学校をなくそう

諺葉 王晴(げんよう きみはる)

第1話 キリンの写真

1.

救急隊員がゴルフバッグのチャックを開くと、直ぐに悪臭が漂い、子供の足が目に入った。

蓑からミノムシを取り出すように子供をゴルフバッグから慎重に引き出した。

男の子の顔は土色に変色していた。


「おい!大丈夫か・・・?」


頬を叩くが反応はない。


「駄目か・・・可哀そうに・・・」


少年は、動物園で母親らしき女性と父親らしき男性と一緒にキリンの前で映っていた写真を握りしめていた。


 けたたましくサイレンを鳴らして少年は病院に運ばれた。

少年は、目を閉じたまま、そばにいた看護師の宮崎秀子にしがみついた。秀子はまるでわが子を抱くようにやさしく抱きしめた。

「お母さん・・・」

少年はつぶやきながら、安心したように微笑んだが、誰にも気付かれることはなかった。


秀子はこの名前も知らない少年と、手に握られた写真を見て、

「この子はもしかしたら・・・きっと、この子なら・・・」

と呟きながら少年を抱きしめ続けた。


 この時は、秀子以外は誰も知らなかった。

この少年がやがて、『学校』を揺るがす存在になることを・・・。


2.

 この少年の母親は柚奈(ゆずな)と言った。柚奈は幼い頃から母子家庭だった。


柚奈の父親が勤めていた職場で大卒の年下の上司が書類を握りしめて、

「誰だ、この発注リストをまとめたのは?」

「・・・自分っす」

「商品名と、金額が一列ずれてるじゃねーか!又、お前かよ!」

周りの社員が、又始まったとため息をつく。

「すんません、直ぐに直します・・・」

「いい加減にしろや!だから中卒は使えねえんだよ、まーいいや、これから、お前のことは中卒って呼ぶから、みんなもそう呼べ!いいか、今日からこいつは中卒!」


父親はその職場を辞めた。柚奈の前で母親が言った。

「又、辞めんの?もう少し、我慢しなよ、いくらネチネチ言われてもさー。柚奈も、もう学校だよ。この子のためと思って頑張ってよ。本当に中卒なんだから仕様がないじゃん」

「このガキさえできなければ、お前と結婚なんかしなかったんだ!」

父親そのまま、家を飛び出し、帰ってこなくなった。


母親は夜の世界で生計を立て始めた。

「あー、面どうくせー」

「だりー」

が口癖であり、ため息ばかりつく。

下着姿で髪の毛をとかしながら、千円札を一枚投げた。

「柚奈、今日の分~」

柚奈は顔色を変えずに受け取る。

「今日は何を食べるの?焼き鳥?ポテチ?アイス?お菓子ばっかりでなくて、おにぎりとか野菜サンドも食べなよ~」


柚奈が呟くように尋ねる。

「今度、調理実習・・・、エプロンがいる・・」

「エプロン?あいつが出て行ってから料理なんか、作ってないし、どこにあったけ・・・出しとく、出しとく」

慎重にカラーコンタクトを入れながら、

「あんたさー、友達いるの?」

柚奈はスマホをいじりながら

「別に」

「別にじゃなくて、友達はいるの?って聞いてんの!」


「別に・・・」

「お家で、ご飯んって炊かなくなったね・・・お米の研ぎ方って・・・」

母親の携帯が鳴った。その番号を見て、

「ちっ・・・エロ親父じゃん・・・」

又、深いため息のあと、電話に出た瞬間に1オクターブ声が上がる。

「あ~、ヒロちゃん!うれしい!電話くれるなんて・・・」

柚奈は、いつものようにゲームアプリを始めていた。


 中学に進学すると、普段は親がいない柚奈の家がたまり場になっていた。やはり母子家庭の男友達が柚奈に尋ねた。

「ねえ、何でユズのスマホの待受けはキリンなの?」

「ん?まだ親父と一緒に住んでいた時に、動物園に行ったんだ。キリンの前で写真撮ったんだけど、それがうれしくてさ・・・それ以来、キリンは元気の源!」

「何でキリン?普通はライオンとか象じゃね?」

「あんな親父でも、小さい頃は大好きでさ、キリンみたいに、背が高くて、ぼーとしていてさ、なんか首が長くて・・」

「何それ、ちょー、笑える!てかさ、俺ってキリンに似てね?」

「え~、似てねーよ」

「似てるって!」

友人が強く迫ってくる。

「似てないけど・・・」

「良く、見ろよ!」

「良く、見ると似ているかも・・・・」

「そうだろう、キリンに似ているってことは、俺のことも好きか?」

「そうかも・・・」

「俺もユズのことが好きだ・・・」

「好き?こんな私のことが好き?」

「あー、大好きだ」

「うれしい・・・」

柚子のスマホをいじる時間は徐々に減っていった。


高校に進んで間もなく、柚奈は母親に告げた。

「高校辞める」

「はっ?何言ってんの、なんで?」

「子供ができた・・・」

母親は手を止めた。

「はっ?どういうこと?」

「そういうこと」

「相手は?」

「同級生」

「同級性?どうやって暮らすの?」

「向こうも辞めて働く」

「ふっ、カエルの子はカエルだね?あたしらとおんなじだね?やめな、親父の二の前だよ」

「あいつは違う!親父とは違う!」

「変わらないって!あんたの親父もそうだった・・・・・」

「だから、あたしたちは、あんたらとは違うって、あんたみたいに千円渡してすまそうとしない・・・」

母親は、震える指で煙草をもみ消して、

「百歩譲って、結婚してもいいけど、高校だけは出なけりゃ駄目・・・世間が相手にしてくれない。あんたの親父がどんだけ、苦労したか・・・」

母親の目には涙があふれていた。

「あたしが、どんな思いで、あんたに千円を渡ししていたか?わからないよね・・・お願い高校だけは出な・・・」

「てか、あいつも、あたしも、もう辞めた」

母親の顔が鬼のようにゆがんだ。

「じゃ、出ていきな。もう勝手にしな」


二人は家を出て暮らし始めた。柚奈はスーパーで働き、夫は清掃会社で働いた。間もなく男の子が生まれた。名前は、大好きなキリンの英語「giraffe」にちなんで「時羅歩(じらふ)」と名付けた。


 昨日の夜から準備をしてお弁当をつくり家族で動物園を訪れた。一番最初にたどり着いたのはキリンの前だった。

「ねえ、早く写真を撮ろうよ」

「そう、せかすなって」

写真を撮り終えて、

「あれ、時羅歩も笑っているよ・・・てか、お前、何で泣いてんの?」

「あたし、しばらく、こんなのなかったから・・・」

柚奈は笑顔に戻り、

「ねえ、こんな幸せってずうっと続くよね?」

と夫に何回も尋ねた。

「あー、ずうと、続くって!」

力強い声だった。


ある日、夫は仕事から帰ってくるなり、

「会社を辞めた・・・」

「えっ、どういうこと?」

「俺だって辞めたくて、辞めたわけじゃない・・・業績不振でリストラだ・・・・」

「何で、あんたが・・・」

「中卒・・・。人事部の同期が教えてくれた・・」

「そっ、そっ、そんな・・・」

柚奈は泣きながら、

「これじゃ、親父と同じじゃない、あのババ―の言った通りになっちゃっうじゃない、そんなの絶対無理・・・ねー、辞めてもいいけど、あんたは絶対出ていかないわよね・・・、あたしと時羅歩を捨てないわよね・・・」

「心配すんな」

蚊の鳴くような声だった。


夫は、しばらくは、就職活動を続けていたが、帰ってこなくなった。

「結局、出て行っちゃった・・・。あたしと時羅歩をおいて・・・」

「あたしと時羅歩・・・時羅歩?時羅歩?そうだ!あたしには、時羅歩がいる・・、あの人のことは忘れる・・・これからは時羅歩とのことだけを考えて生きよう・・・、私はババ―とは違う。時羅歩に寂しい思いは死んでもさせない・・・」


 学歴も資格もない柚奈が選べたのは、母親と同じ、夜の仕事だった。

しばらく二人きりの生活が続いた。


二日酔いを患うように柚奈が、

「時羅歩。ほら、今日の分」

と言って千円札を一枚渡した。


時羅歩は無表情のまま、それを受け取った。


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