春宮冬華の告白

真白 悠月

第1話

 数年前くらいから、ある一つの噂が耳に入るようになった。


 福井県のある桜の名所地。

 その某所において、3月下旬から4月上旬の限られた日の夜、並木道の一角に、一人の少女が所在なげに石垣に座っているという。


 幽霊なのではないかーー。

 そんな憶測がすぐさま飛び交った。

 確かに、ある者はその体が透けていたと言っている。

 しかし一方で、ある者は世間話をしたとも言う。

 つまりは真偽不明。彼女が何者なのかは未だ謎のままだ。


 しかし、僕には彼女の正体に一つの心当たりがある。

 いや、正確には僕が予想した以外の答えは考えられないと言った方が正しいかもしれない。

 この仕事を終えたらすぐにでも、その真偽を確かめに行こう、そう心に誓った。


 そして僕の予想通り、その人物が彼女であったなら、僕は彼女が最後に言った言葉の真意を聞かずにはいられない。


「ーーありがとう」


 今にも消えいく小さな声でそう言った、彼女が残した言葉の意味をーー。


 ♢


 僕は今、七年ぶりにあの日の桜並木に立っている。


 時刻は深夜零時。


 僕の向かって右手側には、春の朧月による月光と、ライトアップにより照らし出された春の代名詞が、その季節の到来を知らせるかのように壮大に咲き誇っていた。


 僕は七年ぶりに見るその荘厳な景色に目を奪われつつ、くだんの少女が待つと噂の場所に向かいゆっくりと歩みを進めた。


 この桜並木は、車がすれ違えるほどの幅がある大きい道沿いに存在している。


 そう、道幅は十分だ。そして、あの日も今日と同じように、月明かりと桜のライトアップの光により、道路は人が見渡せるくらいには明かりが残っていた。


「本当に……僕は……なんてことを……」


 ずっと同じことを考えている。


 この七年間、あの日のことばかり考えている。どうしてこうなったのか、どうすればよかったのか。後悔と自責の念だけが、僕の心を埋め尽くしている。


 考え続け続けても答えが出ないと分かっていても、僕の思考は止まらない。

 そのまま歩みを続けていると、数十メートル先の桜の木々の間の一角が、淡く光っていることに僕は気付いた。

 そして、その淡く光る場所の手前に位置する木の陰から、棒のようなものが規則的に上下に動きながら見え隠れしていた。


 それが人の脚であると認識するまで、そう時間はかからなかった。


 ドクンと、自分の心臓が音を立てて跳ね上がる。


 件の少女が、そこにいる。

 僕は逸る気持ちを抑えながら、歩速を上げつつもゆっくりと近づいていく。


 淡く光っている場所には何があっただろうかと、僕は記憶の海を潜っていく。

 そういえば、桜並木の木々の間に一箇所、ぽっかりと開けた空間があったこと、そこには大人二人が横に並んで座れるくらいの大きな石が陣取っていることを僕は思い出した。


 七年ぶりに訪れたにも関わらず、よく覚えていたなと我ながら感心していた矢先、自分の記憶が正しかったことがすぐさま証明された。

 果たして、淡く光っているその場所には、大きな石に座った件の少女が、白く透き通った二本の脚を前後にパタパタしながら所在なさげに座っていたのだった。


「ーーーーっ」


 咄嗟に声が出なかった。まさか本当に、彼女がいるとは思ってもいなかった。


 僕が呆気に取られて立ちすくんでいると、彼女は動けずにいる僕に気が付いた。

 とたん、彼女もまさか僕がここに来るとは夢にも思わなかったのだろう。大きな両目が瞬きを二度、三度と繰り返すのが見てとれた。


「ーー深雪桜介さん、ですか?」


 ひんやりとした夜気の中、少し自信なさげにそう尋ねてくる彼女の透き通った声が、真っ直ぐに僕の耳まで届いた。


 ああ、本当に彼女だ。

 あの日聞いた声と変わらない声音に、溢れる気持ちを堪えながら


「ーーええ、深雪です。こんばんは、春宮冬華さん」


 震える声で僕はそう答えた。


「よかった、やっとお会いすることができました」


 桜が咲いたような美しい笑顔で、彼女は喜びを口にするのだった。


 彼女と最後に会ったのは七年前のちょうど今日だ。

 当時高校二年生だった彼女も、現在は二十四歳になっていた。


 しかし、目の間の彼女は、当時と全く変わらない容姿をしていた。

 艶やかな長い黒髪も、ぱっちりといた二重が印象的な整った顔立ちも、何もかも僕の記憶の中の彼女と変わらなかった。


 僕は、彼女から目を逸らすように顔を下に背けてしまった。


 そんな彼女の姿を見るのが辛かったのだ。

 いや、違う。本当は目の前の現実から目を背けたかったのだ。彼女をそんな風にしてしまったのは自分のせいだと、思い知るのが怖かった。


 だが、そんな僕にもまずやることがある。


「春宮さん」

「どうしました?」

「本当に、本当に、この度は、申し訳ありませんでした!!!」


 僕は深々と頭を下げた。

 彼女は納得しないだろうことは分かっているが、誠意を見せるにはこれしか思いつかなかった。


「深雪さん、顔をあげてください」


 恐る恐る顔を上げると、彼女は柔らかい笑みを浮かべていた。。


「確かに、私は世間一般的にいうところの酷い目に遭いました。ですが、あなたを恨んでなどいませんよ。あの時、こう言ったはずです」


 そこで一旦言葉を区切ると、彼女は七年前と同じく


「ーーありがとう、と」


 短くそう告げた彼女は、本当に僕に感謝しているようだった。


 やはり、僕の聞き間違いではなかったのか。

 あの状況で感謝される意味が分からなくて、僕はこの七年間、彼女の真意を確かめずにはいられなかった。


「僕は今日、あなたに謝罪をするためにここに来ました。ですが、もし可能であれば、その言葉の真意についてもお聞きしたいです」

「ええ、もちろんです。私もそのためにここに来たんですから」


 彼女は自分が座っている石の左隣を二回叩いて、横に座るように促してきた。


 僕は彼女の横に座ることに少し抵抗を覚えたが、座らないと話も進まないと思い直し、彼女に勧めらるがまま腰を下ろした。


 すると突然、今までの暗い雰囲気を吹き飛ばすような明るい声で


「まあでも、暗い話ばかりもなんですから、世間話でもしませんか?」


 白く細い指を両手に合わせながら、お茶でも誘うかのような気軽さでそう提案してきたのだった。


 ……この子、本気か!?


 僕は彼女の提案に面食らって、これを良しとする返事がすぐにはできなかった。

 

 だがすぐに、ある一つの考えが浮かび上がった。


 ーーそうか、今までずっと独りだったから、話し相手がほしいのかな。


 そう考えると、すべては自分の責任だ。僕には彼女の誘いを受け入れる以外の選択肢はなかった。


「いいですね。ただ、僕に面白い話ができる自信はありませんが」

「気にしないでください。私も口下手な方ですから。あの、さっきからずっと気になっていたんですが」

「どうかしましたか?」

「その格好、少し寒くありません?」


 僕の服装はビジネススーツにロングコートという、いかにもな格好だ。

彼女が指摘したとおり、まだ寒さが残る三月の福井において、僕の服装の防御力はいささか以上に低い。

 反対に彼女の服装はというと、下は水色のチェックのスカートに黒いタイツ、上はワイシャツにセーターという、これまた僕よりも寒そうな出立ちだ。


「寒いです。仕事を終えてから急いで終電に乗ったもので」


 春宮さんは寒くないんですか?とは絶対に聞けなかった。


「そうだったんですね。それにしても、お仕事お忙しいんですね」

「どうしてですか?」

「髭が少し残っていますし、スーツも少しよれてます。ちゃんと帰って寝てますか?」

「ええ、大丈夫です。すみません、もう少し身だしなみに気を遣ってくるべきでした」


 はははと、乾いた笑い声が、凛とした空気の中に消えていく。

 少しドキッとしたが、なんとか誤魔化せただろうか。


 僕の不安をよそに、彼女は話を続ける。

「会うのは七年ぶりになりますが、この七年はお仕事ばかりでしたか?」

「……そんな感じです。ちょっと忙しくて、来るのが遅れてしまい申し訳ありません」

「気にしないでください。ちなみに何のお仕事をされてるんですか?」

「どんな……と言っても、普通に営業の仕事ですね」

「営業ですか。契約が取れなくて怒られたりする印象が強く、大変そうなイメージしかありません。すごいです!」

「いえ、そんな大層な仕事をしているわけではないので。恐縮です」


 彼女のストレートな褒め言葉に戸惑ってしまい、なんともかしこまった返答になってしまった。

 話の流れで言えば、次は僕の方から「春宮さんはどうでしたか?」と、尋ねる番だ。

 だが、先ほど同様、それは無理だ。

 春宮さんの七年間については、想像もしたくない。

 それに聞いたとして、彼女はなんと答えるというんだ。……いや、それについても考えたくはないな。


 僕がそう悩んでいるのを知ってか知らずか、彼女は努めて明るく話しかけてくる。


 趣味はありますか?休日はどこか出かけたりしますか?美味しいものは食べました?あ、帰省したなら、やっぱり秋吉ですよね?


 僕と話すことが心底楽しいと言わんばかりに、矢継ぎ早に尋ねてくる。しかし、彼女の質問に答えるたびに、僕の胸の中には罪悪感という澱ばかりが溜まっていく。


「深雪さん、何かしたいことはありますか?」


 それがとどめだった。

 僕は言葉に詰まり、何も発することができなった。

 彼女がこれからの話をしようとすることに、僕はもう、耐えられなかった。


「春宮さん!」


 僕は大きな声で彼女の名前を呼ぶことで、無理やり会話の流れを断ち切った。

 彼女は少し目を丸くすると、黙ったまま、僕の次の言葉を待っていた。


「春宮さん……、どうして、そんな風にあなたは僕と話ができるのですか?」

「どうして……ですか?」

「僕には到底理解できない。だって……」


 意を決して、僕は言った。


「僕は、七年前にあなたを殺してしまったのに」







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