灰と汚濁と異世界と
帯川 颯太郎
第1話 灰の砂漠で
◇
物悲しさだけが残る灰の大地で、少女は琥珀色の眼を伏せ、自らが壊した箱庭の死を
愛が無くなった。欲が無くなった。血が無くなった。気温が無くなった。闘争がなくなった。美しさが無くなった。あるのはただ、水を打ったような静けさだけ。
────でも、まだこれだけ。
少女は悔いる。そして、伏せていた眼を上げ、地平線の向こうを見つめた。その瞳は、常人が目を合わせれば、呼吸が止まるほど冷たく、あまりにも虚ろだ。
────汚れが残ってる。汚濁だらけだ。綺麗にしないと。
その瞬間、少女の呪いは世界へ向け、行進を始めた。いつ止まるのかは、分からない。もしかすると、行進は止まらないのかもしれない。そう、世界が美しく壊れる、その時まで────。
◇
鼻を抜ける、くすぶった香り。砂漠地帯のように、一面に積もった灰。世界を静かに見下ろす紅い月。そして……目の前にはのこぎりのような歯をギラつかせ、よだれを垂らす巨大なワーム────。
「どこなんだよここはーーーッ!!」
放心状態から一変、俺はワームを背に、喪服で灰の大地を駆け出した。
俺は
「うおおおおおおお!!遅刻で走るのには慣れてっけどこれは聞いてねぇぇぇぇぇッ!!」
後ろから迫る、人が不快感を覚えるであろう要素を濃縮したような、生理的嫌悪MAX生物に俺は戦慄し、走る速度を上げた。
ワームの体長は十メートルほど。しかし、その巨体からは考えられない速度で、俺を追尾してきている。正直、振り切れるビジョンが浮かばない。それどころか、後ろから感じる気配がどんどん強くなる一方だ。
そんな調子で灰に足を取られながらも、死に物狂いで走っていた俺だが、ついに、ワームの湿気のこもった吐息が背中をなぞった。
「あ、これ死んだ」
悟ったような言葉に答えるように、ワームの口は足元の灰を巻き込んで俺を
洗濯機に入れられた衣服さながら。俺は文字通り、ワームの舌で転がされた。腐敗臭のような、強烈な臭いの生暖かい唾液が頭にかぶせられる。
「ぶわッ!おいやめっ────」
熱蠟のような唾液で視界が極端に遮られる────その直前だった。赤く染まった空に一筋の閃光が走ったのを、ら俺は確かに見た。
「よいっ……せぇぇぇぇッ!!」
かすかに聞こえるのは、少女の気合いのこもった声。
刹那────。空を裂くような一閃が落ち、ワームの身体が真っ二つに両断された。衝撃により、灰の大地が隆起し爆発する。その反動で、俺は半透明に透ける翠緑色の体液にまみれて、ワームの口から宙に放り投げられていた。
「え?」
あまりの一瞬の出来事に、処理の止まった脳内。
しかしそれも束の間、体重の抜けるような落下感に叩き起こされる。
「おぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────ッ!!!!待て待て待て待て!この高さはまじでシャレになんねぇぇぇぇぇぇぇ!!」
血に染まる空に響く俺の絶叫。死すら覚悟した、その時だった。
「おーらーい!おーらーい!」
下から聞こえるのは、先ほどの少女の声。見ると、真っ二つに切断されたワームの
それ信じて、俺は謎のウサギ少女のもとに落下地点を絞る。数秒もしないうちに少女の腕が間近に迫り、俺と少女の目が合った。その瞬間だった。
「おーらーい!おーら────うわ汚なっ!!」
俺がワームの粘液にまみれていることに気づき、少女は全力で回避。俺はそのまま灰の地面にたたきつけられる。
「ぐぼあっっ!!」
こいつ避けやがった!!
「ごめ〜ん。あはは……つい避けちゃった。えと……大丈夫?」
上下逆さまで埋もれた俺を見下ろし、少女は頬をかく。
俺は足をばたつかせて叫んだ。
(何でもいいから助けてくれ!)
「最低な気分だ」
少女の助けを借りて何とか抜け出した俺は、
「で、でも危うく食べられちゃうところを助けたわけだし~……。おあいこじゃない?」
冷や汗を浮かべ、少女は硬く笑った。少女の恰好は、胸までしか丈のないアーマーとブルマのようなショートパンツと中々際どい。
俺はそんな彼女の顔を半眼で睨む。
「助けてくれたのには感謝してっけど、もうちょいやり方なかったのかよ」
「あはは~……。ま、まあ!過ぎたことなんだし、いいじゃん!!あまりプンスカしてると皺が増えますぞー??笑顔笑顔!!」
少女は指で口角を上げ、うさ耳を揺らして快活にはにかんだ。くやしいが……正直可愛い。責める気も失せた俺は、諦め半分に嘆息をついて握手をかわそうと腕を伸ばした。その時だった。
「はぁ。まっ、助かったよ、ありが────」
ボフゥンッ!!
背後で鳴った轟音に、俺は言葉を切った。デカい何かが空から落ちたような、そんな音だ。
衝撃により、視界を覆うほどに灰が舞う。吹いて流れた風で、喪服が靡く。
灰が落ち着いた頃、顔に付着した灰を手で払い、恐る恐る瞼を開く。降ってきたのは美少女か隕石か、はたまた新しく襲来したモンスターか────。
そんな俺の予想は、半分当たっていた。瞳に飛び込んできたのは、口を開けたワームの頭。
記憶に新しい、あの地獄の鬼ごっこのトラウマが、走馬灯のようによぎる。俺は顔面蒼白で女子のような甲高い悲鳴を上げた。
「きゃあああああああああああああああああ────ッ!!!あ、あれ……?」
がしかし、そのワームはどこか様子がおかしかった。死んでいるかのように、微動だにしていないのだ。それによく見れば、頭から下がない。
「カテラぁ!何油売ってやがんだ!まだ目標に届いてねえぞ!!」
訳が分からず困惑しているところに、ワームの頭上から、荒れた怒鳴り声が響いた。
「ごめんね〜バッド。なんか不思議な人がワームに襲われててさ」
「あん?ナメクジ野郎か?ギャハハ!!きったねぇ!!」
それは目つきの悪い紫の瞳に、短い金髪をかき上げた、同い年くらいの青年。サメのように尖った歯は、こいつ性格の凶暴さを表しているよう。ギザ歯というんだろうか。ともかく見た目からしてガラが悪そうだ。
「ジロジロ見てんだお前!腰でも抜けちまったか?」
俺が尻をついて動かないのを見てチンピラが煽る。俺は腰を上げ、そのガラの悪い金髪にたまらず言い返した。
「うるっせぇな!巻き込まれたこっちの身にもなれってんだよチンピラ!!」
馬鹿にされ、苛立った部分も確かにあったが、ビビらせんじゃねぇという気持ちの方が強かった。
「あ?なんだてめえやんのかコラ!!クソナメクジが!!」
「やってやるよ!俺の粘液ボディに触れられるのなら触れてみやがれ!!」
「ぐっ、クソが!!卑怯だぞテメエ!!」
やはりというか、ワームの粘液には触れたくない様子のチンピラは、寄るのを躊躇っている。
「もー!二人とも落ち着いて!とりあえず君!見ない顔だけど、どこのホームの人?」
俺の目の前に立った、うさ耳の少女は、こちらを指さして首を傾げた。
「ホーム?なんだそれ。俺は葬儀場から出て、気づいたらここにいたんだ。本当だったら、今頃家でスヤスヤ寝てるはずだぜ」
「葬儀場?何言ってるの、ここにそんなものあるわけないじゃん」
彼女のハトが豆鉄砲を喰らったような顔は、とてもじゃないが嘘をついているようには見えない。訳が分からず、俺は辺りを見回した。
砂丘のように盛り上がった灰色の砂。妖しく光る紅い月。目の前には謎のウサミミ少女と派手な金髪のチンピラ。
ワームに追われていてそれどころじゃなかったけど、まじでどこだここ……。
「気づいたらここにいた、なぁ……。テメエ、もしかして異世界転移者か?」
チンピラがワームの頭に腰掛け、疑念のこもった表情で問う。
「異世界転移者?」
「たまにいんだよ。テメエみたいな異世界人が、何の前触れもなくこっちに現れることが」
その話は、俺の身に起こったことに確かに当てはまっていた。俺はとりあえず納得する。
「あ~、多分そうっぽいな。うん」
「へ~!異世界転移者かぁ!!初めて見た!!」
「ただなぁ、”汚染区”に転移する例ってなあ聞いたことねえ。しかも祝福なしときた。なんで立っていられんだぁ?こいつ」
異世界人。その存在に、少女は好奇心丸出しの瞳で俺を見つめ、チンピラは聞き覚えのない単語を並べながら分析するように、俺の身体をくまなく見下ろす。
「あ~っと……汚染区ってのはなんだ?」
若干の居心地の悪さに、耐えかねた俺は、チンピラの単語を適当に抜粋した。
「てめぇが今立ってる、この場所のことだ」
チンピラが胡坐をかいて、俺の足元を指さす。
「魔女が世界の中心に呪いをかけて千年。この大地は今も世界に向けて拡大を続けてやがる」
「この灰の砂漠が拡大?なんだか異世界にしても妙な場所だな」
地平線まで続く灰と空から降る紅い月光のせいもあって、灰の砂漠は不気味さを極めていた。
「拡大してってんのは、なにもこの場所だけじゃねぇ。てめぇが今いる、ここ、『悲観の砂漠』は、あくまでも汚染区の一部だ。円状に拡大していく、汚染区の一番外側。この先、内側に行くにつれて環境も生態系もどんどん変わっていって過酷になってく。そんで、その全てが汚染区って括りになってんだよ。分かったか?」
ここが、円状に広がる汚染区というバームクーヘンの一番外側で、この先はもっと過酷な環境が……?
俺は絶句した。あまりに、スケールがでかすぎる。こんな場所がこの先いくつもあるってのか。
その時、ツンと、頬に冷たい感触。
「ひょぇあっ!?」
「あはは!変な声~!!」
俺が驚いて体を跳ねさせると、人差し指をこちらに差し出し、いたずらっ子のような笑みを作る少女がいた。
「あんまりにも真剣な表情してたから意地悪したくなっちゃって。てへっ。にしても……ひょぇあって!!プクク……。」
このウサギ。俺を舐めてやがる。お灸を据えねば。
俺は、口を必死に抑えて笑う少女のうさ耳を、ハンドルのように両手でつかんだ。
「ひゃっ!!」
少女が目を白黒させて、体を跳ねさせる。だが、かまわず俺は、その毛玉でふわふわのチョコレート色の耳をくまなく堪能する。毛に指が埋まり、体温が指を温める。
「ほう……これはこれは……。悪くねぇ」
「ちょっときみぃ!!そこ反則……ひゃっ!!」
「80……いや……90点はあるな」
「ねぇ聞いてるの!?ねぇって!!」
「もう少し体温が感じられたら100点にもつながる可能性が……。ふむ」
「もー!!謝る!!謝るからー!!離してよーーーー!!」
俺がパッと手を離すと、少女は耳を折り曲げて、守るように両手で抑えた。顔には涙が浮かんでいる。
「えっち」
「なかなか悪くなかったぞ」
俺は今日一番の笑顔を作って親指を立てた。
「えっちぃ!!」
少女が声を荒げる。
その時、チンピラがワームの頭を蹴り、灰の砂漠に降り立って告げた。
「お前ら、じゃれんのは後だ。……寄ってきやがった」
「え?」
チンピラは今までになく険しい顔だ。それまで顔を赤らめていたはずの少女も、ぴょこぴょこと絶え間なくそのうさ耳を動かし、周囲を睨んでいる。
なにか、まずいことが起こってる。それだけが今、理解できた。
俺は息を呑んで周りを見渡す。
すると、灰の丘の影から、先ほど見たワームが姿を現した。その他にも、尾がドクンドクンと脈打つ気色の悪い
────どうやら俺たちはいつの間にか囲い込まれていたみたいだ。
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