Binary Garden

しーらかんす/空棘魚

プロローグ チアキとリンコ①

 落ち葉ひとつないコンクリートの地面、それを掃除する丸っこいアバター。空を飛び回るエアカーは互いにぶつかり合うことの無いようにプログラムされている。人間の制御から逃げおおせている秋の空は晴れやかで、少し肌寒いと思うような、だけども快い風が追い抜いていく。


 黒く艶やかな髪を後頭部でシンプルに結び、生真面目な顔をした彼女は首を少しさすりながら視線を前へ戻した。信号機は赤、かつての移動手段としての乗り物は地面を走っていたものたちが主流だったという。しかも制御もなく、車などの公道を走るものは運転手の技量と一定時間で自動的に変わる信号機だけを頼りに、今の何十倍、もしくは何百台の車両が走行していたそうだ。事故だらけだったというのに、どうして人はそんな移動手段をメインに生活していたのだろう。

 目の前を人工的な風が切る。通り過ぎたのは旧式の電動四輪普通車だった。


「珍しいねリンコちゃん、今日は車じゃなくて歩いて登校なの?」


 人当たりの良い笑顔をたたえた少女が親し気に話しかけた。肩にかかる長さで内にゆるく巻いた柔らかい茶髪の少女だった。リンコは一瞥するとそのまま歩きはじめる。慣れているのか気を悪くした様子もなくそのまま隣を歩き出した。


 ボブヘアーの少女―― チアキは、そのまま好きに話始める。今日の占いの話、好きなストリーマーの配信の話、昨日のご飯の話。時系列も話の内容も行ったり来たり、様々な話が飛び出す。まるで色々な味の入ったキャンディーボックスから次々に取り出して投げているみたいだ。リンコは無言で歩いていたが決してうるさいとも黙ってくれとも言わない。


 学校でも掃除をしているアバターがいたが、こちらは街中の者とは違い「おはようございます」と小さい子供のような声で挨拶をしてくる。教育現場で働くものは皆挨拶をするようにプログラムされているようだ。チアキは元気に手を振ってアバターに挨拶を返していた。教室の人はまばらで、リンコが窓際前から二番目の席に座るとその後ろにチアキが腰を下ろした。スクールバッグの汚れを少し叩いて机の横に引っ掛けると、そのままチアキは机に伏せてスヤスヤと寝息を立て始める。一方でリンコは宙に浮かぶホログラムを、掌を広げる動きで呼び出し指先でスクロールを始めた。教科書の準備と今朝のニュースチェックをしながら横向きに座り生真面目に背筋を伸ばした。後ろでむにゃむにゃと寝言をいうチアキを一度ちらっと見る。その目に特段感情の動きはない。

 やがて教室の中が騒がしくなり、先生がホームルームを始めた。  


 しかし眠り続ける後ろの眠り姫。


 リンコは軽くため息をつきながら開いていたホログラムのウィンドウでチアキのおでこを殴った。


「痛いっ」


 飛び上がるチアキ、教室中の生徒の視線と顔を赤くした教師。

 リンコはいつの間にか前を向いて窓の外を眺めていた。


 昼過ぎ一番の授業、相変わらずリンコは窓ガラスを通して空をじっと見つめている。チアキは船を漕いでいるがリンコには知りようがない。歴史の授業、今回から現代史に入るため今の世界に至るあの大事件について教師はドラマティックに、言いようがなければ大げさに話始めた。生徒それぞれの前に展開されたウィンドウには当時の映像や写真が展開され、生徒たちは別のウィンドウにキーワードをタイプするもの、ホログラム用のペンでメモをとるもの、全く話を聞いていないものに分かれていた。リンコは散々聞かされた話を今更何をメモ取る必要があるのかと思っていたが、テストでよい点を取ると言った観点では必要なのかもしれないと誠実に授業に向き合う一部の生徒たちを見て考えを改めた。


 ある時人類は情報が膨大になると質量を持つことを知った。

 はじめはセラミックの塊のようなものだったそうだが、だんだんと精度が上がり世の中にある様々なものが情報で再現された。この原理をどこでも使えるようにするため生み出されたのが「マテリアライズ・プログラム」。地球の陸地を包み込むように強い電波を発するマンホールのようなハードウェアが地面に整備され、人の脳内の意思伝達の際に流れる微弱な電気的信号を察知して情報を構築し手元に具現化するシステムの確立だ。端末を使ってしかアクセスできなかったサイバー空間と現実世界が交じり合う新たな世界の始まりとも言えた。人類は歓喜し、システムが発動する日を今か今かと待ち望んでいた。

 運命の日人類にもたらされたのはコンビニエンスな世界ではなく、バイオレンスな現実だった。

 発動されたシステムのプログラムの中に予期せぬバグが潜んでおり、それらが一気にシステムに則って具現化した。バグたちによってプログラムを書き換えられシステムを停止させることもできなくなった人類は、初めて人類以外との戦争〝Digital War〟を余儀なくされる。

 質量を持ったデータはそれだけで凶器になり得たにも関わらず、バグはインターネットの海を漂流する人類が数千年もの間で生み出してきた武器の情報をアップロードして自らの兵器として火力を強めていった。

 長い戦い沢山の血が流れた末に、人類は限られた土地に防衛線を張り生き残った。有機生物の滅亡目前にバグに対して有効なプログラムが開発されたのだ。自身が寄生するAIの自己学習によって進化し続けるバグを完璧に殲滅することはできなかったが、それでも人類は滅び尽きる瀬戸際で冷戦状態にまでこぎ着けたのだった。

 リンコたちの住むトウキョウは限られた土地であるコロニーの一つ。これまでの技術、そしてアンチバグプログラムを応用しバグとの危うい均衡を保ったまま文明を取り戻した。それから人類はトウキョウを含め確保した五つのコロニーの中からここ東京を中心として地球政府を成立させ、バグに対する防衛戦、そして復讐を目論みながらひっそりと暮らしているのである。


 と言われても境界線に近づくことを許されていない私たちは、これらのウィンドウ越しにしかこの極めてデリケートなつり合いを見ることが出来ない。激しい戦いがあったのは五十年前ほど、祖父や祖母たちの世代はその恐ろしさを語るが、親の世代でもよく知らない者ばかりだ。しかもその後バグに攻め入られたことはなく、私たちは限られた土地だが何不自由ない楽園で暮らし続けている。


「あの先生、地球の奪還とかって言っていたけど大袈裟だよね、私たちにとってはピンと来ないというか…… あ、今あんな状態だったのに話聞いてたのかって思ったでしょう!」


 被害妄想だ。

 放課後半ば強引にリンコに付き合わせたカフェでチアキは口を尖らせていた。リンコは手にしているブラックのホットコーヒーを無言でゆっくりと飲んでいる。

 ほかのコロニー間を行き来できないことは当たり前で、通信をもって連絡を取り合ったり映像作品を共有したり、マテリアライズ・プログラムや伝達信号といった情報でやり取りできる。それでよいのではないかとの若者の意見は時折高齢者の考えと対峙していた。危険を冒してまで何か得るものはあるのか、今のままで何が悪いのか。どれだけ議論を重ねても、かつての人類が地球上を支配していた頃を知る者たちには全くと言っていいほど響かない。


「やっぱりよく分からないな。戦って、バグとの真っ向勝負って大きな賭けに出て、大人たちは何を取り戻そうとしているのか。リンコちゃんはどう思う?」


 珍しくチアキが憂いを帯びた表情で言った。その様子を見てリンコはコーヒーカップを優雅に置く。その視線はチアキには無く、置いたときの衝撃でゆらゆらと揺れるコーヒーの水面に向けられていた。


「本物だよ、多分」

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