運命の出会い
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ルナセリア魔法学校新入生持ち物一覧
ルナセリア魔法学校の新入生は入学式までに以下の持ち物を用意し、上陸時には「杖」以外をトランクに入れて用務員に預けること。
・杖(一本)
魔法政府から認可を受けている杖師が製作したものに限る。また、長杖の持ち込みは禁止されていないが授業は短杖を用いて行われるため、必ず短杖を用意すること。
・各種教科書(各一冊)
授業にて使用する教科書は古本・新本は問わないが、必ず版と出版社に指定がある場合は記載されている通りに揃えること。
基礎呪文学『絵と理論で覚える生活魔法』
基礎言語学『魔法言語の土台』
魔法基礎工学『歴史的逸品の第一歩』
基礎魔法薬錬金学『基礎錬金レシピ集 〜素材はご自身でご用意ください〜』
基礎魔法生物学『魔法生物の足跡と住処の匂い』
基礎魔法植物学『イラストで知る世界の植物 〜図鑑付き〜』
基礎変身魔法学『変わり物の種明かし』スーレー社出版
基礎精霊学『気まぐれ精霊との会話』スーレー社出版
基礎防衛魔法学『まずはあなたから 〜死なない方法教えます〜』
基礎結界学『結界魔法の基礎をこの本に閉じ込めてみました』
魔法歴史学『世界魔法全史 第五十六版』
・筆記用ガラスペン(最低三本)
インク吸着式のガラスペンを用意してください。デザインに指定はありませんが、授業や課題などの日常的な場面で使用しますので使いやすい大きさのものとします。
こちらは学内購買にて購入可能ですが、新学期は混み合いますので必ず入学前にご用意ください。
・インク瓶(必要数)
ガラスペンに吸着させるためのインクが十分量入ったものを必要な分だけご用意ください。
日常的に持ち運びを行いますので必ず蓋つきのものとし、可能であれば二重で蓋止めがあるものを推奨します。
こちらも学内購買にて購入可能ですが、新学期は混み合いますので必ず入学前にご用意ください。
・錬金用鍋(一つ)
鉄製や鉛製は素材が溶けて効果が変わってしまう恐れがあるため、必ず内側に泥銀か電気鰯の背骨、もしくは漆合金による処理が施されている物を用意してください。また、錬金に関わる道具は全て『国際錬金規定』に合致するもの以外の使用は認めません。
・錬金用かき混ぜ棒(一つ。予備にもう一本あると良い)
素材は問いませんが薬品危険度等級7までに耐えられる素材を用意してください。最低でも三年生までは使用します。
・天秤式測量器(一つ)
『国際錬金規定』に基づいた重りも一緒に用意すること。魔法による自動測量器は長期間の使用に不向きなため使用を認めない。
・錬金用試験管類一式(最低八本)
全てガラス製とし、『国際錬金規定』に基づく容量S5〜S8の四種類をそれぞれ最低二つ以上用意すること。また、それらを安全に保持できるスタンド類も合わせて用意すること。
・その他錬金道具(必要数)
各自で魔法薬錬金に必要と判断する道具を持ってきても構わない。ただし、持ち運びと片付けが容易な物に限る。
加熱時に鍋を乗せる台や、裁断する刃物用の砥石等を推奨する。
・魔法植物用ジョウロ
基礎魔法植物学にて使用する。
素材は恨めし柳以外のものを用意すること。(恨めし柳で水を与えると魔法植物を呪う恐れがあるため)
・日常用衣服(必要数)
制服以外の普段着は極端に華美ではない清潔感のあるものとし、パジャマや下着類も必要数揃えること。
学内の寮での洗濯は全て魔法によって行われるため、あまりにも脆い生地や特殊な洗濯方法を必要とする衣服は望ましくない。
極端に露出が多かったり、発色や着用時の効果等に問題があると教員が判断した場合は没収する場合がある。
最低でも三セット以上を用意すると学校生活で困らないと思われる。
また、必ず全てに記名を行うこと。
・運動用衣服(最低一セット)
運動学実習にて使用する動きやすい衣服を一セット以上用意すること。
条件は日常用衣服と同じであるが、運動で使用するため通気性や速乾性に優れた素材のものが望ましい。同条件の運動靴も合わせて用意すること。
※保護者各位へ
競技用箒については原則学内で所有しているものを使用するため用意する必要はありません。(持ち込む場合は別途申請と検査が必要になるためご注意ください)
また、ペットの持ち込みには申請が必要なため一年時での持ち込みは推奨致しかねます。
その他各生徒に必要だと保護者が判断した物品の持ち込みは可能ですが、危険性が高かったり学業へ悪影響であると教員が判断した場合は没収する場合があります。(特にジョーク・モーガレン製品の持ち込みについては注意をお願いします。)
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教科書と筆記具に関しては『ロードマッパ書店 〜古本は東のオンボロノノノノへ〜』にて一式揃えることが出来た。『パタパタ飛べる飛行術の本』というのに突っつかれ続けている店主がいる店だった。この本は鳥と同じ習性を持ってるらしく、店内をパタパタと飛んではフンの代わりに背表紙の間から溶けた糊を出すという変わった本だった。
お金を使うのが申し訳なくて私は『ノノノノの古書店』にある安いのでいいと言ったのだが、アンナさんが「セリュアナ大陸の民族の言葉で『安物買いの屋敷潰し』という言葉があるんだから、こういうものはケチらずに買うものだよ」と言われたので大人しくそれに従うことにした。どうやら節約のつもりで安物を買ったことですぐに壊れて買い直すせいで、屋敷を潰してしまうほどに散財してしまった貴族がいるらしい。
なぜか表紙以外の全てのページが透明な本に躓きそうになりながら店を出て、次に向かったのは『コペンアンドハーゲンの錬金術の隠れ家』という店だった。
この店はまさに「指が八本に増える」なんて現象が本当に起こりそうな店だった。
棚には何の生物のものなのかもわからない目玉が液体に浸かってぎょろぎょろとこっちを見てくるし、『生の毒の絞り放題やってます』という張り紙の下には生きた蛇がウジャウジャと壺に押し込められていた。
そんな不気味な店内とは対照的に店主のコペンさんとハーゲンさんはそれぞれ好青年といった見た目をしていて、金物職人のコペンさんが作る鍋は形が綺麗だし、ガラス職人のハーゲンさんのガラス製品はどこにあるのかわからなくなるくらいの透明度を持っていた。
そこで私は少しお高めの漆合金加工された鍋と必要な錬金道具を一式揃えることに成功する。ついでに、アンナさんから勧められた『綿ハリネズミ製タワシ』を一つ購入した。錬金素材を切った後に必ずと言っていいほど詰まる爪の間に挟まった汚れを綺麗に洗い落とせるらしい。……触り心地は良くないけど。
「えっと……金貨一枚が二十ノーコンで、銀貨一枚が二ノーコン。金貨を十枚集めるとグーロ紙幣一枚になって……」
荷物でいっぱいになった手押し籠を前にして、私は指を折ってお金の数え方を復習する。
アンナさんの魔法のおかげで手押し籠は羽よりも軽くなっているが、私の頭は計算のし過ぎで重くなっていた。
ここまでの買い物のほぼ全てを、私はヘレンさんから渡された財布の中身を使って自分で会計のやり取りをし、お釣りが正しいかどうかを計算していた。
その間、アンナさんは最終的なお釣りが正しかったかどうかの答え合わせだけをしてくれて、計算の過程には何一つ言葉を発さない。ただニヤニヤしながら私の眉間の皺を眺めているのだ。
「さっきの支払いで八グーロ支払ったから、金貨一枚と銀貨六枚が返ってきたのは……正しい!」
「そう、正解だ」
苦手な計算を成し遂げた私に、アンナさんは楽しそうに頷いてくれる。この計算が終わる頃には『コペンアンドハーゲンの錬金術の隠れ家』までの道がわからなくなるくらいには曲がり角を曲がったし、なんならもう少しで次の目的地に着いてしまうけれど、何とか正解させることが出来た。ちょっと嬉しい。
「さて、次のは簡単だと思うよ。なんせ、たった一つで値段は一律二十グーロだ」
「た……高……! いったい何を……」
衝撃の金額に対する私の問いは、目の前の看板を見てすぐに答えが出た。
『二十八代目ミーミッシュ杖工房』
「……杖、ですか?」
ついに来たか、という感じだった。
アンナさんたちが魔法を使う時に振っている木の棒が杖であることを知ったのはほんの三週間と少し前。マルデアと杖は切っても切れない間柄だと言う。
「もし自分の杖を手に入れたら、絶対に大切にしなきゃダメよ」
と、ヘレンさんからは夕飯の席で何度も教えられた。
「杖はミーミッシュ杖工房が一番さ。なんせ、あの『短杖の製作を簡易化する七つの工程』を発見したミーミッシュの子孫たちの工房だからね」
それがどれ程凄いことなのかはわからなかったけど、到着した建物は良く言えば歴史を感じる佇まいだが、悪く言えばオンボロ小屋だった。
アンナさんが先行して扉を開けると、ギーギッギッと蝶番が訪問を知らせてくれる。
ドアの錆を心配していた私は、次に鼻に入ってきた埃に咽せることになった。
中はまるでここだけ夜のようだった。窓らしい窓がひとつもなく、枯れ木に加工剤を混ぜた独特の匂いが充満している。周囲をぐるりと取り囲むように棚が設置され、細長い箱がいくつもいくつも押し込められている。
……窓がないと思ったがどうやらそれは間違いだった。西側と南側に一つずつ設置されているようだったが、どれも積み上げられた小さな箱の山のせいで塞がれてしまっている。
やたら高い天井の天辺に取り付けられたランタンには火が入っているようだが、店内全体を照らすにはあまりにも心許ない。かろうじて店の奥に漆塗りのカウンターが見えるくらいだ。
「いらっしゃい」
「ひゃっ!」
私がカウンターに手をかけたところで、唐突にその向こう側から人が現れたために私は数歩飛び退いてしまった。うぅ……心臓に悪い……。
「やぁ、ロックハル。終業式以来だね」
「……どうも」
薄暗いなかでようやく目が慣れてくると、カウンターの向こう側に立っている人物の顔が徐々に見えてきた。
ボサボサのダークブルーの髪に、細く鋭い目つきが特徴的な顔をしている男の人だった。
歳は……ずいぶん若い。こんなに古びた建物に似つかわしくない見た目だ。たぶん、私とそう何歳も変わらないのではないだろうか。
「リエナ、彼はロックハルだ。ルナセリアの学生だよ」
「学生さん……なんですか?」
杖職人というからもっと大人を想像していたのだが、学生でも職人が出来るのだろうか。
「今師匠を呼んできます」
「ああ、頼むね」
疑問に首を傾げる私を置いて進んでいく会話の末、ロックハルさんはカウンターの下にある床板を外して下に降りていってしまう。そこ、階段になってたんだ……。
数分後、下の方からチリリンチリリンと周期的な鈴の音が聞こえてきた。
するとガツンと音がして、さっきとは違う床板が外れて人影が這い上がってきた。
白髪混じりの老人だった。ロックハルさんと同じダークブルーが色落ちしたような髪色になっている。顔つきはどことなく彼に似ているが深い皺が何本も刻まれていて、昔はカールしていたであろう髭は煤で汚れている。チリリンという鈴の足音は、どうやらこの老人の足に括り付けられたやたら大きい鈴が原因のようだ。
「おお! アンナか! いやぁ、久しいな」
老人はアンナさんを見るなり嬉しそうに微笑む。アンナさんも笑みを返すと深い敬意の籠った面持ちで彼と握手をした。
「ご無沙汰しております、ミーミッシュさん」
「あのラヴァオークの杖は元気にしているかね。どれ、見せてみなされ」
どうやらこの人がミーミッシュさんらしい。
促されてアンナさんがローブの内側からいつもの杖を取り出すと、それを受け取るなりミーミッシュさんは杖の先をこめかみに当てた。
「ほぅ。カーバンドラゴンに留まらずあの海龍までも仕留めたのか。それに……ふむふむ、随分な極悪人を何人も相手取っておる」
満足げに頷きながら杖が返されると、アンナさんも嬉しそうに笑う。
「ミーミッシュさんは杖の記憶を聞くことが出来るんだ。古い魔法らしくて、今じゃ扱える人間も随分減ってる」
私が目の前で起きた一連の出来事に戸惑っていると、杖をローブにしまったアンナさんが説明してくれた。ということは、杖の中にドラゴンや極悪人を倒したということが記憶されているのか。そんなの、目の前にしただけで私なら竦み上がってしまう。
「さて、こちらのお嬢さんが今日来た理由かな? 新入生じゃな?」
「は、はい」
顔を覗き込まれ私はたじろぎながらも頷いた。
その時再び床板の下にある階段から足音が聞こえ、ロックハルさんが顔を出した。
「師匠、こっちの道から出てきてくれよ。そっちは廊下が崩れかかってるんだ」
「わしに近い道を選んだだけじゃ。ほれロックハル、このお嬢さんに採寸をしておやり」
再び鈴の足音を立てながら棚に置かれた細長い箱を漁り始めたミーミッシュさんに不満げな顔を向け、ロックハルさんが私の方に歩いてくる。手には巻尺が握られている。
「右利きか?」
頷くと「じゃあ真っ直ぐ前に」と言われたので私は言われた通りにする。細すぎて白すぎな自分の腕が視界に入った。
ロックハルさんは肩から指先や肘から手首の長さ、ついには指の一本一本の長さまで測って紙の切れ端に走り書きしていく。最後に手首の太さを測ったところで巻尺がくしゃりとまとめられ、私のいろんな長さが書かれた切れ端はミーミッシュさんに渡された。
「うーむ、こりゃ春か冬の素材の方が良いかもしれんのぉ」
そんなことを呟きながらミーミッシュさんは机の上に箱を四つほど並べた。
「そうじゃったそうじゃった。お嬢さん、名は何というのかな?」
「リ、リエナ・グレイシアです……」
「良い名前じゃな。ではリエナ、この杖を振ってみなされ」
箱の一つから捻れた二本の蔓のような杖が渡された。しかし、私は不安げに顔を上げる。
「わ、私、魔法の使い方、わからないです……」
そんな私に、ミーミッシュさんはコロコロと柔らかく笑みを浮かべる。
「大丈夫。ただ君と杖の相性を見るだけじゃよ」
「相性……?」
私が戸惑っていると、ミーミッシュさんは杖を取り出した箱の裏側に書かれた文字を見せてくれる。
『双子柏 冬 頂点の枝のみを採取 ミーミッシュ式』
「杖には一本一本にその素材となった樹木の意思が宿っておる。杖は自分が力を貸すに値するマルデアを、自分の力で選ぶんじゃよ」
まだよくわからなかった。だが、振らなければ杖が選べないらしいということだけはわかった。
私は恐る恐る受け取った杖を振り上げると、そのまま行動を巻き戻すかのような軌道で振り下ろした。
バチッ
「わっ!」
杖先から火花が弾け、同時に私の手から杖が舞い上がった。
クルクルと宙を回転しながら天井のランタンを掠めた杖は弧を描いて落下し始め、最終的にはミーミッシュさんが構えた箱の中に収まった。
「ご、ごめんなさい……」
壊してしまったかもしれないと縮こまる私に、ミーミッシュさんは快活に笑って首を振った。
「いやいや、気にせんでよい。よくあることじゃ。ついこの前も合う杖を見つけるのに半日以上もかかった新入生の子がおったしの」
「半日とは随分長いですね」
アンナさんが興味深気に言う。
「最終的には雨季の激しい夏に採取された濁流杉の杖に決まったんじゃがな。あの杖はクノア民族式製法で作られた随分と決闘向きの面白い杖じゃ。買っていった子も濁流のように勢いのある子じゃったぞ。両親はガーラのようじゃったから、杖が決まらないことを不安がって大変じゃったが」
私に次の杖が渡される。箱には『黒曜樫 春 幹の中心材 ケミノス工学式』と書かれている。
再び振ってみるが、今度は杖が私の手の中で捻れたかと思うと消え去り、次の瞬間には箱の中に戻っているという結果に終わった。
そして、それから私は二十本近くの杖を振ることになった。
ある杖は振ったら腐った卵の匂いがする煙を吐き出し、またある杖は入っていた箱が獣のように周囲に噛み付くようになってしまうし、終いには振った瞬間に出入り口のドアの蝶番が外れて倒れてしまうなんてことも起きた。……まぁ、最後のに関しては元々蝶番が外れそうなドアだったので、私が振った杖が原因かどうかは定かではないが。
なんだか、全ての杖に拒絶されている気分だった。私には魔法の才能なんか無くて、だから杖たちも私を嫌って離れていってしまうんじゃないか、と。
アンナさんもミーミッシュさんも「杖が合わないだけで、珍しいことではない」と言ってくれるけど、私にはどうしてもそう思えて仕方がなかった。
「うむうむ、君もまた面白い子じゃの。冬は根こそぎダメなようじゃが春はまだマシなようじゃ。思い切って夏でも試してみようか」
何故か楽しそうな様子のミーミッシュさんは、箱の山から次なる候補を探すために背を向ける。
「あ、あの……」
そんなミーミッシュさんに、私はおずおずと声をかけた。
「その……季節とかそういうのって、杖に関係あるんですか?」
先ほどから冬がどうしたや、夏を試してみようかなど、杖の話をしているのか季節の話をしているのかがよくわからなかった。
「杖に関してはルナセリアの魔法工学の授業で取り扱うんじゃがな」
すると、新しい杖を何本か持ってきてくれたミーミッシュさんが穏やかに教えてくれる。
「杖の特性というのは『材料』と『環境』、そして『製法』によって決まるんじゃよ。素材となった樹木が採取された季節は、その中の『環境』に関わっておっての。春は穏やかな魔法を、夏は攻撃的な魔法を、秋は変化を与える魔法を、冬は封印を始めとした停止を促す魔法を得意としておるんじゃ。あくまで得意というだけで、他の種類の魔法も術者次第でいくらでも扱うことができるから安心してよい」
新しい杖が渡される。『金網櫟 夏 外側の丈夫な枝 クノア民族式』と書かれた箱に入った杖だ。
振ってみるが、私の腕の長さなどが書かれた紙が細切れに千切れて燃え上がってしまった。
アンナさんが杖を一振りすると火が消えたが、私はサッと箱の中に杖を押し込むように戻した。
「さて次はどうしたものか」
言葉とは対照的にミーミッシュさんは楽しそうだった。だから、私も申し訳なさというものは薄れるのだが、それでも不安は少しずつ重なっていく。
「師匠」
その時、ずっと黙って私の杖選びを眺めていたロックハルさんが店の奥から杖の箱を持ってきていた。驚くほどにボロボロの箱だ。
「これ、いいんじゃないかな」
そう言って箱を渡すと、ミーミッシュさんは眉間に皺を寄せながら中の杖を見た。
「うーむ……この杖か……いやしかし……」
「俺は、これが合うと思うんだ」
「おまえさんの杖選びを未熟とは思わんが……こいつは頑固で有名なんじゃぞ」
「この子を見た時から、この杖なんじゃないかって思ってたんだ」
チラリと見えた箱にはさっきまでの箱とは違う字体で『紫桜 春 幹の中心材 トトナ集落式』と書かれている。
美しい杖だった。
濃い黒の色合いに見えて、ランタンの光を反射すると薄らと淡い紫の輝きがある。持ち手の部分も洗練されたデザインをしていて、杖先に至るまで優美な表面の加工が施されている。
私は杖の良し悪しなんてわからない。だけど、恐らくこの時の私は「一目惚れ」というやつをしていた。
「それ!」
自分でも驚くほどに大きい声が出てしまった。
「た、試してみたいです!」
私の言葉にミーミッシュさんは驚いた顔をしたが、「これもまた面白いかもしれんな」と杖を渡してくれた。
もし私がこの時にもう少し冷静だったら、一目惚れした杖に拒絶されたらどうしようという不安に襲われていただろう。
しかし、受け取った瞬間から手に伝わる感触があまりにも溶け合うかのようで、私の意識はこの杖に飲み込まれてしまっていた。
運命、というものを感じていたのかもしれない。
ゆっくりと杖先を振り上げ、そして鮮やかな軌道を描きながら振り下ろした。
ヒュッと風を切る音が鳴った気がした。
次の瞬間、箱の山で埋められてしまっている二つの窓を強い風が叩く音がした。ガタガタガタッと窓枠が揺れ、先程直したばかりのドアが今度は倒れるではなく風で開いた。
塞いでいた箱たちが崩れ、両方の窓が勢いよく開いて埃っぽい部屋の空気を一息に入れ替えてしまう。
風が私の髪を撫で、心地いい春の空気が肺を満たした。
そして、数秒後にゆっくりと風が弱まっていき、最後に一枚の花弁が私の目の前のカウンターに落ちてきた。
「ほっほっほっ! お見事! 杖と出会えたようじゃな!」
ミーミッシュさんの祝福の声を聞いて、ようやく私はハッと意識を取り戻した。
「この杖……」
「その杖は遥か昔に歴代でも最高峰の腕を持っていたとされる十代目ミーミッシュが製作した杖でな。未だ誰一人としてこの杖に認められたマルデアはおらんのじゃよ」
十代目ということは、今のミーミッシュさんよりも十六代も前のひとなのか。いったい何年前に作られた杖なのだろうか。
「これ……出会えたってことでいいんですか……?」
「うむ、間違いない。この花弁が何よりの証拠じゃ」
ミーミッシュさんが拾い上げてくれた花弁をよく見ると、どうやら桜の花弁らしかった。それも、あまりにも美しい透き通るような紫をしている。
「紫桜は絶滅しかけている魔法植物で、今はもうオルキュレム大陸の限られた場所に数本生えているだけなんじゃよ」
オルキュレム大陸というのがどこにあるのかわからないので隣のアンナさんの方を見ると、「今いるネメリオン大陸の隣の隣、船でも一年以上かかる場所にある大陸だよ」と教えてくれる。
「この花弁は間違いなく紫桜のものじゃ。きっと、杖から放たれた魔法がこの花弁を引き寄せ、一瞬でここまで運んできたんじゃろう」
「魔法って、そんなこともできるんですか……?」
「難易度は天のように高いがの。じゃが、それを引き起こすほどの出会いだったということじゃろう」
さらに、ミーミッシュさんは楽しそうに紫桜の特徴についてを教えてくれる。
紫桜は森の奥にひっそりと人知れず生えてくる桜らしく、その昔風に乗った花弁を追うと運命の出会いまで導いてくれるとされる幸運の桜ともされていたらしい。
今では環境変化と乱獲で絶滅危惧種に指定されており、杖として加工するための採取すら規制されることになってしまい、新たに紫桜を素材として杖を作ることは出来なくなってしまったそうだ。つまり、私の手に握られているこの杖が、事実上最後の紫桜の杖らしい。
杖選びが完了したので、私はミーミッシュさんに杖の代金である二十グーロを支払い、ロックハルさんに箱を入れ替えてもらて持ちやすい袋に色んなものを詰めてもらっていた。
「えっと……ありがとうございました……」
先程ミーミッシュさんには伝えたお礼だったが、私は改めてロックハルさんにも頭を下げた。
「別に、何も」
元々表情が薄い性格らしく、むすっとした顔でロックハルさんは返してくれる。言葉の通り、自分は何もしていない、とのことらしい。
だけど、最後の最後にこの杖を紹介してくれた彼に私は深い感謝を抱いていた。
店のロゴが描かれた紙袋に杖の箱を入れてくれたロックハルさんは、最後にシルクのような生地の布巾を入れてくれた。
「この杖はトトナ集落式製法で作られている」
「トトナ集落式製法……?」
「非常に強力な力を宿す代わりに、飛び抜けて繊細な杖に仕上がる製法だ。手入れを怠ると杖の力は極端に落ちることになるけど、毎日ちゃんと手入れをしてやれば他のどの杖にも負けない力を発揮してくれる。毎日軽くでいいから、この布巾で手垢を落とすくらいの手入れはしてやるといい」
「は、はい!」
杖の入った袋を受け取って、私は力強く頷いた。
「杖は大切にしろ」という言葉が今の私には「自分の一部なんだから大切にしろ」と言われているような気分だった。それほどまでに、既に私はこの杖を気に入っていた。
「ロックハルは今年から五年生じゃから、何か困ったらこの子のところを尋ねるといい。こう見えて、自分が選んだ杖が上手くいって上機嫌のようじゃからな」
「……別に」
ミーミッシュさんの言葉にプイと視線を逸らしたロックハルさんは、店内に散らかった杖の箱を拾い始める。
「ヴィレア寮だから、手入れに困ったら来てくれれば教える」
そう言い残してロックハルさんは店の奥へと消えていった。その様子を見て「相変わらず愛想無しなやつじゃのぉ」とミーミッシュさんは笑う。
ヴィレア寮って何だろ……。
一方私は、また遭遇した聞きなれない言葉に首を傾げていたのだった。
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