第12話 クールなウルフ

 蒼侍は燈とボーリングした後、早速、次の人格との約束を取り付けられた。

 約束された日時と場所に向かう。


 休日のショッピングモールは、光と音と人の熱気に包まれていた。

 吹き抜けから降り注ぐ陽光が床に広がり、磨かれたタイルがきらめく。

 フードコートの甘いワッフルの匂いと、揚げ物の香ばしい油の匂いが空調に乗って漂う。


 人々の声が幾重にも重なり、館内放送のBGMがその合間をすり抜けて流れていた。


 蒼侍は雑踏をゆっくりと歩きながら、人々を無表情に観察する。


 ベビーカーを押す母親の笑顔、手を繋いだ幼子の無邪気な笑い声。

 カフェで試験範囲を広げて顔を突き合わせる高校生、休日の買い物に浮かれる若いカップル。


 どれもが灰色の蒼侍にとって、色彩のような情報だった。


 十二歳以前の記憶を失った彼にとって、人間の感情は曖昧で掴みづらい。

 だからこそ他人の仕草を観察し、そこから嬉しい、楽しい、不安、怒りといった輪郭をなぞることが、彼にとって生きるための習慣となっていた。


 ――そのとき、目が留まった。


 燈と約束した雑貨店の前に、一人の少女が立っていた。


 ショーウィンドウに並ぶアクセサリーを静かに見つめ、指先でガラスをなぞるような仕草をしている。


 髪は黒ではなく、深い藍色。

 髪型はロングでも、ポニーテールでもなく、ウルフカット。毛先は軽やかに外へ跳ね、頬にかかる髪が彼女の輪郭を柔らかく縁取っている。

 照明に照らされるたび、黒にも青にも見える微妙な色合い。

 派手ではなく、自然な範囲のオシャレ。


 流行をさりげなく取り入れた大学生――そんな印象を受ける。

 だが蒼侍には、その色が夜空の色に見えた。


 同じ顔。だが昨日の結月でも燈でもない。

 蒼侍の胸に、微かな緊張が走る。


 この前、蒼侍を新手のナンパと切り捨てた少女だ。


 少女が振り返る。


 カラコンなのか灰色がかった瞳が、真っ直ぐに蒼侍を射抜く。

 その一瞬で空気が張り詰めた。


「……あんた」

 短く、低い声。

 次いで眉がわずかに寄り、唇が形をつくる。


「……ナンパ男」

 その言葉に、蒼侍の視線が揺れた。


 あの日――ショッピングモールの通路で声をかけ、冷たく拒絶された記憶が蘇る。

 やはり、彼女は同じ存在だった。


「誤解だ。ナンパではない」

「……」


「大学で白神さんが落とした銀の栞を拾い、届けた。届ける前に、あなたに会ったから、その時、栞を返そうと声をかけただけだ」

 その瞬間、灰色の瞳が揺れた。

 張りつめていた表情が、ほんの僅かに緩む。


「……あれ、あんただったんだ」

「ああ」


「……そう。ありがとう、あの栞は結月にとってすごい大事なものだから。私からも礼を言わせて」

 先程までの拒絶の温度はほんの少し和らいでいた。

 蒼侍は藍色の髪に視線を戻す。


「だけど、燈から私に変わった時、右の手首が痛かったんだけど。あんた、燈に何かしたの」

 再び鋭い眼。まだ、警戒は完全に解いていない。

「……この前、燈さんとボーリングで遊んだ。その時の筋肉痛だと思う」

 蒼侍の回答に少女の目が僅かに大きくなる。そして、すぐに目を細めた。

「そっ」

 ただそれだけ。だが、それだけで緊張の糸が僅かにほぐれた。


 蒼侍は次の言葉を紡ぐべきか戸惑い、そして口を開いた。

「黒無蒼侍だ。燈さんとの約束でここに来た」

「あんたが燈の言ってた人か。私は泉奈」

 泉奈はそう静かに言った。


「泉奈さん。昨日までと印象が違う。髪も色も」

「……」

 一拍置いて、少女は口元をわずかに動かした。


「ウィッグ。今日はこれ」

 さらりと落とされた言葉。

 説明にもならないほど淡々とした口調なのに、確かな現実味を持っていた。


「なるほど……似合っている」

「……あんた、変なやつ」

 蒼侍の評価に、泉奈は短く吐き捨てるように答える。

 だがその瞳は、ほんのわずかに和らいでいた。

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