カリゴとカルぺの関係と商人連合の対応について

 オムニスはアタッシュケースを携えたまま、ボッソの元へと踵を返す。

 やや乱暴にノックをして、「霧の者です」と告げれば、すぐに扉は開かれた。

 オムニスは息も荒くズカズカと屋内へ入り、アタッシュケースを足元へ置く。

 しっかりと固めた髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜるように乱し、怒りに震える声を吐き出す。


「あの、あの女め!!! ボッソ、暗殺者を貸してくれ! 商人連合の物にならないのなら、消してやる!」


 血走った目に、蒸気すら吐き出しそうなオムニスの様子にボッソは「まあ落ち着け」と嗄れた声で告げる。


「暗殺者はもちろん、貸してやろう。だが金が先だ」


「これが前金だ!」


 札束が詰まったアタッシュケースを持ち上げ、ボッソのデスクへと置く。


「あの女、俺のことをバカにしやがって」


 未だに怒り心頭という様子のオムニスにもボッソは気にすることなくアタッシュケースを開く。ぎっしりと詰められた札束をひと束ずつ、全てが一〇〇〇〇イェン札であることを確認する。


「一億イェンか。これだけあれば、前金も必要ない、すぐ手配しよう」


「すぐにも、いますぐにも頼む」


 オムニスの言葉に、ボッソは微笑むことも無く扉を開く。


「ああ、すぐにでも」


 オムニスを見送ったボッソは地下への扉を開く。


「スキエンティア、仕事だ」


「はい、お父様」


 彼女の枷を外し、地下から出る。他の奴隷たちが短い間に二度も外へ出られるスキエンティアへ羨望と恨みが混じった視線を向ける。それにも、スキエンティアは意に介さない。


「プリムス・ミセリアの暗殺依頼だ。できるな?」


 ボッソからの問いに、スキエンティアは一度瞬き、そして「はい、お父様」と囁く。

 スキエンティアは、ハイエルフと人間の間に生まれた穢れた血であった。ハイエルフでありながら人間らしさを持ち、血肉を好み殺人すら厭わず行う。

 魔法で足音や気配すら殺し、本人すら気が付かぬうちに命を奪う。

 それが、ボッソの持つ奴隷の中で最も有用な暗殺者、スキエンティアであった。


 スキエンティアは質素なワンピースを着てボッソの隠れ家から一歩を踏み出す。スキエンティアは、土地の名前も路地の名前も分からない。

 だから、ほんの一週間前に赴いたプリムスの店へと記憶だけを頼りに向かう。


 夏から秋へと変わる、優しい温もりのある日だった。昼を過ぎ、そろそろ夕方へと傾く程度の時間。

 スキエンティアは、ミセリア洋装店の扉を優しくノックする。


「はい?」


 プリムスが扉を開くと、そこには栗色の髪を下ろした小さな少女、スキエンティアが立っている。


「あなた、この間来たね。服、破れたのかい?」


 プリムスの問いに、スキエンティアは小さく首を振る。それに困ったような笑顔を向けたプリムスが、スキエンティアを家の中へと招き入れる。


「おいで、丁度昨日、ミルクを買ったんだ」


 家族二人で過ごすことすら厳しいほどの日常の中、プリムスは見も知らない少女のために貴重なミルクを木製のコップへと入れて出してやる。

 埃もゴミも浮いていない、綺麗なミルク。

 スキエンティアはゴクリと喉を鳴らし、両手でコップを持ち上げて唇へと当てる。

 ぬるくてあまいミルクが、スキエンティアの喉をとろとろと流れ落ちていく。スキエンティアは、こんなにもあまくてやさしくておいしい飲み物を、飲んだことが無かったのだ。


「おいしい」


「それは良かった。労働服が解れてないなら、どうしたんだい」


 スキエンティアは、プリムスのその言葉に返す言葉を知らなかった。だから、何も言わずにプリムスへと片手を向ける。

 その掌から、不可視の光が発される。それは、人間を簡単に殺し、この付近一帯を長くの時、生物の住めない場所にするほどの、死の光線。

 それがプリムスの体へと直接照射され、彼女は唇から赤黒い血液を一筋垂らし、優しい瞳のまま背中から床へと崩れ落ちた。


 スキエンティアは、魔法を解除し除染魔法を展開する。清廉になった空気の中、彼女は静かにプリムスを見つめ、そして一度だけ目を閉じた。


「ミルク、美味しかった。ありがとう」


 スキエンティアがプリムスの家を出て暫く歩いた頃、プリムスによく似た淡いブラウンの髪をした、労働服を着た青年とすれ違う。

 それにも、スキエンティアは何も感じなかった。ただ、どうしてか今日はゆっくりと歩を進め、ボッソの隠れ家へと戻るのだった。


 その後のことは、スキエンティアには何も分からない。ただ彼女はボッソに「よくやった」と褒められ、角砂糖を三つもらい、その一欠片を口に含んであのミルクの味を思い出すのだ。



────


 前皇歴一三年、前紀世界歴一九七二年。


 商人連合考案の労働服が、商人連合から売り出されることとなった。

 いつの間にか、労働服を初めて作り上げたプリムス・ミセリアの名は語られなくなり、全て商人連合が最初に作ったと語られるようになったのだ。

 労働服は無料で作られることは無くなり、一着九八〇イェンで売られるようになった。


 それに伴い、商人連合から貴族向けのシャツとパンツが考案された。

 白い絹で織られた袖の絞られたシャツは首元に折り返された襟が作られており、ボタンダウンになっている。脚に沿って落ちるパンツはいままでのように、歩く度に足へと纏わりつく不快感も無く、何より脱ぎ着しやすいということで貴族の男性から人気となったのだ。

 これにより、商人連合は大金を稼いだのだった。


 服を、名声を独占した商人たちは血を流さずにこの国の、世界の経済を支配するに足る実績を得た。ギルドが沈黙すれば、この国はいつか商人の手に落ちるだろう。

 ギルドのトップであるカウサ・コンスルはこの流れを見て、商人連合を解体することを決定した。

 カウサは軍警と共に商人連合が集う集会所へと向かう。


「ギルドだ、大人しくしろ!」


 カウサの低く、よく響く声が空間を支配する。


「なんだ! 脱税はしていないぞ!」


「魔薬は売っていない!」


 商人たちの声に、カウサは軍警へ指示しその場に集っていた商人たちを捕縛していく。


「静かにしろ! お前たちの言い分は後ほど聞く!」


 商人たちはギルドの地下二階へ集められる。元々は伽藍としていたその空間には、防弾硝子で区切られた、さながら実験室のような部屋が出来上がっていた。

 奥には牢屋のような空間までもがある。その中へ、商人たちは連れ込まれ、その瞬間言葉を失う。


 商人たちの妻が、子が、夫が、親族全てがその中へ詰め込まれていたのだ。


「あなた、何をしたの! 私も、エッセも突然ここへ連れてこられて……」


 オムニスの妻がそう涙を流しながらオムニスを詰る。それにオムニスは言葉を失う。

 いままで行ってきた、どの行動がギルドの逆鱗に触れたのかが分からなかったのだ。


 無菌室にも似た部屋の中へ、白衣とマスク、手袋で武装した研究員たちが足を踏み入れる。


「これから、あなた方はセレニティ国の魔力因子研究の礎となります。国へ貢献し、死を迎えられることを喜び、その命を賭してください」


 静かな声が伽藍の部屋に木霊する。

 誰もが、声を失った。


 その日から、ギルド地下二階からはまるで隙間風のように絶叫と苦しみの断末魔が響くことになった。


 商人たちの快い研究協力によって、セレニティはどの国よりもひと足早く魔力持ちの魔力因子はX染色体にのみ宿ることが発覚したのだ。


 それがギルドから発表されたその時から、貴族はこぞって魔力持ちの女性を金で買い始めるようになった。

 セレニティ国の魔力持ちは、生まれながらにして首の後ろに三日月型の痣が浮かぶため、魔力持ちの女性は髪を上げ、痣が見えないことが淑やかさであるとチョーカーで首元を飾るようになった。

 貴族は、娼婦や平民からですら妾や第二夫人として魔力持ちの女性を買うのだ。


「あれ、アンタ、魔力持ちだっけ?」


 娼婦の一人が問い掛ける。

 問われた女は、魔薬で歯の欠けた顔で幽玄のように笑い、言うのだ。


「無いよう。でも、このチョーカーつけてるとさぁ、貴族に買われるんだ。そしたら、また魔薬が買えるからさぁ」


 その様子に、娼婦は肩を竦める。


「って言ったってねえ。お貴族様だって馬鹿じゃあないんだ。買う前にチョーカー外して確認くらいするだろうさ」


「いいんだよ、いつか、馬鹿なお貴族様に買われるからさぁ」


 肩を揺らして笑う女は、壁に沿ってずるずると座り込んでいる。魔薬の吸いすぎで弛緩した体のせいか、失禁すらしている彼女の隣で、それに嫌な顔すらしない娼婦は互いに娼婦へ落ちる前からの友人だったのだ。


 いつの間にか、ギルドは変わっていた。

 商人ギルドができて商人たちはギルドに管理されるようになり、冒険者の資格がより厳格となっていた。

 カウサは、ギルドに変革が必要だと理解したのだ。



────


 前皇歴三九年。


 四カ国で始まった戦争は、セレニティの親交国である神聖皇国が参戦し、五カ国による大魔戦争へと発展し、ゼムルヤ・スネガの敗戦という結果で幕を閉じた。


 ヴィントラントがリャン国を、セレニティがエヴィスィング国を植民地とした。

 しかし、ヴィントラントはゼムルヤ・スネガに北部の国土を奪われ、それが返還されることは無かった。

 神聖皇国へは、セレニティから自国の植民地であったノナ国、ゼノ国を進呈することで国家間合意となる。

 セレニティは、エヴィスィング国から女性の魔力持ちを奴隷として自国へ連れ帰り、セレニティの国防はより強固なものへと変化したのだ。


 大魔戦争が終わったその日。

 前紀世界歴一九九八年五月七日に、前紀世界歴は世界歴元年となったのだった。


 世界歴が変わろうとも、国民の生活は変わらず、ただ揺蕩うのみであった。


 ギルド内の地下二階にあった研究室は共同墓地へと姿を変え、未だにセレニティの地下二階へと横たわっている。

 国民の誰が死んだとしても、誰もそれを知ることは無く、世界は何も変わらず進んでいくのだ。

 太陽は昇り、双子の月はそれを追いかけ、そして死を迎え再生する。

 ただ、それだけなのだ。


 そして、その全てをギルドに所属していたハイエルフだけが、ただ静かな瞳で見つめていた。

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