プリンセス・サーバンツ
みずほたる
第1話 姫様、異世界の大地に降臨する
私は四十五歳。独身。
仕事帰りにコンビニで缶チューハイと焼き鳥を買って、
「今日は飲みながら海外ドラマでも見るか」
とウキウキで部屋に戻った、その瞬間だ。
「ぎゃーー! ゴキブリぃ!!」
隣の部屋から女性の絶叫。
……うわ、嫌だなぁ、せめて静かにしてくれよ。と思った瞬間、意識がストンと落ちた。
気づけば、真っ白な空間。
雲みたいな床。
その真ん中で、天使っぽい見た目の美青年が
とても気まずそうに、そして妙に哀れむ目で言った。
「……
「え、ちょっと待て。私、死んだの?」
「はい。ご愁傷様です」
「なんで? 死ぬ要素なかったじゃん」
問い詰めた結果――
天使は紙を見る。沈黙。そして、
「……隣人の方に丸めた新聞紙で……叩かれました」
「………………は?」
いや、それ 私じゃなくてゴキブリじゃね!?
天使が慌てて調べ直し、
「――あっ、申し訳ありません。完全に取り違えでした」
「取り違えました、じゃねぇわ!」
蘇れないのかと聞くと、天使は頭を下げた。
「過ぎたことは仕方がありません。あきらめましょう」
「お前が言うな!」
「星野さんの次の人生には“特典”を用意します。どうかお許しを」
私は、とっさに希望を告げた。
「特典?」
「はい。三つの希望を用意して次の人生を送れます。要するに人生ハードモードでなく、ビジーモードです」
なるほど。それは悪くない。人生勝ち組にスタートできることは、楽できるってことだ。と、私は解釈した。
「静かな場所でスローライフしたい。みんなから姫様扱いされたい。あと……可愛い容姿がいい」
天使は満面の笑みで羽を広げた。
「かしこまりました。では、よい次の人生を!」
ふたたび意識が沈む——
そして再び、目覚めたら。
「……ここ、森じゃん」
どこを見ても木、木、木。
空からの光すら薄い、見たことない深い森だった。
「金持ちの家に産まれた赤ちゃんスタートじゃないんかい! これじゃあ静かなスローライフっていうか孤独なサバイバルモードなだけじゃん!」
私は叫ぶと、目の前にいたリスやウサギが逃げたのを見て、さらに大声をあげる。
「皆から姫様扱いされるって森の動物にってこと? そんな嬉しい奴いる!? どこがビジーモードよ。ベリーハードじゃない!」
怒りがさらに込み上げた時、身体から黒い波動が漏れ、空気が闇に包まれ、森の空気が重くなるのを感じた。
森はシンと静まり返る。
風の音も、木々のざわめきも、動物たちの息遣いすら途絶え、まるで世界の時間が一時停止したかのようだった。
「え、何。今の?」
一瞬、時が止まった感じがしたが何が起きたのか分からなかった。ただ、全身にぞわりと走った奇妙な感覚だけが残っていた。
「てか、これからどうしよう。生きるにはまず衣食住の確保よね。てか、何よこの魔法少女みたいな格好」
足元を見下ろすと、そこにあったのは見慣れない一式。
まるでどこかの魔術学院の制服か、はたまたファンタジーRPGの初期装備か。
深淵を映したようなロイヤルブルーのジャケットは、胸元で黒いコルセットが引き締め、純白のフリルブラウスの上に重ねられている。
首元には小さな黒い蝶ネクタイ。短く仕立てられたプリーツスカートからは、透けるような黒のストッキングに包まれた足が伸びている。
「……はぁ? これ、あの天使の差し金かよ!」
静かなスローライフとは程遠い森の中、おまけにこんなフリフリの衣装を着せられて、私の不満は頂点に達した。どう見ても野外活動には向かないこの服装では、一歩進むのもおぼつかない。
「って、あれ!」
ふと、自分の両手を見た。節くれだった四十五歳の現実的な手ではなく、そこにあったのは……しっとりと滑らかな、子供のような華奢な手だった。指の爪も小さく整えられ、爪先はほんのりピンク色をしている。
慌てて近くの泉を探し、水面に顔を映し出す。
映っていたのは、四十五歳の疲れた顔ではない。燃えるような緋色の髪を高い位置でポニーテールにし、大きな瞳を輝かせた、まさに「可愛い容姿」の少女だった。歳はせいぜい十八歳といったところか。
「……ってことは、この魔法少女みたいな格好も、可愛い容姿も、あの時の希望通りってことか!?」
森の孤独も、サバイバルモードも、全てがこの「可愛い容姿」と「姫様扱い」という、私にとっては到底理解できない形で実現しているのだとすれば――。
「静かな場所でスローライフ、みんなから姫様扱い、可愛い容姿……。まさか、この森の奥で、ひっそりと暮らす私のことを、森の動物たちが『姫様』と崇めてくれるとでも言いたいの? それで『静かなスローライフ』!?」
怒りを通り越した絶望に、私は深いため息をついて下を向いた。
すると、視界の隅に黒い影があった。
すかさず見上げると、ゴスロリドレスを見に纏った黒髪の少女が空中に浮いていた。
「ひっ……!」
浮いていることにも驚いたが、問題は彼女が背中に負っているものだ。黒曜石のような光沢を放つ、巨大な
あんな物騒な物を持ち歩いていたら間違いなく事情聴取案件だ。それ以前に、この暗い森の中で、その出で立ちはあまりにも非現実的で、恐ろしい。
少女は瞳を細め、まるで獲物を確認するかのように、私をじっと見下ろしていた。その顔には一切の感情がなく、美しい人形のようだった。
そして私の前に静かに降り立つ。鎌がさらに輝いて見える。
「……あなたは、誰?」
緊張で喉が張り付く。一歩、後ずさりする私から、彼女は目を離さない。
そして、彼女は片膝をつき、低い、まるで遠い場所から聞こえてくるような静かな声が、森に響いた。
「私はオカリナ・ベルゼ=シンフォニア。
しばしの沈黙。
「姫様?」
オカリナがキョトンとした顔をする。
「いや、言葉が通じるんだなぁと思って」
「姫様、おっしゃっている意味がわかりません。無能な私をお許し下さい」
「私、姫様なの?」
「はい」
なるほど。どこかの国のお姫様で従者が森で彷徨う私を迎えに来るという
「ただし、我々魔族はすでに人間共から絶滅危惧種に指定されているくらい落ちぶれております」
雲行きが怪しくなってきた。
「しかし、姫様がおられれば散り散りになった我が同胞も集結し、再び栄光を取り戻すことでしょう!」
目が輝くオカリナとは正反対に私はの目はどんよりしていた。
魔族の姫って設定。しかも絶滅危惧種に指定されているくらい没落している。
私の予想よ。どうかはずしてくれ!
と、願いながらも聞いてみた。
「オカリナだっけ? あなた今までどこで暮らして、どうやって生活してきたの?」
「元々は悪魔大元帥でしたが、今は住所不定無職ですので、その日暮らしをしてきました。しかし姫様が我々を導き、街を作り、城を建て、国を起こし、世界を征服してくれることを期待しております!」
「あぁ! やっぱりこの展開だった!!」
人生やり直しビジーモードが崩れ去り、やっぱりベリーハードを迎えることがわかり、私は両手両足を地につけてしまうのであった。
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