第3話 魚・魚・魚

 セレンと暮らし始めてから三週間が経過した。

 セレンは今までここに来た人間のいろんな話をしてくれた。みんな滝の下を目指した冒険者ばかりらしいが、たまに俺のような普通の人間も落ちてきたらしい。

 四本腕の武人、水魔法を極めんとした魔法使い、すべての滝を制したいと息巻く探検家。

 どれもこれも癖が強い話ばかりだったが、軽妙な論調で語るセレンに、俺は寝る間を惜しんで話を聞いた。

 しかし、深刻な問題が発生したのだ。


「おらよエスト、今日の魚は豪華だぜ!」


 今日は髭の生えた魚、昨日は細長い魚、その前は赤い魚、さらに前はつるっとした魚……。


「あ~、セレンさん? 俺今日はお肉が食べたいなぁ」


 セレンは俺の発言に、首を傾げて「なんじゃそら」という態度をとる。

 俺は祈るように両手を合わせ、出来る限り目を潤ませて頼んでみたが、そもそも肉が分かってないみたいだ。

 俺は絵に描いたりして、食べれそうな動物をどうにかセレンに伝えた。


「エスト……絵うまいなぁ! 分かる分かる、こいつらなら見たことあるぞ!」


 とってくる! そう言ってセレンは滝の前に立つと、ガバッとこちらを振り向いた。


「旨いんだな!?」

「旨いよ!」


 俺がぐっと指を立てると、満面の笑みでセレンは滝へと飛び込んだ。


「ちょっ! セレン!?」


 慌てて滝に駆け寄るが、当然セレンは姿かたちも見えない。

 呆然とその場に立ち尽くすと、ものの数分でセレンは戻ってきた。しかも牛を背中に抱えて。


 ……えっ、牛って確か大人の五倍以上重いんじゃ……。


「ただいまー……って、どうしたエスト、なんかあったか?」


 こちらの気も知らないで、セレンはけろりとしている。


「そりゃ、いきなり滝に飛び込んだらびっくりするよ!」

「あれ? 言ってなかったっけ? 一応できるんだよ、あんまりやらないけどね。それよりこいつ食えるんだろ? 食べようぜ」


 食べられるのは分かるが、残念ながら当然僕には捌けない。何とか絵で伝えると、セレンは「まぁ、何とかなるだろ」とあてずっぽうで解体を始めた。


「あれだな、骨はでかいけど魚みたいなもんだな、内臓もあるし」


 その理屈だと大抵の生き物が魚になるんじゃないか? そう思ったが口には出さなかった。


「じゃ、食うか! 楽しみだなぁ!」


 そう言ってセレンは肉にかぶりつこうとするが、俺は慌てて止めた。


「待って待って! セレン、肉は焼かなきゃダメなんだ」


 手を止められると、セレンは露骨に嫌そうな顔をした。同時にすごい大きさのお腹の音が鳴る。


「……火、はやく火だせ、アタシは取ってきた、バラした。だからエスト、お前が焼け」


 空腹のせいでいつもよりかなり口調が荒い、どんだけお腹すいてたんだ。

 ただ、ここには火を起こせそうなものが何もない。一応藁や木片はあるし、火を起こせばあとは何とかなるのだが……。

 俺があれこれ考えていると、セレンがべしべし床を叩きながら催促する。


「は~や~く~、魔法使えないのかよ~」

「セレン、俺魔法使いじゃないし、魔法なんて……いや、やったことないだけかも、どうやったらいいんだ?」


 魔法……魔法か、もしかしたら俺にも兄さんみたいになにかの魔法の才能があるかも……!

 魔法を使ったことがないと知ると、セレンはニヨニヨ笑いながら俺に這い寄ってきた。


「なんだ、魔法使ったことないのか~楽しいのになぁ~」

「なんで嬉しそうなんだよ、いいから教えてよ」


 するとセレンは解体用のナイフを持ってきて、俺の指先を少しだけ刺した。

 大した痛みではないし、好奇心のほうが勝った俺は、黙ってセレンが何をするか見ていた。


 セレンは俺の血を自分の掌へと――。


「セレン! 危ない!」


 大慌てで手のひらに血を握りこみ、当たらないように軽くセレンを反対の手で突いた。


「……えっち」


「ち、ちがっ! そうじゃなくて! いや……ごめんなさい」


 手で突いたはずなのに、衝撃が完全に吸収された。恐るべき柔らかさ……が手に残っている。いや、衝撃的な意味で。


 落ち着いてから、俺は自分の体質の説明をした。

 呼気よりも血の方が遥かに毒性が強いこと、何より俺には治す手段がないこと、そして……致死性であること。


 最初は身の上話かと楽しげにしていたセレンだったが、途中から真剣に聞いてくれたのが心地よかった。


 改めて、血を俺の手のひらに乗せたままセレンは覗き込む。


「ん~黒か? 黒だな多分、エスト……お前本当に人間か? まぁいいや、適正は……なんだ水かよ! でもアタシと同じか、へへ」


「黒ってなに? 毒のことじゃなくて?」


「ん? 血のことだよ、魔法のことなんも知らないのな」


 正直魔法についての知識はほとんどない、俺の知識は閉じ込められていた部屋に持ってこられた本だけだ。

 ……そういえば魔法についての本はなかったな、天下のクリアロ家にないはずがないのに。


「ま、とにかく水適正なら火は使えないよ、魔力に嫌われてるからね」


 相変わらずセレンの説明はよくわからない、彼女に言わせれば俺の理解力の問題らしいけど、絶対違うと思う。


「けど困ったな……どうやって火を起こそう」

「なんか道具とかねぇのか? 見つけてくるぞ?」

「あるけど結構小さいよ? こういうヤツで……」


 セレンは「小さいやつはなぁ」とぼやきながら俺の絵を見ると、手をポンと叩いて洞窟の奥へと走っていった。


「これか! これだろ!?」


 手に持っていたのは確かに火をつける装置だ、あったのかよ!


「それだ! ……でもどこから?」

「もらったんだよ、冒険者のやつらに」


 その一言で俺は洞窟の奥へと駆け出す。岩の裏で分からなかったが、魔石装置がたくさんあった。壊れているものもあるが、これでかなり便利になる。


「うっっっっまい! 魚よりうめぇな!」


 セレンはとんでもない勢いで牛を平らげていく、あの体格のどこに収まっているのかわからないが、次々と牛の肉が減っていく。


「なんかほかにねぇの? うまい生き物、というか上の世界にはこんなにうまいのがもっとあるのか、いいなぁ」


 セレンはそういいながら天井を見つめる。


「やっぱり滝の上まではいけないの?」

「あ~、いけないことはねぇけど、アイツに見つかったら死んじゃうからなぁ」

「アイツって?」


 俺が聞き返すと、セレンは床に絵を描き始めた。相変わらず全く分からん、壊滅的な絵心だ。

 けれど、どこか見覚えのある見た目だ、蛇のような魚のような……? なんだろう、何か忘れているような……。


「思い出した! こいつだ! 俺こいつぶっ飛ばしたんだ!」


 ショックで見た夢かと思っていたが、どうやらあれは現実だったらしい。

 慌てて丁寧に絵を描き、大きさなんかも説明すると、セレンは口に手を当てて黙り込む。驚きを隠せない様子だ。


「アタシがここから出られないのは、アタシが逃げないようアイツが見張っているからなんだ」


 セレンは俺の肩を強く握り、見たこともない真剣なまなざしで聞いてきた。


「人間を見かけたら食うにきまってる。確かに殺してなきゃ生きてエストが知ってるはずもねぇ……。本当に……倒したんだな?」


 俺も真剣な目で返し、こくりと頷くと、セレンは満面の笑みで俺の背中を叩いた。

 バチーンという軽快な音が洞窟内に響く。


「喜べエスト! こっから出られるかもしれねぇ!」


 そう言って大喜びするセレン、きっと深い事情があって、上の世界で叶えたい夢があるのだろう。

 飛び跳ねて喜ぶセレンをよく見ると、めちゃくちゃよだれを垂らしている。おい、まさかそんな理由で上の世界を目指してるとかじゃ……ないよな?


◇◇◇


「おい人間、その話本当なんだろうな?」


 デルボラの滝から遠く離れた地、クリアロ家よりさらに北にあるとある町。薄暗い路地で、二つの影が蠢く。


「は、はいぃ、確かにクリアロ家への魔石は止めましたし、父親がガキを追い出したと聞きましたぁ」


 大きな影は小さな影を締め上げる。小さな影は足をバタバタとしながら、必死に大きい影を説得した。


「フン、冷たい親父だぜぇ……ま、そのおかげで俺たちは助かるがな、ゲヒャヒャ」


 そう言いながら大きな影が乱暴に解放すると、小さな影は地面に放り出され、ゲホゲホと咳き込む。

 そのはずみで脱げたフードからは、貧相な男の顔が現れた。彼はクリアロ家に魔石を卸す業者の一人だ。


「そ、そのぉ……お礼の方は、へへ」


 地面に這いつくばりながらも、男は揉み手をして金をねだる。


「あ? あるわけねぇだろ、ご苦労さん」


 大きな影が男の腕を払いのける。手から異常に伸びた爪が、男の肌を深々と引き裂く。


「ひぎゃあああ! はは、話が違うじゃねぇか、なんだよ畜生! 金がなけりゃお前みたいな魔物野郎の――」


 続きの言葉を男が口にすることはなかった、ゴトリと頭部が路地へ転がり、血の川が流れる。


「バカが、金なんざすぐに価値がなくなるさ。装置さえ手に入れば……ケヒ」


 そう言って大きな影の口元から大量の唾液が垂れる。それを手で拭うと、その拍子にフードが脱げた。

 ギザギザとした歯、尖った耳、悪辣に光る瞳。魔物の目に映るのは、野心の生み出す未来図だ。


「おい、支度しろお前ら、ガキが戻る前に装置を奪うぞ」


 暗い路地にどこからともなく大量の影が集う。その全てが大きな魔物の言葉に頭を下げて返事をした。


「お頭、こいつどうします?」


 小さな影の中の一人が男の死体を指差す。すると大きな魔物はニチャアと笑った。


「あぁ


 グチャグチャという粘着質な音が薄暗い路地に反響する。影が全ていなくなった後、路地にはボロボロのローブだけが残された。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇

あとがき

いわゆるシンプルな「追放ざまぁ」を期待している方には先に謝っておきます。


色々起きます、色々楽しんでいってください。

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