第7話 風紀委員長は背後から忍び寄る

 校庭に鳴り響くサイレン。

 生徒会室から飛び出した私は、校門へと全力疾走していた。

 私のドジのせいで、学園が封鎖されかけている。その事実に心臓が早鐘を打つ。

 私が走ると、身体中の余計なお肉がたぷんたぷんと揺れ、それがまた自分の遅さを自覚させて惨めな気持ちになる。


「はぁ、はぁ……! 待ってください! それ、危険物じゃないんです!」


 校門付近は、物々しい雰囲気に包まれていた。

 黒い腕章をつけた風紀委員たちがバリケードを築き、その中心に「不審物」として私のピンク色のトートバッグが隔離されている。

 そして、そのバッグを鋭い眼光で見下ろす一人の女子生徒がいた。


 皇凛子すめらぎりんこ様。

 古武術の宗家にして、この学園の治安を守る風紀委員長。

 腰まである黒髪をポニーテールに結い上げ、制服の着こなしは一分の隙もない。

 彼女の周りだけ、気温が数度下がっているかのような、ヒリヒリとしたが漂っていた。


「……動くな」


 私が近づこうとした瞬間、凛子様の身体がブレた。

 視界から消えた、と思った次の瞬間。


 ゾクリ。


 背後に、冷ややかな気配が立った。


「不審物の所有者が戻ってきたか。貴様、何者だ」


 耳元で囁かれる、低い声。

 まるで日本刀の切っ先を突きつけられたような緊張感。

 私は恐怖で固まった。


「わ、私は綿貫ふわりです! ただの一年生です!」

「嘘を言うな。ただの学生が、これほど無防備に私に背後(バック)を取らせるものか。……これは誘い受けだな?」


 違います、ただ反応できなかっただけです。

 しかし、戦闘思考に染まった凛子様には通じないらしい。


「確保する」


 凛子様の腕が、私の身体に絡みついた。

 古武術の制圧技だ。

 背後から両腕を回し、私の動きを封じつつ、関節を極めようとする動き。

 鋼のような筋肉の硬さが、背中越しに伝わってくる。


「ひゃうっ!」


 私は思わず情けない声を上げた。

 痛い! ……はずだった。

 けれど、次の瞬間、世界が奇妙な沈黙に包まれた。


「……なっ?」


 凛子様の驚愕の声。

 私の身体を締め上げようとした彼女の腕が、止まったのだ。

 いや、止まったのではない。

 のだ。


 ギュッ、と力を込めた凛子様の前腕が、私の脇腹や胸の柔らかいお肉に、ずぶずぶと飲み込まれていく。

 私の身体は、高級羽毛布団をさらに三倍に圧縮したようなマシュマロボディ。

 外からの衝撃をすべて吸収・分散し、無効化してしまう「人をダメにする装甲」を持っていた。


「馬鹿な……。関節が、極まらない……?」


 凛子様が焦ったように力を込め直す。

 しかし、力を入れれば入れるほど、彼女の腕は私の脂肪の沼に深くダイブしていくだけだった。

 背中に密着した凛子様の胸部(こちらも豊かだが筋肉質で硬い)と、私の背中の柔らかいお肉が、完全に隙間なくフィットしてしまう。


「こ、これはどういうことだ。私の『蛇咬じゃこう』(技の名前らしい)が……スリップするどころか、吸着されているだと?」

「あ、あの、凛子様? 苦しくはないんですけど、ちょっと暑いです……」

「黙れ! 貴様、何らかの対ショックジェルを服の下に仕込んでいるな!?」


 凛子様は警戒を解かず、私の身体を探るように腕を動かした。

 それがまずかった。

 彼女の鍛え上げられた指先が、私のわき腹やお腹の敏感な部分を、捜索という名目でむにむにと這い回る。


「ひゃぁっ! そ、そこはっ!」

「……柔らかい。異様なほどに……」


 凛子様の声のトーンが変わった。

 殺気が消え、代わりに困惑と、得体の知れない動揺が混ざり始める。


「筋肉の鎧が……通じない。私の力が、この……とろけるような弾力に、すべて吸い取られていく……」


 私の背中に押し付けられていた凛子様の身体から、急速に力が抜けていくのがわかった。

 彼女は常に戦場にいるかのように気を張っている人だ。筋肉は常に臨戦態勢で硬直し、交感神経がフル稼働している。

 だが、私の「赤ちゃんスキン」に広範囲で接触したことで、強制的なリラックス信号が彼女の脳に送られたらしい。

 ボクサーの顎をかすめるパンチが物理的に脳を揺らすように、私のマシュマロボディは内分泌的に脳をダメにするのだ。


 カタリ、と。

 見えない武装が解除される音がした。


「……んぅ……」


 凛子様の顔が、私の肩口にことりと乗せられた。

 え?

 風紀委員長?


「温かい……。なんだこの、陽だまりのような温度は……」

「凛子様? あの、確保は……?」

「……待て。今、重要な検証を行っている」


 凛子様は、私の背後から完全に抱きつく体勢(バックハグ)に移行していた。

 拘束ではない。ただの抱擁だ。

 彼女の腕が、私のお腹の前で組まれ、私の柔らかさを堪能するように、指先でお肉をぷにぷにと押している。


「貴様の背中は……危険だ。私の闘争本能が、バターのように溶かされていく……」


 耳元で、甘い吐息がかかる。

 凛子様の吐く息が、熱い。

 いつも厳しい顔をしている彼女が、今は私の背中に隠れて、とろとろの顔をしているのが気配でわかる。

 堕ちた。


「私は……常に背後を警戒して生きてきた。背中は弱点だ。誰にも預けられない場所だ」


 凛子様が夢ごこちで呟く。


「だが……貴様のこの質感はなんだ。背中から伝わる安心感が……母の胎内にいるような……絶対的な安全を保証してくる……」

「そ、それはオキシトシンのせいです! 離れてください、生徒たちみんなが見てます!」

「見せればいい。これは風紀委員長による、危険物のだ」


 意味が分からないよ。

 そして、まごうことなき職権乱用ちかんこういだ。

 凛子様はさらに強く私を抱きしめた。

 私の背中のラインに、彼女の身体がぴったりと重なる。凸と凹が完璧に噛み合うパズルのように。


「はぁ……。いい匂いだ……。戦場の硝煙とは真逆の……平和そのものの匂い……」


 彼女は私のうなじに顔を埋め、すーすーと匂いを嗅ぎ始めた。

 武人の凛々しさはどこへやら。

 私がいま背中に背負っているのは、巨大な甘えん坊の猫だった。

 私のマシュマロボディが、最強の武人の筋肉と脳筋を、骨抜きにしてしまったのだ。


「そこまでよ、筋肉ダルマ」


 氷のような声が降ってきた。

 ハッとして顔を上げると、校舎の方から三人の修羅が歩いてきていた。

 玲華様、雫先輩、カレン様。

 全員、目が笑っていない。


「風紀委員長が白昼堂々、痴漢行為とはね」

「西園寺か……。誤解だ。これは制圧行動だ」


 凛子様は私を後ろから抱きしめたまま(というか、私を盾にするようにして)言い返した。でも、顔が赤い。完全にデレている顔だ。


「制圧? どう見ても抱き枕にして寝ていたように見えたが」

「雫……貴様にはわかるまい。この物体X(ふわり)の対兵器無力化能力の高さを」

「わかるわよ! だから私たちが管理してるの! 離しなさいよ!」


 カレン様が地団駄を踏む。

 凛子様は、私を抱く腕にさらに力を込め、私の耳元で囁いた。


「……ふわり、といったか。貴様は危険だ。私の目が届く範囲に置いておく必要がある」

「えっ、逮捕ですか!?」

「いや、護衛だ」


 凛子様は私の耳を甘噛みするような距離で、断言した。


「貴様の背後(バック)は、今後私が守る。……その代わり、私が疲れた時は、貴様の背中を貸せ。これは取引ではない、命令だ」


 また、変な契約が増えた。

 私は四人の天才たちに囲まれ、校門の前で立ち尽くす。

 風紀委員長という最強の「後ろ盾」を得たはずなのに、なぜだろう。私の貞操の危機感は、ますます高まるばかりだった。


 その時。

 校内放送のスピーカーから、ザザッというノイズが走った。

 続いて、合成音声のような、無機質で気怠げな声が響き渡る。


『――ターゲット、捕捉。座標、校門前。生体反応、激甘(激アマ)。……特定完了』


 え?

 全員がスピーカーを見上げる。


『ふーん……君が、噂の人間ルーター? ……画像解析完了。……むにむにしてて、良さげじゃん』


 どこか投げやりで、でも興味深げなその声の主は、まだ姿を見せない最後の天才。

 からの、宣戦布告だった。

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