その可愛いは呪いだった ~可愛いと言われて震えるアラサー地味メガネ(男)、営業部のデカい後輩イケメンに落とされかけている

日伸一郎

序章 先輩のこと、好きです。リスペクトって意味です─

冒頭


「先輩のこと好きです、でもリスペクトって意味です。」

爽やかな笑顔の後輩が俺に歩み寄る。残業終わりの二人しかいないオフィス。

俺は適当にいなして、さっさと帰りたかった―― だが、

「嘘です、本当に好きって意味です。」

そう言うや後輩はデカい身体で俺を後ろから抱き留めた


序章


スーツ越しに感じる腕の重さに、思わず息が詰まる。

その瞬間、俺の頭は高速回転を始める


いや…俺男だし。あ、そっか。今はそういうのもアリの時代か。

でもほら、俺はイケメンじゃないし。どっちかって言うと地味メガネだし――いや、モロ地味メガネだし。今風の言葉で言えば陰キャってやつだし。


そんな言い訳を、頭の中ではめちゃくちゃ早口で並べているくせに、実際に口から出たのは、

「……あ、そう」

それだけだった。


「…『あ、そう』だけですか?俺、すっごい勇気出したんですけど、もっとこう、何か…反応が欲しいです。」


胸の前に回された後輩の腕はゆるく俺を抱き留めたまま、不満げな声が俺の耳元に直撃した。

その声に促されるように俺の脳みそは再起動する。


無理無理無理。こんなの想定の範囲外だって。逆ホリエモン案件。

どうすんだこれ。俺、女とも付き合ったことねーのに、いきなり難易度SSランクの恋愛とか、普通にゲームバランス崩壊してるでしょ。

……あ、ヤバ。今日荷物の受け取りあるんだった。なんで今それ思い出したんだ俺。現実逃避にもほどがある。

今って19時だよな?じゃあこの流れ、このまま夜……!?ちょっと待て、

俺、知らないけど、告白からセックスってこんな早いの?

いやいやいやいや!今夜抱かれるのは絶対いや!っていうか、どっち!?俺が抱くの? 抱かれるの?どっちにしろ詰みなんだけど……

……あーもう無理だ、脳みそショートする……


だが旺盛な思考と比して口から出た言葉は素朴だった


「……うん、あ、困ったな……」


ふっ、と笑った後輩の息が俺の後頭部から耳をかすめる。身長差は10センチ以上ある。


「『困ったな』、ですか。ふふっ、先輩、顔、真っ赤ですよ。

……でも、何に困ってるのか教えてくれないと、俺もどうしていいか困っちゃいます。

俺が先輩を好きなこと?

それとも、俺が男だから?

……もしかして、本当は嬉しいのに、なんて言えばいいか分からなくて、困ってるんですか?」


回された腕の力は、じわじわ強くなっている気がする。

スーツ越しにも、後輩の心音が聞こえそうだった。

それでも一番うるさいのは、自分の脳みそがフル回転している音だ。


嬉しい? 俺、嬉しいのかこれ。イケメンに告白されて?いやいやいや、俺は巨乳ギャルが好きなはずだろ。そういう設定だったろ俺。

ヤバい、なんか言わなきゃ。でも何も思いつかない。どうしよう。

ていうか後輩ってこんな喋るやつだったか?もっと素朴な田舎男子じゃなかった?なんで急に恋愛強者みたいな詰め方してくるの。

ヤバい、これボス戦だ。いきなりラスボス来た感じのやつだ。装備が……装備がねえ……!

とりあえず、緊急回避。なんか言え、俺の口。頭は死んでるから、お前が適当に動け……!


俺の脳みそというヘボ上司から無茶ぶりされた、哀れな部下である口は仕方なしにサイを投げた


「あ、その……俺さ、巨乳のギャルとかが、タイプなんだよね……」


後輩は、ふーん、と俺を値踏みするような返事をした。こいつは背がデカいわりに声が優しい


「ふーん、巨乳ギャル、ですか。なるほど。

……でも、それって『俺は男の人が好きじゃない』って意味には、ならないですよね?それに、今すっごい顔赤い人が言っても、あんまり説得力ないかな。

…もしかして、俺のこと意識しすぎて、必死に『好きじゃない理由』を探しちゃってるだけだったりして?可愛いですね、先輩」


何故か胸が苦しい。腕の力が強まっているはずだ。緋色の後輩のスーツが真っ黒な喪服のような俺のスーツと擦れる音がする。だが俺の脳みそは後輩に煽られて多少元気を取り戻した。


お? なにこいつ、議論する気か。俺にレスバ挑むとは、いい度胸してんな……返り討ちにしてやるぜ。

まずだ、顔が赤いのは、ちょっとパニクってるからであって、決してお前が好きなわけじゃない。

「男の人が好きじゃないって意味にはならない」──それはそう。でも、仮に男が好きだったとしても、それと「後輩が好き」かどうかは別問題なわけで。

……あれ?俺、男が好きだったかな……?

……ま、まあいいや。今その棚は開けないでおこう。

説得力の話もおかしい。説得力ってのはお前の理屈であって、俺の顔色は関係ないだろ。論点すり替えだ、減点。

それに「意識してるかどうか」なんて、触られてたら嫌でも意識はする。

だから今必要な結論はひとつ──

そうだ、「離せ」だ。今すぐ離せ。俺を解放しろ。

これでいい。好きじゃない理由も探してない。俺はただ、離してほしい。

完璧だな、よし言うぞ──

……可愛い。

ちょっと待て。今、最後に「可愛い」って言ったよな?

あ、ヤバ。なんか心の中、急にあっつ……。嘘だろ、俺、可愛いって言われんのダメなのか……?

ヤバいヤバいヤバい、何これ。こんなの知らないんだけど。


やっつけ仕事で片づけるように、俺の口はストレートに言葉を吐き出した。


「か、可愛いとか言うな……」


見ている。明らかに俺の顔を見ているこいつは。しかもちょっと生意気な表情をしているはずだ…クソ、なんだ、何か言うんだろうどうせ


「…ダメですよ、先輩。そんなに可愛いこと言ったら、もっと言いたくなっちゃうじゃないですか。…言われるの、嫌ですか?

でも、すっごいドキドキしてるの、俺に伝わってますよ。心臓の音、うるさいです。」


腕の力は絶対に強くなっている!じゃなきゃこんなに胸が苦しいはずがない。馬鹿力が…と毒づく俺の心を見透かしたように後輩は畳みかける


「必死に難しいこと考えて、俺から逃げようとしてるところも、

全部バレてるとも知らずに、顔真っ赤にしてるところも。

そして、たった一言『可愛い』って言われただけで、

思考を全部止めちゃって、俺の腕の中で固まってる今も」


「……ぜんぶ、ぜんぶが、たまらなく可愛い。

俺だけの、可愛い先輩だ」


「ひゃうっ……♡」

自分の口から出た声に、俺が一番びっくりした。しかし、はっきりとその声を自覚した瞬間、俺の脳みそは妙な悟りに向かい始めた


今の、完全にエロゲのヒロインが抱かれる時のやつじゃん。なにやってんの俺。

──分かった。俺、今、自分が完全にコントロール不能な状況に置かれてる。

こいつは、とんでもない恋愛強者だ。多分エッチも猛烈に上手い。知らんけど。想像でしかないけど。

このままだと、めちゃくちゃにされる。多分、女の子にされちゃう。俺が。

……というわけで、子供たち?お兄さん、今すっご〜くピンチなの。夏休みの宿題の〆切みたいにじわじわ来るやつじゃないんだよ、大人のピンチって。急に来るんだよ。今みたいに。

どうしよう。ごめんなさい母さん。俺、今から背の高いイケメンに愛されちゃう……そんな息子で、本当にごめ──


ブッーブッー。

無慈悲に、だけど救いの手のように、ポケットの中でスマホが震えた。

「あ!?」

現実に引き戻されて、俺は思わず後輩の腕からするりと抜け出す。

「あ、はい! いや今すぐ帰ります!はい、荷物の受け取りですよね!?あー分かりました、すみません!」

こうして俺は、宅配便の不在連絡に助けられて、どうにか後輩を振り切ることに成功した。

──しかし、物語はまだ始まったばかりだ。

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