Episode.5 夕食

 案内されるまま食堂へ入ったエリアは、心臓を押さえながらそろそろと席に腰を下ろした。
広い長テーブルの中央には、香草の香りがほのかに薫る料理が並び、晩餐にふさわしい荘厳な雰囲気を漂わせている。


 しかし、そんな優雅な空気とは裏腹に、エリアの精神は完全に限界を迎えていた。


(む、無理……精神が無理……!
さっきから胸がざわつきっぱなし……!)


 斜め前には、当然のような顔でルークが座っている。
その姿勢は凛として整い、言葉一つ発さずとも存在感が圧倒的だった。


 伯爵はほっとしたようにグラスを持ち上げ、晩餐の開始を告げた。
使用人たちが次々と料理を置いていく。


 だがエリアの食欲はどこかへ旅立ってしまったようで、スープの蒸気を前にただ固まるばかりだった。


 そんなとき——


「エリア嬢」


「ひゃいっ!!?」


 スープを持ち上げた瞬間に声をかけられ、エリアは飛び上がるほどの声を出してしまった。
自分でもどこから出たのかわからない奇声だった。


 向かいのミナが「かわいい……!」と変な感想を呟いているのが聞こえた。


 ルークは、そんな彼女の挙動に眉ひとつ動かさないまま、静かに尋ねた。


「食が細い。体調は大丈夫ですか?」


「だ、だいじょうぶです!!」


 即答。速攻過ぎて、逆に不自然な返事。
しかしエリアにはそれ以上の余裕がなかった。


 ルークは淡々と続ける。


「滞在中、あなたの生活管理も護衛の務めです。
必要なら、食事量や栄養の調整も——」


「し、しなくていいです!!!
ほんとに!全然!!必要ありません!!」


 食い気味に拒否するエリア。
対してミナは、にやにやしながら親指を立てていた。


(やめて……ほんとやめて……全部誤解を深めるから……!)


 伯爵が咳払いをして話題を変える。


「そういえばルーク団長、使う部屋は向かいで間違っていないかな?」


 その言葉に——エリアのスプーンが、ふっと指から滑り落ちた。

 カチャン、と食堂に響く冷たい音。


「む、向かい……?」


 エリアは震える声で聞き返した。

 ルークは事務的に、けれどどこか当然のように答える。


「エリア嬢の動きがすぐに分かる位置です」


「う、動きって……ひっ……!」


(ちょっと待って!?
寝返りとか、寝相とか、変な寝言とかまでわかるってこと!?
無理無理無理!!)


「夜間も異常があればすぐに駆けつけます」


「むり……!!」


 本能で拒否が口から飛び出した。


 もちろんルークは、まさかエリアが完全に誤解しているとは気づかない。

 むしろ、「なんで泣きそうなんだ?」と、不思議そうな目だ。

 心配されているのが余計に辛い。


(こんな誠実そうな目で見られたら余計に誤解しちゃうでしょ!!)


 その誤解をさらに深めるように、ルークはやわらかい声で言った。


「……安心して眠ってください」


「無理って言ってる!!」


「眠れないほど不安なら、薬師を呼びましょうか?」


「い、今は眠れる!!全然眠れる!!
超眠れる!!世界一眠れる!!!」


 完全に挙動不審。
伯爵は「若いっていいな……」と満足げにワインを飲んでいる。ミナはミナで、エリアへ向けて“がんばれ♡”のジェスチャーを送り続けてくる。
やめてほしい、むしろ逆効果しかない。


 ルークは小さく頷き、真剣な声で告げた。


「だがいずれは慣れていただかないと困る」


「な……なにに……ですか……?」


 エリアの声は震えていた。
誤解の限界を迎え、もうすべてが怖い。


 ルークは淡々と、しかし誠実そのものの声で告げた。


「“同じ屋根の下で生活すること”に、です」


「ぎゃあああああああああああああ!!!!」


 エリアの悲鳴が食堂に響き渡った。


 ミナは「きゃーーーー!!」と謎の拍手。
伯爵は「やはり若い……」とため息交じりに微笑む。


(ち、違う……全部違う……!!
誤解が誤解を呼んで、もうどうしようもない……!!
この人は護衛として言ってるだけなのに……
わたしの脳内だけ勘違いの嵐……!!)


 夕食はその後も、エリアがひたすら挙動不審になる地獄のような時間が続いた。

 スープを飲めばむせ、パンを取ろうとして皿に腕をぶつけ、肉を切ろうとしてはフォークを落とす。


 ルークはそのたびに心配そうな表情を見せ、
伯爵は「エリア……恋か?」などと余計な一言を添え、
ミナは涙ぐみながら“成就を信じています”みたいな目を送ってくる。


 そのたびにエリアは心の中で叫び続けた。


(頼む……誰かこの誤解の渦から助けて……!!)


 こうして、精神のHPをゼロどころかマイナスに突き抜けたまま、
地獄のような夕食は幕を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る