第15話 夢と記憶の世界①

 ――色と音が、混ざり合う。

 気づけば泉奈は、昼間に足を運んだゲームセンターの中に立っていた。

 けれどそこは現実とは違っていた。人影はなく、機械の光と音だけが空間を支配している。


 無数のクレーンゲームが淡く光を放ち、景品のぬいぐるみやヒーローのフィギュアが、まるでこちらを見ているかのようだった。

 床に映るネオンは水面のように揺れ、電子音はどこか遠くから聞こえてくる。


 ここは夢の中だ。


 泉奈はそう直感した。これまでも何度もあった。人格たちが顔を合わせる、現実ではありえない場所。

 その証拠に。

「わあっ! やっぱりここかぁ!」


 元気な声とともに、燈が駆け込んできた。

 ポニーテールを高く揺らし、ぴょんと泉奈の隣に立つ。


 その笑顔は、現実と変わらぬ天真爛漫さに満ちていた。


「蒼ちゃんと一緒に遊んだとこ! だから夢に出てきたんだね!」

「そう。燈、この前ボーリングに行ったんなら教えてよ。右手が痛くて、蒼が何かしたかって疑ってしまった」

「ごめん言い忘れてたー! でも蒼ちゃんさ、すっごいんだよ! ボーリングでさ、ストライク連発! 最後はオールストライク! 漫画かってくらい! わたし初めて見た!」

 無邪気に騒ぐ燈に泉奈は苦笑する。


「二人とも黒無さんに迷惑かけなかった?」

 主人格――結月が、クレーンゲームの影から静かに姿を現した。

「全然!」

「燈は迷惑かけたかもしれないけど、私は迷惑かけず楽しめた」

「ちょっと、泉奈!? わたしも迷惑かけてないんだけど!」

「どうだか」

 そんな二人を見て、結月は微笑む。そして、ほんの僅かに顔を引き締めた。

「黒無さん、どうだった?」

「すごい人! スーパーコンピューターみたい!」

 燈が笑う。

「燈、それは褒めてるの? まあ、確かに少し機械っぽさはあるけど、『疾風バトラー』好きに悪い奴はいない」

 泉奈は静かに微笑む。


「……ふふ。そうかもしれないわね。彼が栞を届けてくれたのは事実だし。母の形見だったから……私は恩人だと思ってる」

 結月は静かに頷いた。


「ところで泉奈。このゲームセンターに黒無さんといたの?」

「そう。夢は記憶の反映でもある。楽しい記憶ほど強く残るのかもしれない」


「だよねー! 蒼ちゃん、ボーリングめちゃくちゃ上手だったんだよ! ほんっとびっくりした! 楽しかったー!」

 燈は全身で思い出を語り、ポンと両手を広げる。


 その声だけで、静まり返った夢の空間が少し明るくなるようだった。


「まあ、燈の言う通り。蒼、悪くない。思ったより話せる」


「ほらね!」

 燈がにっこり笑う。


「だから言ったでしょ! 蒼ちゃんはぜーったい大丈夫だって!」


 泉奈は肩をすくめる。

「……まだ全部信用するわけじゃない。でも、悪いやつじゃない。それくらいは認める」


 結月は微笑みを浮かべ、そっと胸に手を当てた。

「……栞を返してくれただけでなく、きちんと向き合ってくれた。あの人は……私にとって、やっぱり恩人なの」

 声は穏やかだが、その奥には安堵と感謝が静かに滲んでいた。

 その言葉に、二人も頷く。

 燈はうんうん! と元気よく、泉奈はそう、と短く。

 それぞれ違う仕草でも、確かに共感がそこにあった。


 すると――。


「まあまあ、ご熱心ですこと」


 柔らかくも艶やかな声が響いた。

 光の粒が舞い、奥から優雅な歩みで現れたのは日和だった。


 白いワンピースに身を包み、日傘を片手に持ちながら、まるで舞台に上がる女優のように姿を見せる。


 黒髪はゆるやかに流れ、整った横顔には余裕の笑みが浮かんでいた。


「日和……!」

 結月が名を呼ぶ。


「ごきげんよう、皆さま。随分と楽しそうにお話をなさっていたのね」


 燈が勢いよく近寄る。

「ねえねえ日和! 蒼ちゃんね、超すごいんだよ! ボーリングで全部ストライクなんだよ!」


「あらまあ。それはそれは」

 日和は口元に扇を当てるように手を添え、上品に笑う。


「……でも」

 泉奈が小さく言葉を継いだ。

「遊びだけじゃない。話してみて、意外と悪くなかった」


「ん。泉奈がそう言うなんて!」

 燈が目を丸くする。

「……別に、特別なことじゃない。ただ――私も楽しかった。……それだけ」


 日和はそのやりとりを優雅に眺め、細い顎に指を添えた。

「ふふ。蒼侍さま……面白い方ですわね。簡単に信用するのは軽率かもしれませんけれど、だからといって拒む理由もございません。――いっそ、試してみるのも一興ではなくて?」


「試すって?」

 燈が首をかしげる。

「そうですわ。わたくしたちがどう接するかによって、あの方がどのように応えるのか。そこにこそ人間の本質は映し出されるもの。……女として、少しばかり遊び心を持ってもいいのではなくて?」


「日和……」

 結月は眉をひそめる。

「遊び半分で扱うのは良くないわ。あの人は真剣だから」

「まあまあ、冗談ですわよ」

 そう言いながらも、日和の瞳は楽しげに輝いていた。


 ――四人の声が、無人のゲームセンターにこだまする。


 光が瞬き、機械音が遠くに揺れる。

 これは夢。目が覚めればきっと忘れてしまう。

 けれど確かに、心の奥には痕跡として残るのだ。


 結月はそっと呟いた。

「……いずれにせよ、黒無さんと向き合う日々は続く。だからこそ、私たちで支えていこう」


「もちろん!」

 燈が元気に応える。

「うん」

 泉奈も小さく頷く。


「ふふ。退屈しない日々になりそうですわね」

 日和は微笑んだ。


 その夢は、やがて蒼侍との次の出会いを導く予兆となっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る