第9話 元天才子役
『HYENA』レッスン初日。
鏡張りの壁に囲まれた洗練された空間に、神経質なスニーカーの摩擦音が響く。
「――止めろ」
鋭い声と共に、重低音のビートが断ち切られた。
制したのは、元天才子役の坂下綾人。濡れた前髪をかき上げもせず、隣で踊っていた柊シュウを睨みつけた。
「おいシュウ。お前、センターに立ちすぎなんだよ。下がれよ」
綾人の声は低く、地を這うような怒気をはらんでいた。
対するシュウは、悪びれもせずにタオルで汗を拭っている。
「えぇえ? ダメェ? だって綾人くんの動きが地味だからさあ。そんなんじゃ勝てなくなァい?」
「地味じゃない。歌詞を見ろよ。ここは『闇に潜む』だぞ? お前が前でキラキラしたら、曲の世界観が死ぬ。下がれ」
ふたりのするどい視線が交差する。
「やだよ。綾人くんこそ勝つ気ある? これさァ、僕たちの『HYENA』なんだよ? 僕たちのウリ、わかってるよね? 華のある『HYENA』にしなきゃ駄目でしょ。綾人くん、ちょっと歌詞にこだわりすぎくない?」
「こだわらなきゃ良い作品にならないだろ。こだわれよ、お前も」
「こだわってるじゃん、見た目とか」
「そこがズレてるって言ってんだよ。作品の意図を読み解けよ!」
スタジオの空気が軋んだ。
(ひえぇ、なんちゅう空気だ!)
俺は綾人とシュウを交互に見た。
綾人は作品の解釈、解像度を優先している。
一方シュウは、自分たちの持ち味を生かすことを優先しているようだ。
どちらも間違っていない。が、お互い歩み寄ることをしないから、バッチバチにぶつかってしまう。
俺は、どうしたものかと部屋の隅へ目を向けた。
そこには、この一触即発を完全に無視し、ひとり黙々とステップを踏み続けているスバルがいる。
(完全に自分の世界に入ってる……)
この喧騒に動じないメンタルの強さは尊敬に値する。が、チームとして、駄目だろう。
なんというか、カオス。
みんなやる気に満ち溢れているものの、情熱のベクトルが四方八方に散らばっている。しかも、互いを傷つけ合っているからタチが悪い。優秀なエンジニアとデザイナーとマーケターが、互いの領分を主張して殴り合っている状況と同じだ。
「あぁあ。まとまらないねえ」
リーダーのリクトが、壁に寄りかかりながら膝を立てて座って、優雅にミネラルウォーターを飲んで言った。ニンマリ笑うような瞳。この状況を楽しんでいるみたいだ。
困り果てた俺と目が合うと、リクトは美しいウインクを投げて寄越した。
「任せたからね、マネージャー」
リクトの目がそう告げる。
鬼か、この王子様は。
「とりあえず、休憩しようか」
俺が声を張り上げた。
仕方ない。
殺伐とした空気を換えるには、クールダウンが必要だ。
シュウはため息をつきながら部屋の隅へ行って、スマホをいじり始めた。スバルも、壁に向かって瞑想している。
「チッ」
そんな中、綾人はひとり乱暴に足を踏み鳴らし、部屋を出て行った。
その背中は、拒絶の壁みたいに大きい。俺は慌てて綾人を追いかける。
自販機コーナーへ向かうと、自販機前のベンチに黙って座る綾人を見つけた。
モヤモヤと負のオーラが見える。
はあ。ここで話を聞いてやるのも、職場の年長者として大切だよな。
俺は自販機で微糖の缶コーヒーを二本買い、彼に近づいた。
「お疲れ、綾人くん」
綾人は「話しかけるな」と言わんばかりに、ギロリと俺を睨む。
ひるむな、俺。俺はグッと口に力を入れる。
綾人は美しく、誰からも愛されるような顔をしていた。だが、その瞳は飢えた獣のように血走り、黒く濁っている。
俺は心の中で「よし」と気合いをいれ、缶コーヒーを差し出した。
「糖分摂りなよ。イライラも収まるよ」
綾人は缶コーヒーに視線を落とし、一瞬ためらった。が、ひったくるようにそれを受け取った。
プシュッ、という音が静寂に響く。
一口飲んで、綾人は吐き捨てるように言った。
「あいつら、何もわかってない」
缶を持つ綾人の手に青筋がたつ。
「この曲のテーマは『飢え』と『怒り』だ。ヘラヘラ笑って顔売る曲じゃねえんだよ。どいつもこいつも表面しか見ようとしない。腹立つ」
「うん、……そうだね。君の解釈は正しい」
「当たり前だ」
グッとコーヒーを飲み干した綾人が、空き缶をゴミ箱へ放る。
するどく投げられた缶はゴミ箱のふちにガコンと当たって、見事に中へ落ちた。
「俺は四歳の頃からカメラの前に立ってる。笑えと言われれば笑ったし、泣けと言われれば三秒で涙を流した。大人の求める『正解』を出し続けることが、俺の価値だ。その才能に自負もある」
天才子役、坂下綾人。
CMで見ない日はなかった。
だが、この口ぶり。天才の裏には、視聴者の知らない闇がありそうだ。
「俺は言われた通りなんでもやった。『綾人くんは賢いね』『言った通りにできて偉いね』ずっとそう言われて育った。……でも、俺の意思はどこにも存在しない。俺はただ、性能のいい操り人形でしかなかった」
綾人の声が震える。
それは、長年蓄積された呪いのような告白だった。
「俺だって自分を表現したかった。だからオーディションに参加したんだ。俺はもう、操り人形の子役じゃない。俺を見てもらう。そう思ってきたのに、……結局これだ」
彼は自嘲気味に笑い、唇を噛む。
「『顔がいいから採用』? ふざけんなよ。結局また、中身なんてどうでもいい、人形として立てって? そんなことのためにここまで来たわけじゃねえよ。俺は俺の思う表現がしたい。俺はもう、誰かの言いなりになるのは御免なんだよ!」
ドンッ! と、綾人がベンチを殴った。
彼の怒りの正体。それは、単なるワガママではない。
自分を表現したい、自分を見てほしいという、悲痛な叫び。表現者としての飢えだった。
彼の傷みが俺の心を刺激する。
「綾人くん」
俺は静かに、エアネクタイを緩めた。
今ここで「わかるよ」と彼を慰めるのは簡単だが、それは彼のプライドが許さないだろう。
必要なのは、共感ではない。
対等なビジネスパートナーとしての提案だ。
「ここは残酷な場所だよね。顔で選ばれ、数字で評価される」
綾人の顔がゆがむ。
「ああそうだよ。わかってんなら、ほっとけ」
「そうはいかないよ。クライアントの評価は絶対だ。だからこそ俺たちは、俺たち全員で、クライアントを唸らせるものを提供しなきゃいけない」
「だから周りの意見を受け入れろって? ふざけんなよ」
チッと綾人が舌打ちする。
俺は綾人と視線を合わせた。
怯むな。ここで引いたら、この猛獣は二度と心を開かない。
「一方的に受け入れろとは言わない。でも、みんなを『利用』しなよ」
俺の言葉に、綾人の眉がピクリと動く。
「シュウくんの華やかさは、作品の『怒り』を表現するときの対比になる。スバルくんの淡々としたダンスは、作品の『飢え』の表現を支える土台だ。君の演出で、みんなの個性から作品のテーマを表現するんだよ」
「演、出」
俺は言葉を重ねる。
「そう。綾人くんの解釈は間違ってない。でも、シュウくんたちの良さを消す必要もない。上手く融合できるはずなんだ。まあ、素人の俺にはできないけどさ。だけど、綾人くんならできるでしょ。プロとして、芸能界の第一線で活躍してきた『坂下綾人』なら」
綾人は数秒、俺の顔をまじまじと見つめた。
やがて、その瞳から険しい殺気が消え、決意のような色が浮かんだ。
「チッ。しょうがねえな。そんなことを言われて断れるかよ」
綾人が小さく笑って、俺はニッコリとほほ笑み返した。
綾人はきっと大丈夫。あとは、シュウとスバルだ。
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