003 時の瞳が開く時


教会は──もう、形を保っていなかった。


黒く焦げた梁が崩れ落ち、

さっきまで子どもたちの歌声が響いていたはずの場所は、

いまは炎の音がすべてを呑み込んでいた。


俺は膝をついたまま、ただ燃える残骸を見つめていた。


シスターの優しい声も。

あの温かい匂いも。

俺を“アニス”として迎えてくれた日々も。


全部、目の前で灰になっていく。


「アニス君!! 無事か、アニス君!」


背後から、必死に走る足音が聞こえた。

振り向くと、煤だらけの インテリオ博士 が息を切らせていた。

眼鏡は片側が割れ、髪は焦げてチリチリになっている。


「博士……」


声がかすれて出ない。

立ち上がろうにも、体が地面に縫い付けられたみたいに動かなかった。


博士は俺の肩を両手で掴み、怒鳴った。


「しっかりして下さい、アニス!!

 ここにいたら死にます! ティオル君の所へ行きますよ!」


その叫びで、ようやく意識が戻ってきた。


「……ティオル……」


掠れた声でそう呟くと、博士は強引に俺の腕を引っ張った。


「急ぎますよ!

 あの黒髪の女──間違いありません。

 元素の魔眼の継承者です。

 炎、氷、雷、風……あらゆる元素を操る、七つの魔眼の中でも凶悪な存在です!」


犯人は“魔眼持ち”──

その事実が、胸の奥に重く沈んだ。


俺たちは燃え続ける村を駆け抜け、東区画へ向かった。


だが──そこにあったのは、もう村じゃなかった。


崩れた家。

叫ぶ人々。

黒煙の中、ティオルの父──レオハルトが大剣を振るい、

次々とノクティア兵を斬り伏せていた。


「レオハルトさん……!」


状況を察した瞬間だった。


ティオルの家の前で、

一人の兵士が、逃げ遅れた ティオルの母を槍で貫いた。


「母さん!!」


ティオルの叫びが響き渡る。

世界が一瞬止まった気がした。


母は膝から崩れ落ち、地面に倒れる。

ティオルが駆け寄り、必死に抱きかかえる。


「母さん! 母さん、返事してよ……!

 嘘だ……っ!」


母は血を流しながら、震える指で息子の頬に触れた。


「……ティオル……早く……逃げて……」


最後に微笑んだように見えた。

次の瞬間、手が力なく落ちた。


「……いやだ……やだよ……」


ティオルは母の胸に顔を埋めて泣いた。


俺は──ただ、立ち尽くしていた。

心臓が軋むほど痛むのに、何もできない。


火の粉が舞う。

戦いの音が遠のく。


どこかで、カチ……カチ……と小さな音が鳴った。


ティオルが顔を上げた。


その瞳の奥で──

白と黒の歯車が回り始めていた。


エメラルドの色は薄れ、

まるで古い時計の内部がそのまま露出したような、

モノクロームの世界が瞳を塗りつぶしていく。


空気が重くなった。


風が止まった。


世界が息を潜めた。


俺は、胸の奥が激しく疼くのを感じた。

イデアが、警鐘を鳴らすみたいに。


「……来ましたか」


博士の声が、妙に冷たく、低かった。

今まで聞いたことのない声だった。


「やはり……

 グランヴェルン家の時の魔眼を開眼しましたか……。

 ふふ……予想通りですねぇ……」


その言葉には、恐怖とも興奮ともつかない何かが滲んでいた。


思わず博士から目を逸らす。


ティオルは涙で濡れた頬のまま、兵士たちを睨み付けた。


「……許さない。

 お前たちの時間──止めてやる。」


次の瞬間。


世界が、軋んだ。


空気が震え、

俺の肌がぞわりと粟立った。


ティオルの瞳の中で、

白黒の針が減速し始める。


「永遠に……!!」


時間そのものが揺らぐような感覚が全身を走った。


それが──

ティオルの“時の魔眼”発眼の瞬間だった。

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