神とそなた
坂井千秋
1
ふらふらと揺れ動くクレーンからぬいぐるみがぽとりと落ちたのを見て、神は激昂した。
「なんたることか、なんたることか」
神は激しく頭を掻きむしった。全知全能たる自分がこのような機械に翻弄されるとは、なんたることか。神は怒りにまかせてクレーンゲームの台をぶっ叩こうとした。すると後ろから肩をたたかれた。
「お客さま、申し訳ありませんが、ほかのお客さまのご迷惑になりますので」
「そなた、この店に仕える者か」
「仕える? ……まあ、そうですが」
「見よ」
神はクレーンから伸びる二本のアームを指さして言った。
「あのような弱々しい腕では、この偶像の重さを支えるには無理がある。即刻、作りなおすべきだ」
「はあ」
神はすでにこのクレーンゲームに五千円をつぎ込んでいた。その程度の金額、神にとっては取るに足らない金額ではあった。しかしこのごろは神に対して祈りを捧げる人間の数も少なくなってきたし、それに伴って賽銭箱の奉納金も以前に比べ集まりが悪くなってきている。神としては、出費はできる限り抑えておきたいところなのである。
神がなおもクレーンの改良の必要性をしつこく訴えていると、店員はうんざりしたような顔で「うち、ほんとはアシスト禁止なんですからね」と筐体のガラス部分を開け、中のぬいぐるみを取りやすい位置に移動させてくれた。
神はそのようなことを望んでいたわけではない。今後このクレーンゲームをプレイするであろうほかの多くの人間たちのためを思い、機械の不備を指摘していたにすぎない。神の怒りは、己のために行使されるものではないのだ。
(このようなこと、わざわざ人間の手を借りるまでもない)
取りやすい位置に移動したぬいぐるみを見て、神は思った。
(自分なら機械に手を触れずして中の偶像を動かすこともできよう)
(やったことはないが、きっとできるにちがいない)
(神にとってはたやすいことだ)
しかし神はあえてそれをしない。人知を超えた力を使うことによって、人間社会に無用な混乱をもたらすのは神の望むところではないのである。けっして、本当は自信がない、などということではない。
神はクレーンゲームに再び百円玉を投じた。ついさっき店員が移動させた「もちきんちゃくん」めがけてクレーンを下ろすが、頭が重いのかやはり容易には持ち上がらない。さきほどはいったん持ち上げるところまではいったというのに。神は湧き上がる憤怒をなんとか抑え込みながら、さらにもう百円を投入口に押し入れる。
近ごろ神はクレーンゲームにはまっているのだった。ほんの何百年か見ないうちに、人間界はずいぶん様変わりした。ちょっと見ない間にこのような愉快なものをつくってしまうとは。万物の創造主たる神にも驚きである。
神は『ようこそおでん御殿』というシリーズのぬいぐるみを集めていた。「もちきんちゃくん」の他に「はんぺん男爵」や「つみれちゃん」など、全十二種類のキャラクターがいる。それらをすべて集めるのが、現在の神の目標であった。
しかしそれはなかなかに容易ではない。クレーンは再び「もちきんちゃくん」を取り落とし、神が投じた百円はまた泡と消えた。
「なんたることか」
神はまた台を叩きそうになった。しかし先刻店員に言われたことを思い出し、自ら拳をおさめた。神ともなると、己の感情を瞬時にコントロールすることなど造作もないことなのである。神はひとつ深呼吸をして、それからまた百円を投入口に入れようとした。そこへ後ろから「ねえ」と声をかけられた。
「なんだ。今度はうるさくしていないではないか」
しかし神が振り返った先にいたのは、先ほどの店員とは違う人間だった。服装を見るかぎり、店員ですらないようである。
「あのさ、そろそろどいてくんない?」
「なぜだ」
「なぜって。だっておじさん、もうかれこれ一時間近くこの台占領してるよね。あたしもこれやりたくて、さっきからずっと待ってんだけど」
おじさん、というのが神のことを指す言葉であることに、神は一瞬遅れて気が付いた。人間界で行動するにあたって適当な人間の体を借りたのだが、どうやら「おじさん」と呼ばれる種類の人間だったらしい。
「そなたもこの偶像に関心があるのか」
「ぐうぞう? 『おでん御殿』のこと? そうよ、集めてんの。ねえ、もういいよね、代わってもらっても。一時間もやったんだからさ」
人間は神を押しのけるようにして筐体に向かうと、さっそくゲームを開始した。神は手持ち無沙汰に横に立っていた。一時間やっていたからなんだというのだ。時間制限があるわけでもないだろうに、などと思いながら。
人間のクレーンの動かし方は神のそれとは少し違った。ぬいぐるみの頭ではなく足のほうにアームを入れている。するとぬいぐるみの体がふわりと浮き、転がるように獲得口の中へ吸い込まれていった。
(なんと……!)
人間は続けてゲームをプレイした。今度は奥のぬいぐるみに狙いを定めると、やはり足のほうにアームを入れる。浮かせては落としを繰り返しながら少しずつ獲得口へと近づけていき、またも見事獲得してしまった。
「うまいものだ」
「おじさん、まだいたの」
「そのような方法があるとは思いもよらなかった」
「軽いほうを浮かせて、ちょっとずつ運んでいくの。ぬいぐるみはつかまないのがコツなのよ」
「なるほど」
いかにもつかむためにあるような機械を、つかまずに浮かせながら運ぶために使うとは。人間の創意工夫の才にあらためて驚かされる神であった。
「まさに万物の霊長。実に見事な発想だ」
「よくわかんないけど、なんかほめられてる? えへへ、ありがと」
おじさん、これあげるよ、と人間は神にぬいぐるみを手渡してきた。それは最前から神が狙っていた「もちきんちゃくん」のぬいぐるみだった。
「よいのか」
「うん。あたし、もともとこっちの『たまゴン』が欲しかっただけだし、『もちきんちゃくん』はもう持ってるからさ。じゃね」
そう言うと、人間は去っていった。
神ともあろうものが、まさか人間から施しを受けようとは。神は些か複雑な心境であった。しかし神は甘んじて受け入れることにした。それを拒まないこともまた慈悲であり、神の懐の深さが為せる業なのである。けっして、ただぬいぐるみが欲しかったわけではない。
(とはいえ、なにかしら礼をやらねばなるまい)
(あの人間に望みの品を訊いておくべきだった)
「おい、そこをゆく者よ」
神は近くを通った人間に声をかけた。それはさきほど神に注意をしてきた店員だった。
「さっきまでここにいた人間のことを知っておるか」
「ああ、顔は知ってますよ。よく店に来るんで」
「あの人間になにかものをやろうと思うのだが、どのような品を喜ぶと思う?」
「あの女の子に、プレゼントをあげたいってことですか?」
「そういうことだ」
「……失礼ですけど、あの子とはどういうご関係ですか?」
「関係などない。さっきここで少し話をしただけだ」
店員はなにか嫌なものを見るような目で神のことを見た。
「そういうの、やめといたほうがいいと思いますよ」
「なぜだ」
「いやだって、むこう明らかに十代だし。言葉は悪いですけど、その、たぶん気持ち悪がられると思いますよ、いきなりプレゼントなんて渡したら」
「なんと。ものをやっても喜ばぬと申すか」
「まあ、たぶん。警察に通報されちゃうかもしれないですね」
ううむ、と神は腕組みをする。ものをやっても喜ばないどころか、役人まで呼ばれてしまうとは。近ごろの人間はずいぶん複雑になったものである。つい千年ほど前ならば、米俵の二、三俵もやっておけば大喜びしていたものだが。
(しかし、よもやこのままというわけにもいくまい)
(さて、どうしたものか)
神は考える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます