最強勇者。のち、黒の悪魔。所により白の騎士。

にしあふ

【第一章】黒の悪魔

第1話 黒の悪魔、夜に笑う

 王都レグナスの夜は、静かすぎるときほど危険だ。


 月は細く欠け、雲の隙間からこぼれる光さえ心許ない。南貴族街の一角は、そんな夜ほど深い影を落とす。その影の底で、ひっそりと「悲鳴が押しつぶされていた」。


「このエルフの嬢ちゃん、高く売れるぞ……。見ろよ、この髪」


「声帯封じも済んだな。明日の競りに回せ」


 表向きは倉庫。だが実態は闇ギルド《ルガルの犬》の臨時拠点。

 縄で縛られた少女たちが横たえられ、その中に──銀紫の髪の少女がいた。


 セリア・ノア=ヴァルス。


 エルフ族特有の青い瞳は恐怖と絶望で光を失っていた。

 彼女は生きる気力を失っているように俯いている。


 男たちの下卑た笑いが近づく。


「こんだけ綺麗なら貴族行きだなぁ。へへっ──」

「売る前に、少し味見してもバレねぇだろ」


 突然、空気が凍った。


 そして──


「……悪い人、見ぃつけたぁ──♪」


 天井から、軽やかな声が落ちてきた。ふざけた調子なのに、底知れぬ寒気を伴う声音。男たちが見上げた瞬間、黒い影がひらりと床へ降りる。


 漆黒のフード。月明かりすら拒む“黒”の塊。


「ひ、ひぃ……っ! く、黒の悪魔だ!」


「あたり〜♪」


 黒の悪魔──アレスは笑い、指先を軽く弾く。


 直後、倉庫に“衝撃音”が連続した。


 何が起こったのか、現場の誰もが理解できなかった。ただ気づけば、男たちは壁や床、天井にまで叩きつけられていた。


「えいっ♪ そこっ♪ はい、次〜♪」


 楽しげな声とともに、残りの男たちも瞬く間に沈黙していく。その動きは異様に軽快で、残酷さよりも“愉快さ”すら感じさせた。


 セリアはうつろな瞳で、その黒の影を見つめた。


(……わたしは……助けられたの?……)


 彼女が理解した瞬間、絶望に染められたモノクロの世界が一気に色づいた。

 声帯封じで声を出せないが、そんなことも忘れ必死に問いかける。


(……あなたは誰?……誰なの?)


「さてさて〜、簀巻すまきターイムっ♪」


アレスは縄束を肩に担ぎ、倒れた男たちをずるずる集め始めた。


「うん、三人セット。身長そろってて助かる〜。君たち、横に並んで、はーい整列♪」


「や、やめ……!」


「動いちゃダ〜メ。はい、ぐるぐる〜……ぎゅっ。 苦しいところある?」


「く……鼻が……!」


「鼻の穴は開けとくね♪ でも口は閉じとこっか。噛む人いるから」


「(ちがっ……口を開けて……!)」


 男の悲痛な訴えを、アレスは笑顔でスルーする。


 やがて整えられたのは、美しい三連簀巻さんれんすまきアート。

等間隔、巻きも均一。技術の無駄遣いである。


「今日の出来、いい感じ♪」


 アレスは胸元から紙片を取り出し、筆を走らせる。だが、書かれた文字は恐ろしく汚い。


『罪状:人身売買および監禁

 場所:南貴族街9番地

 黒の悪魔が断罪した。

 生かす価値なし。法に委ねる。

 よろしくね♡』


 現場の惨状と手紙の字、最後のハートマーク。総じて狂気じみている。ちょっとしたホラーである。


「ガルド〜、配達お願い」


「……あいよ。だがアレス、お前の字は本当に読めん」


「え? 今日めっちゃ丁寧に書いたよ。

 ♡とか、気持ちこめて……」


「その♡……必要なのか?……」


 獣人のガルドがため息をつきながら、手紙を持って外へ跳ぶ。アレスはその間に、縛られた少女たちへ視線を向け、軽い足取りで近づいていた。


 銀紫の髪の少女──セリアの前で足が止まった。

 アレスはしゃがみ、フード越しにそっと微笑んだ。


「声、出せないみたいだね♪

 でも大丈夫。もう君を売る連中はいないよ。」


 その声は驚くほど優しかった。

 黒の悪魔というにはあまりにもイメージと違っていた。

 そして、フードから覗く、まっすぐな瞳。


「もうすぐ衛兵がくるから。

 怖かったでしょ。安心して♪」


セリアは、涙をこらえながら強く頷いた。


声が出せなくても“ありがとう”と伝わる頷き方だった。


「じゃ、俺は次のお仕事いってきまーす♪

 夜は長いからね!」


アレスは軽く手を振り、闇へ溶ける。


倉庫には、並べられた簀巻き《すま》三つと、涙目の少女たちだけが残った。



◆王都・衛兵詰所


「黒の悪魔からの手紙だぞー!」


「字が……読めねぇ! なんて書いて……!」


「貸せ。これは“南貴族街九番地”だ。毎回同じ文面だろ」


「てことは、“また”簀巻すまきだな……!」


「アレ、重いんだよなぁ……腰にくる」


 詰所は毎度の騒ぎだが、そこには恐怖だけでなく、微妙な敬意も混じっていた。


「あの……黒の悪魔って、本当に悪なのか?」


「建前上は“狂気の殺人者”だ。だが……被害者が救われてるのは事実だ」


「黒いフード、ちょっと憧れるんだよな……」


「バカ言うな! さっさと現場行くぞ!」



◆南貴族街九番地・倉庫


 セリアは倉庫内を見回した。黒の悪魔はいない。でも、声にならない想いがずっと喉に残っていた。


 声帯封じの魔具はまだ外れていない。

 声は出せない。

 ただ心だけが震えている。


(怖かった…けど、まっすぐな瞳……あの声……好き。)


 黒いフード。優しい声。まっすぐな瞳。忘れられるわけがない。


 衛兵が駆けつけてきた。


「被害者だ! すぐ保護しろ!」


 マントを掛けられ、その暖かさにまた涙が出そうになる。そして、セリアの視界に“黒の悪魔の手紙”が映った。


──汚い文字。


 本当に、びっくりするほど汚い。でも、なぜか胸がくすぐったくなった。


(こんな字……書いてるんだ……)


「隊長! 全員、生存確認しました!」

「わかった! 簀巻き回収して戻るぞ!」


 衛兵たちの騒ぎ声。

 その中でセリアは胸に手を当てた。


(わたしには……あの人しかいない。)


 声にはならない決意。


 彼女の心は、はっきりと黒の影を求めていた。

 この夜、セリアにとって「黒の悪魔」は、この世界を彩る光となった。




◆夜明け前


 アレスは屋根の上で風に吹かれながら、大きく伸びをした。


「ふぁ〜……今日もよく巻いたなぁ」


「……お前、あれ天職じゃないか?」


「天職が簀巻≪すま≫きってなに……?」


 フードを外すと、ただの青年の顔になる。

 黒の悪魔の狂気は影も形もない。


「今日奴らから奪ったカネとかは、全部“白の住処”に回すのか?」


「もちろん。俺が持ってても意味ないし」


「……本当に変わってるな」


「変わってるのは、世界の方だよ」


 軽やかに笑うアレスの瞳には、まだ消えない影が宿っていた。


 夜が明けかけている。そして、王都のざわめきは、これから始まる。



 “黒の悪魔がまた断罪した”という噂が、王都を揺らした。


 だが誰も知らない。


 その黒い影が、朝日が昇る頃にはただの青年に戻り、昼には“勇者アレス”として依頼を受け、深夜には“白の騎士”として行き場を失った孤児達の居場所を護っていることを。

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