第6話 正義が迷子になるとき(Fラン勧善懲悪魔導士メイリ)
灯街の午前は、基本的にうるさい。
荷車のきしむ音と、店主たちの呼び声。子どもの笑い声。たまに客の怒鳴り声。
その日も、だいたいいつも通りだった。
途中までは。
「財布がねえぞ、おい!」
ざわ、と空気が変わった。
怒鳴ったのは、太い腰巻をした商隊の親父だ。大きな袋を肩に担ぎながら、帯のあたりをばしばし叩いている。
「さっきまでここにあった銀貨が、跡形もねえ!」
「またスリかよ」「この通り、多いんだよなあ」
通行人たちが、半歩ずつ距離を取る。
「誰か見なかったか! 銀貨十枚分だぞ、十枚!」
銀貨十枚。庶民の一週間分くらいの生活費だ。
「スリ、ですか」
《つぎはぎ亭》の二階の窓から、それを見ていたユノが小さくつぶやいた。
「どうする、レオンさん」
「まだこっちが呼ばれてない。手は出しづらいな」
俺は帳面を閉じた。
「スリはギルドと見回り兵の仕事だ」
「でも、誰かが間違って裁かれたら、バッドエンドじゃないですか?」
「だから、余計に慎重になるんだ」
その時だった。
「悪人はどこですか!」
やけに元気な声が、灯街に響いた。
人垣が、どさっと割れる。
「うお、出たな」
思わず口から出た。
通りの真ん中に、明るいピンクのセミロングの女の子が立っていた。
ピンクの髪を高い位置でひとつ結びにして、マントをひるがえし、胸を張っている少女。
「悪人は、どこですか!」
さっきと同じことを、もう一度言った。
「……誰だありゃ」
「見ねえ顔だな」「魔導士か?」
ざわつく中で、本人だけはやたらノリノリだ。
「わたしの名はメイリ・ノット。勧善懲悪専門魔導士!」
マントの裾をばさっとはためかせて、ポーズを決める。
「悪を見つけてぶっ飛ばすために、この街に来ました!」
「ぶっ飛ばすって言ったよこの子」
ユノが、窓の外を見ながら小声でつぶやいた。
「元気ですね」
「元気すぎるくらいだな」
俺は椅子から立ち上がった。
「行くぞ」
「もうですか」
「こういうタイプは、放っておくとだいたい何かやらかす」
◇
「で、どこですか、悪人」
メイリは、腰巻の商隊の親父の前にずい、と歩み寄った。
近くで見ると、顔立ちは普通に可愛い。大きな瞳と、健康そうな頬。口調は元気だが、どこか抜けている。
「財布を盗んだ人がいるんですよね!」
「あ、ああ。銀貨十枚、丸ごとだ」
「じゃあ、その人を見つければいいんですね」
メイリはくるりと周囲を見回した。
「みなさん、ここに“心から悪いことをした”人はいませんか?」
「自分で名乗り出るわけねえだろ」
「そうですよね!」
即答した。
「じゃあ、わたしが見つけます!」
メイリは胸元のペンダントに手を当てた。魔導士用の小さな触媒だろう。
「善と悪の天秤よ、わたしの“悪い”に応えて!」
足元に、薄い魔法陣が浮かび上がる。
ピンクがかった光が、じわじわと広がっていった。
「うわ、なんだ」「魔法か?」
人々が一歩ずつ後ろへ下がる。
メイリは目を閉じて、ゆっくりと呼吸を整えた。
「“本当に悪いことをした”人だけに、裁きの雷を落とします」
手を掲げる指先に、白い光が集まる。
「ちょっと待て」
その腕を、俺がつかんだ。
「わっ」
メイリが目を開ける。
「今、いいところなので邪魔しないでください!」
「今、一番邪魔した方がいいところだ」
俺は、広がりかけていた光の輪を足で踏んだ。魔法陣は、きい、と嫌な音を立てて揺らぐ。
「勧善懲悪魔法は、“お前の頭の中の善悪”がそのまま出るタイプだろ」
「え、知ってるんですか」
「俺の仕事柄な」
メイリの手のひらに集まっていた光が、少し揺れた。
「今ここには、“見た目だけなら怪しそうな奴”も、“事情があるかもしれない奴”も、まとめている。そういう場所でぶっぱなす魔法じゃない」
「でも、悪人はぶっ飛ばさないと」
「誰が悪人か、決まってないだろ」
「……スリした人です」
「そいつの事情は?」
メイリが、言葉に詰まった。
「……事情?」
「腹が減っていて、子どもに食わせるパンをどうしても買いたかったのかもしれない。遊びで盗んだのかもしれない。誰かに脅されてやったのかもしれない」
俺は、商隊の親父と周囲を見渡した。
「お前は、この場の全員の事情を全部知っているのか」
「……知りません」
「分からない相手に、“これは悪だ”と断言できるのか」
メイリの手のひらの光が、音もなくしぼんだ。
「でも……」
目だけは、まだ迷っている。
「銀貨十枚、盗られたんですよね。わたしの友達は、同じくらいの額を、理不尽な賭けで全部持っていかれて……」
言いかけて、口をつぐんだ。
魔法陣が、きい、とひび割れるような気配を見せる。
その瞬間、メイリの頭上で、ぱちっと小さな火花が散った。
「わっ」
危うく、自分の頭に落ちるところだった。
「ほら見ろ。自分に落ちかけてる」
俺は、手を放さないまま言った。
「その魔法、“迷いながら撃つと自分側に跳ね返る”んだろ」
「……はい」
メイリが顔をしかめる。
「
頭の横を、細い雷がかすめた。髪の先が、ぴょこんと焦げる。
「あぶな」
「自分か、味方に落ちます」
「仕様が怖すぎる」
「仕様とか言わないでください!」
メイリは半泣きで叫んだ。
「だから、ちゃんと“悪人”だけに落としたいんです!」
「悪人の線引きを、誰も手伝ってないのにか?」
「……」
メイリの目が、少し泳いだ。
「今まで、どうしてた」
「盗賊団とか、山賊とか、明らかに悪い人たちが相手の時は、大丈夫でした。村を襲っているところを見つけて、“悪い!”って思いきり思って撃ったら」
メイリの指が、少しだけ震える。
「ちゃんと、悪い人だけ焼けました」
「“だけ”?」
「ちょっと周りの物も燃えました」
「駄目だろそれは」
後ろで、誰かがごくりと唾を飲み込んだ。
「あと、その……」
メイリの視線が、ほんの少しだけ遠くを見る。
「ダンジョンのモンスター相手にも、試したことがあります」
「モンスター?」
「はい。冒険者の人たちと一緒に、依頼で」
ピンクの髪が、かすかに揺れた。
「“洞窟の奥に群れている魔物を討伐してくれ”って。依頼書には“近くの村を襲う危険あり”って書いてあって」
「実際は?」
「まだ“襲った”記録はなくて、“襲うかもしれないから先に片づけろ”って話で」
メイリは、両手を握りしめた。
「だから、すごく迷いました。“本当に悪いのは、このモンスターたちなのか”“勝手に住処に踏み込んでいるのは、わたしたちじゃないのか”って」
ユノが、小さく息をのむ。
「それで?」
「“でも、村が襲われてからじゃ遅い”って言われて。わたしも、“それもそうだ”って思い込もうとして、魔法を構えて」
メイリは、自分の右手を見つめた。
「“悪い”って言い聞かせながら詠唱したんです。“ここで倒せばきっと村が守れる”って」
「落ちたのは?」
「わたしの頭でした」
さらりと言うには、痛そうな内容だ。
「洞窟の入口で、“やっぱり決めつけていいのか分からない”って思ってしまって。その瞬間、雷がぐるっと戻ってきて」
「自分に直撃か」
「はい。髪焦げました」
メイリは、髪の先をつまんだ。
「一緒にいた冒険者さんたちにも、“何やってんだこの危険魔導士”って怒られて。モンスターは、その隙に奥へ逃げました」
「被害は?」
「そのあと、別のパーティがちゃんと駆除したみたいです。“普通に剣で殴った方が早い”って」
メイリは、悔しそうに唇を噛んだ。
「それから、“モンスター相手でも迷うなら撃つな”って言われて、討伐依頼から外されました」
「……まあ、外されるだろうな」
俺は、ため息を一つ飲み込んだ。
「それでも、“本当に悪いのかどうか”考えちゃうんですね」
ユノが、ぽつりと言う。
「モンスターだからって理由だけで、まとめて“悪い”って言い切れないのは、分かる気がします」
「でも、そのせいで、仕事にならないです」
メイリが、情けなさそうに笑った。
「明らかに悪い奴には撃てるのに、“もしかしたら”って思った瞬間、自分に落ちてくるんです」
「そこだけ聞くと、ちゃんとブレーキがついてる魔法だな」
俺は、メイリの頭の焦げた毛先を眺めた。
「ブレーキがきつすぎて、自分の首を締めてるけど」
「それ、慰めてます?」
「半分は」
ざわつく人の輪が、さらに下がる。
「おい、あいつ、危ない魔導士じゃねえか」「こっちにも飛んでくるぞ」
「とりあえず」
俺は、声のトーンを少し落とした。
「一回、場所を変えよう」
「でも、悪人が逃げちゃいます」
「逃げたっていい。今ここで魔法事故が起きるよりマシだ」
商隊の親父に向き直る。
「悪かったな。うちの店で、一回話を聞かせてもらえないか。盗られた額と、財布の特徴と、心当たり」
「店?」
「クソスキル
「……なんでそこでスリの話を」
「この魔導士も、Fだからだ」
「レオンさんひどいです」
メイリが抗議する。
「わたし、勧善懲悪専門ですよ。こう見えて正義感は本物なんですよ」
「それは後でゆっくり聞く」
俺はメイリの肩を叩いた。
「どうせなら、“誰を悪人と決めるか”の話を、ちゃんとやった方がいい」
「……そんなの、やったことないです」
「だからここでやる」
◇
《つぎはぎ亭》のテーブルに、三人分の顔が並んだ。
スリ被害者の商隊の親父。
勧善懲悪魔導士メイリ。
そして、隅の席で帳簿を閉じたセレス。
「事情聴取といいますか、ゆるゆる裁判といいますか」
セレスが、柔らかく笑った。
「とりあえず、お話からです」
「なんで神官までいるんだここ」
商隊の親父がぼそっと言う。
「請求書と罪状を同時に見るのが得意なんです」
「怖いこと言わないでください」
ユノは、メモとペンを持ってテーブルの端に座った。
「被害者代表:商隊の方。魔導士側代表:メイリさん。司会進行:レオンさん。天界と金の監査役:セレスさん。……なんか、すごいメンバーですね」
「裁判ごっこするには贅沢だな」
俺は商隊の親父に向き直る。
「まずは、盗られた額と状況から」
「銀貨十枚だ。ちょうど今日の分の支払い分。腰巻に入れてた」
「いつ気づいた」
「さっきだ。荷を降ろそうとして、手を突っ込んだら空っぽで」
「この通りに来てから?」
「いや、その前にも何か所か回ってる。門前の酒場で一杯やって、荷受所で書類出して、それから灯街に来た」
「酒場で酔っぱらってる時もあったんですね」
ユノが、さらりと言う。
「……まあ、少しはな」
「財布から銀貨を出したのは?」
「門をくぐる時の通行料で一枚。酒代で二枚。荷受所で手数料で一枚。そこまでは数が合ってた」
「数えてたのか」
「金の数だけはきっちりするのが商売ってもんだ」
そこは好感持てる。
「灯街に入ってからは?」
「まだ出してない。だから、この通りのどこかで抜かれたとしか」
「なるほど」
俺はメモを一度閉じた。
「メイリ」
「はい」
「今の話を聞いて、“誰が悪人だ”って言えるか?」
「……まだ言えません」
メイリは唇を噛んだ。
「でも、“誰かが悪い”のは間違いないです。銀貨十枚、勝手に消えるなんてありえませんから」
「あ、でも」
ユノがそっと手を挙げる。
「クソスキルのせいで“勝手に減る財布”もいました」
「いましたね」
セレスが頷いた。
「ただ、今回はさすがに“自動寄付”とは別件だと思います」
「自動寄付?」
商隊の親父が首を傾げる。
「いろいろあって、そういうスキル持ちもいたんです」
説明すると長くなるので、省略する。
「メイリ」
「はい」
「お前の魔法が、“迷いながら撃つと自分たちに落ちる”理由、鑑定書では何て書かれてた」
メイリは、腰のポーチから折りたたまれた紙を取り出した。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
スキル名 勧善懲悪魔法(アークジャッジ)
補足 使用者が「悪」と強く認めた対象にのみ、選択属性の高威力魔法が発動する。善悪判定に迷いがある場合、魔法は不発または使用者側に反転する。
戦闘適性 B
生活適性 F
総合評価 F
備考 “危険思想を持つ者には持たせないこと”。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「危険思想って書かれてますね」
ユノが、ちょっと距離を取る。
「読まなくていいところまで読まないでください!」
メイリが紙を奪い返した。
「でも、“悪だと決めつけない人”には向いてるとも言えます」
セレスが、紙の残像を頭の中で読み返す。
女神】『“迷うくらいなら撃つな”って、天界のスキル説明欄にちゃんと書いといたはずなんだけど?』
「女神さま、黙っててください」
セレスが、天井を見ないまま小さく言った。
「今、“説明欄には書いといた”って言いましたね。紙に書くだけじゃなくて、持ち主の頭にもちゃんと叩き込んでください」
【女神】『危ない魔法なんだから慎重に使えって紙だけじゃ伝わらなかったか〜』
「その“慎重に”を本人に丸投げしてるのが問題なんです」
【女神】『……本人がなんとかするもんじゃないの? 』
「やれやれ……、なんとかします」
セレスは、話を戻した。
「メイリさん。この魔法、誰かに“撃て”と言われたことは?」
「あります」
メイリは、少しうつむいた。
「村の人に、です。“あいつは悪人だから、裁いてくれ”って」
「どんな相手に?」
「税金をごまかしてた商人さんとか、弱い人から高い利子を取ってた金貸しとか……」
メイリの目が、少し陰る。
「あと、“何も悪くないのに、たまたまそこにいたから”って理由で、親友を巻き込んだ馬車の御者」
空気が、一瞬だけ重くなった。
「……それで」
俺は、ゆっくりと聞いた。
「撃ったのか」
「撃てませんでした」
メイリの拳が震える。
「村の人は、“親友の仇だ、裁いてくれ”って言いました。“あいつが全部悪いんだ”って」
ピンクの髪が、かすかに揺れた。
「でも、わたしには、そこまで言い切れませんでした。馬車の御者さんは、謝ってました。泣きながら、“見落とした自分が悪い”って」
メイリの声が、少しだけ低くなる。
「だから、撃てませんでした」
「撃てなかった、んですね」
ユノが息を吐く。
「撃とうとしたら、自分の手がしびれました。雷が、逆流して」
「で、そのあと村の人から“役立たず”って言われた、と」
「よく分かりますね」
「だいたいそういう話だからな」
俺は、テーブルに指を置いた。
「メイリ」
「はい」
「お前は、“誰かが悪人だと決めてくれたら、それを信じて撃つ”タイプか。それとも、“自分で決めたい”タイプか」
「自分で、決めたいです」
メイリは、即答だった。
「じゃあ、“自分で決める練習”をここでやる」
「練習?」
「そうだ」
俺は、商隊の親父に向き直った。
「悪いが、さっきの話をもう一度、“被害者の気持ち”としてユノに説明してやってくれ」
「は? なんで娘に」
「“被害者の気持ち”を整理する役がいる。ユノはそういうの得意だ」
ユノは、メモ帳を構えた。
「お話、ちゃんと書き起こします。怒ってるところも、困ってるところも」
「……まあ、いいか」
親父は、ぶつぶつ言いながらも話し始めた。
銀貨十枚がどれだけ大事か。商隊の仲間に顔向けできないこと。今後の取引に影響が出ること。
ユノは、うんうんと頷きながら、要点だけを書いていく。
「被害者サイドの“正直な気持ち”、だいたいこんな感じです」
メモをテーブルの中央に出した。
「“許せない”と“でも見つからないかもしれない”が、ごちゃごちゃになってます」
「う」
親父が、ちょっと気まずそうに咳払いした。
「セレス」
「はい」
「天界と世俗のルールから見た、“スリの罪”はどうだ」
「罪です」
セレスは即答した。
「ただし、“誰がやったか分からない状態で、周りをまとめて雷で炙る”のはアウトです。天界的にも、地上の法的にも」
【女神】『雷は危ないからね〜』
「雷を設計したのはあなたですよね」
【女神】『だって派手で分かりやすいじゃない』
「その感覚で世界作らないでください」
セレスは、商隊の親父に向き直る。
「犯人が分からない状態で、“スリをしそうな見た目”の人たちをまとめて撃ったら、あなたは満足しますか?」
「……しねえな」
親父は、ぽりぽり頭をかいた。
「“誰かが痛い目見れば気が済む”ってほど、子どもじゃねえ」
「ですよね」
セレスは小さく笑った。
「なので、“今ここにいる誰かをメイリさんに裁かせる”のは、不適切です」
「じゃあ、どうするんだよ」
「スリの“可能性の高い場所”に目をつけて、“見張りと抑止”に使うのが現実的です」
セレスは、メモ帳にさらさらと線を引いた。
「酒場で酔っていた時間。荷受所で書類に気を取られていた時間。灯街で人混みの中を歩いている時間。どこで一番抜かれやすいか」
「それ、俺の仕事っぽいな」
俺は苦笑した。
「メイリ」
「はい」
「お前の魔法、“撃つ前に尋問する”って使い方は考えたことあるか」
「尋問……?」
「いきなり“悪人を焼く道具”にするんじゃなくて、“自分の中の有罪ラインを決めるための道具”として使う」
メイリの眉が、不安そうに寄る。
「そんな使い方、できるんですか」
「やるんだよ」
俺は、テーブルの上に三本の線を引いた。
「ここが、“絶対悪い”。ここが、“絶対悪くない”。その間に、“迷うゾーン”がある」
真ん中の線を指で叩く。
「今のお前は、ここにいる相手にもいきなり雷を落とそうとしてる」
「はい」
「まず、“絶対悪いライン”だけ決めろ」
「……盗んだのに謝りもしない人。反省しない人。何度も同じことを繰り返してる人」
メイリの声が、少しだけ硬くなる。
「“痛い目見なきゃ分からない人”」
その言葉には、どこか昔の誰かへの怒りが混ざっていた。
「じゃあ、“絶対悪くないライン”は」
「盗まれた側。巻き込まれた人。何もしてないのに傷つけられた人」
メイリは、ユノと商隊の親父を一瞬だけ見た。
「“痛い目見る必要なんかない人”」
「いい線だ」
セレスが頷いた。
「その間の“迷うゾーン”にいる人に対しては?」
「……雷、撃っちゃ駄目なんですよね」
「そうだ」
俺は、真ん中の線を指で押さえた。
「そこにいる相手には、“話を聞く”“条件をつける”“返させる”“働かせる”。そういう前段階を作れ」
「前段階……」
「例えば、今回のスリ犯が見つかったとして。“盗んだ銀貨十枚を返した上で、しばらく荷物運びを手伝う”みたいな」
「それって、罰なんですか」
「少なくとも、“いきなり雷で焼く”よりはマシだ」
商隊の親父が、腕を組んだ。
「……まあ、銀貨戻ってくるなら、その方がありがてえな」
「それを、“メイリの中の有罪ライン”として決めるんだ」
「雷じゃなくて?」
「雷は、“そのラインをどうしても踏み越えてくる奴”にだけ取っておけ」
メイリは、テーブルの線をじっと見つめた。
「“絶対悪い”ラインと、“絶対悪くない”ラインと、“迷うゾーン”……」
しばらく黙ってから、顔を上げる。
「分かりました」
さっきまでの元気だけの声とは違う、少し落ち着いた声だった。
「わたし、ここで、“迷うゾーンにいる人の話をちゃんと聞く練習”します」
「練習台:スリ犯、ですね」
セレスが、帳簿を閉じた。
「とりあえず、今日は“雷なし”でいきましょう」
【女神】『安全第一ね』
「最初からそう言ってください」
【女神】『雷はほんと危ないからね』
「あなたが言います?」
◇
結局、その日は犯人が見つからなかった。
門兵に特徴を伝え、ギルドにも通達し、灯街の店主たちにも「怪しい動きの奴がいたら知らせてくれ」と頼んだ。
メイリは、その間ずっと、通りの端で子どもたちのけんかを仲裁していた。
「何してる」
「“練習”です」
メイリは、頬を膨らませた少年二人の間に立っていた。
「どっちが悪いか、すぐ決めない練習です。“相手の話を最後まで聞く”って、難しいですよね」
「それはすごく分かる」
夕方になって、商隊の親父がもう一度店に顔を出した。
「犯人は見つかってねえ」
「すみません」
メイリが頭を下げる。
「今日のところは、何もできませんでした」
「いや」
親父は、腰巻をぽんと叩いた。
「門兵に話したら、“最近スリが増えてる”って話だった。どっちみち、どこかで一度きっちり手を入れなきゃと思ってたところだ」
俺は、その言葉の裏にある意味を拾う。
「“今回の銀貨十枚”だけの問題じゃない、ってことか」
「ああ」
親父は、メイリをちらりと見た。
「お前さん、“悪人ぶっ飛ばす”って言ってたな」
「はい」
「その気持ちは、嫌いじゃねえ」
そう言って、腰巻から銀貨一枚を取り出した。
「これは?」
「今日一日、俺のやり場のねえ怒りを受け止めてくれた代金だ」
銀貨一枚。定食一食分を大きく越える額だ。
「受け取れ。次に“雷を落としてもいいライン”が見えた時に使え」
「そんな……」
メイリが、両手で銀貨を受け取った。少し、震えている。
「わたし、まだ何もできてません」
「何も燃やさなかっただけで上等だ」
親父は笑った。
「あのまま俺が怒りを周りにぶつけていたら、今日ぶっ飛ばされてたのは、きっと俺の商売の信用だった。こうやって話を聞いてもらって落ち着けた分、だいぶマシだ」
「……ありがとうございます」
メイリは、深く頭を下げた。
「絶対、ちゃんと使います。ちゃんと“悪い”って言い切れる相手にだけ」
「その時は、また報告に来い」
親父は、手を振って店を出ていった。
「……ねえレオンさん」
ユノが、少し笑いながら言った。
「今日だけ見たら、メイリさん、FじゃなくてCくらいあってもよくないですか」
「鑑定所の紙はFのままだろうな」
俺は答えた。
「でも、“雷を撃つ前に考えようとする火力持ち”は、そう多くない」
メイリが、銀貨を握ったままこっちを見る。
「わたし、ここで正義の勉強してもいいですか」
「ここで?」
「はい」
メイリは、珍しく少し控えめな声になった。
「正義って何か、どこまでが“悪い”で、どこからが“迷う”なのか、わたし一人じゃ分からないです」
「だから、決めつけないってことを覚えたんだろ」
「覚えました」
「じゃあ、あとは回数だ」
俺は、看板を軽く叩いた。
「クソスキル
「準レギュラーなんですね」
「毎日いたら、街の治安が逆に悪くなりそうだからな」
「ひどい!」
メイリが抗議した。
「わたし、そんなに物騒じゃないですよ!」
「雷の出力だけ見たら物騒だ」
セレスが、くすっと笑う。
「でも、“迷う相手にはまず話を聞く”って決めた魔導士は、天界的には好印象です」
【女神】『安全第一ね』
「やっと一言だけまともなこと言いましたね」
【女神】『失礼よ!? 』
「いつもどおりです」
ユノが、メイリの隣に立った。
「メイリさんが誰かを裁きたくなったら、わたし、その人の物語をちゃんと聞きます」
「わたしは、“この罰だといくら分か”見ます」
セレスも、隣に立つ。
「女神さまが“高すぎる”って言ったら、一緒に殴り込みに行きます」
【女神】『気軽に殴り込みにくるわね』
「そしてレオンさんは?」
メイリが期待の目で見る。
「落ちそうな雷を、なるべく正しい道に誘導する」
俺は肩をすくめた。
「頼りになるんだかならないんだか分からないですね」
「Fラン相談所なんてそんなもんだ」
ピンクの髪が、嬉しそうに揺れた。
勇者の物語から降ろされた俺と、バッドエンドを書き換えるFラン娘と、女神に舌打ちする請求書神官と、正義の照準がまだ甘い勧善懲悪魔導士。
世界の“悪い”と“悪くない”の間にある広いグレーゾーンを、これから何度も一緒に歩くことになるのだろう。
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