第2話 :誰(だれ)かに見(み)られたら?
新しい転校生の少年に気づき始めたのが、正確にいつだったのかはわからない。
もしかすると、その静けさが私とあまりにも違っていたからかもしれない。
あるいは、彼の“在り方”が――周囲に合わせようとするものではなく、ただそこに存在しているだけだったからかもしれない。
いずれにせよ、その朝、教室に入って自己紹介をしたカルロス・ガルバンを見て以来、私は何度も横目で彼を観察していた。
「おはよう…」
彼はためらいも熱意もなく言った。「カルロス・ガルバンです」。
その声は中立的で、まるでささいな事実を口にしているだけのようだった。
何人かのクラスメートが好奇心に引かれて近づき、どの学校から来たのか、サッカーが好きか、この街を知っているかなどを尋ねる。
「はい…」
彼は淡々と答えた。しかし自分から何かを尋ね返すことは一度もなかった。
笑顔もない。気まずさもない。何もない。
ただ穏やかな視線だけ。
まるで、もう何度もここにいたかのような落ち着きで、何も驚かされない人のように。
ある女子が冗談めかして言った。
「じゃあ、ヒスパノで一番楽しい教室へようこそ、ってことで?」
「ありがとう」
それだけ。
笑いもしないし、表情も変わらない。
ただ「ありがとう」。
もし私があの立場だったら、笑って見せただろう。
「嬉しいです」とか「歓迎してくれるんですね?」とか、何かしら“場”を整えるための言葉を出していたはずだ。
イメージを保つための、バランスを崩さないための、小さな演技。
でも、彼は違った。
他人の居心地を良くしようともしないのに、不快感も生み出さない。
どうしてそんなことができるのか、わからない。
化学の授業中、ディエゴと一緒に黙々と作業する彼が見えた。
ディエゴはなんとか会話を引き出そうとしていた。
「この教科、好き?」
「まあまあ」
カルロスはノートに記録しながら答える。
「俺はさー…嫌いじゃないけど、時々しんどいっていうか…」
ディエゴは無理に笑ってみせた。
「ああ、そう」
そして沈黙が戻った。
冷淡でも失礼でもない。
ただ、関与しようとしないだけ。
その“無関心”は敵意ではなく、むしろ――本物のように感じられた。
気づけば、私は何度も彼を見ていた。
好きだからではない。絶対に違う。
ただ――興味。もしくは、好奇心。
無意識に思った。
(もしかして、彼も私と同じ…?
自然に話すことが苦手なのかな?)
たぶん、ただ方法がわからないだけかもしれない。
たぶん、恥ずかしがり屋で、控えめで、不安なのかもしれない。
たぶん、何か言って後悔するのが怖いのかもしれない。
――まるで、私がいつもそうであるみたいに。
たぶん、彼にも“誰か”が必要なのかもしれない。
昼休みのベルが鳴ると、私はいつも心の中で畳んでいる“勇気”を取り出し、彼に近づいた。
「こんにちは」
精一杯の笑顔で言った。「私はマフェル。マフェル・ソーラです」
「聞いたことがあります」
彼は冷たくも温かくもない声で答えた。
「あ、そう…えっと…ただ言いたかっただけです。
北のグラウンドでサッカーしてる子たちがいるんです。
もしよければ紹介できます。みんな良い子で、きっと気に入ると思います」
彼は私を見た。
だが、他の人みたいな“意図”を含んだ視線ではなかった。
好意も求めてこない。
それでも、彼の瞳は裁くことなく、ただ静かに見つめてくるだけだった。
「ありがとう。でも興味はありません」
返答に迷った。
「あ…じゃあ…えっと…カフェテリアに行きませんか? 友達もいて――」
「お弁当を持ってきました。ひとりで食べたいです」
彼は柔らかく言った。
拒絶ではない。敵意でもない。
ただ、自然で揺るがない意志表示。
まるで「水よりジュースがいい」と言うような、ただの好み。
「わかりました…お好きなように」
私は笑って答えた。もちろん笑った。笑うしかなかった。
その後の一日、私はいつも通りの“役割”を続けた。
冗談を言い、答え、笑い、頷き、場を調整する。
その裏で、思考はぶつかり続けていた。
(侵しすぎた?
押しつけがましく思われた?
どうして、あんな風にただ断れるの?
私のこと、嫌いだった?)
歴史の授業で笑い、文学でコメントし、友達に誘われ、そして嘘をついた。
「図書館に行かなくちゃ。先生に明日の手伝いを頼まれてて」
「数学の補習があるの」
どれも半分だけの真実。
私という“キャラクター”を保つための糸。
校舎を出ると、ようやく顔の緊張がほどけていくのを感じた。
もう誰も私を見ていない。
取り繕う必要もない。
(演じるって……)
私は思いながら、正門近くの木の下に立った。
演じるのは疲れる。
でも必要。
演じなければ、きっとひとりになる。
本当の私だったら……誰もどう接していいかわからない。
これでいい。耐えるべきだ。
これしかできない。
深く息を吸った。
そして門へ歩き出そうとしたとき――彼が見えた。
カルロスが自転車のそばでリュックを直している。
私には気づいていない。
挨拶するか迷った。
でも、足が勝手に動いた。
「また明日」
疲れが残る笑顔で言った。
「また明日」
彼は小さく答えた。
離れようとしたそのとき――
後ろから声が聞こえた。
「演じる必要はない。俺も疲れてる。
言いたいこと、ありのままで言えばいい」
私は立ち止まった。喉が詰まる。振り返る。
――もう、彼はいなかった。
恥ずかしくもなかった。
怒りも湧かなかった。
ただ……別の感情があった。
恐れ。
(今……見られた?
誰かに――見抜かれた?)
もし彼が気づいたのなら……
他の人も?
いつか、みんなに見られたら?
私は歩き続けた。
沈黙の中を。
初めて――どんな顔をすればいいのかわからなかった。
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