偶然助けた美少女に「貴方に告白するのは十五回目ですっ」と言われても、俺は過去の十四回を知らない

紐育静

第1章『十五回目の告白』

第1話 朝、駅で女の子を助けたら泣き始めた



 人は生まれながらにして、常に「死」というゴールに向かって突き進んでいる。

 今後、余程技術が進歩して人類が死を乗り越えない限りは、誰しもに待ち受ける運命なのだ。


 しかし、重い病気を患っていたり、身近な人間が病気や事故で亡くなったり、人の命に関わる職業だったり、あるいは破滅願望なんかを持っていない限りは、「死」について考えることなんて滅多にないはずだ。そんなことを考えずにいられる日常を送っている方が幸せに決まっている。


 でも、それは突然としてやって来る。

 


 高校三年生を迎えた春、いよいよ受験について本格的に考えなければいけない頃のこと。朝、いつものように登校していただけなのに。

 いつもと同じ電車に乗ろうと、通勤通学客で溢れる駅の構内を歩いていただけなのに。

 

 今日も座れそうに無いなぁと、叶うはずもない夢が破れて心の中で溜息をつきながらホームへ続く階段を降りようとした時のことだった。


 「きゃっ!?」


 俺の前を進んでいた黒髪のおさげの女子高生が、後ろからズカズカと階段を降りてきた中年ぐらいのサラリーマンに横からドカッと体当たりを受けて、その小さな体をよろめかせた。


 階段を降りている途中だったからか、少女は階段を踏み外してバランスを崩し、前に倒れそうになり──。


 「あ、危ない!」


 少女の後ろにいた俺は慌てて彼女の腕を掴み、階段から転げ落ちそうになっていた彼女の体を抱き寄せた。


 「あっ……」


 俺と少女の目と目が合う。その透き通るような瞳に吸い込まれてしまいそうで、自分達が今、朝の雑踏と喧騒に包まれた駅にいることさえ忘れてしまいそうになる。


 傍から見ればロマンス映画のワンシーンのような構図かもしれないが、彼女の可愛らしい顔立ちや甘い香り、そして柔らかな感触──それらの情報を一気に頭が理解すると沸騰しそうになり、俺は彼女を階段の上に立たせて慌てて手を離した。


 「だ、大丈夫か? 怪我とかはしてないか?」


 俺が高鳴る鼓動を抑え平静を装って少女に声をかけると、彼女は自分の身に何が起きたのか理解が追いついていないようで目をパチクリとさせていた。

 そしてようやく自分の身に起きた状況を理解したのか、彼女は口を開いたのだが──。


 「あ、ありがとうございます……って、私ったらどうして泣いて……?」

 「え、えぇ!? ど、どうしたんだ!?」


 なんと、少女は俺の目の前で急に涙を流し始めてしまったのだ。

 彼女自身もどうして自分が泣いているのかわけがわからないようでパニックに陥っているようだったが、俺も同様にパニックに陥っていた。


 もしかして俺の握力が強すぎたか? それとも彼女の体を抱き寄せてしまった時にあらぬ所に触れてしまっていたか? あるいは、殿方に体を触られたことのない超箱入り娘だったりするのか?


 しかし多くの人が行き交う階段にいつまでも留まっているわけにもいかず、俺は少女を連れて階段を降り、人波の邪魔にならない自販機の脇で話をすることにした。



 ◇◇◇



 「ありがとうございます、飲み物なんかいただいちゃって……」

 「良いんだよ、これぐらい」


 こんな通勤ラッシュ帯じゃホームのベンチが空いているわけもなく、俺は少女の隣でブラックの缶コーヒーを飲んでいた。

 すると、カフェラテを飲んでいた少女がふと呟く。


 「あの、貴方はブラック飲めるんですか?」

 「ん? あぁ、まぁな。普段から飲んでる」

 「大人ですね」

 「そうか?」

 「私は甘いものしか飲めません……」


 そう言ってちびちびとカフェラテを飲む彼女を可愛らしく思いつつ、俺は罪悪感に苛まれていた。


 嘘だ、俺はブラックコーヒーが嫌いだ。ちょっとかっこつけて買っただけなんだ。普段は牛乳か砂糖がドバドバ入ったやつしか飲んでない。


 あーあ、変にかっこつけずにどうせなら彼女と同じカフェラテでも買えば良かったなぁと少し後悔しながら、俺は隣に立つ彼女の方をチラッと見る。


 絹糸のような黒髪のおさげ髪に白いリボン、同い年にしては小柄で幼い印象を受ける儚げな佇まい……彼女はまだ、どこか物憂げな表情をしているように見えた。


 彼女が着ているセーラー服を見るに、おそらく杠葉ゆずりは女学院高校の生徒だろう。リハジョと呼ばれる杠葉女学院は、ここら辺じゃ有名なお嬢様学校だ。

 だが、車での送迎とかじゃなくて電車通学ってだけで割と庶民派かもしれないが、やっぱり纏っている雰囲気がどこか上品に感じられる。


 俺は高校に入学した頃から彼女の姿を毎朝のように駅で見かけていたが、大した繋がりや共通点があるわけでもないお嬢様に声をかける勇気なんてなくて、いつの間にか三年生になってしまっていた。


 今までは遠くから彼女の姿を眺めていたぐらいだったが、こうして間近で見ると彼女の可愛らしさをより感じさせられる……と、そんな彼女とお近づきになれたらいいなぁと半ば下心も抱きながら彼女の様子を観察していると、彼女はふぅと息をついてから口を開いた。


 「あの、助けていただいてありがとうございました」


 そう言って彼女はペコリと俺に頭を下げる。その一つ一つの所作が丁寧で、なんとなく育ちが良いんだなぁと感じる。


 「君が無事で良かったよ。泣いた時はびっくりしたが」

 「あ、あはは……ちょっぴり怖かったのかもしれませんね。あの一瞬の間に、色んなことが頭をよぎりましたから……」


 飲み物を飲んで落ち着いたようだが、やはり怖かったに違いない。彼女は今も若干体を震わせているように見えた。

 幸いにも階段から転げ落ちることはなかったが、おっさんから体当たりを受けて足を踏み外した時に、きっと最悪の事態が彼女の頭によぎったに違いない。いや、それどころか走馬灯だったのかもしれない。


 「その、びっくりさせちゃってごめんなさい」

 「まぁ仕方ないだろ。俺だったら三日三晩泣き止まないぞ」

 「な、泣き虫さんですね……」

 「いや、冗談だからな?」


 俺のしょうもない冗談に彼女がクスッを笑ってくれたので俺は安心した。


 しかし、あれが噂のぶつかりおじさんって奴か。存在こそ知っていたが、それを目撃したのは初めてのことだ。あれが故意だったのかどうかはわからないが、場所が場所だっただけにたくさんの人を巻き込んだ大惨事になっていた可能性もある。


 彼女に体当たりを食らわせたおっさんを小一時間ぐらい問い詰めてやりたいぐらいだが、ホームは混雑しているしこうして彼女と話している間に何本か電車が発車しているから行方知れずだ。


 「座らなくて大丈夫か?」

 「あぁいえ、大丈夫です。もう落ち着いたので」

 「あまり無理するなよ、学校に事情説明すればちょっと遅れたぐらいじゃ怒られないだろうし」

 「えへへ、平気ですよ。お気遣いいただき、ありがとうございます」


 彼女はそう言って軽く会釈すると、眩しい笑顔を俺に向けてくる。直視するとあまりの輝きに俺の目が焼きただれてしまいそうなので、ホームから発車していく電車の方に目をやった。


 「あっ、そういえば貴方もお時間は大丈夫なんですか? もう何本か乗り過ごしちゃってますけど」

 「いや、まだ余裕あるから大丈夫だ。そっちの方こそ遅刻したりしないか?」

 「私の方もまだ余裕はあるので、大丈夫です」


 携帯で時間を確認すると、彼女と出会ってかれこれ十分十五分ぐらい経っているらしい。その時間の大半は、中々泣き止まない彼女の前で俺があたふたしているだけだったが。

 多分、何も事情を知らない人が見たら俺が彼女を泣かせたように見えたに違いない。


 「どこか痛むところはないか? もしかしたら後から痛む場所も出てくるかもしれないから気をつけろよ」

 「はい。でも、今は大丈夫みたいです。貴方のおかげで……」

 「何か落とし物とかもしてないか? 結構な衝撃だったし」


 すると彼女はセーラー服のスカートのポケットや胸ポケットを探った後、何か落とし物でもあったのか、急に青ざめた表情になる。


 「……ない」

 「ど、どうかしたのか?」

 「あ、あのっ、どこかに落とし物してしまったかもしれませんっ。もしかしたら階段に、いえもしかしたらホーム? あぁもしかしたらそのまま転がって線路に落ちてしまったかもしれませんっ、あぁどうしましょう!?」

 「お、落ち着け、落ち着くんだ。一体何を落としたんだ?」

 「か、懐中時計です。ブロンズの、レトロなデザインの……」


 どうやらさっきぶつかりおじさんに体当たりを受けたはずみか転びかけた時に、彼女は懐中時計をどこかに落としてしまったらしく、俺は彼女と二人で階段へ戻って懐中時計を探すことになった。


 「どこ……一体どこに……」


 今どき懐中時計なんて持ち歩く高校生がいるものかと、いや昔の高校生でも懐中時計を持ち歩くことなんてそうそうなさそうだが、彼女の慌てぶりを見るに相当大事なものなのだろう。かなりの高級品なのか、誰かからプレゼントされたものなのか、あるいは形見なのか……。


 「おっ、あったぞ!」


 通勤通学中の学生やサラリーマンが多く行き交う階段にて、俺は懐中時計を発見した。彼女が転びかけていた場所より下の段の端っこに落ちていたが、落ちた時の衝撃によるものなのか、ガラスにはヒビが入り秒針も止まってしまっていた。


 「よ、良かった……!」


 俺から懐中時計を受け取ると、彼女は大事そうに懐中時計を握りしめて自分の胸に当てた。

 彼女はホッと安心したように見えたが、懐中時計を握りしめながら彼女は再び泣き始めてしまっていた。


 「お兄ちゃん……」


 そして、ホームから電車のアナウンスが鳴り響く中で彼女が呟いた言葉を俺は聞き逃さなかった。

 

 ……もしかして、この子は。

 どうやら今日は遅刻しないといけないのかもなと、俺は覚悟を決めたのだった。

 

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