第10話 五年で終わった世界

報告は、どちらの陣営でも、静かに熱かった。

「落ちた?」

簡易ブリーフィングルームに、半秒だけ沈黙が走った。

カラム・ウォンが腕を組み、ユウのヘルメット越しの顔をじっと見ている。 隣でルイスが気まずそうに咳払いした。

「・・はい。地盤が抜けました。旧教室の天井に、上から落下。その先で、現地個体二体と接触。敵対行動なし。うち一体と“接触”しました」

「噛まれは?」

「噛まれてはいません。触られました」

後方スクリーンに、Λ−Logosがまとめた映像が再生される。 崩落、落下、暗い教室、そして――アキとキの姿。

「匂いでこちらを識別し、距離を詰め、接触による情報交換を試みる行動様式。少なくとも“最初から噛み殺す”パターンではありませんでした」

医官の森下チカゲは、目を輝かせながら言った。

「名前も交換できたのね?」

「はい。アキと、キ」

Λ−Logosが、スクリーンに新しいラベルを表示する。

〈Local_Cluster_PAC-N03 / Node-A1 “Aki” / behavioral role: Olfactory-Scout〉 〈… / Node-K1 “Ki” / behavioral role: Contact-Skin〉

「“匂い読み”と“触れ手”ってところか」

ルイスが唸る。

「そして、もう一つ」

Λ−Logosが音声出力のトーンを少しだけ落とした。

「彼らの皮膚常在菌ネットワークの一部が、ユウのスーツ外殻に“接続”を開始しています。防護機構は機能しており、内部侵入はゼロ。だが、外側には、すでに地球側ネットワークの“入り口”が形成された」

「つまり?」

カラムが短く問う。

「このキャンプは、“匂いの糸”を一本、島の巣と共有した、ということです」

Λ−Logosは、そう結論づけた。

「元をたどれば、その両方の糸は、同じ場所から始まっています」

「同じ場所?」

チカゲが眉を上げる。

「八十年前――世界が五年間でほとんど終わった時代です。地球人口が九十五億から、約四十五万まで落ち込んだ“バイオハザード五年”。」

ブリーフィングルームの空気が、わずかに重くなった。 カラムは、椅子に腰を下ろした。

「・・お前の見立てを聞こう、Λ−Logos」

「了解」

Λ−Logosの声が、少しだけ「講義」のモードに切り替わる。

「五年で、二万分の一です」

Λ−Logosが、数字から話を始めた。

「九十五億のうち、生き延びたのは約四十五万。単純計算すれば二万一千人に一人。それが、“世界人類”から“生き残った人類”への絞り込み率です」

スクリーンには時間軸が描かれ、赤い線が急降下していく。

「第一の刈り取りは、ウイルスそのもの。 戦争の中でばら撒かれた行動制御因子の初期株は、致死性が高すぎました。脳を焼き、狂犬病のように暴れさせ、宿主も周囲もまとめて殺した」

赤い線が、最初の一年で一気に落ちる。

「第二の刈り取りは、食糧システムの崩壊です。 近代文明の人口増加は、機械と化学肥料と、長距離物流で支えられていました。バイオハザードの混乱で、それらが一斉に止まった」

世界地図が浮かび、旧小麦地帯が淡い灰色で塗られる。

「北アメリカ、ヨーロッパ、ウクライナ、ロシア――“穀倉地帯”と呼ばれた小麦ベルトは、巨大な機械と燃料を前提にした工場です。トラクターもコンバインも止まり、人も機械もウイルスで倒れたとき、誰も“人力で耕して刈る”技術を持っていなかった」

小麦畑が、衛星写真の上で茶色に変わっていく。

「自然が豊かなら、森に戻って狩猟採集に移行する余地もあったでしょう。しかし、二一世紀半ばの地球は、すでにその余白を失っていました。熱帯雨林は伐採され、土壌は疲弊し、自生植物の多様性は著しく低下していた」

Λ−Logosの声には、わずかな哀惜のようなニュアンスが混じる。

「後進国と呼ばれていた地域ほど、打撃は大きかった。輸入穀物に依存し、現金作物とプランテーションに土地を奪われていた人々は、物流が止まった瞬間、ほぼそのまま餓死に向かった。森は戻ってこなかった。戻るほど“原生”が残っていなかった」

世界地図の広い範囲が、暗く沈む色で覆われていく。

「第三の刈り取りは、ウイルスの“仕事の終わり”です。 宿主を殺し過ぎたウイルスは、必ず自分も減ります。五年の間に、致死性の高い株は行き詰まり、“宿主を殺さず、群れごと維持する”性質の強い株だけが、あらゆる生態系に残った。」

時間軸の赤い線が、ある地点で緩やかに水平に近づく。

「その頃まで生き残っていた集団には、二つの共通点があります」

Λ−Logosは、地図上にいくつかの小さな点を浮かべた。

「一つは、食糧自給ができたこと。 機械も、輸入も、肥料も、ほとんど期待できない環境で、人間の筋肉と小さな道具だけで回せる生産体系が残っていた場所です。」

地図の上に、いくつかの帯が浮かぶ。 東アジア、東南アジア、インド東部――「水田」が集中していた地域だ。

「稲は、小麦と違います。 灌漑さえ維持できれば、小規模な共同体でも、人力で耕し、植え、刈れる。何世代にもわたって受け継がれてきた“田植えと水管理の技術”は、機械化のあとも完全には失われていなかった。」

チカゲが小さく頷いた。

「つまり、“昔に戻れる”農業だけが、五年を越えた」

「はい」

Λ−Logosが肯定する。

「もう一つの共通点は、ウイルスとのタイミングです。 初期の猛毒株が吹き荒れた時期に直接晒されなかった場所――海で隔てられた島嶼や、交通の末端にある小さな谷筋。そこに住んでいた人々は、遅れてやってきた“毒性の下がった株”に感染した。」

衛星写真の中で、大小さまざまな島が点灯する。 日本列島、インドネシアの一部、小さな環礁群。

「致死性は低いが、行動制御モジュールは残っている。 その結果、蜂や蟻のような“群れ方”をする人間だけが生き残った。バラバラでは飢え死にする世界で、“巣”を作り、“吠え場”を作り、互いの役割を埋め合える者たちです。」

ルイスが腕を組み直した。

「つまり、この島の連中は――“毒性の下がったウイルス”に感染したうえで、稲か何かで食いつなげる共同体を維持できたから、生き残ったと」

「概ねそうです」

Λ−Logosは、簡潔に認めた。

「この島の上にある学校も、元は“稲作共同体”の一部だった。都市と農村が混ざり合い、ギリギリのところで稲の知識と都市インフラの断片が両方残った。その上に、ウイルス製の“群れのOS”がかぶさって、今の“巣”と“吠え場”になっている。」

スクリーンには、島のマップと、そこに張り巡らされた微生物ネットワークの可視化図が重なる。

「・・で、月は?」

カラムが、少し皮肉を混ぜて言った。

「月面は、地球のウイルスから逃げることには成功しました。 代わりに、宇宙線と閉じた環境と、限界点を越えた人口密度とで、別の“選別”を受けた」

Λ−Logosの声が、わずかに柔らかくなる。

「結果として、ここにいるあなた方は、“蜂・蟻型”ではなく、“チーター型”の適応を進めてきました。少人数・高能力・高速対応。――両者が出会うのが、ちょうど今、というわけです」

ブリーフィングルームに、静かなざわめきが走った。 チカゲは、モニターに映る島の地図を見つめながら呟いた。

「五年でほぼ全部死んで、そのあと七十五年かけて、それぞれ別の“人類のかたち”が固まったのね」

Λ−Logosは頷いた――ように見える信号を返した。

「今、ここで交わることが、“家畜としての安定”になるのか、“別の門”になるのか。十話目の報告は、そのプロローグです」

同じ頃、地球の巣では、別の報告が続いていた。

体育館の奥、元ステージだった場所に巣母が座り、その前に十人ほどの年長組が輪になっている。 アキとキは、その輪の手前に膝をついていた。

「・・鉄の人たちに会った」

アキが、短くまとめる。

「空から落ちてきた? それとも、地面から?」

年長の女が訊ねる。

「上から。空の魚みたいな鉄の箱から、鉄の人が降りてきた。匂いは、港の鉄より白くて、吠え場の鉄より静か。・・巣母の血の匂いに、少し似てる」

巣母の眉がわずかに動いた。

「噛まれた?」

「噛まれてない。・・触られた」

今度はキが前に出た。

「鉄のかたい皮の上から、指でさわった。冷たくて、つるつるしている。中の匂いは、まだよく分からない。でも、“巣に入りたがってる匂い”だった」

「吠え場は?」

別の男が問う。

「来た。牙を連れて。・・でも、鉄の人たちは噛まないで、光で叩いて逃げた」

アキの説明を聞きながら、巣母は静かに目を閉じた。 巣のささやきが、彼女の中で波を打つ。

(外から来た鉄) (昔、空から降ってきた鉄)

「・・“五年の話”を、もう一度しておきましょうか」

巣母が目を開け、輪になった子どもたちを見回した。

「鉄の人の匂いがするなら、あの頃の話を思い出しておく必要がある」

巣母は、昔話をする時だけ、少し違う声を出す。

「昔、まだ巣母が生まれるより前の話。 世界には、人がたくさんいた。空を鉄の鳥が飛び、海を鉄の箱が走り、大地には、小麦の草が果ての見えないところまで並んでいた」

小麦、という言葉に、子どもたちの顔が曇る。 誰も本物を見たことはない。ただ、古い絵本の中に、黄金色の草原として描かれていた。

「でも、その草たちは、人の手なしでは生きられなかった。 肥料を食べ、薬に守られ、鉄の獣に耕されることでしか、生きていけなかった。森は削られ、川は真っ直ぐに石で固められ、“野の草”はほとんど残っていなかった」

巣母の祖母から聞いた言葉を、そのまま繰り返している。

「そこに、“狂う病”が来た。 人の頭の中に巣を作り、噛ませ、走らせ、叫ばせる病。最初の五年で、十人いたら、十人が死んだ。――いや、本当は二万人いたら、一人だけが残った、と聞いている」

アキの胸の奥で、何かが冷たくなった。 自分たちの島の巣母でさえ、世界の中では「二万分の一」の血を継いでいるに過ぎない、という感覚。

「小麦の草の人たちは、ほとんどいなくなった。 鉄の獣を動かせなければ、草は刈れない。薬も肥料も作れないから、土は痩せて、草は病気で倒れた。森も、もう戻ってこない。戻る“元”が、切り刻まれていたから」

巣母は、体育館のひび割れた床板を指先でなぞる。

「自然は、壊してもすぐには怒らない。 だから、人は“まだ大丈夫”“まだ足りる”と思って、最後の一本まで木を切り、最後の一匹まで魚を獲った。“怒り”が見えるようになったときには、もう“元”が無くなっていた」

誰かが、ごくりと喉を鳴らす。

「でも、稲だけは、ちょっと違った」

巣母の声が少し柔らかくなる。

「稲は、水を張った田んぼで育つ。 手で苗を植え、手で草を取る。鉄の獣がなくても、時間をかければ人の手でできる。そして、この島みたいな小さな場所では、人が少なくても、田んぼを守れた」

稲の話になると、巣の子どもたちの目つきが変わる。

彼らは、田んぼというものを知っている。 海沿いの小さな段々田んぼで、今も細々と水を張り、稲を植えているからだ。

「巣母の祖母が言っていた。 “稲は人を裏切らなかった”って。森も海も、もう昔のようには戻ってこない中で、稲だけは、人の手を受け入れ続けた」

アキの中で、稲の匂いが立ち上がる。

田んぼの泥の匂い。水に浸かった根っこの匂い。 夏の昼間、熱くなった水面から立ち上る甘い蒸気。

「もう一つ、生き残った場所には、共通するものがあった」

巣母は、アキとキを見た。

「“巣”だ。 バラバラでは生きられない世界で、みんなで食べ、みんなで見張り、みんなで子どもを育てる巣。“家族”だけじゃ足りない、“共同体”が残ったところだけが、巣母の祖母は、『人を狂わせる“なにか”の毒が弱くなったおかげで、巣が残れた』って言っていた。」

子どもたちは、自分たちの体育館を見回した。

古い学校の建物を包むように、その周囲には段々畑と田んぼと、小さな養魚池がある。 それらを一つずつ、誰かが守っている。

「この島は、海に囲まれていたから、“最初の狂う病”には少し遅れて触れた。 その頃には、病の方も学んでいた。“全部壊すより、巣を作らせた方が、自分も長く生きられる”って」

ささやきが、巣母の中で静かに同意する。

「だから、今の私たちは、少しだけ“蜂や蟻”に似ている。 巣母がいて、匂い読みがいて、吠え場がいて、皮型がいて・・みんなで一つの“生き物”みたいに動く」

巣母は、ゆっくりと息をついた。

「そこに、空から“鉄の匂い”が戻ってきた。 五年で世界を壊した頃の鉄か、それとも、別の“門”から来た鉄か」

アキとキの胸の奥で、何かがざわざわと動いた。

鉄のバイザーを触った感覚。 冷たさの下に隠れていた、知らない匂い。

「・・だから、よく見なさい」

巣母は、二人にだけ聞こえるような小さな声で続けた。

「鉄の人が、私たちを“家畜”にするのか、それとも、一緒に“別の生き方”を探すのか。嗅球を大きくされた子どもたちの仕事は、その違いを嗅ぎ分けることよ」

アキは、鼻の奥の玉がじん、と熱くなるのを感じた。

自分の中の匂いの地図と、巣母の昔話と、空をかすめた鉄の匂いが、ゆっくりと重なり始めていた。

五年で終わった世界の、そのずっと後で。 新しい物語の十話目は、そうして静かに幕を閉じた。




♠    ♠    ♠    ♠    ♠    ♠




読むための手助け用語・世界観ノート 10


■ 小麦文明と稲作文明の運命 AIと巣母が語った「世界の終わり」の話。

小麦:乾燥した広い土地で、機械を使って大規模に作る作物。効率はいいけれど、石油や機械が止まると一瞬で全滅してしまいます。欧米型の「個人主義・効率主義」の象徴。

稲(コメ):水と泥の中で、手間ひまかけて作る作物。機械がなくても人の手で守れるけれど、近所のみんなと協力(水管理)しないと作れません。日本・アジア型の「集団主義・共同体」の象徴。 世界が崩壊したとき、生き残ったのはハイテクな小麦文明ではなく、「面倒くさいけど、みんなで助け合う」稲作文明だった、という歴史の皮肉です。

■ ウイルスと「空気を読む文化」 生き残った人々は「毒性の弱いウイルス」に感染しました。 このウイルスは、人を殺す代わりに「みんなと同じ行動をとらせる(群れさせる)」性質を持っています。 これはまさに「空気を読む力」の生物兵器版。 個人のワガママを捨てて、群れ(巣)全体の利益のために動く。そうしないと稲作もできないし、飢え死にする。 今の日本社会にある「同調圧力」が、この世界では生存のための「最強の武器」として描かれています。

■ チーターと蟻(アリ) 月の人類と、地球の人類の対比。

チーター(月):一匹でも強くて速い。エリート個人主義。

蟻(地球):一匹は弱くても、群れれば最強。究極の集団主義。 ユウ(チーター)がアキ(蟻)の群れに入ったとき、何が起きるのか。物語のテーマがくっきりと浮かび上がってきました。

■ 鉄の人が「家畜」にするのか 巣母の懸念。 かつて人間が牛や豚を管理したように、月の人類(ユウたち)は、ウイルスに感染した地球人を「便利な労働力」や「実験動物」として管理しようとするかもしれません。 「文明を持っている方が偉い」という思い上がりに対し、巣母は「どっちが生き物として強いか、見定めてやる」という野生の誇りで対抗しようとしています。

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