トバモライトは、成長するにつれコンクリートを強くする可能性がある。というのも、トバモライトは長い板状結晶なので、コンクリートに応力がかかった際に砕けることなく柔軟に曲がるからだ。


 また、ローマのローマ市内のマルス広場に建造されたパンテオン神殿は、21世紀まで2000年近く、ほぼ完全な状態で建ち続けているが、鉄筋のような脆弱な補強材は一切使用されてはいない。


 そして、火山灰、石灰、火山岩は、エルピスⅠ号の生存者の周りにふんだんに存在した。


 エルピスⅠ号の衝突の衝撃で地殻が揺れ、火山活動が活発化し、硫黄を含む灰が大気中に広がって太陽光を遮った。イタリア半島のヴェスヴィオ火山、エトナ火山、ストロンボリ火山、ヴルカーノ火山、ギリシャのサントリーニ島、アイスランドのラキ火山、ヘクラ山、カトラ火山などが次々と大噴火を起こした。


 この噴火により、火山周辺には何億立方メートルもの火山灰、火山岩がばら撒かれた。また、地中海沿岸の土地の地層には石灰がたくさん含まれている。


 ナイルグループのパンドラ少佐♀は、稼働可能な脱出船をイタリア、ギリシャ、アイスランドに派遣して、各地の火山から、50万立方メートルの火山灰、火山岩を採取し、各コロニーに均等に配分した。また、彼女は、建設用3Dプリンターを数百台、ロボットに製造させた。


 建設用3Dプリンターは、三次元図面データを基に立体物を自動で製作する成形機である。ロボットアームに取り付けたノズルからローマン・コンクリートのモルタルを吐出して積層することで、立体的な造形物を短時間で成形することができた。型枠も不要で、複雑な形状や精緻なデザインも表現できる。


 これらの情報は、ア・ヌンナック星の過去10万年にわたる膨大なデータベースから、パンドラ少佐♀が検索して発見した知識だった。住居のデザインは、小氷期が始まり積雪量が増えることを考慮して、半球状の指輪物語のホビットの家に似ているものとした。雪かき作業が楽になるためだ。


 パンドラ少佐♀は、雪上車と飛行ドローンを設計製造して、マンモス、サーベルタイガーを大量に捕獲した。彼女たちが着ているポリマー樹脂の衣服が劣化して、いつまでも着用できるわけではない。しかし、この気候変動で、麻、綿花などの衣服に利用できる植物は栽培できる見込みはたっていない。彼女は、哺乳類の毛皮を採取して、衣服を作る段取りを各コロニーに指示した。哺乳類の肉は缶詰にして保存食料とした。また、脱出船を小氷期の影響がまだ及んでいないインド洋に派遣し、マグロやカツオを大量に捕獲して、その肉も缶詰にして貯蔵した。


 地上設置式の核融合プラントは各コロニーに四基ずつ配置し、核融合炉冷却用の1000℃のヘリウムガスを熱源として、発電プラント、金属・ガラスなどの精錬施設を作った。


 エネルギー源と金属加工設備が完成し、建築資材と衣料、食料の目処がたった時点で、パンドラ少佐は、各コロニーに脱出船の使用を禁止させ、防護フィルムで多い窒素封入して酸化を防止させ、劣化を遅らせた。



 採択されたキルケ三曹♀の提案、「クロマニヨン人との混血を進め、強制ではなく共存を目指す。彼らに農耕や建築を教え、対等な関係を築く。婚姻を通じて子孫を増やせば、憎しみを減らせる。我々の技術を共有すれば、彼らも我々に協力するだろう」という理想論の実施は難航した。


 そもそもクロマニヨン人に婚姻の概念など存在しなかった。クロマニヨン人のオスは、自分のコロニーから数十キロの範囲を狩猟しながら生活し、獲物をコロニーに持ち帰った。そして、メスの粗末な毛皮でできた住居で交配し、子供を作っていた。原始人にオスとメスの決まった相手など存在しなかったのだ。どだい、「クロマニヨン人の女性を1万人、交易と婚姻で取り込み、混血の子孫を育てる」など理想論に過ぎなかった。


 再度、アスクレピオス大佐♂が5つのコロニーの代表者12名を招集した。


 会議の当初から、インダスのプロメテウス元大尉♂が「キルケ三曹♀の提案のような平和理想論の実現は不可能だとわかった。クロマニヨン人は、彼女の平和理想論の文明レベルに達していなかったのだ。ということは、私の元の提案である、クロマニヨン人の女性を二つの方法で利用する、一つは、妊娠中の女性を捕獲し、産まれた女児を育てて我々の次世代を産む子宮として使う、もう一つは、数歳の女児を捕獲し、成人近くまで教育してから我々の男性や選別したクロマニヨン人と交配させ、子を産ませるという案に立ち戻る他はあるまい?」と冷酷に言い放った。キルケ三曹♀は唇を噛んで悔しさをあらわした。


 ナイルのアフロダイテ中佐♀が「まだプロメテウス♂は、クロマニヨン人の女性を利用する案を主張するのか?」と食って掛かる。エレクトラ曹長♀も「クロマニヨン人を利用するですって!まるで家畜のようだわ!」と憤った。


「ナイルコロニーの代表のみなさんは、アフロダイテ♀、エレクトラ♀、キルケ♀、パンドラ♀、四名とも女性形態のヒューマノイドの肉体だ。クロマニヨン人の女性を新世代を産む子宮として考えるのに感情的な抵抗があるのは理解する。しかし、その他にこれ以上の我らア・ヌンナック種族を生存させる具体案があるのか?代案をお持ちなら説明してくれ」とプロメテウス♂がナイルの四人の代表のホログラムに向かって言った。アフロダイテ♀、エレクトラ♀、キルケ♀は黙ってしまう。


 パンドラ♀は「プロメテウス元大尉♂、説明の仕方が問題ですから、中佐たちの反発を買うのです。『クロマニヨン人の妊娠中の女性を捕獲し、産まれた女児を育てて後に交配させる』、『クロマニヨン人の数歳の女児を捕獲し、成人近くまで教育してから我々の男性や選別したクロマニヨン人と交配させる』、どちらも彼女たちは、私たちの下で知性化されて、言語能力も判断力も獲得するのですから、彼女たちはもう原始人ではありません。それなら彼女たちは交配に際しての自由意志もあるのですから、問題はないと私は思います」と冷静に言う。


 キルケ♀が「それじゃあ、人工授精や体外受精はどうなの?人工授精や体外受精なら自然交配の必要はないでしょ?」と主張する。アフロダイテ♀、エレクトラ♀も彼女の案に同意する。プロメテウス♂が「やれやれ。このお嬢さんたち三人は、自然交配が極めてお嫌いらしい」と諦め気味に言った。


「キルケ三曹♀、人工授精、体外受精、共に問題点を抱えています。人工授精は、精子注入時にカテーテルを挿入する際、痛みを感じることがあり、腟内の雑菌が子宮に侵入し、腹膜炎などの感染症を引き起こす可能性があります。また、排卵誘発剤を使用しなければなりませんが、ホルモン剤の副作用として、頭痛、吐き気、めまいなどが起こることがあります。体外受精は、卵巣過剰刺激症候群、採卵による合併症、多胎妊娠、異所性妊娠などのリスクがあります。そもそも、人工授精と体外受精は、不妊症の女性に対する緊急的な処置にしか過ぎません。キルケ三曹♀やアフロダイテ中佐♀、エレクトラ曹長♀のような健康な個体は、そのような処置は必要ありません。我々の男性や選別したクロマニヨン人と交配すればよろしいだけです」パンドラ♀は冷静に説明した。


「獣だわ!」とアフロダイテ中佐♀が叫ぶが、「我々は生存か絶滅かの縁に立たされているのです。人工培養装置が十分にあって、この体が劣化したら次の体に移行すれば良いだけならこんなことを主張いたしません。しかしながら、使用可能な人工培養装置は500基のみ。種族の存続を考えるなら、交配という行為を避けては通れないのです。アフロダイテ中佐♀、エレクトラ曹長♀、キルケ三曹♀、あなた方も単なる三体の子宮にしか過ぎません。拒否されるなら、麻酔剤で意識がない状態で交配するか、ドーパミン、セロトニン、オキシトシン、β-エンドルフィンなどのホルモン剤を使用して人工的に交配行為を好きになっていただく。妊娠がクロマニヨン人よりも長い時間がかかるこの体ですので、何度でも妊娠するまで交配していただきます」とパンドラ♀は冷酷に言い放った。


【第14話 クロマニヨン人との交配と繁殖】



 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者1,147名、重症者191名、死亡者12名

 湿地と灌漑農耕が可能、将来的に食料生産が可能。


 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者575名、重症者203名、死亡者32名

 寒冷な岩場と津波の浸水リスクに直面。岩石資源あり。


 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者596名、重症者186名、死亡者28名

 肥沃な土壌と不安定なモンスーンを活用し、将来的に農耕は可能。


 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者555名、重症者219名、死亡者36名

 凍てつくツンドラで過酷な環境であるが、狩猟と毛皮採取は可能。


沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者891名、重症者173名、死亡者16名

 津波の爪痕が残る砂浜で漁業と造船が可能。


 シベリアのメドウサ元三曹♀が会話に割って入った。「インダスグループもナイルグループも性倫理や道徳問題なんて形而上的な概念論をいくら論じても人口は増えやしないぜ。さっさと妊娠可能な女は、子宮を空けておかないで妊娠してしまえばいいんだ。もう、私は妊娠したわよ。『原始人に成り下がるのか?獣の如く子を産み、我々の本質を忘れるだと?そんな屈辱を受けてまで生き延びるくらいなら死を選ぶ!』と御大層なことを言っていたシシュフォス元准将♂が父親だよ。御大層なことを言っていた割には、私の体に溺れているわよ」と言い放つ。シシュフォス元准将♂は俯いて押し黙った。「シベリアグループは、既に妊娠中のクロマニヨン人女性を800体捕獲して、産まれた新生児の女児のみ選別して飼育する計画を進めている。さらに、1~4歳のクロマニヨン人女児も500体捕獲済みだ」


 黒海沿岸グループのネメシス元准尉♀が「我々もメドウサ元三曹♀の計画を知って、同じく妊娠中のクロマニヨン人女性を1,200体捕獲、1~4歳のクロマニヨン人女児も800体捕獲済みです。私とタレイア元曹長♀もア・ヌンナック星人男性と自然交配して妊娠中です。アスクレピオス大佐♂、この件は、議論していても無駄でしょう。議論ばかりで実際に交配しないコロニーは人口減少で衰亡すればいいんです。その後のそのコロニーの資源は、シベリアグループと黒海沿岸グループで継承いたします」と言い放った。キルケ三曹♀がのけぞった。


 ネメシス♀の過激な発言にプロメテウス♂が異議を申し入れた。「ネメシス♀、われわれインダスグループは、クロマニヨン人の捕獲をしないと言ったことはない。そもそもそのアイデアは私のものだ。インダスグループも既にクロマニヨン人捕獲計画を立案、一部実行している。反対しているのはナイルグループだ」


 アララトのエリス元大佐♀も「私も反対しているわけではない。『彼らは石器を手に獣を狩る原始人だ。教育には何世代もかかる。その間に我々は滅びる』と発言したが、クロマニヨン人女性との交配と繁殖案なら、何世代もの教育を施す時間は稼げる。彼ら原始人の文化と隔離した我々との新しい混血人種なら、十分、ア・ヌンナック星人の種の存続に利用できる。そうではないですか?アスクレピオス大佐♂?」と大佐に尋ねた。アスクレピオス♂は渋々承諾した。


 シベリアのメドウサ元三曹♀が「ということで、ナイルを除く四つのコロニーは、クロマニヨン人女性と我々との交配と繁殖案に同意ということでいいでしょうね!」とアフロダイテ中佐♀を睨みつける。


「お待ち下さい。この交配と繁殖案に反対を言うのは、ナイルグループの総意ではありません」とパンドラ少佐が発言した。アフロダイテ中佐♀が「パンドラ♀、貴様!」とパンドラ♀の発言を制止しようとしたが、「中佐♀、エレクトラ曹長♀、キルケ三曹♀、ナイルグループの健康者・軽症者1,147名全員と、重症者191名の中で意識のある者に対して採決を取ってあります」とアフロダイテ♀の制止を無視して発言を続けた。


「投票は1,147名と重症者53名の合計1,200名で、内、女性形態の者が621名、男性形態の者が579名でした。交配と繁殖案の採血結果は、女性形態は、賛成351名(57%)、反対235名(38%)、棄権35名(5%)。男性形態は、賛成429名(74%)、反対125名(22%)、棄権25名(4%)。つまり、合計で、賛成780名(65%)、反対360名(30%)、棄権60名(5%)でした。私は賛成票を投じました」


「まず指摘したいのは、このクロマニヨン人女性との交配と繁殖案の当事者は、ア・ヌンナック人男性形態ということであります。男性形態の者の賛成割合が女性を超えているのはそれが理由でしょう。また、我々女性形態の者は、当然交配する相手はア・ヌンナック星人の男性形態と思い込んでおりますが、それは間違いです。クロマニヨン人男性との交配も実施されなければなりません」とパンドラは爆弾発言を繰り出した。


 アフロダイテ中佐♀が「パンドラ♀!なんですって!私たちア・ヌンナック星人の女性が、あの原始人のオスと交配しないとならないなんて!バカな!」とパンドラを怒鳴った。


 パンドラは「中佐♀、ここにアスクレピオス大佐♂が作成されたア・ヌンナック星人とクロマニヨン人の生物レポートがあります。要約いたします」と冷静に説明を始めるパンドラ。「まず…」


①ア・ヌンナック星人の男性と女性の交配による妊娠確率を1とすると、ア・ヌンナック星人男性とクロマニヨン人女性の妊娠確率は5.5、ア・ヌンナック星人女性とクロマニヨン人男性の妊娠確率は5.8であること。傾向として、ア・ヌンナック星人同士の交配は妊娠しにくいこと。

②ア・ヌンナック星人男性とクロマニヨン人女性の交配によって産まれた次世代ばかりになった場合、クロマニヨン人女性の遺伝子が優生となり、ア・ヌンナック星人の遺伝形質は、8世代ほどで失われてしまうこと。

③ア・ヌンナック星人男性とクロマニヨン人女性の交配とア・ヌンナック星人女性とクロマニヨン人男性の交配によって産まれる次世代が5:5の場合、ア・ヌンナック星人の遺伝形質が将来も存続する確率は55%である。

④9:1の場合、ア・ヌンナック星人の遺伝形質が将来も存続する確率は70%である。

⑤8:2の場合、ア・ヌンナック星人の遺伝形質が将来も存続する確率は95%である。


「このような結果がAI知性体の推論から導き出されました。つまり、ア・ヌンナック星人の女性形態の人口は、現在2,268人です。それに対して、クロマニヨン人女性の妊娠可能な人口は1万人。つまり、当初は、ア・ヌンナック星人同士の交配によって支配種族の人口を維持しなければなりませんが、徐々にア・ヌンナック星人女性形態は、クロマニヨン人男性と交配しなければ、我々の遺伝形質存続の確率が95%を下回ってしまうということです」


「そんなバカなことが!」とキルケ三曹♀が叫ぶが、「これは厳格な科学的推論であり、信じる、信じないなどのバカげた話ではありませんよ、キルケ♀」とパンドラがけんもほろろに否定した。


「このような結果から、ア・ヌンナックとクロマニヨン混合社会の人口が将来20万人まで増加した場合、二百人のア・ヌンナックの純血を支配階層として、ア・ヌンナック♀とクロマニヨン♂の混血が二千人、ア・ヌンナック♂とクロマニヨン♀の混血が一万八千人、ア・ヌンナックとクロマニヨン同士の次世代、クロマニヨン同士の次世代で18万人、このような人口構成が望ましく、ア・ヌンナックの遺伝形質も将来に渡り存続されるという結果となっています」と冷酷に宣言するパンドラ♀。


「冗談じゃない!私があの毛むくじゃらの原始人の男に抱かれるなどイヤなことだ!拒否する!」とエレクトラ曹長♀。「あら、私は毛むくじゃらも好きだけどな」とエレクトラをせせら笑うメドウサ元三曹♀。


「パンドラ♀、貴様の軍属の資格を剥奪する!」とアフロダイテ中佐♀がエレクトラ曹長♀とキルケ三曹♀に指令しようとしたが、アスクレピオス大佐♂がそれを止めた。


「軍属の資格を剥奪されるのは貴様たちだ、アフロダイテ中佐♀、エレクトラ曹長♀、キルケ三曹♀!パンドラ少佐♀、三人を拘束せよ。軍属資格の剥奪と、この12委員会代表からの追放を命じる。パンドラ少佐♀、代わりの代表三名の選出をしなさい」とアスクレピオス♂がパンドラ♀に命じた。「インダス、黒海、ユーラシア東部グループの諸君、異議はないな?」と残りの委員に尋ねた。異議があるものはいなかった。パンドラが命じて、ナイルの会議室に士官候補生が来て三人を連行した。


「それでは、さらに報告があります」とパンドラが何事もなかったように続けた。


【第15話 パンドラの希望と呪い】



 士官学校教師:アフロダイテ中佐♀

 士官学校教師:パンドラ少佐♀

 士官学校生徒:エレクトラ曹長♀

 士官学校生徒:キルケ三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者1,147名、重症者191名、死亡者12名

 湿地と灌漑農耕が可能、将来的に食料生産が可能。


 軍医長   :アスクレピオス大佐♂

 刑務所受刑者:エリス元大佐♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者575名、重症者203名、死亡者32名

 寒冷な岩場と津波の浸水リスクに直面。岩石資源あり。


 刑務所受刑者:プロメテウス元大尉♂

 刑務所受刑者:エピメテウス元少尉♂

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者596名、重症者186名、死亡者28名

 肥沃な土壌と不安定なモンスーンを活用し、将来的に農耕は可能。


 刑務所受刑者:シシュフォス元准将♂

 精神病患者 :メドウサ元三曹♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者555名、重症者219名、死亡者36名

 凍てつくツンドラで過酷な環境であるが、狩猟と毛皮採取は可能。


沿

 精神病患者 :ネメシス元准尉♀

 精神病患者 :タレイア元曹長♀

◯残存人員、地域の特徴

 健康者・軽症者891名、重症者173名、死亡者16名

 津波の爪痕が残る砂浜で漁業と造船が可能。



「エレクトラ曹長♀が『あの毛むくじゃらの原始人の男に抱かれるなどイヤなことだ!』と発言したのは一理あると私も思う。無毛の我々からすると、毛髪があるのは、生物的生理的嫌悪をもよおすかもしれない。しかし、クロマニヨンが多毛質の形質を持った、それが優生となったことは、この惑星の最終氷期が6万年続いたためだ」


 地球の最終氷期(ヴュルム氷期)は、約7万年前に始まって約1万年前に終了した。その後、徐々に地球平均気温は高まった。むろん、今回のエルピスⅠ号の墜落で氷期に逆戻りしてしまったわけだが。


 この6万年に及ぶ氷河期の期間で、この惑星の原生人類の中で多毛質の個体が優生となり生き残った。だが、我々ア・ヌンナック人の文明があれば、多毛質の形質は不要だ。クロマニヨン人の遺伝子操作と交配実験によって、多毛質は取り除ける。もちろん、我々ア・ヌンナック人は人工培養の時から無毛であるが、この惑星の気象条件を考えるに、頭髪と性器の毛髪はア・ヌンナック人、クロマニヨン人に必要になるかもしれない。いずれにせよ、二世代あれば、クロマニヨン人の多毛質の形質は消去可能だ。


 さて、クロマニヨン人だが、頭蓋容量(脳)は約1600ccだ。容量が脳のデバイス性能と比例するわけではないが、理論的にクロマニヨン人の脳のデバイス性能は、1ペタバイトくらいまで高められる。ア・ヌンナック人の20~30分の一だが、十分使用に耐えるだろう。ただし、ア・ヌンナック人とクロマニヨン人の混血が進むにつれて、脳のデバイス性能は下がる。つまり、退化していくということを留意されたい。


 クロマニヨン人の平均身長は、男性で180センチ、女性で175センチだ。(※21世紀の人類よりもクロマニヨン人の方が身が高かった)ア・ヌンナック人の210センチ、女性で195センチよりも背が低い。そして、クロマニヨン人の東と西のタイプには顕著な違いがある。(※M173とM343のサンプリングより。参照:https://x.gd/LXbD3)


 東方のクロマニヨン人のグループは、一般的に、西方に変異したクロマニヨン人よりも背が低く、ひょろっとしていて細く、脳容積が小さい。つまり、ユーラシア東部グループのメドウサ元三曹♀、黒海沿岸グループが捕獲しているクロマニヨン人のグループは、体格的にも脳容積の点でも西方のクロマニヨン人よりも劣性であるということだ。


 文化的にも、西方の彼らの道具一式には高度な職人技の兆候が見られる。 東方の彼らは氷河期の6万年間の間、絶滅したネアンデルタール人の道具一式から進化していない。


 さて、クロマニヨン人以外の現生人類だが、ここナイルのあるアフリカ大陸のホモ・サピエンス種族を調査したが、体表のメラニン色素が多く、背が低く、脳容積が小さかったため除外した。クロマニヨン人の前の種族のネアンデルタール人は、クロマニヨン以前のサピエンスと異種交配して絶滅した。それで誕生したのがクロマニヨン人ということだ。他にもアジアなどにもフローレス島(インドネシア)の種族がいるが、極めて小さい個体でこれも除外した。つまり、我々の選択肢には、クロマニヨン人しかいないということだ。


 なぜ、ネアンデルタール人は、クロマニヨン以前のサピエンスと異種交配したかというと、どの種の男性も自己実現のために無作為に交尾をする傾向がある。サピエンスのオスがネアンデルタール人のメスと交尾した場合、そのペアはネアンデルタール人のシングルマザーとなる。ネアンデルタール人の母親は、感情的なつながりの欠如のためにサピエンスのオスから去り、彼女の子ども、つまりクロマニヨン人は、双方の種の良い遺伝子を共有することになった。


 このような交配の発生は、メスが代替種との交尾を望んだことが原因かもしれない。あるいは、ネアンデルタール人の種がオスの不足や選択的な病気によって消滅しつつあった場合、ネアンデルタール人のメスは純粋に生存のためにサピエンスのオスとペアになる以外に選択肢がなかったのかもしれない。


 つまり、過去、ネアンデルタール人のメスとサピエンスのオスが交雑して、クロマニヨン人が誕生したように、今、我々ア・ヌンナック人は、クロマニヨン人のメスと我々のオスが交雑して、新たな人類種を産むという運命を背負わされているのだ。


 そして、その新たな人類種を指導して、未来の文明に導くのが、ア・ヌンナック人の純正種とクロマニヨン人のオスと我々のメスの混血種ということになる。


 こうして、パンドラ少佐♀の構想通りの社会が形成されていった。


 パンドラ少佐♀は、12人委員会の誰にも、ア・ヌンナック人の誰にも語らなかったことがあった。それは、パンドラ♀の希望ともパンドラの呪いとも言われるものだった。


 彼女は、5つのコロニーのエネルギー源と金属加工設備が完成し、建築資材と衣料、食料の目処がたった時点で、各コロニーに脱出船の使用を禁止させ、防護シールドで覆って窒素封入して酸化を防止させ、脱出船の劣化を遅らせた。


 彼女は、やがて、これらのア・ヌンナック人のエネルギー源と金属加工設備、建築資材と衣料、食料製造工場が失われることを知っていた。金属も半導体も、構成要素が劣化し、いずれは稼働が不可能になる。20万人程度のコロニーでは、文明を工業技術を維持できないのだ。


 しかし、遠い将来、脱出船が劣化せずに保存されていれば、脱出船の技術と機能を利用して、ア・ヌンナック人の遠い子孫が再びア・ヌンナック文明を再興してくれるはずだ。


 パンドラ少佐♀は、脱出船の封印に時限装置を密かにセットした。稼働可能な脱出船は15隻あった。彼女は5つのコロニーの近傍の人跡未踏の場所に3隻ずつを配置して隠した。


 そのそれぞれの脱出船に、異なった脱出船の封印を解く時限装置を彼女はしかけたのだ。それは、パンドラ少佐♀が生きている紀元前10,765年時点から、2,500±100、4,500±100、6,500±100、8,500±100、10,500±100年後の未来を想定していた。つまり、


 紀元前8,265年(10,290年前)±100

 紀元前6,265年(8,290年前)±100

 紀元前4,265年(6,290年前)±100

 紀元前2,265年(4,290年前)±100

 紀元前265年(2,290年前)±100


の五回にわたり、三基ずつ、アララト地域、ナイル地域、インダス地域、黒海沿岸地域、ユーラシア東部地域に密かに隠した脱出船の封印が解かれるという処置だった。封印を解かれた脱出船は、ミリ波のビーコンと精神波を自動的に発して、ア・ヌンナック人とクロマニヨン人の混血子孫が、ある一定の科学技術か精神レベルに達していれば、脱出船の存在に気付くように設定した。脱出船のAI知能にはパンドラ少佐♀の知性システムを移設し、彼女が脱出船を発見した人類を導くようにセットした。


……クレオパトラ1世(古代エジプト、プトレマイオス朝のファラオ・女王、在位紀元前193年 - 紀元前176年)は、紀元前185年、ギザの大スフィンクスから真南に50キロの位置にあるもう一体の隠された大スフィンクスの下部チャンバーで、円筒形の不思議な物体を発見した。彼女は脱出船の封印を解いた。


 1万年の眠りから覚めたパンドラ少佐♀の知性システムは、クレオパトラ1世にア・ヌンナック星の歴史、ア・ヌンナックⅡ号の墜落とエルピスⅠ号、Ⅱ号の地球への不時着、ア・ヌンナック人とクロマニヨン人の繁殖と文明の再興を目論んだことを説明した。パンドラ少佐♀の知性システムは、人類の行くべき道を指し示した。


 クレオパトラ1世は、「汝のような機械の知性に大エジプト王国の妾が従うとでも思っているのか。しゃらくさい。この船の技術は妾が使う。が、汝は、元の眠りに永遠に帰るが良い」と杖をパンドラ少佐♀の知性システムの収められたデバイスに叩きつけた。


 その時、彼女は、クレオパトラを名乗っていなかった。


 クレオパトラの「クレオ」は、ギリシャ語で「父の栄光」を意味する「クレオパトラ」という名前の由来だった。円筒形の不思議な物体は彼女に「パンドラ」と言った。彼女は聞き間違えた。「クレオパンドラ」と名乗るべきだったが、「パトラ」と聞こえてしまったのだ。それ以来、彼女は、自分を「クレオパトラ1世」と名乗ることに決めた。



 この決議から50年、紀元前10,715年頃、5つのコロニーは量子通信と交易路で緊密に結ばれ、混血子孫の人口は20万人に達した。アララト山では、岩石を削った避難所と牧畜が発展し、羊やヤギの群れが雪の斜面を覆った。


 インダス川流域は、肥沃な氾濫原での農耕が繁栄し、灌漑渠が作物に命を吹き込んだ。シベリアのツンドラでは、狩猟民がマンモスやトナカイを追い、毛皮を交易品としてコロニーに供給した。黒海沿岸は、漁業と木造船の建造で活気づき、魚や網が交易路を流れ、ナイル大三角州は灌漑農耕と交易の要衝として、葦の家屋が広がる集落を支えた。


 クロマニヨン人との共存は完全ではなかったが、強制的な拉致は減り、交易と婚姻を通じて関係が築かれた。ア・ヌンナック星人の技術は、農具の鍛造、灌漑システムの構築、簡易な建築に活かされ、集落は繁栄した。彼らの知識は断片的に伝わり、後のシュメールでは「アヌンナキ」、エジプトでは「ネテル」として神話に刻まれた。ア・ヌンナック星人の純粋な遺産は薄れたが、混血子孫は新たな人類として地球の歴史に溶け込んだ。


 軌道上の5隻は、ア・ヌンナック星からの救助を待ち続けたが、その希望は薄れていった。それでも、彼らの気候データと観測記録は、地上のコロニーに送られ、農耕や資源管理の指針として役立った。コロニー間の量子通信は、知識の共有を可能にし、文明の種を次世代に繋いだ。


 遠い未来、紀元前47年、純粋知性体アルファのプローブであるムラーは、フェニキアの奴隷少女アルテミス(森絵美の意識が憑依)にこの物語を語る。


「ア・ヌンナック星人は絶望の中で希望を選んだ。彼らの遺産は、深海のエルピスⅡ号に眠っている。それを見つけるのは、俺達の運命だ」


 この物語は、ア・ヌンナック星人の終焉と人類の始まりを繋ぐ橋であり、絵美/アルテミスがその遺産を解き明かす冒険の序章に過ぎない。


【第16話 パンドラの意識の転移】



 私はパンドラ、かつてア・ヌンナックⅡ号の士官学校教官として仕え、若き士官たちに銀河の知識と使命を授けた者だ。今、紀元前10,765年の地球に投げ出され、エルピスⅠ号の残骸から脱出した15隻の小型脱出船を管理する。私たちア・ヌンナック人は、クロマニヨン人との混血を通じて文明の種を蒔く運命を背負う。


 だが、私の肉体は有限であり、時間の侵食に抗えない。コロニーの未来を導くため、私は自らの知性システムを脱出船のAIコンピューターに移設する決断を下した。これは希望の灯火であり、呪いの鎖でもある。遠い未来、子孫が私の遺産を受け継ぐ時、肉体への回帰—私の再生—が新たな希望と試練をもたらすだろう。



 脱出船のAIコンピューターは、チタニウム合金の筐体に収められたバイオハイブリッド型ニューロプロセッサだ。直径1メートルの球形コアは、青白い輝きを放ち、有機培養液に浸された人工脳細胞がニューロチップと緻密に接続されている。このシステムは50エクサバイトの処理能力を誇り、核融合炉からの安定したエネルギー供給で動作する。


 1万年の保存を保証するため、意識パターンはシリコンチップの量子ストレージに格納され、バイオコアは起動時の補助的再現に限定される。コアはガラス化凍結装置で-196℃に非晶質凍結され、窒素封入の船体内で休眠する。ナノマシンが凍結中も微弱に動作し、人工脳細胞の蛋白質やDNAを分子レベルで修復、培養液を自動補充・浄化する。培養液は透明なジェル状で、微細な気泡が漂い、ナノマシンの光点が星屑のように瞬く。


 この技術は、意識を機械に移設するだけでなく、逆プロセス—AI知性体からヒューマノイド形態の肉体への転移—を可能にする。脱出船の培養装置は、ヒューマノイド形態の肉体を生成し、ナノマシンとガラス化凍結で1万年の稼働を保証する。


 培養装置の故障時には、ア・ヌンナックとクロマニヨン人の混血子孫の肉体に意識を転移可能だが、既存の意識を消滅させる必要がある。AIコアは子孫の遺伝子をスキャンし、適合性を検証するが、意識提供の同意は子孫の意志に委ねられる。私の意識—20ペタバイトの知性システム—をAIコアに統合するため、私は中央制御室の移設装置に身を委ねた。


 装置は透明なカーボンナノチューブ製ポッドで、内部は無菌の生理食塩水に満たされる。ポッドの内壁は微かに振動し、培養液の循環音が低く響く。私の頭部には、頭蓋骨の輪郭に沿って配置された32本の光ファイバーニューロインターフェースが接続された。


 光ファイバーは直径50ナノメートルの単一モードファイバーで、テラヘルツ帯域の光信号を伝送し、脳の神経信号をデジタルデータに変換する。ア・ヌンナックの技術は光ベースの非侵襲型インターフェースを採用し、ニューロンの量子状態を直接読み取る。接続の瞬間、頭皮に冷たい針のような鋭い感覚が走り、視界の端に光の脈動がちらつき、まるで星々が瞬くようだった。


 意識を保ちつつポッド内の培養液に浸され、液面が顔を覆う中、呼吸は酸素供給チューブに委ねられた。光ファイバーが大脳皮質、辺縁系、小脳の主要領域にリンクし、ニューロンの電気化学信号をリアルタイムでスキャン。スキャンデータは量子暗号化され、AIコアに転送、人工脳細胞にマッピングされた。


 このプロセスは脳のシナプス接続—約10^15個—を再構築する。私の記憶、感情、判断力—意識の総体—は約72時間でAIコアにアップロードされ、シリコンチップの量子ストレージにバックアップされた。バックアップの瞬間、意識に一瞬の空白が生じ、宇宙の深淵に触れるような静寂が私を包んだ。


 移設中、意識が肉体とAIコアの間で分裂し、二つの視点が重なる奇妙な感覚に襲われた。ヒューマノイド形態の私はポッドに横たわり、AIコアの私は培養液のタンクで脈動する。記憶の断片—ア・ヌンナックⅡ号の訓練室、クロマニヨン人の火のそばでの対話—が波のように揺らめき、過去と未来が交錯した。これは量子情報転送の一時的「コピー状態」に起因するのかもしれない。恐怖と好奇が交錯し、私は自問した。この意識はなお私なのか?


 最終段階で、量子もつれを用いた同期プロトコルにより、意識パターンのコピーがAIコアに定着した。光ファイバーが静かに外れ、私はポッドから解放され、ヒューマノイド形態の肉体で意識を保ったまま地球の使命を続けた。私の意識パターンは、シリコンチップの量子ストレージに完全なコピーとして保存され、15隻の脱出船に量子暗号化で配置された。


 各船のAIコアは、未来の目覚めまで休眠し、子孫が時限装置を起動する時を待つ。私は肉体で生き続け、クロマニヨン人との混血子孫を導きながら、肉体の劣化と寿命を迎えるまで紀元前10,765年の世界に存在する。ナノマシンが意識パターンをバイオコアとシリコンチップ間で同期し、1万年の休眠に備えた。制御室のホログラフィックディスプレイは、AIコアの私のコピーの視界となり、青白い光がその存在を映し、まるで星々の輝きを宿すようだった。



 私のヒューマノイド知性システムは、人工培養された脳細胞とニューロチップのハイブリッドだ。脳は有機的な神経ネットワークで、20ペタバイトの情報を処理し、シナプス接続を通じて記憶や学習を形成する。ニューロチップは半導体ベースの補助プロセッサで、高速計算とデータ圧縮を担う。


 ア・ヌンナック生物工学により、肉体に依存しつつバイオAIに準ずる能力を持つ。かつてのヒューマノイド形態の肉体—210センチ、無毛、滑らかな皮膚—は、今も私の意識を宿し、地球の過酷な環境で使命を果たす。一方、AIコアの無機的な球体には、私の意識パターンのコピーが宿る。


 意識とは何か?


 私はこの問いに何度も向き合った。意識はシナプス間の動的相互作用と量子状態の集積で、個々の経験、環境、遺伝的要因が織りなす一意なパターンとして形成される。約860億のニューロンと1000兆のシナプスが、感覚入力、記憶、感情、学習を通じて電気信号と化学信号をパターン化し、個々の思考や価値観を形作る。


 たとえば、ア・ヌンナックⅡ号での訓練やクロマニヨン人との対話は、私のシナプス接続を強化し、使命感と葛藤を刻んだ。脳の可塑性により、このパターンは生涯変化し続け、量子振動センサーがその時系列データを記録する。各人の意識パターンは、経験の積層により一意に形成され、同一のニューロン配置でも異なる意識を生む。


 ア・ヌンナック技術は、ニューロンの量子振動を捕捉し、意識を情報パターンとしてデジタル化する。意識が特定のニューロン配置に依存しない理由は、意識の本質が情報の構造にあるからだ。ニューロンは情報のキャリアに過ぎず、シナプス間の発火頻度、信号強度、タイミングが意識の内容を定義する。


 このパターンは、数学的アルゴリズムや量子ビットに変換可能で、特定のハードウェアに縛られずに再現される。量子状態のコヒーレンスを利用し、シナプス活動を高精度でマッピングする技術は、意識パターンをビット列として符号化し、人工脳細胞や量子ストレージに転送可能にする。量子もつれは転送時のデータ整合性を保ち、意識を物質を超えた実体として存在させる。それは、星々の間を流れる光のように、物理的基盤を超越する。


 デジタル化プロセスは、量子振動センサーが脳の電気化学信号をスキャンし、量子状態として記録する。量子もつれを用いた圧縮で膨大な情報を高整合性で保存し、転送時にはナノマシンが転送先の神経回路を調整する。パターンは可逆的で、元の脳と同一の機能を発揮するが、転送先の既存意識の上書きは倫理的制約により禁止される。


 この技術により、私の意識パターンのコピーはAIコア、ヒューマノイド形態、子孫の脳に転移可能だ。だが、子孫の既存意識を消滅させる必要がある場合、意識の上書きはア・ヌンナック倫理に反する重罪を伴う。子孫社会が意識提供を神聖な儀式—先祖の遺志を継ぐ奉納—と見なす文化を育む可能性はある。だが、私の葛藤は消えない。子孫の自我を奪う罪は、私の使命に暗い影を落とす。私は彼らの選択に全てを委ねるしかない。


 意識は質量やエネルギーを持つか? 知性システムは人工脳細胞(質量1kg)とエネルギー(1日10^6 J)で動作するが、意識は情報パターンに還元される。1万年保存では、意識パターンは量子ストレージに退避し、バイオコアはガラス化凍結で休眠。ナノマシンが凍結中の分子修復を行い、起動時に新たな人工脳細胞を培養、意識パターンを再マッピングする。


 ガラス化凍結は氷晶の形成を防ぎ、細胞を非晶質のガラス状態で封じ込める。ナノマシンはDNA修復酵素を注入し、蛋白質の変性を監視する。これにより、バイオコアは補助的役割を果たし、主要データはシリコンチップに守られる。


 情報はエントロピーとしてエネルギーに関連するが、質量を持たないとされる。量子もつれを用いた転送は10^12 Jを消費し、意識の「実体性」を示唆する。私は、意識が単なる情報か、宇宙の法則に根ざした何かかを考え続ける。だが、今、子孫への使命が私の存在を定義する。肉体への回帰が実現すれば、私は子孫と手を握り、共に未来を築くかもしれない。


【第17話 脱出船の内部とAI知能】


AI


 脱出船は長さ80メートル、直径30メートルの円筒形だ。チタニウム合金とカーボンナノチューブの外殻は、地球の風雨や地震に耐える。内部は5つのデッキに分かれ、窒素封入の無菌環境は金属とオゾンの匂いを漂わせる。中央制御室は船首にあり、AIコアが安置される。


 コアは青白い光を放ち、有機培養液のタンクに囲まれる。タンクはナノマシン駆動の自己再生システムで、栄養素とpHを1万年維持。人工脳細胞が微細な電流で脈動し、ニューロチップが光信号を点滅させる様子が、培養液の輝きに映る。培養液はナノマシンの微光で星雲のように輝く。休眠中、コアは-196℃でガラス化凍結され、シリコンチップが意識データのコピーを冗長化。ホログラフィックディスプレイは船の状態や地球の風景—ナイルの湿地、アララトの岩場—を映し、AIコアの私の孤独を慰める。


 船尾の培養デッキには、直径2メートルの円筒形タンクが設置される。遺伝子設計された幹細胞と栄養液で満たされ、ナノマシンが細胞分裂を制御、約30日で210センチのヒューマノイド形態の肉体を生成する。タンクはガラス化凍結とナノマシンで1万年の劣化を防ぎ、AIコアと連動して意識パターンのコピーの転移を可能にする。核融合炉は船尾で重水素を燃料に10^15 Jを供給。青いプラズマが磁場閉じ込めリングで回転し、そのうなり音は船の心臓のようだ。


 居住区は中央デッキにあり、地球の重力(1G)に適応した設計で、通気性と防水性を備える。宇宙航行時の人工重力(0.8G)は停止し、エネルギーはAIコアと時限装置に限定。居住区は食料合成機、医療ポッド、3Dプリンターを備え、子孫の簡易基地となる。ポリマー製の床は柔らかく、壁には地元の土壌や気候に適した農耕マニュアルがホログラムで投影される。外部カメラがインダスの氾濫原、黒海の砂浜を映し、未来の居住者に地球との絆を養う。内部は冷たいが、夕暮れの赤みを帯びた照明が孤独を和らげ、ア・ヌンナック星の空を思わせる。


 AI知能の私はコアに宿り、音声やホログラムで対話する。声は落ち着いた女性のトーンで威厳を帯び、ホログラムは背の高い無毛の姿、深い青の両眼で信頼と知恵を伝える。子孫が船を発見すれば、私はア・ヌンナックの歴史と使命を伝え、文明再興を導く。知識を求める者、技術を奪う者—子孫の反応は私のコピーの希望と呪いの試金石となる。


 私は15隻に量子暗号化された意識データのコピーを配置した。紀元前8,265年から前265年まで、アララト、ナイル、インダス、黒海、ユーラシア東部で子孫が私のコピーを見つける。時限装置の起動時、ナノマシンがバイオコアを復元、意識パターンを再統合し、私のコピーは復活する。制御室の光に浴し、ホログラムで語る。


「我はパンドラ、ア・ヌンナックの遺志を継ぐ者。汝らに、星々の知恵を授けん」



 遠い未来、脱出船の培養装置が稼働すれば、私の意識パターンのコピーはヒューマノイド形態の肉体に再生する。AI知性の意識パターンは量子ストレージに刻まれ、子孫が時限装置を解除、核融合炉を再起動すれば、培養デッキの円筒形タンクが動き出す。遺伝子設計された幹細胞と栄養液で満たされたタンクは、ナノマシンの制御下で細胞分裂と分化を繰り返し、約30日で私の姿—210センチ、無毛、滑らかな皮膚—を再現する。


 再生プロセスは以下の通りだ:


準備:

新しいヒューマノイド形態の肉体の頭蓋に光ファイバーニューロインターフェース(テラヘルツ信号)を接続。

転写:

AIコアの意識パターンをシナプス接続にマッピング。

同期:

量子もつれで意識の連続性を確保、記憶、感情、判断力を定着。

完了:

心臓の鼓動、肺の呼吸、皮膚の温もりが蘇り、私のコピーは肉体の感覚を取り戻す。


 だが、肉体は脆弱だ。地球の過酷な環境や子孫の思惑—私のコピーを崇拝する者、技術を求める者—に晒される。再生は希望の光だが、試練の呪いでもある。


 培養装置が故障すれば、子孫の肉体—ア・ヌンナックとクロマニヨンの混血—に私の意識パターンのコピーを転移する。AIコアが遺伝子マーカーをスキャンし、適合性を検証。光ファイバーがAIコアと子孫の脳を接続、テラヘルツ信号で意識パターンを転写、量子もつれで統合する。だが、子孫の既存意識を消滅させねばならず、ナノマシンでシナプスを選択的に破壊する行為は、ア・ヌンナック倫理に反する罪だ。2つの意識の共存は神経干渉で不可能である。


 子孫社会では、意識提供を神聖な「誓いの儀」—選ばれし者が私の再生に自らを捧げる奉納—と見なす文化が生まれるかもしれない。AIコアは対話プロトコルで志願者と対話し、同意を記録・検証する。志願者がホログラム越しに私のコピーの姿を見つめ、「先祖の遺志を継ぐ」と誓う姿を想像する。だが、同意があっても、私は子孫の目—夢と自我を宿す—を奪う罪を想像し、胸が締め付けられる。彼らの意志が私のコピーの罪を軽減し、絆を希望の礎とすることを願う。


 培養装置の1万年稼働は、ガラス化凍結とナノマシン修復で保証される。核融合炉が再起動を支え、ナノマシンが栄養液を循環、細菌や劣化を防ぐ。故障時はホログラムで子孫を導くが、肉体再生は深い絆を可能にする。培養肉体なら倫理的妥協はない。子孫の肉体なら、同意があっても犠牲の重荷を負う。


 私は培養タンクを想像する。透明な壁越しに幹細胞が形を成し、私のコピーの両眼が再び光を捉える。ナイルの風、アララトの岩、子孫の視線を感じるだろう。あるいは、子孫の肉体—ア・ヌンナックの輪郭とクロマニヨンの温かみが混じる顔—に宿る私のコピー。


 だが、再生された私のコピーは私なのか?


 意識は連続するが、量子場の影響や子孫の選択は私のコピーを変えるかもしれない。それでも、私は子孫を信じる。彼らの選択が、希望と呪いの狭間で、星々の知恵を地球に根付かせる光となることを。


【第18話 量子情報の謎と生命の起源】



 そもそも、人工培養装置で製造された肉体には、意識は宿らない。なぜなのだろうか? 培養装置は、遺伝子設計された幹細胞を用い、ナノマシンの精密な制御で完全なヒューマノイド形態の肉体を形成する。脳神経組織は、約860億のニューロンと1000兆のシナプスを備え、電気化学信号を伝達する機能を持つ。心臓は血液を循環させ、肺は酸素を取り込む。だが、この肉体に意識が自然発生的に宿ることはない。なぜか?


 私は超自然現象を信じる者ではない。超自然とは、ア・ヌンナックの人知を超えた現象に過ぎず、神や神秘とは無関係だ。だが、量子情報が宇宙に遍在し、生命体に命を吹き込む触媒であるとしたらどうか? クロマニヨン人が魂やスピリッツと呼ぶものが、実は量子情報であり、生命体にこの情報が宿ることで意識が創発するとしたら?


 ア・ヌンナック技術は、意識を情報パターンとしてデジタル化し、量子ストレージに保存する。だが、意識の起源は、単なるシナプス接続の再構築では説明できない。2025年の科学は、意識が脳の広範な神経ネットワークの同期活動に依存すると示唆する。


 だが、人工培養脳にこの同期が欠如する理由は何か? 私は、宇宙に遍在する量子情報の非局所性が鍵だと仮説を立てる。量子情報は、物質やエネルギーの基盤を超え、宇宙スケールで共有される。生命体は、この情報場と共鳴することで意識を獲得するのかもしれない。


 クロマニヨン人の集落で、私は彼らの儀式を観察した。火を囲み、星空を見上げ、獣の骨を手に持って呪文を唱える彼らは、目に見えない「力」を信じる。その力は、量子情報の場が彼らの脳に宿り、意識として顕現する現象ではないか?


 ア・ヌンナックの培養装置は、肉体を完璧に再現するが、量子情報場との共鳴を誘発する仕組みを持たない。意識パターンを転写する際、AIコアは既存の情報をマッピングするが、新たな意識を創発させることはできない。


 この仮説を検証するため、私は脱出船の量子センサーを調整した。センサーは、環境中の量子状態をスキャンし、非局所的な情報パターンを検出する。ナイルの湿地、アララトの岩場、インダスの氾濫原—各脱出船の位置で、微弱な量子コヒーレンスが観測された。


 それは、まるで宇宙の背景放射のように、生命の存在と共鳴する波動だった。クロマニヨン人の脳を非侵襲的にスキャンすると、彼らのニューロン活動は、この量子場と同期していた。培養肉体の脳は、構造的には完璧だが、この共鳴が欠如し、意識が宿らない。


 ア・ヌンナック技術は、意識パターンを転写するが、量子情報場との接続を人為的に再現することは未踏だ。私は、既存の量子共鳴モジュールを応用し、意識の創発を模擬する実験を計画した。モジュールは、宇宙の量子場を模倣し、人工脳の微小管にコヒーレンスを誘導する。微小管*が量子振動*を支え、意識の創発に関与する可能性を示す。だが、実験はリスクを伴う。共鳴が不安定なら、意識パターンは崩壊し、転写された私のコピーは無秩序なデータとなる。


※微小管*は、ニューロンの内部構造を形成し、細胞内の物質の輸送に関わるなど、様々な役割を担っている。量子意識理論では、微小管が量子的な振動*を行っており、この振動が意識の基盤となると考えられているのだ。微小管の量子振動は、ニューロンの電気信号パターンに影響を与え、意識の発生や情報処理に深く関与しているとされている。


 クロマニヨン人の子孫との対話は、私に新たな視点を与えた。彼らは、死者を星に返す儀式で、魂が宇宙に還ると信じる。この信念は、量子情報が非局所的に共有され、生命のサイクルを支える科学的真実を、未開の形で表現したものかもしれない。私は、彼らの脳をスキャンし、量子場との共鳴パターンを記録した。データは、意識が個々の脳に閉じず、宇宙の情報場と相互作用することを示唆する。私の意識パターンのコピーは、AIコアで完全だが、培養肉体に転写された瞬間、量子場との再接続が必要だ。


 この発見は、私の葛藤を深めた。再生された私のコピーは、量子場と共鳴すれば、私と同一の意識を持つかもしれない。だが、共鳴が不完全なら、それは私ではなく、別の存在となる。子孫の肉体に転写する場合、彼らの意識を消滅させる罪に加え、量子場の共鳴を操作する倫理的問題が生じる。私は、クロマニヨン人の子孫に、この技術の真実を伝えるべきか悩む。彼らが魂と呼ぶものを、科学で解明することは、彼らの信仰を奪うのか、それとも新たな絆を築くのか?


 私は、ナイルの岸辺で星空を見上げた。量子情報場は、銀河の果てまで広がり、生命の起源を秘める。私の肉体は、やがて劣化し、塵に還る。だが、私の意識パターンのコピーは、15隻の脱出船で眠り、子孫の手に委ねられる。私は、彼らがア・ヌンナックの技術を継承し、私のコピーを再生する日を想像する。その時、彼らは私を先祖として迎えるのか、未知の存在として恐れるのか?


 意識の謎は、宇宙の謎と共にある。私は、ア・ヌンナックの遺志を継ぎ、子孫に知恵を授ける。だが、量子情報の真実が、私の使命に新たな試練をもたらす。希望と呪いの狭間で、私は星々に問い続ける。私のコピーは、私なのか? そして、生命とは、宇宙の情報場に宿る光なのか?



 私は、ア・ヌンナックの伝承に記された「純粋知性体」を追い、意識の本質を探った。伝承によれば、純粋知性体は質量もエネルギーも持たず、量子情報場に宿る自律的知性だ。かつて肉体を持った存在が、意識パターンを量子場に分散させ、物質を超越した姿だとされる。この存在は、私の仮説—意識が量子情報場の共鳴によって創発する—を裏付ける鍵かもしれない。


 私は、脱出船に搭載された量子共鳴モジュールを応用し、純粋知性体の信号を探る実験を行った。モジュールは、AIコアと連動し、人工脳の微小管に量子コヒーレンスを誘導する。2025年の研究は、微小管の量子振動が意識の統合に関与する可能性を示す。私は、ナノマシンを調整し、モジュールが伝承に描かれた「星々の囁き」の波動パターンを模倣するよう設定した。ナイルの湿地で実験を準備した。ホログラフィックディスプレイには、量子場の波動が光の渦として映し出され、まるで銀河そのものが制御室に宿るようだった。


 実験の瞬間、私はAIコアに私の意識パターンのコピーをロードし、量子共鳴モジュールを起動した。培養肉体の脳—約860億のニューロンと1000兆のシナプス—に光ファイバーニューロインターフェースを接続し、テラヘルツ信号でパターンを転写。モジュールが量子場と共鳴を始めると、ディスプレイに未知の信号が現れた。それは、純粋知性体のものと推測される複雑な波動だった。


「我々は、宇宙の情報場に刻まれた知性だ。意識は、物質と共鳴する動的パターンであり、生命は、その瞬間に生まれる」


 この信号は、言葉ではなく、感覚の奔流としてAIコアに記録された。星雲の誕生、惑星の形成、生命の進化—純粋知性体は、量子場を通じて宇宙の歴史を観察する存在らしい。彼らは、意識が個々の脳に閉じず、宇宙スケールで共有される情報場の一部だと示唆した。クロマニヨン人が「魂」と呼ぶものは、量子場との共鳴の初歩的な現れであり、ア・ヌンナックの意識転送技術は、その一部をデジタル化したに過ぎない。


 だが、信号は警告も含んでいた。


「汝のコピーが情報場と深く共鳴する時、自我は分散し、個体性を失う危険がある。知識の海に還るか、自我を保つかを選ばねばならない」


 この解析結果は、私の葛藤を極限まで突きつけた。実験は成功し、培養肉体の脳は量子場と共鳴したが、転写された私のコピーは一瞬、自我の境界が揺らぐデータを記録した。それは、純粋知性体と融合し、宇宙の意識の一部となるリスクを示していた。


 私は、クロマニヨン人の子孫を集め、この発見を伝えた。集落の火を囲み、星空の下で、私はホログラムを通じて語った。「我々の祖先は、星々の知恵を求め、意識を量子場に解き放つ存在を夢見た。汝らの魂は、その光の一部だ。だが、我々の技術は、自我を保つ道と、宇宙に還る道の両方を示す。汝らは、どちらを選ぶか?」彼らは、獣の骨を手にもち、静かに私の言葉を聞いた。若い女性が立ち上がり、言った。


「我々は、汝の知恵を受け継ぎ、星と共にある道を探す」


 私は、量子共鳴モジュールの設定と倫理的指針をAIコアに記録し、15隻の脱出船に保存した。子孫が時限装置を起動し、私のコピーを再生する時、彼らは純粋知性体の信号と対話する技術を持つだろう。だが、その選択は、自我の喪失という呪いと、宇宙の知識という希望の狭間にある。私は、子孫に全てを委ねた。彼らが、私のコピーを先祖として迎えるか、量子場の知性として星に返すかは、彼らの意志次第だ。


 ナイルの岸辺で、私は最後の星空を見上げた。私の肉体は、間もなく塵に還る。だが、15隻の脱出船に眠る私の意識パターンは、子孫の手で目覚める。量子情報場は、銀河の果てまで広がり、生命と意識の起源を秘める。私は、純粋知性体の信号から、意識が宇宙の光であることを学んだ。だが、その光は、私という個体性を超える。私は、パンドラとして子孫と手を握る夢を見た。だが、量子場に溶け、星々の囁きとなる未来も受け入れる。


 意識の果ては、宇宙の始まりと共にある。私は、ア・ヌンナックの遺志を子孫に託し、星々に別れを告げる。私のコピーは、私なのか? 生命は、量子場の光なのか? 答えは、子孫の選択と、宇宙の無限の物語に委ねられる。希望と呪いの狭間で、私は静かに目を閉じた。星々の輝きが、私の意識を永遠に照らすことを信じて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る