ルー・ジーレ・フーラ!
花野井あす
ビ------->ム
「きみは「ルー・ジーレ・フーラ」に悩んでいるのですね」
わたしの問いに、あなたは首を縦に振らざるを得ないだろう。事実、あなたはずっと、その憎々しい空耳に悩み続けているのだから。寝ても覚めても「ルー・ジーレ・フーラ!」、くだらないジョークを発する途中、ふと思い立った時、用を足してホッとした瞬間――あらゆる時に、「ルー・ジーレ・フーラ!」「ルー・ジーレ・フーラ!」と言葉が頭のなかでこだまする。静まることを知らない空耳。あなたは何にでも縋りつきたい、そんな切実な気分に違いない。よってこう言うことだろう。
「先生。この気の狂いそうなほどにしつこい呪いから解放される方法を、ご存じか」
「ええ、もちろんです。――が。その方法を教える前に、その事象が起こる理由を知る必要があります」
「もちろんだ。ぜひ聞かせてくれ、先生」
さて、あなたからの許しを得たわけなので、わたしはあなたの悩みを引き起こす根本的なメカニズムについて語ろうと思う。
まずあなたに問おう。
あなたは、あなたがひとつの集合体であることをご存じか。
その問いに、あなたは首を傾げるだろう。それはどういった意味合いで集合体と呼んでいるのか、と。細胞の寄せ集めと言いたいのか、あなたをあなたとする経験の蓄積と言いたいのか。どちらかと言うと後者だが、少し違う。そこであなたには、あなたの頭のなかにある記憶の数々を思い浮かべてほしい。
「あなたはある種の色眼鏡を持って世界を観測し、色眼鏡によって偏りを持った情報を脳に刻み付けますね。朝は和食派で味噌は昆布でないと落ち着かず、袖は右から靴は左からにしなければ、局所的な
あなたの頭のなかで一般に関する統計をとれば、母数不足どころか数値の偏りで、「世界の大半は昆布だし味噌汁を好み、袖は右から靴は左から装着し、脚フェチでプログラミングコードオタクである」などと名誉なのか不名誉なのか定かでない結論に陥ることだろうが――つまり、あなたは
「
「え。脚フェチが?」
「惜しい!正確には、脚フェチをも含む集合が、です」
「全然惜しくなさそうに聞こえるんだが……」
きっと今、あなたはチンプンカンプンの疑問符を集合させているに違いない。だが
「あなたは保健体育の教科書でご覧になったことがあるだろう。小さな子がしばしば問う、「ぼくはどうやって生まれてきたの?」の答えである情報を。そう――
「……ん?」
あなたは今、何の話をしているのだ、と記憶を手繰っているに違いない。仕方あるまい。国語や数学、理科や歴史に比べて保健体育に対する意識の比重は低い。ピンクな頭のボーイであればウキウキワクワクとその講義に聞き入るだろうが、その内容を前にすれば期待なぞあっという間に打ち砕かれる。保健体育はピンクではない。神秘的だが、モノクロな感じだ。
あなたのそばで話をお聞きになっている紳士淑女もかつて学んだとおり、わたしたち人間は合成写像により子を設ける。
父親のなかの集合Xと母親のなかの集合Yから、実子Aの集合Zが生成される。少し詳細に書こう。父親は自身の集合Xから後世へ伝えたい情報を選び取り、写像ビーム f を母親のなかの集合Yへ浴びせる。母親は自身の集合Yから後世へ伝えたい情報を選び取り、コウノトリの巣へ写像ビーム h を浴びせる。コウノトリの巣は便宜的に集合体Z'とする。図に書くと以下の通りだ。
f:X→Y
h:Y→Z'
と、このあたりであなたは悲鳴をあげずにいられなくなることだろう。蕁麻疹が出始めるかもしれない。
「待て。オレ(あるいは「ぼく」「わたし」「わっち」)は数学が嫌いなんだが」
「おや。数式が出てきてアレルギー反応が出ましたか?ですがご安心ください。これは数式ではありません。ビームです」
「ビ、ビーム……?」
そう、ビームだ。
f も h も函数の類ではなくてビームの名称であり、→はビームの照射方向を指し示している。実は量を伴っており、強いビームは−−−−−−−−>のように長く、弱いビームは
さらに断っておくが、数学を学ぶ学生がいると、これは
わたしはここで、物を並べてイメージしやすいようにしようと思う。むろん、あなたはこう眉をひそめることだろう。
「駅前で配っていたティッシュと、年季の入ったブランド万年筆、それから最高級ブランドの腕時計……このマグカップの値段はわからないが。これらを並べた意味は何なのだ?」
「ティッシュから順に、父親、母親、認可証、コウノトリの巣を代表させているのですよ」
「……ん?」
そう急かさしてくれるな。
では説明を再開しよう。
今、父親と母親はひと並びに別方向へ向けてビームを放っている。ティッシュと万年筆だ。ティッシュ(父親)から万年筆(母親)へ、万年筆(母親)からマグカップ(コウノトリ)の巣へ。この現象をいちいち二行で図示するのは、紙の無駄遣いである。よって人々は数学的記法を借りて、こう記述するようになった。ただし、「 ◦ 」 はビーム合成を現す記号である。
h◦f:X→Z'
なぜ、母親の写像ビームが先に表記されるのかというと、
もちろん保健体育の教科書が示すように、子どもの誕生には父親と母親の写像ビームだけでは不足する。市役所からの認可証が必要だ。その認可証もまたビームの形を取っているゆえ、図示するとこうである。
k:Z'→Z
認可証が無ければ保険証もパスポートも取れないゆえ、立場は母親より上である。だから最高級腕時計なのだ。立場を図示すると下記のようになるということだ。
認可証>母親>>>>>>>父親
これはイコール、
最高級腕時計>高級万年筆>>>>>>>無料ティッシュ
よって子どもの出生を纏めて図示すると、こうなるのだ。
(k◦h)◦f:X→Z
式を見てわかる通り、父親の写像ビームは認可証と母親へ分配しないと存在を認められないくらい弱々しいものなのである。成功する確率は30%程度と言われるのはこのためである。
わたしの説明に、いまのあなたは満足し、大きく肯いて、それから残る疑問を口にすることだろう。
「なるほど。なぜコウノトリの巣はマグカップなんだ?」
「子どもの価値は未知数だからです。だから、値段の分からない貰いもののマグカップで例えたのですよ」
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