ムーンライト・デュアリティ・満月の夜までに
御園しれどし
第1話 中秋の名月まであと五日
1. 最後の五日間
湿った空気と、埃とオゾンの匂いが混じる地下室。
それが、神無 美月(かんな みつき)の過去七年間の世界だった。
東京郊外に打ち捨てられた「西王母(せいおうぼ)研究機関」の旧棟。
その最下層に、彼女は密かに研究ラボを築いていた。
視線は、無数のコードと光るフラスコが並ぶ作業台に注がれている。
しかし、彼女の意識は、
常に壁に貼られたカレンダーの赤い丸に引き寄せられていた。
【中秋の名月】まで、あと五日。
美月は、細く長い指先を研究台の強力な照明にかざした。
「また、進行している……」
ため息と共に呟いた。
指の皮膚の下、細胞の隙間。
そこに満月の光が差し込んだかのように、
微細な青白い光の粒が瞬き、骨の輪郭が曖昧に透けて見える。
これは、体内に潜む超加速老化阻止ナノマシンが、
月の引力に共鳴し始めている証拠だった。
七年前、彼女はこのナノマシンを服用することで
「永遠の命」を手に入れた。
しかしその真の代償は、満月の夜に
「光の粒子」となり、
月に引きずり込まれるという、
途方もない運命だった。
「間に合わせないと」
美月は自分に言い聞かせるように、
キーボードに手を戻した。
解毒ナノマシンは、体の透化を止めるだけでなく、
月の光が持つ
「狂気(欲望・死の恐怖)」の側面を、
「安らぎ(生と死の受容)」
の側面で相殺する設計が必要だった。
しかし、理論は確立しても、実証が追いつかない。
外はもう夜の帳が下りていた。
この数日、美月の周辺では、月の光が持つ
「狂気の副作用」が顕著に現れ始めていた。
彼女のナノマシンが活性化するにつれて、
近隣の住民たちが些細なことで争い、
突然衝動的な行動に出る事件が頻発していた。
彼女は、自分自身が世界を狂わせる
「疫病神」になりつつあることを知っていた。
この力は、愛する人を遠ざけるための、決定的な理由だった。
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2. 追跡者の影
同じ時刻、都市の喧騒を離れた一室。
弓削 光(ゆげ ひかる)は、
モニターに映し出された複数の事件データを前に、
険しい表情をしていた。
「集団ヒステリー。原因不明の錯乱。
共通点はすべて、この廃墟を中心に半径数キロ圏内で起きている……」
光は、七年前の西王母事件以降、
美月の行方を追うために対テロ特殊部隊を退役し、現在は機関の残党が設立した「仙薬捜索チーム」の隊長という名目で、非公式に活動していた。
彼の視線の先には、美月の隠れ家である廃墟の航空写真が拡大表示されている。
「美月……お前が近寄ると、周囲が狂い始めるのか」
美月を救えなかった罪悪感が、光の精神を常に蝕んでいた。
そして、今。
月の光を浴びながらの追跡は、彼の心の中にある、
美月への執着と、失うことへの底なしの恐怖を増幅させていた。
「(俺のそばに置いて、閉じ込めてしまいたい)
……いや、違う。俺は彼女を救うんだ。普通の生活に戻すんだ」
光は乱れそうになる思考を振り払い、
精密射撃で鍛えた冷静さを無理やり保った。
彼は腰に下げた、特注の高精度ライフルを撫でた。
「あと五日。満月の夜までに、お前を見つけ出す」
光は、廃墟の旧管制センターの通用口の配置、
防犯システムの残骸、侵入ルートを頭の中で組み立て始めた。
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3. 七年ぶりの再会と襲撃の夜
翌日の深夜。
美月は、研究データをバックアップするため、
量子コンピューターを起動させていた。
その稼働音だけが、静寂を破る。
彼女の体は、透化現象がさらに進行し、
肌が薄い夜光塗料のように青白く発光し始めていた。
その時、電子ロックが、無音で解除される微かな音が、美月の耳に届いた。
「馬鹿な……このコードを破れるのは、この世で一人しかいない」
美月が作業を中断し、身構えた直後、地下室の鉄の扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、7年間、
美月の夢と悪夢に現れ続けた、愛する男の姿だった
。
「美月」
弓削 光の低く、切実な声が、凍てついた地下室に響いた。
「……なぜ来たの、光」
美月は顔の表情一つ変えず、感情を押し殺す。
「私に構うなと言ったはずよ」
光は一歩踏み出し、美月の透けて光る指先に視線を落とした。
「その体を見ても、放っておけるわけがないだろう!
なぜあの時、俺を信じなかった」
光の目が、怒りと悲しみで揺れる。
その時、彼の頭の中で、
「彼女を軟禁してしまえ」
「一人では絶対に渡すな」
という、強迫的な狂気の声が響いた。
月の光が、二人の再会すらも歪めようとしている。
美月は、光の心の変化を敏感に感じ取り、さらに距離を取ろうとした。
「あなたはもう、私のことを諦めるべきだった
「諦めるわけないだろ!
」
光がさらに踏み込もうとした瞬間、爆音と共に、地下室の壁が崩壊した。
突入してきたのは、防弾装備に身を包んだ、鳳 真人の私兵部隊だった。
彼らの装備には、西王母機関のロゴが塗りつぶされた跡がある。
「発見しました! サンプル確保!」
隊員たちの無線が飛び交う。
彼らの目的は、美月の体内に残る仙薬ナノマシンの残骸と、
開発中の解毒データだ。
崩れた壁の隙間から、満月の光が地下室に差し込んだ。
光を浴びた美月の体は、一瞬にして光度を増し、青白い光を放ち始めた。
「くっ……!」
光は頭痛に襲われながらも、瞬時にライフルを構えた。ターゲットは明確。
「美月、動くな! 私兵は俺がやる! お前は、
自分の命と引き換えにしたデータを守れ!」
7年間の空白と葛藤は、敵の登場によって一時的に中断された。
英雄の「弓」と、月の「姫」は、
最悪の形で再び共闘を強いられることになった。
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