第19話 夢と記憶の世界②

 柔らかな風が芝生を揺らしていた。

 夕陽に照らされた池は赤く光り、木々の影が長く伸びる。


 楓はスケッチブックを抱えたまま、池のほとりに膝を抱えていた。

 現実の一日をそのまま写し取ったような公園の風景。


 けれど、それは夢の中の記憶の舞台。白神結月の心に根づく夢と記憶の世界であった。


 ベンチに腰を下ろしているのは結月。

 その隣にはポニーテールを弾ませて足をぶらつかせる燈。


 芝生にはウルフカットの泉奈が腕を組み、視線を池に向けたまま座り込んでいる。


 そして――新たに現れた少女がひとり。


 明るい金髪が風に揺れてきらりと光る。

 化粧は流行りのものを押さえていた。

 少し強気な瞳に、唇は尖らせ気味。

 名前は鈴。白神結月の七人の人格の一人だ。


 鈴は木陰に立ち、皆を観察するように腕を組んでいた。


「……はぁ。今日も楽しそうね、あんたたち」

 鈴が小さくため息をつく。


「おー、鈴じゃん!」

 燈が勢いよく手を振る。


「こっち座りなよ! 今日はさ、蒼ちゃんと楓が一緒だったんだよ! すごくいい雰囲気だったみたい」


 楓は顔を赤くして俯く。

「そ、そんなに大したことじゃ……」


「ん。でも、蒼と楓に進展があったのは事実でしょ」

 泉奈が淡々と口にする。


「そ、そんなんじゃ……ないよ!」

 楓は慌てて首を振り、スケッチブックを抱きしめる。

 その仕草に、鈴の眉がぴくりと動いた。


「はぁ? なにそれ。ほんとに信用できるわけ?」

 鈴の声は棘を帯びている。

「どういう意味かしら、鈴」

 結月が鈴をまっすぐ見つめた。


「だってそうでしょ。あたしたちのことを知って受け入れてるって普通じゃないし。他人、特に男は信用できない。出会ってまだ日が浅いのなら尚更! その蒼? 蒼ちゃん? なんだか知らないけど、早く縁を切るべきよ!」


「蒼ちゃんは、そんな人じゃないよ!」

 燈が即座に言い返す。

「だって、わたしのことだってちゃんと受け止めてくれたし!」


「ん。疾風バトラーの話題で盛り上がった。彼は……無関心を装っているけど、本当は熱い性格なんだと思う」


 泉奈の声は静かだったが、その言葉には確信が滲んでいた。


「そ、そうだよ……鈴ちゃん」

 楓も小さな声で続ける。


「黒無さんは……わたしの絵を褒めてくれて。忘れ物のスケッチブックを……勝手に開けたりしませんでした。……ちゃんと返してくれて……」

 その声は震えていたが、誠実な信頼が込められていた。


 鈴は腕を組んだまま視線を逸らす。

「ふん……みんなそろってそいつを庇うわけね。……でも私は簡単に信じない」


「……鈴」

 結月が静かに呼ぶ。


「あなたが不安に思うのも当然。でも、黒無さんは少しずつ――確かに私たちを受け止めてくれている」


 その穏やかな声に、鈴は一瞬だけ表情を緩める。だがすぐにまた唇を尖らせた。

「……だったら、次は私が確かめてやる。その黒無ってやつの本性を」


「その必要はありませんわ」

 池の向こうから小さな足音が近づく。

 水の上を歩き、新たな影が夕暮れの光に浮かび上がる。

 水面は揺れず、足音はない。

 ふわりと広がる白いワンピース。

 端正な顔立ちに、どこか小悪魔的な微笑みを浮かべた少女。


 日和。


「まあまあ、喧嘩はやめましょうよ」

 彼女はベンチに優雅に腰を下ろし、足を組んで皆を見渡した。

「次は、私が行く番ですわね」


「え?」

 楓が目を瞬かせる。


「鈴さんが心配するのも無理はないですわ。でも、確かめる役目は私が引き受けます」


 日和は微笑を浮かべたまま、池の水面を指先でなぞるように宙を描いた。


「黒無蒼侍さん。彼が本当に私たちにとって味方になるのか。私が見極めてみせます」


「お嬢様出たー!」

 燈がからかうように笑う。

 しかし日和は小悪魔的にウインクを返しただけだった。


「……気をつけて、って言うほど危険じゃないか、蒼は」

 泉奈が短く続ける。

「でも、まだ油断はしない」


 楓はスケッチブックを抱きしめ、小さく頷いた。

「……日和ちゃん、お願いします」


 結月はそんな彼女たちを見渡し、静かに息を吐いた。

「それぞれが少しずつ彼と出会い、何かを確かめていく。それが、私たち自身の答えにもなるはず。今後、どうやって生きていくのかの」


 夕暮れの光が池に揺らめき、結月、燈、泉奈、楓、鈴、日和の六人の影を長く伸ばしていた。

 その中心で日和は静かに微笑み、次の出会いを予告するように言葉を落とした。

「次は――私の番ですわ」

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