青空アンサンブル ~初恋バタフライ2~

スパイシーライフ

第1話 新しい朝、新しい家族

「あら、二人とも似合ってるじゃない。やっぱり高校の制服を着ると、ちょっと大人っぽく見えるわね」

 

 薫子が嬉しそうにそう言った。

 

「世の中にはさ、馬子にも衣裳って言葉があってな」

「竜にいさぁ、良にいは馬子かもしれないけど、志保ねえはそうじゃないでしょ」

「瑞樹、黙れ」

「なによぉ、良にい。ホントのことじゃない」

 

 瑞樹が口をとがらせながら、良樹にそう抗議する。

 

「自分でわかってるんだから、それ以上言うな!」

「そんなことないよ、よしくん。すっごく似合ってるよ。カッコイイよ」

「志保ねえ、ウソ言っちゃダメだよ。良にい、勘違いして調子に乗っちゃうよ?」

「なんで俺は、こんなボロクソ言われなきゃいけねーの?」

 

 竜樹は、やれやれと首を振りながら良樹と志保の二人に向き直った。

 

「まあ、なんだ。同じ高校に来るからには、俺に迷惑かけんじゃねーぞ、オマエら」

「誰がかけるかよ!」

 

 とっさに良樹が言い返すと、志保は少しはにかみながら「はい。よろしくお願いします、竜樹……先輩」と言って、小さくお辞儀をした。

 

 良樹と志保の一件で一時は暗い雰囲気になった川島家だったが、今ではもうすっかり以前の賑わいを取り戻していた。

 

(やっぱり、よしくんはこの家の太陽なんだなぁ)

 

 志保は、あらためてそう実感した。やっぱり良樹には笑顔が似合う。彼が明るく笑っていないと、この家の雰囲気は暗く沈んでしまう。

 

 新しく通う高校の制服が届き、良樹と志保はさっそく試着をしてみた。その姿を見て、川島家の皆がやいのやいのと軽口を叩いている。

 それは明るく楽しいこの家そのものであり、これこそが志保の一番大好きで一番大切な場所だ。



 (よく、この制服を着ることができたよなぁ……)

 

 自らの姿を見ながら、良樹は改めて感慨にふけっていた。

 

(朝から晩まで勉強漬けで、我ながらよく頑張ったぜ)

 

 良樹の成績で志保と同じ高校を目指すのは、並大抵のことではなかった。

 

「川島、ホントにこのままでいいのか? 今からでも志望校を変えたほうがいいんじゃないのか?」

 

 担任にそう言われたことも、一度や二度ではない。

 それでも彼は、なんとかその困難なミッションを成し遂げた。

 ゲームや漫画で夜ふかしをするのを止め、その時間を全て勉強に費やした。

 予習・復習はもとより、学校が休みの日は、朝から晩まで図書館で志保と一緒に勉強した。

 睡眠時間を削り、寝不足になりながらも勉強する時間を確保した。

 遊びに行く時間など1秒たりとも無かった。

 

 (長く苦しい日々だったなぁ……)

 

 良樹は、チラッと横目で志保を見た。その視線に志保が気づく。

 

「よしくん、同じ高校に通えることになって、ホントによかったね」

 

 ニッコリ笑った志保にそう言われると、頑張った甲斐があったかな、と思う。

 

 中学のセーラー服姿を見慣れていた良樹には、高校のブレザー姿の志保は、少しだけ大人っぽく見える。

 

(母さんの言う通りだな)

 

 自分も少しは大人っぽく見えてるのかな、などと考える良樹だった。


 「さあ、じゃあみんなで写真を撮ろうか」

 

 樹のその一言で撮影会が始まった。

 良樹と志保が一緒の写真。

 それぞれが一人ずつの写真。

 良樹と家族それぞれとの写真。

 志保と家族それぞれとの写真。

 そして、家族全員の写真。

 今日一日で、いったいどれほどの写真を撮っただろう。

 


 「あ、あの!」

 

 制服姿の写真を撮り終えたところで、志保が全員を前にして突然声を上げた。

 

「どうしたの、志保ちゃん」

「あの、私、みんなに聞いてもらいたいことがあって……」

 

 なんだろう? と怪訝そうな顔をする皆を見回した志保は、ギュッと手を握りしめながら、そのまま言葉を続けた。

 

「あの……私、高校生になるのを機に、これからは樹さん・薫子さんじゃなくて、お父さん・お母さんって呼びたいんです。だから、私のことも志保って、呼び捨てで呼んでもらえませんか?」

 

 それは思いもかけないことだった。まさか志保からそんなことを言いだすとは、誰も予想すらしていない。

 驚いた樹と薫子だったが、顔を見合わせるとすぐに頷きあった。

 

「もちろんだよ。じゃあこれからは遠慮なく志保って呼ばせてもらうからな」

「はい! お父さん」

「ふふ、ずっとそう言ってくれる日を待っていたから嬉しいわ」

「お母さん……ありがとう」

 

 樹から頭をクシャクシャになでられながら、それでも志保はイヤ顔ひとつせず、心から嬉しそうに笑っていた。それを見る瑞樹もニコニコ笑顔だった。良樹の頬も自然と緩む。

 

 だが、その場で一人だけ笑顔でない者がいた。竜樹だ。

 

(あれ? なんか兄貴が不機嫌そうな顔してんな)

 

 兄の不可解な表情に良樹が気づいた。この状況で竜樹が不機嫌になる要素は皆無のはずだが、いったいどうしたというのだろう。

 

「兄貴、どうかしたの? なんか機嫌悪くね?」

「俺は?」

「はっ?」

「志保、俺はどうなんだ?」

「いや、何の話だよ」

「だってよ、お父さん・お母さん・よしくん・瑞樹ちゃんってみんなを呼んでるのにさ、俺だけ竜樹さんって、さん付けのままなのかよ?」

 

 そう言われて志保は目を丸くして驚いた。そう言われてみればたしかにそうだ。このままでは竜樹だけが、さん付けのままになってしまう。

 

「はあぁ? なんだよ兄貴。拗ねてんのかよ!」

「拗ねてるわけじゃねえよ。仲間外れはイヤなだけだ」

 

 志保は少し困り顔で考えた。良樹のように兄貴と呼ぶのはおかしいし、瑞樹のように竜にいと呼ぶのも違う気がする。となると……。

 

「えっと、じゃあ……お、お兄ちゃん……とか?」

 

 言ってから自分の頬が紅くなるのを感じた。生まれて初めて発した『お兄ちゃん』というワードは、志保にとって思った以上に照れくさいものだった。

 

 だが言われたほうは、実に満足げな顔でウンウンと頷いている。

 

「うん、じゃあそれで」

 

 はじけるような笑顔でそう言うと、竜樹は樹がしたのと同じように、志保の頭をクシャクシャッと撫でまわした。

 

「これからもよろしくな。志保」

「私のほうこそ、よろしくね、お兄ちゃん」

 

 樹も薫子も瑞樹も、この微笑ましいやりとりを、優しく温かい眼差しで見守っていた。もちろん良樹も同様だ。

 

 彼らは今この瞬間、間違いなく世界で一番幸せな家族だった。



 その日の夕食の後。リビングで皆がくつろいでいると、不意に父親である樹が良樹に問いかけた。


「そういえば良樹、部活はどこに入るか決めたのか?」

「うーん、正直まだ決めてないんだよね」


 良樹は少し悩むような顔で、そう答えた。


「ただ、中学でずっとサッカーやってたから、高校では違う競技をやりたいかなぁ、とは思ってるんだ」

「よしくん、スポーツ万能だもんね。きっとどの部活に入っても大活躍しちゃうね」


 隣に座った志保が、心からの笑顔でそう言ってくれる。

 その当たり前のような、しかし中学の頃には失いかけていたまっすぐな信頼の言葉が、良樹の心を温かくする。

 

「いや、そんな甘くはないと思うけどさぁ……でも、やっぱりいろんな競技をやってみたいとは思ってるんだよなぁ」

「志保はどうするの? 中学では部活に入らなかったけど、高校ではどうするのかしら?」


 今度はキッチンで洗い物をしていた薫子が、優しくそう問いかける。

 

「私は……どうしようかな……運動はあまり得意じゃないし、文化系の部活ならやれるかなぁ」

「それもいいじゃないか。竜樹、オマエの高校の文化系は、どんな感じなんだ?」


 樹に話を振られた竜樹が、うーん、と腕を組んで考え込む。


 「文化系ねぇ……友達はいるけど、あんまり詳しくは知らないなぁ。なんなら友達に聞いてもいいけど、まあでも志保なら、どこの部活も大歓迎だろ」

「そ、そうかな……」

「そりゃあなんたって、この俺の妹だからな」


 当たり前のようにそう言って、ニヤリと笑う竜樹。

 そのぶっきらぼうな愛情表現に、志保の頬がまた少しだけ赤く染まっていく。

 

「……弟も、ここにいるんだけどな」

「弟の方は、バイタリティの塊みたいなヤツだからな。ほっといても大丈夫だろ」


 良樹の小さな嫉妬を、竜樹は一言で一蹴する。そのいつも通りの賑やかで温かいやり取り。

 志保は、心の底から思った。


 ――ああ、私は本当に、この家の家族になれたんだな。


 今度こそ、この幸せがずっと続きますように。志保の願いは、ただそれだけだった。

 


 (……高校か)


 良樹は、これから始まる新しい生活に思いをはせた。

 まだ何も始まっていない。

 どんなクラスメイトがいるのかも、どんな先生がいるのかも、わからない。

 部活だって、まだ何も決めていない。

 でも、ひとつだけ確かなことがある。


「……なあ、志保」


 良樹は、隣りの志保に話しかけた。

 

「ん? どうしたの、よしくん?」

「いや……なんでもねえ」

「なによ、それ」

 

 くすくす、と志保が笑う。その穏やかな笑顔を見ながら、良樹は心の中で一人呟いた。


 (……きっと、楽しい三年間になるさ)


 いや、違う。


 (俺が、絶対にそうするんだ)


 いま自分の隣りにいる、少しだけ大人びて見えるこの少女の笑顔。その笑顔を、今度こそ絶対に曇らせない。


(そのために、俺は志保と同じ高校に行くんだから)

 

 彼と彼女の新しい朝は、もう、すぐそこまで来ている。

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