【第16話】『三十人の牙』

リーゼロッテは、木々の間を音もなく進んでいた。


足音を殺し、気配を消し、影のように森をける。元特級とっきゅう監察官かんさつかんとしての技術は、身体にみ付いている。こういった隠密行動おんみつこうどうは、得意分野だった。


フィーナの話では、密猟者みつりょうしゃたちは南から来ているという。

森の南側——昨日フィーナが話していた、テントが張られている場所。

そこが、連中の拠点きょてんのはずだ。

やがて、木々の密度が薄くなり始めた。

リーゼロッテは足を止め、大きなかしの木のかげに身を潜めた。そっと顔を出し、前方をうかがう。


——予想以上だった。


森の中に、ひらけた空間があった。

おそらく、以前は小さな湖か沼地ぬまちだったのだろう。今は干上ひあがって草地になっている。そして、その草地には——無数のテントが立ち並んでいた。

十張り。いや、それ以上。

テントの周囲には、武装した男たちがうろついている。剣を帯びた者、弓を持った者、槍を構えた者。

一目で、ただの密猟者みつりょうしゃではないと分かった。

傭兵ようへいくずれか、あるいは元兵士か。

いずれにせよ、戦いに慣れた者たちだ。

リーゼロッテは、まゆをひそめた。


——これは、まずいわね。


単純な密猟団みつりょうだんではない。組織的で、統率とうそつが取れている。

これだけの人数を動かすには、相当な資金しきんと、それをたばねる指揮官しきかんが必要だ。

その時——テントの一つから、男が姿を現した。

大きな男だった。

身長はゆうに二メートルを超えているだろう。筋骨隆々きんこつりゅうりゅう体躯たいくに、傷だらけの顔。左目には眼帯をつけており、残った右目はけもののように鋭い。

周囲の男たちが、その男に道を開ける。明らかに、この集団の頭目とうもくだった。


「ガルド様」


部下の一人が、頭を下げて近づいてきた。


斥候せきこうが戻りました。獣人じゅうじん小娘こむすめ居場所いばしょ、特定できたとのことです」

「そうか」


ガルドと呼ばれた男は、低い声で答えた。

その声は、地の底から響いてくるように重かった。


「どこだ?」

「北の森の奥、古い大樹たいじゅの近くです。どうやら、そこを隠れ家にしているようで」

「ふん。五年も逃げ回っていたわりには、大した隠れ場所じゃないな」


ガルドは、腕を組んだ。


「それで、『ロナンの涙』は確認できたのか」

「はい。首から下げていたと。間違いなく、目標のアストレアです」

「よし」


ガルドの唇が、獰猛どうもうゆがんだ。


「『ロナンの涙』は、必ず手に入れる。依頼主は、高く買うと言っている」


依頼主。リーゼロッテは、その言葉に耳を澄ませた。


「しかしガルド様、少々厄介やっかいなことが」

「何だ?」

獣人じゅうじん小娘こむすめそばに、二人の女がいるようです。一人は銀髪、もう一人は金髪。魔法使いらしき気配けはいがあったと」


ガルドの目が、わずかに細くなった。


「魔法使いだと?」

「はい。斥候せきこうの話では、銀髪の女は相当な手練てだれのようで——」

「構わん」


ガルドは、一蹴いっしゅんした。


「魔法使いが二人三人いたところで、この数には勝てん。力押しで潰せ」

「しかし——」

「依頼主は、『ロナンの涙』さえ手に入れば、他はどうでもいいと言っていた。女どもは殺しても構わん」


冷酷れいこくな言葉だった。人の命を、虫けらのように扱う口調。


「夕刻に動く。日が沈む前に、決着をつけるぞ」

「了解しました」


部下が頭を下げ、去っていく。

ガルドは、腕を組んだまま北の空を見上げた。


「待っていろ、小娘。すぐに捕まえてやる」


その声には、獲物えものを追いめる猟犬りょうけんのような残忍ざんにんさがあった。


リーゼロッテは、静かにその場を離れた。

見た限り、敵の数は三十人以上。全員が武装しており、戦闘経験も豊富そうだ。正面から戦えば、勝ち目は薄い。

そして——「依頼主」の存在。

密猟団みつりょうだんやとい、『ロナンの涙』をねらわせている何者か。

五年前の虐殺ぎゃくさつも、同じ人物の仕業だろうか。

リーゼロッテの脳裏のうりに、一つの名前が浮かんだ。

けれど、それを確かめるすべは、今はない。


——とにかく、戻らなければ。


夕刻ゆうこくに攻撃が来る。それまでに、対策を立てなければならない。

リーゼロッテは、森の奥へと駆け出した。

木々の間を縫い、影を跳び、風のように走る。

フィーナとユーリアが待つ、あの広場へ向かって。

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