その翡翠き彷徨い【第71話 天界セフィラ、異界の黄昏】

七海ポルカ

第1話





 何故私には心があるのだろう。



 それはずっと心に巣食う想い。

 心憂うことが無駄だというのなら、何故私にそれがあるのだろう。


 クリスタルの棺に眠る美しい金髪の青年を見下ろす。

 この神は私の『兄』だ。

 もちろん兄といってもそこに『人間』のような、

 気安く馴れ合った気持ちがあるわけではない。

 同じ使命を持ち、一つの魔力を分け合い、特別な座に収まった。


 私はこの『兄』とまともに話したこともなければ共に風に戯れたこともない。

 そうしたいと願ったことももちろん一度も無いし、これから先もないだろう。

『姉』というより……これは自分自身なのだ。


 私達は同じ『もの』なのである。


 冷たい表情で眠る、今は命の鼓動さえその器に宿らない抜け殻。

 私も任を解かれ眠っている時はこうなのだろうとそう思う。


 この天界【セフィラ】には四大天使が存在するが、同時に目覚めることを許されるのは一人しかいない。その強大すぎる力ゆえに。



 私達四人は同じ存在でありながら性格が違う。

 考え方も、

【エデン天災】の影響を受け、一時的に精霊が増大している地上で、特別な魔力を有する人間たちをこの【セフィラ】に連れ帰り、自分のものとする、その任に対する取り組み方も違う。

 だが違うとしても同じものであるのだ。


 数年前……と言ってもこの特別な異界に切り離された【天界セフィラ】では、その数年の時が人間の時代より遥かに長い年月なのだが、私が目覚める前に覚醒していた四大天使の一人は妹の【ガブリエル】だった。

 だが私達の中で最も人間寄りの考え方をしているガブリエルは、決められた期間の任をやりきる前に【エデン天災】の混乱の中、死んでいく人間たちに憐れみを覚え、魂の疲労を見せたため、天界を統べる【熾天使してんし】の命により、予定より短い時間での眠りにつくことになった。


 彼女はいつもそうだ。


 かつてまだ【天界セフィラ】に異界の魔物が溢れていた頃【熾天使】の為に働いた功績があり、彼女は熾天使からの信頼が篤い。

 だから四大天使の名を落とすような行いをしても、いつもこうして安らかな眠りにつくことを許される。


 そして私は四人の中でも最も自我のない天使だと言われているから、ガブリエルが遂行しきれなかった時間の埋め合わせとしていつも不意に呼び覚まされる。


 以前はただ、不意に訪れた目覚めを何とも思わなかった。


 自分が優れているからガブリエルの代わりに目覚めたのだと思っていた。

 だがそんな私を見て大天使バラキエルは未熟者だと詰ることがある。



『人間たちをただ天界セフィラを守る道具だと思っているだろう。

 お前が連れ帰って来る人間を見ていると、お前の未熟さがよく分かる。

 ミカエルやラファエルに従う魔術師たちは忠義に満ちて勇敢だが、お前の下僕は不忠が多く魂を劣化させる者が最も多い。

 お前の人間を見極める神眼が未熟だからだ』



【ミカエル】の棺の前には今日も神界の花が手向けられている。

 ここに侍女や下級天使は入ることは許されないが、ミカエルの魔力を分け与えられた魔術師たちには特別にそれが許される。

天宮てんきゅう】からは少し離れた所にある、この静かなミカエルの居城には彼の眷属である魔術師達がいつも祈りに現われる。


【天宮】内に居城を持つ【ガブリエル】は言うには及ばないが――では、私は?


 

 私に花を手向ける者はいない。

 私は魔術師たちの名は呼ばない。

 彼らは総じてこの天界セフィラで従事する者達なのだ。

 私の所有物ではない。

 一人一人名を呼び自我を呼び覚ますなど意味のあることだと思えなかった。


 私が眠りにつき、目覚めると、私が以前地上から連れて来た魔術師達は、ほとんどが魂を劣化させて消滅している。


 ……私は弱いのかもしれない。

 いつしか、そう考えるようになった。


 任務を途中で投げ出すような、恥ずべき【ガブリエル】よりも私は弱いのだ。



「自分が何の為に存在するのか、よく考えろ。私をこれ以上失望させるな」



 輝くバラキエルが冷たい表情で私を睨みつける。



「次の大戦まで私が任に就く。お前は不要だ」

「……でも私はまだ出来る」

「これ以上私を怒らせる前に視界から失せよ」

 黄金の瞳が私を射抜いた。


「お前は。

 何の為に眼を開いているのだ?」


「……」


「見誤ることしか出来ないのだとしたら。

 眼を刳り貫いた方が良いのではないのか?」



 広大な草原を去り行く彼の姿が、天界セフィラの黄昏時に溶けて行く。


 立ち尽くした。


 そして……この感覚はなに?

 胸が締め付けられるような。


 私が弱いことなど許されない。

 いや、弱いはずがないのだ。

 何故なら私は生まれながらに【完全なる器】として生み出されているから。


 私が弱いはずがない。

 心など、痛むはずがない。



 ――私は四つに欠けたものの一つではない。

   わたしはわたしというだけで、完全なのだから。




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