第11話 美しい泥

 スバルの覚醒から一夜が明け、スタジオの空気は劇変した。


「おいスバル、そこズレてる。感情込めすぎてリズム走ってんだよ」

「そう? 綾人くんが遅いんだと思うけど」

「はあ? チッ。オマエ、言うようになったじゃねえか」


 綾人とスバルが軽口をたたき合っている。急に、距離が近くなった感覚。

 そのせいか、ダンスのバランスも良くなった。綾人とスバルの激情がうまく絡み合って、曲のイメージをガッチリと体現している。そこに俺のラップが乗って、『HYENA』の完成度は飛躍的に向上していた。

 その陰で、だんだんと動きが散漫になっていく、シュウ。


「シュウ。お前、けっこう遅れてるぞ」


 綾人の低い声が飛ぶ。シュウは「ごめ~ん」とヘラヘラ笑っているが、その動きには精彩さがない。


(シュウ)


 踊っているあいだ、彼の指先はずっと震えていた。

 まるで重いものをずっと抱え、疲れ切った社畜社員みたいに、身体が拒絶反応を起こしているように見える。

 ヘラヘラした態度の裏に、嫌なことを全部隠しているのではないか。そんな気がして不安になる。

 休憩時間。

 シュウが逃げるようにトイレへ立つのを見て、俺は後を追った。


 *


 男子トイレの洗面所。

 シュウは鏡に顔を近づけ、ファンデーションの崩れを必死に直していた。

 その目は赤く血走り、鬼気迫る雰囲気でパフをトントン押し当てている。陶器の人形みたいな横顔に、俺は声をかけた。


「丁寧なメンテナンスだね、シュウくん」


 シュウがビクリと跳ね上がる。


「うわっ! あ、ルキィ。ビックリさせないでよォ」

「ごめん、ごめん。でも、少し神経質すぎないか? もう十分綺麗だよ」


 俺の言葉に、シュウの表情からスッと愛想笑いが消えた。

 シュウの目は鏡の中の自分を睨みつけている。


「十分なんかじゃない」


 その声は震えていた。


「僕には、顔しかないから。綾人くんは演技力がある。スバルは努力家。リクトくんは、なんか頭脳を使って上手くやってる。キミだって実はラップが上手い。でも、僕にはそういうの、何もないし」


 彼がそう言うのは意外だった。

 元トップモデル、柊シュウ。日本人の若者で、彼を知らない人はいない。確実に、何もない人間ではない。


「無いことないだろ。シュウは誰もが羨む経歴の持ち主じゃないか」


 シュウに何もなかったら、俺なんてどうなる。ただの社畜だぞ。

 だけどシュウは自嘲的に笑って、首を横に振った。


「経歴って言ったって、僕の努力とか実力とか関係ないし。『君は喋らなくていい』『ただ立って笑ってればいい』ずっとそう言われてきたんだよ、僕。僕の価値は、この顔の造形だけ。中身なんて、誰も期待してないからさァ」

「はあ? なに言ってんだよ。みんなシュウの歌、ダンスを楽しみにしてる。ファンはシュウの顔だけじゃなく、全部を好きに決まってる!」


 俺は洗面台に手を打ち付けた。

 カツンと音がして、シュウは唇を噛んだ。

 シュウは鏡を見ながら、自分の頬に爪を食い込ませている。


「そんなはずないよ。僕は外見だけ。なんていうかさァ、怖いんだよねェ。スバルみたいに殻を破って、中身をさらけ出したら、僕の中身が空っぽだってバレちゃうじゃん? ただのガラクタだって、バレちゃうじゃん。歌? ダンス? 無理、無理。がんばったって無駄なのよ。顔しかないから、僕は」


 彼の美しい顔が、恐怖で醜くゆがんだ。


「顔が崩れたら、僕は価値がなくなる。だから僕は、常に、美しくなきゃいけない。絶対に。曲のテーマなんか知らないよ。どんなテーマだって、僕に出せるものは『美』だけ。美を追求して、美を演出して、美を押し出して、美をアピールする。それしか僕はできない。僕は、このビジュアルだけで生きてきたんだ。だから全部、美で押し通す。絶対」


 シュウの眼力が、鏡の中のシュウに突き刺さる。

 美しさという、パッケージだけを売ってきたシュウ。心の中は外見と打って変わって、驚くほど単調で、薄暗かった。

 俺は、ため息をひとつつく。


「馬鹿だなあ、シュウは」


 シュウの肩に手を回し、抱き寄せる。


「美だけ? ガラクタ? 違うだろ。だって、見てみろ」


 俺は彼の手首を掴み、勝手に袖をまくり上げた。


「ちょっ」


 抵抗するシュウの腕には、無数の怪我があった。練習でできたアザ、上手くいかずに引っ掻いた傷、怒りと苦しみを押し殺して握り締めた内出血。

 外から見えない二の腕や太ももにも、たくさんの湿布が貼られているのを俺は知っている。練習で身体を追い込んでいることを、俺は知っている。

 俺は、シュウに優しく笑いかけた。


「美しくあるために、君が誰よりも影で汗をかいてきたのを知ってるよ。涼しい顔で立つために、必死で鍛えてきた。それは立派な才能だ」


 シュウが目を見開く。


「自分の商品価値を理解し、それを維持するために血を吐くような努力をする。それをプロフェッショナルと呼ばずに、何と呼ぶんだ」


 俺は鏡の中の彼を指差した。


「君の顔は、ただ生まれつき良いだけじゃない。君の執念が作り上げた芸術作品だよ」

「ルキ」


 その時、トイレの個室のドアがバンッ! と開いた。

 は? なんだよ、誰かいたのかよ。

 驚く俺たちの前に出てきたのは、不機嫌そうな顔をした綾人だ。


「あ、綾人くん?!」

「だまって聞いてりゃ、ウジウジウジウジうるさいんだよ」


 綾人はシュウに歩み寄り、その胸ぐらを掴んだ。


「顔しかないなら、その顔を死ぬ気で使え」

「えっ」

「アンタ自慢のその『美しい顔』に必死さを乗せてみろ。アンタは知らないだろうがな、心の底からの情熱を乗せた顔ってのは、アンタが思ってるよりずっと綺麗なんだよ。演技じゃできない顔。それが一番美しい。俺はそれを知ってる」


 綾人の言葉には説得力があった。

 元天才子役は、きっと、演技では敵わない本物の美しさを知っている。

 綾人が乱暴にシュウを離す。


「綺麗なすまし顔を見せて、誰が心打たれるんだよ。心を動かす顔ってのはな、必死に食らいついてる、泥だらけの顔だ。綺麗な顔なんてさっさと崩せ。話はそれからだ。だいたい――中身空っぽの奴が、こんなに泥臭くあがけるわけないだろ。自分を見くびりすぎだ」


 フイッと顔をそらした綾人が、水を思いっきり出して手を洗う。

 シュウはそんな綾人を呆然と見つめ、それから、フッと笑った。


「ちょっとォ、僕のこの綺麗な顔に泥を塗れってェ? 綾人くぅん、不細工を晒して人気が落ちたら、責任取ってくれるんでしょうねェ?」

「はあ? ウザ。知らねえよ、自己責任だ、馬鹿」

「あっは。辛辣ゥ」


 シュウが下品に笑う。

 だがその瞳は、今までで一番強く輝いていた。


 *


 スタジオに戻った俺たちの気迫に、リクトが目を見張る。


「あれ? シュウ、ずいぶん良い顔してるね」

「まあねェ。さ、練習再開しよ!」


 シュウの合図で曲が始まる。

 綾人が吠える。スバルが舞う。俺が刻む。そしてシュウが、前に出る。

 彼はもう、涼しい顔を作らなかった。

 顔を歪め、汗を飛び散らせ、なりふり構わず架空の客を睨みつける。

「僕を見ろ!」という強烈な自我。鬼気迫る、美しさ。

 それは綺麗なだけのモデルではない。ステージを支配する、アイドルの顔だった。


 ――ジャンッ!


 ラストのポーズを決め、全員が床に倒れ込む。

 荒い呼吸音が重なる。この余韻が、とても気持ちいい。

 そんな中、大の字になって天井を見上げていたシュウが言った。


「ねえ。今の僕、ひどい顔じゃなかった?」

「ああ。すんげえ、ひどかった」


 綾人がニヤリと笑う。


「でも、今までで一番マシだった」


 綾人の言葉に、シュウが満更でもなさそうに頷いた。


「よし」


 リーダーのリクトが立ち上がる。


「この調子で、アベンジャーズの首、狩りに行こうか」


 決戦は、もうすぐだ。

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