セクション2
もしも、フィニスが普通の人間であり、もう少し馬鹿であったならば、自分は特別な相棒に選ばれた特別な捜査官なのだと自惚れることもできただろう。
しかし、フィニスは優秀だった。
冒険者になるための特定魔力生物管理者資格試験を過去最高点数で突破し、キャリアを約束されてすらいた。
だからこそ、そんな夢を見られるほど馬鹿ではなかったのだ。
自分の無力さも、過剰な期待も、すべて冷静に見つめられるだけの頭は持っていたのだ。
それは、生まれにより得た危機管理能力の可能性もあったが。
それでも、そのハイエルフを伴っているのは、彼にとってミコが唯一信用のできる自身の味方であるからという理由が一つだった。
二つ目の理由は、フィニスにとってミコ以外の相棒を探すことは最大のリスクだったからだ。
新しい魔力生物を相棒にしたその瞬間から相棒が二人に増え、特定魔力生物使役税がのしかかってくるのだ。フィニスにとって、それが死の次に避けたいことだった。
「ミコ、どうだ。この屋敷」
「そうだな、人間が死んでるのは間違いないだろう。これは、人間の血の匂いだ。その理由……は、分からんな。血臭からして外傷だろう。腐敗して体液が流れたにしては腐臭がしない」
普段はあれこれ服を着替えているミコも、仕事の時はしっかりと戦闘用の服を着込み革靴を履いている。綺麗に磨かれた黒い革靴は、まるで黒曜石のようにきらりと輝いている。だからこそミコは気に入って履いてるのだ。
仕事で来ているという意識が一応あるのだろう。
以前フィニスがそれを聞いたところ、ミコは「当然だろう」と言いたげな表情を浮かべて鼻で笑ったものだった。
「さて、じゃあ行くか」
その屋敷には冒険者の魔力が残っている。冒険者の逝去後も、最長一五年はその冒険者の魔力で魔力生物は食い繋いでいけると言う。
そのため、いまもこの家の中には冒険者と契約した特定魔力生物魔族が残っている可能性が高かった。
「殲滅か?」
「いや、話し合いだ。俺、乱暴なのやなんだよな」
フィニスの言葉に、ミコが鼻で笑って返す。
「乱暴なのが嫌なら、ギルドと争うのをやめてさっさと冒険者に戻ったらどうだ?」
ミコからの言葉に小さく笑うことで返事をすると、屋敷の内部へとミコが足を踏み入れるのを眺め、フィニスは黙ってその後ろへと続いた。
「話し合いとは言っても、冒険者が残っていたらどうするんだ?」
「冒険者集合自治団体法令第七条に則って、代表者である冒険者と対話ってやつをやるさ」
そう軽く話していたフィニスとミコの前に、悪魔の青年が姿を現す。先程まで人の気配も無かった中に現れたその姿に、フィニスは肩を跳ねさせる。
「ギルドの方ですか?」
「ああ、そうだ。君は冒険者マーテルの使役魔力生物かい」
「はい。私は悪魔のゼノと言います。私以外の者は自室に戻るように伝えていますが、顔を出させたほうがいいですか?」
「いや、まずは君から話を聞こう。どこか話せるところはあるか? 俺の主はどうにも、現代っ子らしく足腰が弱くて冒険者になれなくてな」
ミコの言葉に、フィニスが軽くミコの脹脛を軽く蹴る。それにゼノが小さく笑って「こちらへ」と先導する。
招かれたのは、冒険者マーテルの自室だった。
伽藍とした部屋の中にはピンク色の秋桜が飾られているだけで、こざっぱりと片付けられている。
しかし、生活感は無い。
「ここが一番綺麗ですので、どうぞ」
ゼノに座布団を勧められ、ミコとフィニスはそこへ座す。その対面にゼノが座り、軽く頭を下げる。
ゼノは深く、深く息を吐き出してから言葉を紡ぎ始める。
「大変な時に、ギルド所属の捜査官様と魔力生物の方に来て頂けて安心しました」
「それで、一体何があったんだい?」
こういった時には、人間の捜査官よりも魔力生物が話をするほうが良いということを、フィニスは経験から理解していた。
だからこそ、話し始めたミコにも驚くことはなかった。
「……私たちの主であるマーテルさんが、恋をしたんです」
その言葉に、フィニスとミコは顔を見合わせる。
──冒険者である、マーテルさんは自他ともに認める優秀な方でした。
人間の目から見るなら整った顔立ちをしていたでしょう、魂も汚れることなく美しく精錬で、魔力も豊富でした。縁談も数多来ていたと伺っていました。
しかし、マーテルさんは彼女の相棒に恋をしてしまったんです。口数は少なく穏やかで、マーテルさんの周囲にはいないタイプだったのでしょう。
マーテルさんは徐々に余裕を失い、契約した魔力生物にも揶揄されるようなことが多くなってしまいました。
私たちは、……人間に使われる身。人間を選ぶことはできません。
しかし、だからこそ、その力の使い手を選ぶこともあるのです。種族によっては女人を軽んじる者もおります。恋をした冒険者を、主として尊重できないと言う者も、おります。そのような中でマーテルさんは徐々に壊れていきました。
マーテルさんが初特定魔力生物……獣人のループスさんに夢中になっていると詩を諳んじて、そこから嘲弄するような歌合せが行われることもありました。
彼女は、優秀であったにも関わらず、そのために壊されてしまったのかもしれません。
マーテルさんは、誰に対しても威嚇をする猫のような方でした。それでも、唯一ループスさんと一緒にいる時だけは穏やかだったんです。共にいると、安らぐことができたのでしょう。
マーテルさんが亡くなったのは、今月の初めでした。その前日に、マーテルさんとループスさんは話をしておりましたから、そこで何かあったのかもしれません。
同日に、ループスさんも……亡くなってしまいました。
マーテルさんの初めての魔力生物はループスさんで、私は三人目の相棒でした。二人目はハーフリンクのミニウエレでしたね。
静かに語るゼノに、フィニスはひとつ頷くことで返した。
まるで醜悪ないじめのようなことが起きていたらしいこの場に、「パーティは解散、全員処刑だな」とフィニスは独りごちる。
それに、ゼノは言葉を返すことも無く穏やかに微笑むのだった。
────
私は、自分で言うのもどうかとは思うが優秀な冒険者だった。
冒険者という職が一般的になるよりずっと前から、冒険者が公務員になる前から冒険者の一族だった。
だから、私が冒険者になるのも当然の結果だった……のだと思う。
冒険者になる前の最後の研修先になったのはアエタスという冒険者の屋敷で、そこで私は運命とも思える種族、アニマリア族の狼獣人に出会った。
研修が終わった私が最初にヒトガタを取って魔力を通すと、繋がったのはアニマリア族の狼獣人、ループスだった。これは運命だと思った。
思って、しまったのだ。
アエタスさんのところで出会った狼獣人とは違い、ループスは狼のマズルを持ち、獣性が強い外見をしていた。
その後は、まるでお花畑になったんじゃないかというくらいに浮かれていたと思う。
最初のうちは隠せていたんじゃないかと思っていた。
でも、徐々にループスから掛けられた声とか、仕事のためとは言っても同じ部屋にいることとか、そういうちょっとしたことに少しずつ、ループスも私のことを好きでいてくれてるって思い込んでいた。
ループスはただ、仕事として、冒険者として私のことを見ていただけなのに。
冒険者家業が軌道に乗ってきた、冒険者になってから五年目のことだった。不意に詩を詠む声が耳に届き始めた。
「庭の端で咲いた白椿 陽の主に触れられたくて 背伸びして 背伸びして 風ひとつで散っていく
ああ──気づかれぬまま、散るばかり」
「蜜は甘く 蜜は溶け 蜜は落ちる 主の足元へ ああ 甘露を捧げても 主の唇には届かない」
それにケラケラと笑い声を上げて私の方を見るパーティメンバーたち。
それが歌合せのようなものだと気が付いたのは、彼等が顔を扇子で隠して次々に詩を詠っているからだった。
その声音と笑い声から私を嘲弄する歌だというのは分かったし、なんとなく私がループスのことを好きなことに気が付かれているんだと分かった。
途端に顔が熱くなる。恥ずかしくて恥ずかしくて、煙が出そうだった。
すぐに自室へ駆け込んでも、あの悪意に満ちた笑い声が耳に残って泣きそうだった。
喉の奥が詰まり、目の裏が熱を持つ。
でも、泣いてはいけない。
じわりと滲んだ涙を拭う。
「わたしは、つよいぼうけんしゃ、だから……」
涙に震える声が漏れて、立っていた足が震えて、でも座り込むことなんてできなかった。
きっと、座ったら私はもう立てなくなってしまう。顔を覆って壁に凭れていると、不意に傍らに誰かの気配を感じる。
「マーテル」
優しい声。私の二人目の相棒のミニウエレだった。
小さな体、大きな耳。少年のような姿をしていながら、長生きで器用で、人の感情の機微にとても聡いハーフリンク。
「ジジイたちは怒っといたからさ、だから」
ミニウエレの言葉に頷く。
涙に濡れた「ありがとう」はちゃんとミニウエレに届いたみたいで、彼は泣きそうな表情で頷いてくれた。
けれど、人間ではない彼には、きっとわからない。「好き」という感情が、どうしてこんなにも罪にされるのか。
「私は、滑稽かな」
「そんなこと、無いと思うぜ」
でもミニウエレの表情から理解してしまう。
彼らに、私の気持ちは分からない。
いつか聞いたことがある。魔力生物は、人間とはまた違ったものの見方をしていると。
魔力生物はそれぞれが、それぞれの内なる法で動いていて、だからこそ誇り高いんだと。他人に突き付けたものを自らに向ける強さ、善を快く感じてしまう心、そういったものが魔力生物にはあるのだと四〇〇〇年は前に存在していた冒険者の手記で、私は知っていた。
でも、さっきの魔力生物の醜悪な笑みは善だっただろうか。彼等にとっての善とは、なんなんだろうか。
ミニウエレが淹れてくれたお茶を飲みながら茫と考える。
終わりにしようと思った。全部、私が伝えて終わりにしよう。
その日は、雪の降る一一月の初めだった。その日は、聖女神の祝福日で、美しい月が空に二つ浮かんでいた。
私があの歌合せに気が付いた日から、四か月も経っていた。
でもきっと魔力生物からすれば四か月なんて風のようなものなんだろうと思う。
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