第35話 三回の瞬き

 翌日。

 バイトを終えた蒼侍は、ひとり夜道を歩いていた。


 シャッターが閉じられた商店街。点滅する街灯が、頼りなく路面を照らしている。すれ違う人影は少なく、聞こえてくるのは遠くの車の走行音と、時折吹き抜ける風が旗を揺らす音だけだった。


 蒼侍はポケットに手を入れ、夜風を受けながら歩く。

 その瞳は揺らぎがない。だが、心の奥底では頭にこびりついている言葉が、何度も何度も反響していた。


 魅佳の言葉。

 彼女は自分は余計な存在だと言った。まるで、価値がないと信じ込むかのように。

 その笑い声が、ずっと耳の奥で鳴り続けている。


 ふと足が止まる。

 商店街を抜けた先の交差点。ネオンの灯りがちらつく建物が目に入った。


 古びたゲームセンターだ。


 赤と青の電光が夜気を切り裂き、入口のガラスを妖しく照らしている。


 人通りは少なく、店内の明かりだけが浮き上がるように輝いていた。


 ――その前に、誰かが立っていた。


 壁にもたれ、片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で飴を弄ぶ。


 銀髪のウィッグに、フード付きのパーカー。

 口元に浮かぶ笑みは、人を試すようで、どこか退廃的な匂いをまとっている。


「やあ、蒼侍くん」


 その声は、蒼侍を一瞬で現実に引き戻した。

「……魅佳さん、か」


「せーかい!」

 魅佳は蒼侍を見て三回の瞬きをする。

 飴玉を舌の上で転がしながら、魅佳は人懐っこく笑った。

 けれどその瞳の奥は、笑っていなかった。


 蒼侍は歩みを止め、無言のまま彼女を見つめる。

 魅佳は首を傾げ、街灯に照らされた横顔をわざとらしく見せつけるように差し出した。


「そんな顔しないでよ。せっかくボクが待っててあげたのに」


「……俺を待っていたのか」


「うん。まあ、暇つぶしってやつ?」

 魅佳は肩を竦め、指先でパーカーの紐をくるくると弄ぶ。

 その何気ない仕草に、奇妙な緊張感が漂った。


 蒼侍は短く息を吐き、静かに問いを投げる。

「……何が目的だ」


 魅佳はニヤリと笑い、両手を広げて見せた。

「目的って……ただの遊びだよ。他の子たちと同じ顔をしてるけど、違う心。違う声。違う意味。だけどね――」


 魅佳は少し間を置き、街灯の光を背に受けながら囁いた。

「ボクは必要ない存在なんだよ」


「必要ない……?」


「そう。だって、みんな十分揃ってるじゃない?」

 魅佳の声は軽やかだった。だが、その裏に張り付いた虚無感が蒼侍には伝わった。


「明るいのは燈。落ち着いてるのは結月。クールなのは泉奈。可愛いのは楓。お嬢様っぽい日和に、ツンデレの鈴……。ほら、揃いも揃って属性完備。じゃあ、ボクはいらない。余り物だよ」


 笑い声は乾いていて、夜の空気に吸い込まれていった。


 蒼侍は瞬きもせず、その姿を観察していた。

 魅佳の肩のわずかな震え。声の奥にある痛み。それらを丁寧に拾い集め、言葉に変える。


「……だが、お前は確かにここにいる」


 短い言葉だった。だが、魅佳の笑みが一瞬だけ凍りついた。


「……ほんと、そういうとこ。嫌いじゃないんだよね、蒼侍くん」


 魅佳は顔を背け、わざとらしく髪をかき上げる。

 その横顔に、照れとも苛立ちともつかない色が差していた。


「じゃあさ、証明してよ。ボクがここにいる意味を」


 挑発するような眼差し。

 魅佳はゲームセンターの自動ドアを親指で示す。


「中で遊ぼうよ。クレーンゲームでも、ガンシューティングでもいい。……ボクと一緒に笑える? それとも、笑えない?」


 蒼侍は黙って数秒考えたのち、無表情のまま答えた。

「……少しだけなら」


 その返答に、魅佳はぱっと笑みを咲かせる。

「そうこなくっちゃ」


 二人は並んで自動ドアに向かう。

 センサーが反応し、ドアが開く直前――魅佳が小さく呟いた。


「ねえ、蒼侍くん。ボクと遊んで、後悔しない?」


 蒼侍は立ち止まり、横顔をわずかに傾ける。

「後悔はしない」


 魅佳は、ほんの一瞬だけ目を見開いた。

 だがすぐに笑い、ネオンの光を背に受けながら言った。

「……面白い男」


 ふたりの影がゲームセンターの床に落ちた。

 ネオンの赤と青が混じり合い、不穏な夜の幕開けを告げていた。

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