EPISODE 2

白い鳩は、その日も屋根裏の鳩小屋で静かに眠っていた。

薄い羽根は規則的に上下し、昼の光をやわらかく反射して、小さな灯りのように彼女の胸を温めていた。


「無事ね」


彼女——鳩のお世話係で、ほとんど自分を「わたし」としか呼ばない少女は、そっと息をついた。

外の世界では、妙なニュースが流れ始めていたからだ。



テレビは、「鳥類の失踪」を報道した。

原因不明、世界各地で同時発生。

スタジオのアナウンサーは淡々と原稿を読み上げ、人間の声というより、ただの情報の読み上げ機のようだった。


「今朝、国内外で『都市部の鳩が一斉に姿を消した』という報告が相次いでいます。

鳩の大量移動か、何らかの環境要因かは、まだ調査が——」


声のトーンは平常そのもの。

でも、画面の隅で流れる映像には、普段ならたくさんいる広場の鳩が一羽も写っていない。


ただ、空がいつもより広く見えた。



彼女は慌てて屋根裏に向かった。

白い鳩は、そこにいた。

眠っていた。

静かに、変わらない。


次の日

犬や猫が世界各地で消えた。

ペットショップも動物園も、檻の中は空っぽになったという。

レポーターの声は前日よりさらに無機質で、まるで感情を削り取られているように聞こえた。


「……監視カメラの映像には、消える瞬間は映っておらず……」

外に出ると、普段なら聞こえるはずの鳴き声や羽ばたきの音がなく、風だけが街を通り抜けていた。


屋根裏の白い鳩はやっぱり眠っていた。

その羽根の白さが、この世界で残された最後の「正しい色」のように思えた。


その次の日。

虫がいなくなった。

蜂の羽音が途絶え、蟻も蝶も姿を見せなかった。

風の音が、町のすべての隙間に入り込み、がらんどうの音を響かせた。


テレビのアナウンサーは「自然界の階層的崩壊」という言葉を、どこか誇らしげに読み上げていた。

人が作った概念だけが、世界に取り残されているように見えた。


少女は再び屋根裏へ向かった。

白い鳩は、今日も眠っている。

昨日より深く、まるで夢の奥に沈んでゆくような寝息だった。


「ねぇ……目を覚ましてくれない?」


返事はなかった。



朝、窓から見える木々の葉が、色を失っていた。

まるで本のページを漂白したように、白一色になっていた。

夕方になると、その木々さえ消えてゆき、家の周囲にはただ白い空間だけが広がった。


その時、少女は気づいた。

白い鳩の寝息だけが、この世界に残る唯一の「時間」なのだと。


夜、ついに動物も植物もいなくなった。

朝になっても、人の声すら聞こえなくなった。

外へ出ると、街はすべて色を失っていた。

家々も、公園も、空も、道路も、どこまでも白い。


ただ少女の家だけが、元の色を保っていた。


「わたし……ひとり?」


恐る恐る屋外へ足を踏み出すと、足裏は何も感じなかった。

砂も、土も、アスファルトも。

ただ、質感のない白い床が続いているだけだった。


静寂が世界を包んでいる——

なのに、家に戻るとテレビだけは、いつも通り音を流していた。


リモコンを握った瞬間、画面が揺れた。


白い鳩が映っていた。

屋根裏で眠っていたはずの、あの鳩だ。


画面の向こうで、鳩はゆっくりと彼女を見つめた。

そして、スッ……と画面から出てきた。


羽根が光にほどけるように舞い散り、そこに少女が立っていた。

白い肌、淡い髪、どこか現実よりも柔らかな輪郭の少女。


「あなたが望んだ通りの世界にしたわ」


声は、羽根が触れるようにか細いのに、確かに耳に届く。


「……」


「ねぇ、覚えてない?

あなた、言っていたでしょう。

『「静かで、誰にも邪魔されない、何も起きない世界に行きたい」』って」


少女は微笑んだ。

その目は、白い鳩がしていた眠りの色に似ていた。


「これがあなたのユートピア。

あなたが心の底で願っていた、完璧に静かな世界」


部屋がゆっくりと白に溶けてゆく。

壁も、床も、家具も、少女自身の影さえも、鳩の羽根のように淡く消えていく。


「さぁ——ここで、生きましょう。

わたしと、あなたのふたりで」


最後に残ったのは、鳩だった少女の微笑みだけだった。





(終)

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