砂糖と綿花の方程式

桜 心愛

プロローグ

あるいは、彼女が卒業して成人するまで秘めていた彼の気持ちのすべて


教師にとって生徒とは、毎年繰り返し花を咲かせる桜の樹みたいなものだ。

春に芽吹き、翌年の春に再び咲いては散っていく。


私たちの仕事は、四季の移ろいに身を委ねながら、桜が健やかに成長できるよう学びを支えること。


同じ木の幹から枝を伸ばして咲く、無数の花。

そのどれか1つを見つめ続けてしまっては、この仕事は成立しない。

ましてや、花の枝を選び取って手折ることなど、到底許されることではない。


けれど、稀に。

一生に一度という確率で。

ほとんど気づかないほど穏やかに——

けれど確実に、心に沈む生徒がいる。


控えめな性格で、目立たず、人混みに紛れてしまいそうな子。

それなのに、気づくと目で追っている。


教室の後ろの窓際で、ページをめくる指先がかすかに迷っている瞬間。

廊下ですれ違うときの、ゆっくりとした歩幅と、独り言に近い呼吸。


そういう些細なものが、なぜか胸のどこかに残響のように触れる。


ひとさじの白砂糖のような、ささやかなで、胸に甘く染み込む無垢な優しさの結晶。


一見、ふわっと儚いように見えても、真っ直ぐな芯が通っている綿花のような心。


触れれば壊れてしまいそうなほど繊細で、だけど、一度あの甘さを知ってしまったら、離れがたくて。

駄目だと分かっていても、心惹かれてしまう、数式では説明できない存在。


こずえ 透羽とうわは、まさにそんな生徒だった。


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放課後に2人きりで数学の補習指導をした日。

静まり返った教室で、彼女は小さく首を傾げていた。


「どうしてこの式は、ここに繋がるんですか……?」


その言い方が、妙に印象に残った。

それは、正答を求めているというより。

世界の仕組みを確かめようとする、独特の問い方だった。


私にとって、その姿勢はどこか懐かしく、そして危うかった。

自分の中に、忘れかけていた何かを思い出させる気配があった。


教師としての線引きを強く意識したのは、その日の帰り道だった。


____距離を間違えるな。


そう自分に言い聞かせたのは、本当はもう、その時点で何かが揺れていた証だ。


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彼女が3年生になり、私は彼女の担任ではなくなり、廊下ですれ違うだけになった日々。

少しずつ、彼女との距離が遠のいていく。

それが当然のことなのに、どこか胸がざらついていた。


まるで、何か大事なものがそっと遠ざかっていくような——

そんな、説明のつかない違和感だけが残った。


3年生に進学し、私がいなくても問題なく数学で良い成績を取れるようになった彼女の成長は、去年に引き続き2年生のクラスを受け持つ私を置いて先に進んでいるような気がした。


私だけが、彼女のことを忘れられないのだと思っていた。


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卒業式の放課後。

彼女は、私に手紙を差し出した。


「先生から教えてもらったことは、きっといつまでも忘れないと思います」


その一文は、桜が散る音よりも静かに、けれど確かに胸に落ちた。


忘れられなかったのは、私だけじゃなかった。


その事実を知った途端。

恋だと認めるにはあまりに危うい、今まで理性で蓋をしていた気持ちが、溢れてしまいそうで。

彼女の言葉でほどかれそうな胸の内を、再び硬く結び直した。


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彼女が卒業してから、私の心に残った空白。

その埋め方を、方程式の未知数の値を求めるかのように探し続けた。


その答えが見つかったのは、彼女が卒業してから5年が経った、ある日の同窓会のことだった。



同窓会の連絡が来た日、私の脳裏に、彼女と過ごした日々の記憶が鮮やかに蘇った。


思い返すと、私と彼女の始まりは、あのときだった。

あの瞬間から、何かが動きだしていたんだ。

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