第3話

セクション1

「そんな! なんとかならないんですか?」


 ミコが次の仕事までの空き時間にカフェスペースで寛いでいた時、カフェスペース横の申請窓口から男性の声が響いた。

 ミコが周囲を見渡すも、その場にいる捜査官は自分のみで、後は冒険者らしき人間がちらほら興味深そうに覗き見ているくらいだった。

 また面倒事かとミコは嫌々ながらに立ち上がり、パーテーションで区切られた冒険者新規受付窓口へと向かう。


 そこに座っているのは、雪女のノックスだった。彼女は目の前で喚かれても知らぬ存ぜぬと言うかのように無表情のまま、書類の角を揃えている。


「どうしたんだい、カフェスペースまで声が聞こえていたぜ」


「ミコには関係の無い話だ。この男……ゼムルヤ・スネガから今日着いたんだが、冒険者になりたいらしい。だが……」


「保証人が必要だって言われたんです! 俺、こっちに来たの今日で保証人なんていなくて、家族もみんな死んで天涯孤独なんです!」


 おいおいと大仰に泣く男に、ミコは面倒臭そうに頭を掻く。


「君、名前は?」


「神谷誠司です」


 神谷誠司と名乗った男性は顎に髭を蓄え、哀れっぽい茶色の瞳に狡猾な色を宿している。それが、ミコの興味をそそった。


「なるほどな……生まれは神聖皇国かい? 面白いことになりそうだ、ノックス、うちのフィニスを保証人に付けてやれ」


 ミコが言うと、ノックスはそのアイスブルーの瞳を大きく見開く。


「いいのか? また勝手なことをして」


「いいさ、俺はある程度の裁量権を与えられてるからな。君、セレニティ語は書けるかい? 冒険者になるためには資格試験が必要だ。試験開始までの、二ヶ月のビザは付与されるからその間に必死で勉強するんだ、じゃなきゃ君はゼムルヤに逆戻りさ」


「そ、そんな……戦争になるから逃げて来たのに……」


 意気消沈する誠司の肩を、ミコは叩く。


「大丈夫さ。俺の主でも通ったんだ、君もいけるだろう。ノックス、コイツ預かるぜ」


「好きにしろ、いまの所有権はフィニスにある」


 そう告げたノックスにミコはウインクと共に「サンキュ」と返し、誠司と共にカフェスペースへと歩き出す。


「カフェスペースって……自販機しか無いじゃないですか」


「ははっ、十分なスペースだろ? さて、君はコーヒーが好きかい?」


 ミコの問いに、誠司は一瞬目を瞬かせる。


「コーヒー、あるんですか?」


「ああ、ここの自販機のは不味いぜ。一二〇イェンで買える泥水さ」


「コーヒーは、嫌いじゃないです」


 誠司は微妙な表情を浮かべてそう答える。それに、ミコは紙コップ式の自動販売機でコーヒーを二つ購入して、片方を誠司の前へと差し出す。


「ゼムルヤ・スネガは酷いところだっただろう」


「……そうですね、着いた途端税率六五パーセントとか、食糧は配給券で手に入るけど、並んでも確実に手に入るわけじゃないとか、宿も無いし、どうにか金を得ようとしても冒険者って職も無いしで困って、とにかくパスポートだけ取ってここに来たんです。パスポートすら取得するのに一〇日かかったし、その間寝るところも無いんで共同避難所の床で寝てました」


「それは大変だったな。ゼムルヤから来たならこの国は天国だぜ。市民として過ごすなら、だけどな」


 ミコの言葉に、氷の浮いたコーヒーを両手で握っていた誠司が視線を上げる。


「冒険者は税率が二〇パーセントに、依頼料は一八パーセントがまずギルドに手数料として取られて、依頼達成時の報酬のうち二〇パーセントはギルドの手数料、残りの八〇パーセントから一六パーセントがギルド所属税で取られるのさ」


 ミコの説明に誠司の口元が歪む。小さな声で「想像してた異世界と違う」と呟くのが、ミコにも聞こえた。

 それに、ミコは少しだけ笑って、冷たいだけの薄くて不味いコーヒーを飲み下す。


「まあ、ゼムルヤから移ってきたなら、ここで市民権を獲得して市民として生きるのも良いだろうが……それには約三年半がかかる。そうなると、三年半以内にゼムルヤが戦争を始めた場合、君はゼムルヤの兵士として戦争行きだ」


 ミコがそう言うと、誠司はいかにも絶望したと言うかのような表情を浮かべる。それに、ミコは「まあ聞け」と言うのだ。


「そうならないために、この国で冒険者になると良い。見たところ、君には魔力があるようだ」


「つ、つまり俺も魔法を使えるってことですか?」


「ギルドに届け出てない魔法を使ったら違法だぜ、一発で逮捕だ。君の場合は強制送還だな、ゼムルヤに」


「絶対使いません」


「それが良いだろう」


 さて、とミコが姿勢を正す。それにつられて誠司も背筋を伸ばしてミコを見つめる。


「この国で冒険者になるには、まず定期的に行われる特定魔力生物管理者資格試験に合格して、三箇所の冒険者の元で研修をしてから、初特定魔力生物と契約し、小論文の提出をしないとならない。特定魔力生物管理者資格試験に合格した時点で、君の身分はセレニティ国の市民になる」


「そんな長いことかかるんですか、冒険者ってもっとこう、名前とスキル書いて登録料払ったら完了って感じだと思ってました」


 誠司が椅子へぐったりと体を預けると、ミコは「これでも短いくらいさ」と笑う。


「それに、スキルってのはなんだい?」


「えっ! スキル無いんですか? こう、ステータスオープン! って言ったらステータスが出てきて、そこに個人に与えられた特別な役職とか魔法とかが書かれてるみたいな」


「君の空想力には脱帽するぜ。俺はこの大石板でスキルなんてものは見たことないな。そんな便利なものがあるなら、世界中で使われてるはずだろう」


 誠司は「そんなぁ」と深々と溜息を吐き出し、肩を落とす。


「大石板ってなんですか?」


「大石板ってのは、君が足を付けてる、この世界の名前さ。世界は平面な石板の上にあり、太陽は毎日生まれ死んでいく。月は太陽を追い、決して追いつけない。君、あまりにも常識が無いな、どこから来たんだい」


 ミコからの問い掛けに、誠司は後頭部を掻きながらだらしない笑みを浮かべる。まるで、人間性に欠く笑みだった。

 そんな笑みに、ミコは判断を早まったかと思いながらも誠司の前へ紙とペンを出す。


「まずはセレニティ国の文字からだな。セレニティ国の公用語、オプティムス語は訛りがあるが使えているから、知っている文字を書いてくれ」


 ミコに言われた誠司は、ペンを片手に止まってしまった。誠司にとってオプティムス語なんて初めて聞いた言語であり、自分がそれを話しているなんてこともいま知ったのだ。

 知っている文字なんて一つだって無い。

 しかし、逃げて逃げて都合の悪いことは見ないふりをして生きてきた誠司にとって、それを認めることは酷く不快で悔しいものだった。

 それでも、誠司の心を無視して時間は過ぎる。


「どうしたんだい」


「や、あの……えっと……」


「もしかして、文字が書けないのかい」


 ミコからの問い掛けに、誠司は唇をぎゅっと噛み締めて嫌々ながらに頷く。


「そうか、君はゼムルヤから来たばかりだったな。それにしてはオプティムス語が上手いぜ、誇っていい。なら字は俺が教えてやろう」


 そう言うと、ミコは紙の上半分に二七つの文字を書く。ミコの字は丸みを帯びており、上下に長い形をしていた。

 誠司はこの世界の人間の文字を見るのは、ゼムルヤでパスポートの申請をした時以来二度目だったが、ミコの字は綺麗なのだろうと思うのだった。


「これが、この国の公用語のオプティムス語の文字だな。この二七文字を組み合わせて単語にしていく。まず、一週間でこの文字を覚えてくれ」


「い、一週間で!?」


 素っ頓狂な声を出した誠司に、周囲にいた捜査官がミコたちの方を振り返る。それにミコは手を振って「なんでもない」と告げる。


「そうさ、一週間だ。いいかい、ゼムルヤは既に戦争準備に入っている。話に聞くところによると、エヴィスィング国がゼムルヤの東にある小国ベーレを植民地化したことで領海を侵されたとして宣戦布告をしたらしい。そうなれば、戦争は秒読みだ」


 ミコの言葉に、誠司が喉を鳴らして唾液を飲み下す。


「君に残された時間は短い。二ヶ月後にある特定魔力生物管理者資格試験に落ちれば、晴れて君はゼムルヤの奴隷兵だ。それが嫌ならキリキリ覚えてくれ。君は運が良かったんだぜ、資格試験は年に一回なんだ。それが二ヶ月後、君は恵まれてるな」


 誠司は、あまりにも悲惨な人生設計に、いまにも逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。

 しかし、逃げたところで待っているのは戦争で人間として扱われず塵芥のように死んでいく未来だけなのだ。

 やるしか無いと、誠司はペンを手に取る。幸いにも、ミコが書いた文字はどこかアルファベットに似ている形のものも多くあった。

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