第8話「8月:ヒマワリリスと希望」

プロローグ

 8月1日。


 真夏の太陽が、容赦なく照りつけている。


 私は、一人でヒマワリ畑に来ていた。


 夏ライブまで、あと2週間。


 でも、練習は全然うまくいっていない。


 ため息をつくと、足元に、それはいた。


 明るい黄色とオレンジのグラデーションのリスのぬいぐるみ。


 ヒマワリの種を持っている。


 元気いっぱいの表情。


 小さめのサイズで、可愛らしい。


「また...」


 私は、もう驚かなかった。


 リスを拾い上げると、案の定、声が聞こえた。


「諦めそう?」


 明るい声。


 でも、次の言葉は、残酷だった。


「でも...諦めたら楽だよ?」


 私は、息を呑んだ。


「あなたは...」


「私はヒマワリリス。8月のぬい」


 リスは、私を見上げた。


「あなた、もう諦めたいんでしょ?」


「...」


「無理しなくていいのよ。諦めるのも、選択肢なんだから」


 その優しく、残酷な言葉に、私は涙が出そうになった。


「...うん」


 私は、小さく答えた。


「もう、諦めたい」


 ヒマワリリスは、静かに言った。


「そう。じゃあ、一緒に考えましょう。本当に諦めていいのか」


 私は、ヒマワリリスをバッグに入れた。


 そして、ヒマワリ畑を後にした。


1

 8月15日。


 軽音部、夏ライブの日。


 学校の体育館で、夏休み中のイベントとして開催される。


 私は、補欠部員として、このライブに参加することになった。


 でも、正直、自信がなかった。


 練習では、何度も失敗していた。


 リズムが取れない。


 音を外す。


 他の部員に迷惑をかけている。


「桜井、大丈夫?」


 藤井先輩が、心配そうに声をかけた。


「はい...」


 私は、笑顔を作った。


 でも、全然大丈夫じゃなかった。


 ライブが始まった。


 観客席には、生徒や保護者が座っている。


 美月も、母も、来てくれている。


 私たちの出番。


 ステージに立った瞬間、足が震えた。


 曲が始まった。


 私は、ギターを弾き始めた。


 でも、最初の音から、外れた。


 焦る。


 次の音も、外れた。


 リズムも、ずれている。


 他の部員たちが、困惑した顔をしている。


 曲が進むにつれて、私のミスは増えていった。


 観客席から、ざわめきが聞こえた。


 冷ややかな空気。


 私は、もう何も考えられなかった。


 ただ、早く終わってほしい。


 曲が終わった。


 拍手は、まばらだった。


 私は、ステージから降りた。


2

 ライブが終わった後、私は一人で体育館の裏に隠れていた。


 泣いていた。


 最悪だった。


 みんなの前で、大失敗した。


 美月も、母も、見ていた。


 恥ずかしい。


 悔しい。


 もう、無理だ。


「桜井」


 藤井先輩が、声をかけてきた。


「すみません...」


 私は、泣きながら謝った。


「私のせいで、みんなに迷惑をかけました」


「いいよ。失敗は誰にでもある」


 藤井先輩は、優しく言った。


 でも、その優しさが、逆に辛かった。


「でも...」


「次、頑張ればいいよ」


 次。


 次なんて、ない。


 もう、私には無理だ。


3

 その夜、部屋で、私は泣いていた。


 美月からも、母からも、慰めのメッセージが来ていた。


 でも、全然心に響かなかった。


「もう、無理だよ」


 私は、ヒマワリリスに話しかけた。


「諦めたい」


「そう」


 ヒマワリリスは、優しく答えた。


「諦めるのも、選択肢よ。無理しなくていいの」


「...」


「あなた、もう疲れたでしょ?」


「うん...」


 私は、涙を流した。


「頑張ったよ。でも、ダメだった」


「そうね」


 ヒマワリリスは、静かに言った。


「でも、本当に諦めていいの?」


「...わからない」


「じゃあ、過去を振り返ってみなさい。あなたが、ここまで来た理由を」


 私は、目を閉じた。


 1月。ユキウサと出会って、美月と仲直りした。


 2月。チョコベアに背中を押されて、蓮くんに告白した。


 3月。サクラネコと一緒に、楓先輩を見送った。


 4月。ツバメちゃんと一緒に、軽音部のオーディションに挑戦した。


 5月。ミドリカエルに助けられて、音楽が好きだと気づいた。


 6月。アジサイラビットのおかげで、母と仲直りした。


 7月。ナツペンギンと一緒に、自由の意味を知った。


 たくさんのことがあった。


 たくさん、成長した。


 でも...


「もう、疲れた」


 私は、泣き崩れた。


「もう、無理だよ...」


4

 翌日、私は軽音部に行かなかった。


 藤井先輩にメッセージを送った。


『すみません。少し、休ませてください』


 先輩からの返信。


『わかった。無理しないでね』


 私は、スマホを置いた。


 そして、ベッドに横になった。


 何もする気が起きない。


 ギターも、触りたくない。


 もう、諦めよう。


 そう思った。


5

 午後、インターホンが鳴った。


 美月だった。


「ひまり、大丈夫?」


「うん...」


 私は、部屋に美月を通した。


「昨日のライブ...」


「ごめん。見てた?」


「うん」


 美月は、正直に答えた。


「でもね、ひまりは最後まで弾ききったよ」


「でも、失敗ばかりだった」


「うん。でも、諦めなかった」


 美月は、私の手を握った。


「ひまり、諦めないで」


「...美月」


「ひまりは、ここまで頑張ってきたじゃん。1月から、ずっと」


 美月は、涙を流した。


「私、ひまりのこと、尊敬してるよ。だから、諦めないで」


 私は、涙が溢れた。


「でも...もう、無理だよ」


「そんなことない」


 美月は、私を抱きしめた。


「ひまりなら、できる」


 私は、美月の肩で泣いた。


6

 翌日、私は軽音部に顔を出した。


 藤井先輩が、優しく迎えてくれた。


「桜井、来てくれたんだ」


「はい...」


 私は、頭を下げた。


「昨日は、すみませんでした」


「いいよ。今日は、練習する?」


「...はい」


 私は、ギターを手に取った。


 久しぶりのギター。


 でも、やっぱり怖い。


 練習が終わった後、藤井先輩が声をかけてきた。


「桜井、ちょっといい?」


「はい」


「実はね、俺も初ライブで大失敗したんだ」


「え?」


 私は、驚いて先輩を見た。


「本当ですか?」


「うん。2年前、俺も補欠部員だった時のライブで、緊張して全然弾けなかった」


 藤井先輩は、苦笑いした。


「観客からも、冷ややかな反応だったよ」


「先輩が...?」


「うん。あの時、俺も辞めようと思った」


 藤井先輩は、私の目を見た。


「でも、続けたんだ。諦めなかったから、今がある」


「...」


「桜井も、続けてみない? 10月のオーディションまで、まだ2ヶ月ある」


 藤井先輩は、優しく笑った。


「俺、桜井が諦めないでくれたら、嬉しいな」


 私は、涙が溢れた。


「...はい」


 私は、小さく答えた。


「もう一度だけ、やってみます」


7

 その夜、部屋で、私はヒマワリリスに話しかけていた。


「ヒマワリリス、私、もう一度やってみる」


「そう」


 ヒマワリリスは、嬉しそうに答えた。


「よかったわ」


「諦めたら、楽だったかもしれない。でも...」


 私は、ギターを見た。


「私、やっぱり音楽が好きなんだ」


「そうね」


 ヒマワリリスは、微笑んだ。


「希望は、自分で灯すものよ」


「希望...」


「そう。誰かが与えてくれるものじゃない。自分で見つけるものなの」


 ヒマワリリスは、私を見上げた。


「あなたは、希望を見つけたわね」


「うん」


 私は、頷いた。


「私、10月のオーディション、絶対に合格する」


「そう。頑張りなさい」


 ヒマワリリスは、優しく言った。


「次は9月1日。ツキウサギが待ってるわ」


「ツキウサギ?」


「そう。でもね」


 ヒマワリリスの声が、少し柔らかくなった。


「感謝、してる?」


「感謝...?」


「そう。今まで、あなたを支えてくれた人たちに」


 私は、少し考えた。


 美月。母。藤井先輩。楓先輩。


 たくさんの人が、私を支えてくれた。


「...してる」


 私は、小さく答えた。


「じゃあ、伝えなさい」


 ヒマワリリスは、ゆっくりと動かなくなった。


 私は、窓の外を見た。


 夏の夜空。


 星が、輝いている。


 希望。


 私は、見つけた。


 自分で、灯した。


 諦めない。


 私は、そう決めた。


エピローグ

 8月31日。


 夏休み最後の日。


 私は、軽音部の練習に参加していた。


 夏ライブの失敗から、2週間。


 毎日、練習に励んできた。


 少しずつ、上達している。


 藤井先輩が、声をかけてきた。


「桜井、いい感じだね」


「ありがとうございます」


「10月のオーディション、楽しみにしてるよ」


「はい!」


 私は、笑顔で答えた。


 帰り道、美月と一緒に歩いていた。


「ひまり、頑張ってるね」


「うん」


 私は、笑顔で答えた。


「美月のおかげだよ。あの時、励ましてくれて」


「当たり前だよ。私たち、友達だもん」


 美月は笑顔で言った。


「これからも、応援してるからね」


「ありがとう」


 家に帰ると、母が夕飯を作っていた。


「おかえり、ひまり」


「ただいま」


 私は、笑顔で答えた。


 夕飯を食べながら、母と話した。


「お母さん、夏ライブ、見てたよね」


「うん」


 母は、優しく笑った。


「失敗しちゃったけど、ひまりは最後まで頑張ってたね」


「...うん」


「お母さん、誇りに思うよ」


 母は、私の頭を撫でた。


「これからも、頑張ってね」


「うん!」


 その夜、部屋で、ヒマワリリスをバッグから取り出した。


 もう、動かない。


 でも、優しく微笑んでいるように見えた。


 ありがとう。


 あなたのおかげで、希望を見つけられた。


 諦めずに、続けることができた。


 次は、9月。


 ツキウサギ。


 感謝。


 私、ちゃんと感謝を伝えられるかな。


 そう思いながら、私はギターを抱きしめた。


 このギターと一緒に、もっと成長したい。


 10月のオーディション。


 絶対に、合格する。


 私は、そう決めた。


 そして、窓の外を見た。


 夏の終わりの夜空。


 もうすぐ、秋が来る。


 私も、新しい季節を迎える。


 希望を持って。


第8話 了


次回:第9話「9月:ツキウサギと感謝」

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