第18話 激闘! ピーリング施術と剥がれる仮面

チュイイイイイイイイイッ……!!


 地下帝国の一室に、まるで工事現場のような甲高い駆動音が鳴り響いていた。

 発生源は私の手の中。


 歴戦の武器から削り取った「特級魔力錆」をたらふく食べ、黄金色に進化したスライム――通称『ゴールデン・研磨・スライム』が、高速回転しながら獲物を待ち構えている音だ。


「さあ、ベアトリクス様。覚悟は決まりましたか?」


 私は溶接用の遮光ゴーグルを装着し、ゴム手袋をはめた手でスライムを掲げた。


 施術台(スライム・ベッド)に仰向けに拘束された騎士団長様は、まるで処刑台に乗せられた囚人のように青ざめている。


「ま、待てアリア! その音はおかしいだろう! エステというより、岩盤を掘削する時の音だぞ!?」


「あながち間違いではありませんよぉ~。貴女のお顔の角質は、もはや『岩盤』レベルですから」


 私はニッコリと(マスクの下で)笑った。容赦はしない。


 相手は国家最強の騎士。その顔面を覆うのは、十数年の兜生活と戦場のストレスが生み出した、生体鎧(バイオ・アーマー)とも言うべき最強の角質層だ。

 生半可な優しさでは、真の美肌には到達できない。


「だ、だが、顔だぞ!? 女の命だぞ!?」


「ええ。だからこそ、一度『殺して』生まれ変わらせるんですぅ!」


 私はスライム・ベッドの拘束強度を最大に設定した。


 横で見守るマーサ先生が、ワイングラスを片手に優雅に頷く。


「往生際が悪いわよ、ベア。……アリア、やりなさい」


「イエス・マム! ――施術名、『黄金の龍皮剥ぎ(ゴールデン・ピーリング)』! 突撃(チャージ)ィッ!!」


 私は黄金の回転体を、ベアトリクス様の赤く腫れ上がった頬へと叩きつけた。


 バヂィッ!!


「ぬぉおおおおおおおおおおっ!?」


 ドスの効いた、野太い絶叫が地下室を揺らした。


 ギギギギギギッ! チュイイイイッ!


 スライムが顔面の上を高速で滑走する。

 ナノレベルの微細な研磨粒子が、皮膚の表面にこびりついた不要な角質、酸化した脂、そして毛穴に詰まった金属汚れを、物理的に、かつ慈悲深く削り取っていく。


「ぐっ、がっ、あああああッ!?」


 ベアトリクス様の体が弓なりに跳ねる。だが、スライム・ベッドの粘着力がそれを許さない。


(うっひょー! 見てこの剥離量! 大漁だわ!)


 私の目はゴーグルの奥で輝いていた。

 飛び散る粉雪のような白い粉。それは全て、彼女の顔に蓄積していた「過去の遺物」だ。


 普通の人間なら皮膚ごと持っていかれるだろう。

 だが、今の私は『精密洗浄(マイクロ・クリーン)』の極致にある。


 ピピピピッ!

 私の視界には、青白いグリッド線が彼女の顔面の起伏をコンマ数ミリ単位で表示している。


 【警告:右頬、古傷のケロイド組織を確認】

 【処理:硬度・強の設定で研磨。新生組織ギリギリまで除去】


「そこだ、ぷるんちゃん! その凸凹を平らに均すのよ!」


「ギンッ!!(ラジャー!)」


 スライムが変形し、回転数をさらに上げる。


「ひぃぃっ! あ、熱い! いや、痒い!? 何だこれは、顔の奥が……脳髄まで響くような……!」


 ベアトリクス様の叫び声が変わった。

 痛みではない。これは「快感」の叫びだ。

 何年も何年も、分厚い皮膚の下で燻っていた「芯からの痒み」を、孫の手どころか電動ヤスリで直接掻きむしられているような、背徳的な解放感。


「あ、ああ……そこっ! その小鼻の脇っ! ずっと、ずっと取れなかった詰まりが……抜けるぅぅッ!」


「はいはい、全部持っていきますよぉ~! 遠慮なくイっちゃってください!」


 私は容赦なくスライムを押し込んだ。

 シュゴオオオオッ!

 毛穴の奥深く、岩のように固着していた角栓(コメド)が、スポンッ! と音を立てて吸引される。


(汚ぁい! けど最高に気持ちいいッ!)


 私の掃除屋(クリーナー)としての魂が震える。

 この瞬間だ。

 頑固な汚れが、私の手によって屈服し、消え去る瞬間。これこそが私のカタルシス!


「仕上げです! 『ロイヤル・ゼリー・コーティング』!」


 汚れを削り取った直後の、無防備な真皮層。

 そこへ間髪入れず、ぷるんが体内に生成した最高級美容液を浸透させる。

 古い壁紙を剥がした瞬間に、最高級のシルクを貼り付けるようなものだ。


 ジュワァァァ……。

 乾いた砂漠が水を吸うように、肌が美容成分を飲み干していく。


「……ふっ、……ぁ……」


 ベアトリクス様の体が、脱力してベッドに沈んだ。

 荒い息遣いだけが、部屋に響く。


 回転音が止まった。


 黄金のスライムは、仕事を終えて満足げに「ギンッ」と鳴き、私の手の中に戻ってきた。その体色は、削り取った老廃物を吸って少し濁っている。


「……お疲れ様でした、騎士団長様」


 私はゴーグルを外し、汗を拭った。

 手応えは完璧だ。これ以上ないくらいの「洗浄」が完了した。


 私はそっと、彼女の顔に被せていたタオルを取り払った。


「……終わっ、たのか……?」


 ベアトリクス様が、恐る恐る目を開けた。

 その瞳が、私を捉える。


「はい。鏡をどうぞ」


 マーサ先生が歩み寄り、大きな手鏡を差し出した。

 先生の手が、期待で震えているのが分かる。


 ベアトリクス様は、震える手で鏡を受け取り、ゆっくりと自分の顔を覗き込んだ。


「――――」


 息を呑む音が聞こえた。


 そこに映っていたのは、赤くただれた「鉄仮面の化け物」ではなかった。


 月光のように白く、陶器のように滑らかな肌。

 頬の赤みは消え失せ、代わりに健康的な桜色が差している。

 ボコボコだった古傷の跡は跡形もなく消え、むきたてのゆで卵のようなツヤが、地下室の照明を反射して輝いている。


 それは、十年前――いや、騎士団に入団する前、まだ何も知らなかった少女時代の彼女の顔だった。


「……嘘だ」


 ベアトリクス様の唇が震えた。


「これは、幻術か? それとも私は、痛みのあまり死んで夢を見ているのか?」


 彼女は自分の頬に触れた。恐る恐る。

 いつもなら、指先にガサガサとした不快な感触が返ってくるはずの場所。


 ツルッ。


 指が、滑った。

 抵抗がない。摩擦係数がゼロになったかのような滑らかさ。


「あ……」


 彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。

 その涙が頬を伝うが、肌荒れに染みることもなく、美しい真珠のように転がり落ちていく。


「痛く、ない……。痒くも、ない……。熱くも、ない……」


 ベアトリクス様は、子供のように顔を覆って泣き崩れた。


「戻った……私の顔が……。女としての私が……戻ってきたのだ……!」


 その姿を見て、マーサ先生が満足げにワインを飲み干した。


「戻ったんじゃないわ、ベア。それが『本来の貴女』よ。……ねえ、アリア?」


「はいぃ! ただちょっと『お掃除』しただけですよぉ~。やっぱり素材が良いと、磨き甲斐がありますねぇ!」


 私は謙遜してみせたが、内心ではガッツポーズを連発していた。


(やった! 大成功! 完璧な仕上がり!)

(見なさい、このビフォーアフター! これならどんな高額請求しても文句言われないわ! いや、金じゃない。これはもっとデカい『コネ』になる!)


 国の英雄が、私の足元で泣いて感謝している。

 この光景こそが、私にとっての「ロイヤル・ゼリー」だ。


 ベアトリクス様は、しばらく泣いた後、ゆっくりと体を起こした。

 そして、ベッドから降りると、私の前で片膝をついた。


「えっ!?」


 騎士の最敬礼。臣下が主君に見せる、絶対の礼節。


「アリア殿……いや、我が救世主よ」


 彼女が顔を上げ、濡れた瞳で私を見つめた。

 その美しさに、同性の私でさえドキッとするほどの破壊力だ。


「この恩、生涯忘れぬ。……魔法医ですら匙を投げたこの呪いを、貴女は一夜にして解いてくれた。これは単なる美容ではない。『再生』の奇跡だ」


「い、いえいえ! 頭を上げてくださいぃ! 私なんてただの汚物係ですからぁ!」


「謙遜するな。……貴女のその『腕』は、国宝に値する」


 ベアトリクス様は立ち上がり、力強い瞳で宣言した。


「約束しよう。私が生きている限り、貴女と、この聖域(スパ)には指一本触れさせん。……近衛騎士団の剣にかけて」


 キタコレ。

 私の脳内で、レジスターの音が鳴り響いた。


 『最強の盾(ボディーガード)』ゲットだぜ!

 これで学園内で何かあっても、「あ、私、騎士団長とマブダチなんですけど?」って言える!

 無敵だ。私は無敵の掃除婦になったのだ!


「あ、ありがとうございますぅ! 光栄ですぅ!」


「礼を言うのは私の方だ。……ああ、早く誰かに見せたい。この顔を。今まで隠してきた、本当の私を」


 ベアトリクス様は鏡に見入って、うっとりと頬を撫でている。

 完全にナルシスト・モードに入っているが、まあいいだろう。それだけの苦労をしてきた人だ。


 しかし。

 私はふと、ある懸念を抱いた。


 綺麗になりすぎた。あまりにも、劇的すぎる。


 明日から彼女がこの顔で外を歩けばどうなる?

 「鉄仮面」が兜を脱ぎ、絶世の美女になって現れたら?


 ――大騒ぎになるに決まっている。


 そしてその「奇跡」の原因を探るべく、あらゆる人間が動き出すだろう。

 貴族、商人、そして……学園の「敵」たちが。


「……あのぉ、騎士団長様? あまり急に公表すると、色々面倒なのでは……」


「ふふ、構わんさ。今の私には、怖いものなど何もない」


 ベアトリクス様は、晴れやかな笑顔で振り返った。


「折しも数日後には、隣国の使節団を迎えての『公開合同演習』がある。……そこで、お披露目といこうではないか」


 え。


 私の笑顔が固まった。


 公開演習?

 隣国の騎士団と戦う、あの大イベント?

 そこで兜を脱ぐって……数万人の観衆の前で?


(待って、待って。それって絶対、トラブルの予感しかしないんだけど!)


 私の予感は的中する。

 美しくなった顔は、確かに武器だ。

 だが、騎士にとって最も重要な「武器」――彼女の愛剣が、私の想像以上に深刻な状態にあることを、この時の私たちはまだ知らなかったのだ。


 私の「掃除」が招いた奇跡は、やがて国の威信をかけた大一番へと転がり込んでいく。

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