遼遠のノクス・リーガル

夏木裕佑

Act.1 来訪と船出

Eps.1

 それは黒い船だった。

 漆黒の塗装を矢尻型に浮かび上がらせた船体は、宇宙の深淵を背景にして確固たる存在感を放っている。無味乾燥とした物理法則とどこまでも続く暗闇の中で自己を見失わずに叫び続けていた。だがその叫びを聞く者も、ましてや黒に浮かぶ漆黒に目を留める者もいない。誰の目にも映らず、どの鼓膜を打つこともなく、あらゆる情報の電波から隔離された状態の船は漂流と呼ぶにはあまりにも狙いすました軌道を進んでいく。

 その船が人類社会の中で初めて認知されたのは、メキシコ星系は巨大ガス惑星である第三番惑星の衛星軌道上をニアミスした時だ。少なくとも、後にこの船を発見した人々にはそう見えた。

 第三番惑星に眠る無尽蔵のヘリウム3を採掘する採掘船を管制するために、星系政府の公宙管理局が設置した航宙ブイはさながら惑星上の幹線道路に敷設された信号機としての役目を果たしている。上下左右、あらゆる方向へ凄まじい速度で驀進している航宙船が衝突しないよう、速度、軌道、宙域情報を最寄りの公宙管理局へ送信し管制を行う巨大な統制機構だ。デブリダンパーが許容しきれない運動量を持つ物体は即座に把握され、自動的に識別番号の発行と報告がなされる。人間の目では対応しきれない量の情報を適切な形で処理、記録するのが航宙ブイの役割であり、膨大な仕事量ではあるが、これまでのところ満足のいく仕事をしてきた。

 つまり、航宙ブイの報告を疑う者はほとんどいなかったし、信頼に足る実績も大きなものだった。

 航宙ブイは大気上層部を掠める軌道を進み続ける物体を彗星ではなく人工物体を船舶と断定。誰何したことで所定の認識番号を付与されデータベースに登録された。この時、物体は無味乾燥とした認識番号を付与された何某かでしかなかった。見慣れない黒い塗装と、公宙法で義務付けられている船籍情報の発信を行っておらず、さほど複雑でもないプロセスを経たうえで不審船と判定。しかし海賊船のような違法船舶のように能動的な活動を行っていない点から、航宙ブイからの報告を受けた最寄りの公宙管理局は旧開拓時代の漂流船が接近しつつあるのではないかとの予測を立てて分析を開始するに至る。

 管理局の担当者たちはまず、この船がいかなる時代のどんな船舶なのかを推定しようとした。どの時代に建造されたものであるかがわかれば、あとはデータベースを手あたり次第に疑似人格にあたらせれば程なくして回答が得られるはずだ。これまでも似たような事例は珍しくはあれど存在していたし、その場合、この手法でだいたいの諸元を確認することができた。

 定石ともいえる手続きの中で浮彫になったのは、飛来した物体が異質であることくらいだ。その形状や塗装、船体規模など性能諸元を照らし合わせてもこの船がいかなる年代のものであるのかを判定することはできなかった。調査を進めるほど、それほど老朽化した構造ではなく、むしろ現代の航宙船の中では非常に洗練された設計であり、最近建造されたとみるのが妥当だ。過去からの漂流船だと思われていたがその当てが外れてしまったのだ。いうまでもなく時間旅行はまだ実現されていない技術の最たるものであったから、建造されたのは過去のいつかとなる。情報だけを整理すれば、人類社会に属さない船舶であるのは明らかだったが、かといって異種知性体の存在を思わせるほど別次元の建造物ではない。

 多くの矛盾点に公宙管理局の担当官たちが首をひねっている間にも、物体は第三番惑星に接近しつつある。ともかく他航宙船の進路を妨害する可能性が大きいため、未確認船舶として星系を巡回する連合警備隊へ通報する対応とし、その後の調査など一切の業務を委託することとした。厄介事を押し付けることでその日の安寧を享受することにしたのだが、外観からの情報でこの船を詳らかとすることはできないという判断だった。

 そうして軌道変化することもなく漂い続けていた黒い船の近傍に、フリゲート艦一隻が接近してきたのは航宙ブイによる誰何が行われてから十時間後のことである。昨今は宇宙海賊による民間船舶の襲撃が相次いでおり、このガス惑星近傍宙域においても巡視は強化されていた。人工衛星、人工惑星を問わず自動監視システムの網目を掻い潜るような動きをする船に対して巡視任務を遂行するには、フリゲート艦が最も適した能力を持つ。機敏かつ多用途性に優れて費用対効果も高く、平時の治安維持任務にはうってつけというわけだ。

 通報を受け急行したフリゲート艦<エイプリル>の艦長は、当該の不審船にまつわる数少ない情報を一瞥して、星系開拓期に行方不明になった遭難船の一隻だろうと公宙管理局と同じように当たりを付けた。そしてこれも同じように、拭いきれない違和感に眉を顰め、この目で見ないことには何とも言えないとやはり同じ結論を下す。異なるのは、実際に彼が調査を行うために必要な能力と人材を備えた艦艇を指揮しているという点だ。

 メキシコ星系への入植から早数百年を経た現代において、どんな極軌道を取っていたとしても、開拓初期に遺棄されたものであれば星系政府の察知しないところではない。宇宙空間へ進出し恒星間文明を築いた人類の情報保存技術は、粘土板に文字を刻んだ太古の昔よりも飛躍的に進歩しているから、記録が消失するということも考えにくいのだ。数百年前の過去の出来事であっても、わからないという状況がそもそもあり得ないのである。

 とはいえ、実際にそうした漂流船は多く確認されているし、ほぼ全てのケースで回収の費用対効果に見合わないため放置されているのが現状でもある。だがこの船は漂流船データベースにも登録されていない、突如としてその場に出現したとしか思えないものだ。であれば当然、遭難船ではなく海賊船などの非合法な存在である可能性が高いわけだが、漆黒の塗装は見たこともない色合いのもので、どの国家正規軍や海賊集団が運用するものか定かではなかった。最近、機関の故障により漂流している民間航宙船である可能性も捨てきれないが、だとすればまずは大出力で遭難信号を発信するのが筋というものだし、どう見ても船は民間船ではない。

 つまり、極めて高い技術力により建造された戦闘艦艇に見えたのである。

 とにもかくにも、状況確認のために艦長は<エイプリル>を未確認船へ向け接近させた。少し時間をかけて加減速を繰り返し軌道を同調させると、各種センサーにより慎重に船の諸元を調査させる。小型のセンサープローブも射出し、規定の手順よりもかなり詳細に情報を収集したのは警戒心の現れだ。

 入念に収拾された観測結果によれば、未確認船は全長七二一メートル、全幅一二六メートル、全高一三八メートルという、メキシコ星系の属するレイズ星間連合では国防宇宙軍の運用する軽巡洋艦に匹敵する大きさであることが確認できた。隣に浮かぶ<エイプリル>が船というよりはしけのように見えてしまうスケール感である。機関は停止しており、船尾のプラズマ反動推進エンジンも動作していないため、目視しただけではその全体像を把握できていなかったのだ。それに加え武装のすべてが船体内に格納される形式とみられることから、この船のスペックを外部から全て暴き出すことは不可能だ。

 それでも放射線測定よりこの船が漂流してからおよそ一世紀近い時間が経過していることは間違いないという報告があり、ますます艦長は不信感を募らせて次第に大きくなっていくホログラフの中の黒い船を睨んだ。一世紀前といえばオリオン腕大戦勃発の最中であるため、この船に関する記録が戦時の混乱の中で失われたと考えれば論理的な整合性を見出すことができるのだが、戦時中にこれだけの船を建造できる国家がどこかにあるのだろうかと首を傾げてしまう。思考が堂々巡りに入ってしまい、疑念は新たな疑念を呼ぶ。

 事実として無視できないのは、仮にこの船が海賊ないしは武装勢力により運用されている場合、<エイプリル>では到底太刀打ちできないということだ。軽巡洋艦だとすれば、〇・五光秒という至近距離に位置している段階で相手の攻撃から逃れる術はない。フリゲート艦には国防宇宙軍の運用する駆逐艦のような機敏な運動性は備わっていないのだ。ましてや中型艦艇との正面切っての砲撃戦など以ての外である。中性粒子砲でなくともレーザー砲であっても致命的な威力を発揮するだろう。

 副長を含めた乗組員と協議した結果、外部からの観測では任務の要を果たせないとし、宙兵隊による臨検が決定された。遭難しているにしても外部との通信手段が損壊している可能性も捨てきれず、内部への侵入と臨検、そして情報収集が必要であるとの判断である。同時にこれは海賊への対処となるだろう。そう提案した副長の言葉は妥当なものと思え、彼の状況判断を否定すべき事実は見つからない。艦長が考慮すべきであるのは、宙兵隊の安否に関わる何事かが発生する可能性と、この任務を達成することを天秤にかけることだ。そして宙兵隊は危険を負うためにこそ存在していると誰もが理解していたが、その特性を誇りとしているのは当の宙兵隊員たちである。国防宇宙軍の乗組員が宙兵隊に敬意を払うのは、正に航宙艦の装甲に守られない場所で命を危険に曝け出すのみならず、その渦中へ飛び込む性質にこそあった。

 未知の船に対する臨検とはいえ任務の性質はさほど特異なものとはならない。規定通りの手順を踏むことで決まれば後はマニュアルの確認で済んだ。最終決定を下したのは当然、艦長である。

 宙兵隊が仕事をする間、<エイプリル>は未確認船と一千キロの距離を取って安全を確保することとされた。フリゲート艦に二機は搭載されているシャトルの一隻を用い、十数名の宙兵隊を乗せて予定通りにエイプリルの艦腹を離れていった。

 幾度となく臨検を行ってきた宙兵隊の面々は自信たっぷりに出発し、手際よく未確認船のハッチを溶断して内部へと侵入したが、艦長の元へ届いた報告はありえないものだった。

「艦長、この船は無人です。いかなる組織、集団に繋がる証拠品も押収できませんでした。それどころか、生命維持装置が活動していた痕跡も発見できません」

「となると、中尉。その船は——」

 三次元ディスプレイが艦長席の肘掛けから投影するホログラフの中で、宙兵隊中尉は困惑をプロらしい鉄面皮の下に隠して頷いた。

「はい。この未確認船は、完全なる幽霊船ゴーストシップです」

 後日、艦長は自らその船に足を踏み入れた。宙兵隊中尉が真っ暗で延々と続く通路を指差す先の暗闇を見つめる。

 思わず身震いし、こんなことがあるものかと頭を振る。

 そこには機械が息づいていたのだ。





 朝陽が目に染みて否応なしに目が覚めた。

 どうにも、惑星で迎える朝というものは眩しくてかなわない。二日酔いの頭がずきりと痛むが、昔からの習慣ですぐに意識が覚醒する。目やにでべたつく瞼を手の甲で擦りながら起き上がって欠伸をし、頭蓋骨の中に走った鈍痛に顔をしかめる。

 体調はあまりよくない。昨晩のアルコールが思考に霞をかけていて、今日すべきことが頭の中で整列をせず、おしゃべりをしながら徒党を組んでは踊りまわっている。怒鳴り散らして大人しくさせようとしてもますます勢いづけてしまうだけだろう。意を決してタオルケットをはぎ取ってソファから起き上がり、キッチンへ向かう。散らかったシンクからグラスを手に取り水を注ぎ一息に飲み干すと、いささか気分が上向いた。もう一杯を飲んでから廊下を歩いて洗面所へ。歯を磨いて顔を洗い、無精髭を撫でてまだ剃らなくていいと判断。埃と汗を落とそうとシャワーを浴び、下着とまとめて服を着替えて身なりを整えれば幾分かましな見た目になったが、それでも浮浪者一歩手前という雰囲気は誤魔化せず、落ちぶれたという表現に相応しい人生を思って口元をゆがめた。

 キッチンへ戻り湯を沸かし、スクランブルエッグのプラスチック容器に注ぎ込むと乱雑に振って水分を吸って元に戻るのを待つ。その間に食パンを取り出してトースターに突き刺した。古めかしいそれは、用途に対して人類が技術を投入する必要を感じないほどに堅実な仕事をする働き者だ。

 開拓途中の植民星系や軌道上のコロニーでは、物資供給の観点から食品用の三次元プリンターを使用して飲食物を整形するが、この惑星、メキシコ・プライムのように歴史ある居住惑星でも古き良き加工食品が一般的だった。農業や酪農はまだ人の手で行われていてこの惑星の名産品にもなっている。一方で合成食品も根強い人気を誇っている。味や触感は天然ものと遜色ないし、他惑星でも地球産の動植物を生育するのはかなりのコストがかかるから安く済む。庶民の味と言えば見劣りする印象を与えてしまうものの、技術の進歩は人間の舌を見事に誤魔化すことに成功しているといえた。

 焼きあがったパンにバターを塗りたくってプラスチック容器からスクランブルエッグをぶちまけ、二つ折りにして頬張る。コーヒーメーカーの電源を入れて昨日淹れたものを温めながら、指を何度か鳴らして三次元ディスプレイを起動した。

 天井の中央部に照明器具と一体化している三次元ディスプレイは室内のあらゆる箇所に立体映像ホログラフを投影することができる。リビングの中央にあるテーブルの前、庭に面した一面の窓ガラスを背にして置かれたソファにどっかりと腰を下ろしている男の位置を認識し、映像はテーブルを挟んで反対側に出現した。しばらく他愛のないバラエティや株価情勢といった箸にも棒にもつかない内容をぼんやりと眺めながらおざなりな朝食を咀嚼していると、興味深い見出しが出たために手を止めた。

 画面に出てきたメディアレポーターの女性が、いつもの無表情より少し人間味のある感情を露わにして記事を読み上げていた。その記事一枚がどれほどのAIと人間の検査を経て作成されているのかを、男は知っていた。虚構を通じて事実を伝えているわけだが、この点に違和感を抱く人間は少ない。それがメディアの成功というものだ。

「本日より二日前の六月十二日、メキシコ星系第三番惑星メキシコ・サードの衛星軌道上を通過する未確認船が連合警備隊のフリゲート艦、<エイプリル>によって拿捕されました。公宙管理局メキシコ星系支部の衛星による誰何にも応答しなかった未確認船は、黒い塗装が施された軽巡洋艦級の中型航宙船で、第四管区保安本部は船の由来と所有者を調査すると共に、なぜこのような航宙船がいままで存在し得たかを——」

 拿捕されたにも関わらず由来が不明ということはあり得ない。不可解な状況に、男はじっと指を顎の下に当てて考えこむ。思考はほとんどガス惑星の公宙管理局<エイプリル>艦長と同じものを辿ったが、速度の点では彼のほうが素早かった。

 現代の航宙船は造船所から進水した——船といえばアルキメデスが水の上に浮かべていたものであった時代の名残だ——航宙船には必ず航海日誌がつけられることになっている。人間の手による報告書がストレージされるのが一般的だが、中には疑似人格に記載を任せることもあり、大なり小なりではあるがその船がどこから来たものかを証明する電子証書も利用されていた。他にも様々な機構によりあらゆる要因が船に関わるため、調査すればその船の正体を明かすことは容易い。

 連合警備隊は正にそうした調査を専門とする治安維持組織だから、たとえば調査の手法が劣悪で情報抽出が行えなかった可能性はありえない。公宙管理局と共同で管理するデータベースは正確で検索も容易だし、疑似人格の補助を受ければ目的の情報は必ず抽出できるはずだ。

 だとすれば船のほうに問題があるわけだが、航宙日誌その他のサルベージが行えない、あるいはそもそもシステムとして搭載されていない場合、海賊船であることが考えられるがこれも可能性としては低い。基本的に犯罪組織の拠点というものは公宙管理局の目を逃れた小惑星や大昔に廃棄されたステーションなどに構えるもので、軽巡洋艦級の中型艦艇を係留するならまだしも、造船のために必要な乾ドックまで用意することは不可能だ。規模が大きくなればなるほど、必要な工員や資材も膨大なものとなり、レイズ領宙に常日頃から目を光らせている連合警備隊の監視を潜り抜けることが事実上、不可能となる。犯罪組織が街のど真ん中にいきなりビルを建てようとすれば、否応なしに気付かれてしまうようなものだ。

 残るは国防宇宙軍など国家組織となるわけだが、そうするとこんな船を建造する理由がない。未登録の航宙船というだけで国際社会から批難されるのみならず、無人の航宙船を運用することは銀河連合評議会の定めた公宙法で厳しく規制されている。国家ぐるみの犯罪行為を推進するよりは、正規の手続きを踏み正式に軽巡洋艦を建造するほうが安上がりだし、効率的だ。

 もちろんこれくらいの考察は当局のほうでも進められているだろうし、実際の調査人員として数えられているわけでもないから、これまでの思考はなんの実も結ばない暇つぶしの思考実験に過ぎない。それでもこれまでとは毛色の違うニュースは興味深かったし、何か不吉な出来事の前触れのようにも感ぜられた。

 それからは元の当たり障りのないニュースが続き、手を止めずに朝食を終えて片付ける。栄養を摂り胃腸にものを押し込んだことで頭痛も和らいできた。携帯端末モブを通じてまだ振り込まれた年金に余裕があるのを確認すると時計に目を移す。時刻は午前九時を過ぎたあたり、何をし始めるにもいい時間だ。

 皺だらけのジャケットをクローゼットからむしり取り、乱暴に羽織って玄関を出る。オートロックを几帳面に確認してから軒先に停めてあるモーターサイクルに跨った。そのまま借家として暮らしている二階建ての一軒家から道路に繰り出し、遠方に見える軌道エレベーターへ向けアクセルを捻って公道に躍り出る。



 メキシコ・プライムはメキシコ星系で初めて人類が足跡を記した地球型惑星だ。

 レイズ星間連合の中では銀河系中心方向、つまり北部の辺境、隣接するバルハザール民主共和国との国境に位置する。レイズ星間連合自体が第二次植民時代に開拓された歴史の古い星系を主体とする国家であり、オリオン腕に存在する国家の中でも長い歴史を持つ由緒正しい国だ。

 首都星系マルメディスから遠く離れたメキシコ星系はレイズ国内の主要な経済圏からは外れているのだが、他星系と比しても負けず劣らずの繁栄を誇る。巨大ガス惑星と居住可能惑星という、人類の居住星系でも珍しい豊かな資源を有しているためだ。

 大抵の星系はどちらか一方だけが存在するという状況で、人口と資源の双方を抱えるメキシコ星系は一国の首都を担えるほどのポテンシャルを持っていると言われるほどに潜在能力を秘めた一大星系であった。

 同星系は資源採掘と食糧生産、消費財の生産によりガラパゴス的な経済市場を形成しており、オリオン腕の人類生存圏を円形に一周する経済航路コロニカル・メビウスとも近く経済的意義が非常に大きい地勢にあることも発展に拍車をかけた。レイズ国内の市場からは隔離されつつも、コロニカル・メビウスにより国外の経済圏と密接につながっているのだ。となれば、必然的に唯一の居住惑星であるメキシコ・プライムへの旅客需要が高まる。この惑星には一億を超える人口があり、旧地球と異なりほとんどが手つかずの自然に覆われているため、観光地化されるに当たって都合がいい。また、自然のみならず安定した気候と豊富な土地を利用し、膨大な量が採掘されるヘリウム3に支えられたエネルギー基盤と人口を背景に強力な産業基盤をも備えており、生産品をそのまま他国へと輸出することもできた。

 レイズ星間連合は人類の生存圏があまねく広がるオリオン腕の活動宙域においてほぼ中央に位置している中央諸国のひとつに数えられる。百余年前のオリオン腕大戦において、バレンティア連邦、ロリア連合という二大超大国に挟まれ主戦場となった中央諸国は、長引いた大戦と度重なる戦闘により荒廃した。だが苦境を脱して後はメキシコ星系のようにその地力を発揮して経済的、文化的発展を遂げた惑星も少なくない。殊、レイズ星間連合にとっては戦略上の要衝であると同時に、経済の大動脈とも呼べるのがこのメキシコ星系で、発展の影には復興の二文字が刻まれてもいるのだ。

 男がモーターサイクルで向かったのは、惑星首都メイディ市の郊外に突き立つ軌道エレベーターだ。開拓初期には近傍の小惑星をカウンターウェイトとして建設されたこの惑星で最初の巨大建造物で、惑星と衛星軌道との往還を低コストで実現し、地上宇宙港をはじめとするインフラが整備されていない入植初期のメキシコ・プライムの発展に大きく貢献した。他に軌道エレベーターは惑星のほぼ反対側に位置する一基があり、大気圏外を経由した旅客や運輸の中核基地としての機能を担っている点は変わらない。惑星の人口規模が増大したとはいえ現在でも主要な交通手段はリニアモーターカーや電気自動車、そして航空機という昔ながらのものだ。そういった意味では、人類の生活水準は二十一世紀後半からさほど変わっておらず、何百年も前の人間が今の街並みを見ても違和感を感じないだろう。

 都市の間に網目のように張り巡らされている幹線道路をひた走ると、自然と軌道エレベーターへ道が合流していく。路上の混雑具合はそこそこといった具合だったが、民需品をはじめとする輸出用雑貨を満載したコンテナを引きずるトレーラーが増えるにつれ渋滞が発生し始めた。交通管制システムは高度な疑似人格によって管理運営されているから、少し待てばこれも解消されるだろうが、男は構わずに自動衝突回避機能を切って車輛と車輛の間を縫うように走り抜けていった。通り過ぎる車輛の何台かはモーターサイクルの接近に急停車し、乗っている人々から罵声までも浴びせかけられるが、無視して道を急ぐ。

 軌道エレベーターは衛星軌道と繋がっている関係上、宙運会社や国防宇宙軍、星系防衛軍、果ては他国の国際貿易会社などが多く事務所を構えており、それだけに外貨獲得のための重要な経済拠点となっている。商業施設も数多くあり、その中でも軌道エレベーターの乗り場に隣接したモールへとモーターサイクルを乗り入れ、立体駐車場の片隅に停めた。

 定期的にメディアで取り上げられている統計によれば、メキシコ・プライムの人口の十パーセントが軌道エレベーターを中心とした半径ニ十キロ圏内で生活している。人口過密地帯なだけあってモールの中は人通りが多く、何度も肩をぶつけながら複合現実MR現実世界リアルの区別がつかない誰かと共に流れ、あるいはその流れに逆らいながら歩いていく。

 程なくして軌道エレベーターの根本まで辿り着く。<エイプリル>による拿捕事件があったからか、心なしか軌道エレベーターを利用する人影は少ないように見えた。構わずにモブを端末に翳してチケットを取り、数分を待ってワイヤーケーブルで吊るされたエレベーターがやってくるのを待った。

 エレベーターの乗員区画は角ばった構造をしており、灰色の実用一辺倒な塗装が施されている。乗り物というよりは建築物といったほうが的を射ているその構造は十階建てのビルのようになっており、基本的に昇降は軌道エレベーターの制御システムが担い自動化されている。中身はビルという表現にふさわしくカプセルホテルのように個室に区切られた空間で、最も上の階層だけは透過壁を備えた展望ブロックとなっており、宇宙線などの有害な環境要素を排して宇宙空間の景観を楽しめるようになっていた。ここにはほかにラウンジもあり、飲食も可能となっているが、減速段階に入ると慣性の法則に従い全ての物品が浮かび上がってしまう。そのため、ちょうど中間の無重力状態になったタイミングで箱そのもが上下逆さまに回転して重力方向を転換する仕組みだ。その場合は光り輝く惑星の地表を見ることができ、どちらかといえば殺風景な虚無の空間が広がる深宇宙の景色よりこちらのほうが人気は高いが、基本的に上下反転となるのは旅客ステーションよりはるか上空の静止軌道ステーション付近で、景観を長い時間楽しむことはできない。

 軌道エレベーターはケーブルに這うようにして三層構造をとっている。地表四〇〇〇キロメートルの高度にある旅客ステーションと三八〇〇〇キロメートルの高度にある静止軌道ステーション、そして末端付近にありカウンターウェイトとしての機能を併せ持つ宇宙港だ。いま男が向かっているのは最も近い位置にある旅客ステーションだ。時速七百キロまで加速するエレベーターの箱に六時間は揺られることになる。ちょっとした小旅行のようなものだ。

 男に割り当てられたコンパートメントは上から二番目の階層の最も外側に位置する一室で、最低限のプライバシーの確保された五メートル四方ほどの空間にすぎない。そこには寝台がひとつとテーブル、冷蔵庫が収められていた。熱湯を注いで戻すタイプのフリーズドライ食品を作るチューブまでも備えてあり、物資さえあれば三日程度であれば問題なく過ごせる。真空材を利用した防音壁もよく機能しており、手荷物を片手に続々と乗り込んでくる乗客の話声は扉を閉めればほとんど聞こえない。

 ジャケットを脱いで椅子の背もたれに投げ、寝台の上に寝転がって照明パネルを見上げているとアナウンスが入る。複合現実アプリに対応したスマートレンズを着けていれば警告表示も出るのだろうが、男はモブしか携帯していないため音声での案内で出発の連絡を受けた。その五分後にエレベーターは動き出し、加速度が体にかかって重くなる。

 寝台に沈む感覚を味わいながら目を閉じるといつの間にか眠り込んでいたようで、気付けば加速も終わり、重力が徐々に弱まっていく段階に入っていた。軌道エレベーターはその原理から、地表から離れるほど遠心力で感じる重力は軽くなっていくのだ。

 何か腹に入れておこうと寝台から起き上がり、眼をこすりながらモブをズボンのポケットに突っ込んで部屋を出る。エレベーターの中にエレベーターが存在するというのも奇妙なものだ、と思いながら螺旋階段を上り、ひとつ上の階層の展望ブロックへと入った。

 展望と銘打ちながら、そこはラウンジのようだった。天井には光度調整され人間の眼には映せないほど弱い星の光に満たされた星空が広がっている。それは惑星の地表から夜に見上げるものよりもはるかに明るく、太陽よりも心に映える。

 疲れた夜に自宅の敷居をまたいだ時のような奇妙な安心感に包まれながら、男は自動販売機でノンアルコールのワインを買い出してぶらぶらと座席のひとつに近付き、席に着く。座席をリクライニングさせ、全ての星を視界におさめようとするが、どこへ顔を向けてもそれはかなわなかった。その事実に満足しながら微睡んでいく。

「こんにちは」

 その声に、沈みかけていた意識は覚醒した。

「リガル退役大尉でいらっしゃいますね?」

 眼を開くと、星空からやってきた女と目が合った。

 触れ合いそうなほど近くまで顔を近づけていた彼女は背筋を伸ばすと、なぜか安心したように微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る