『Fランク探索者? 庭師の俺ですが、『剪定』スキルで次元ごと切断していたら、いつの間にか世界一の配信者になってました』
九葉(くずは)
第1話 ただの庭師ですが、何か?
パチン。
小気味よい音が響く。
俺の手の中にある剪定バサミが、伸びすぎた松の枝を切り落とした音だ。
地面に落ちた枝を見下ろして、俺――佐藤湊(さとうみなと)は、ふぅ、と満足げな息を吐く。
うん、いい角度だ。
この松は少し左側の枝が重たくなっていた。これじゃあ風通しが悪くなるし、何より樹形(シルエット)が美しくない。
不要な枝を切り、必要な枝に光を当てる。
そうすることで木は喜び、より力強く生きることができる。
これぞ、庭師の仕事。
俺にとっての天職だ。
「おーい、佐藤くーん! そっちは終わったかー?」
脚立の上で悦に入っていると、下から親方の声が飛んできた。
「はい! 今終わりました!」
「おう、相変わらずいい手際だな。若いのに大したもんだ」
「いえいえ、まだまだです」
俺は脚立を降りながら、謙遜しつつも頬が緩むのを抑えきれない。
庭師になって三年。
高校を出てすぐにこの道に入った俺は、毎日植物と向き合うこの仕事に誇りを持っていた。
……まあ、世間一般から見れば「地味な仕事」かもしれないけど。
休憩時間。
缶コーヒーを飲みながら、同僚の田中さんがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「そういや佐藤くんさ、お前『探索者(シーカー)』のライセンス持ってるんだって?」
「え? ああ、はい。一応」
俺は曖昧に頷く。
探索者。
十年前に突如として世界中に現れた『ダンジョン』に潜り、モンスターを倒して資源を持ち帰る者たち。
現代のゴールドラッシュ。一攫千金の夢。
子供たちのなりたい職業ランキング、堂々の第一位。
それが探索者だ。
十八歳になれば誰でも適性検査を受けられ、魔力やスキルが発現すればライセンスが交付される。
俺も高校卒業時に検査を受けた。
その結果は――
「ランクは? やっぱDとかCとかあるのか?」
「いえ……Fです」
「ぶっ! Fぅ!?」
田中さんがコーヒーを吹き出しそうになる。
Fランク。
それは、探索者における最低ランク。
一般人と変わらない身体能力。魔力もスズメの涙。
いわゆる「ハズレ」だ。
「マジかよFって! 初めて見たわFランク探索者!」
「はは……まあ、記念受験みたいなもんですから」
「スキルは? なんかあるんだろ?」
「ええ、まあ。『剪定(プルーニング)』っていうんですけど」
「剪定ぇ?」
田中さんが素っ頓狂な声を上げる。
「なんだそれ、庭師のスキルかよ! そのまんまじゃねーか!」
「そうなんですよ。枝を切るのがちょっと上手くなるだけのスキルでして」
「ギャハハハ! なんだそれ! モンスターの枝毛でも切るのか!?」
田中さんは腹を抱えて笑っている。
まあ、笑われるのも無理はない。
探索者のスキルといえば、『火炎魔法』とか『剣術強化』とか、強そうな名前が相場だ。
『剪定』なんて、どう考えても戦闘向きじゃない。
協会(ギルド)の鑑定結果も散々だった。
『戦闘能力なし。生活魔法レベル。園芸用としての活用を推奨する』
それが、俺のスキルの評価だ。
でも、俺は気に入っている。
このスキルのおかげで、こうして庭師として働けているんだから。
それに――
(……枝を切るだけ、か)
俺は自分の手のひらを見つめる。
本当に、それだけのスキルなんだろうか。
時々、不思議な感覚に陥ることがある。
ハサミを握っていると、世界にある「線」が見えるような気がするのだ。
ここを切ればいい。ここを切れば整う。
そんな直感が、俺のハサミを導いてくれる。
まあ、気のせいだろうけど。
仕事を終え、俺は着替える間もなく病院へと向かった。
都内にある大学病院。
その個室に、俺のたった一人の家族が入院している。
「よっ、美オ(みお)。調子はどうだ?」
病室に入ると、ベッドの上で本を読んでいた少女が顔を上げた。
佐藤美オ。俺の三つ下の妹だ。
色素の薄い髪に、透き通るような白い肌。
儚げな美少女――と言えば聞こえはいいが、その白さは病的なものだ。
「あ、お兄ちゃん。来てくれたんだ」
美オが嬉しそうに微笑む。
その笑顔を見るだけで、一日の疲れが吹き飛ぶようだ。
「調子は……うん、まあまあかな。今日はあんまり発作も出てないし」
「そうか。よかった」
俺はベッド脇の椅子に腰かける。
美オの病名は『魔力欠乏症』。
ダンジョン出現後に確認されるようになった、現代の奇病だ。
大気中に満ちる魔素(マナ)に適応できず、体内の魔力が枯渇していく病気。
放っておけば、全身の機能が停止して死に至る。
治療法はただ一つ。
高濃度の魔力を含んだポーションや食材を摂取し続けることだ。
だが、それには莫大な金がかかる。
俺の庭師としての給料のほとんどは、美オの入院費と薬代に消えていた。
それでも、足りない。
今の薬じゃ、進行を遅らせることしかできないのだ。
完治させるには――『世界樹の雫』と呼ばれる、超レアアイテムが必要らしい。
その価格、なんと五億円。
庭師の給料で払える額じゃない。
だから俺は、決意したのだ。
「……なあ、美オ」
「ん? なに?」
「今度の週末なんだけどさ。ちょっと出かけてくるわ」
「出かけるって、どこに?」
「新宿御苑」
「え、御苑? お花見?」
「いや……ダンジョンの方」
俺がそう告げると、美オの目が丸くなった。
「ダンジョンって……あの『新宿御苑ダンジョン』!? あそこ、先週発生したばっかりで、まだ調査中じゃなかったっけ?」
「ああ。だからこそ、珍しい植物があるかもしれないだろ?」
俺は努めて明るく言う。
「俺の『剪定』スキルがあれば、レアな薬草も綺麗に採取できるはずだ。それを売れば、少しは足しになると思ってな」
嘘ではない。
半分くらいは。
本当の目的は、一攫千金だ。
Fランクの俺でも、誰も足を踏み入れていない未開拓エリアなら、何かお宝を見つけられるかもしれない。
危険なのは分かっている。
でも、指をくわえて美オが弱っていくのを見ているなんて、俺にはできなかった。
美オはしばらく俺の顔をじっと見つめていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……お兄ちゃんって、昔から一度言い出したら聞かないもんね」
「悪いな」
「ううん。私のためにしてくれようとしてるんでしょ? ありがとう」
美オはベッドサイドの引き出しを開け、何かを取り出した。
黒い、小型のカメラだ。
「これ、持ってって」
「なんだこれ? GoPro?」
「うん。お小遣いで買ったの。これでダンジョンの様子、撮影してきてよ」
「撮影? なんでまた」
「記録用だよ、記録用! 万が一遭難した時の手掛かりになるし……それに、あわよくば配信して収益化しようかなーって」
美オが悪戯っぽく笑う。
「お兄ちゃんの地味な庭仕事動画、マニアには受けるかもしれないよ?」
「マニアって……誰が見るんだよ、そんなの」
「いいからいいから! 私の暇つぶしにもなるし、お願い!」
両手を合わせて頼み込む妹に、俺は苦笑しながら頷くしかなかった。
「分かったよ。まあ、撮るだけなら」
「約束だよ! 絶対生きて帰ってきてね!」
「ああ、もちろんだ」
俺はカメラを受け取り、ポケットにねじ込んだ。
週末。
俺は新宿御苑の前に立っていた。
かつては国民公園として親しまれた場所も、今では巨大なドーム状の結界に覆われ、物々しい雰囲気を漂わせている。
入り口には自衛隊や探索者協会の職員が常駐し、厳重な警備が敷かれていた。
周囲には、高そうな装備に身を包んだ探索者たちの姿が見える。
フルプレートの鎧を着た戦士。
巨大な杖を持った魔法使い。
みんな、これから命がけの戦いに挑む顔をしている。
そんな中、俺の格好はというと。
動きやすいジャージ上下。
首にはタオル。
腰には愛用の剪定バサミ。
以上。
「……浮いてるな」
周りからの視線が痛い。
「なんだあいつ?」「散歩か?」「ここをどこだと思ってるんだ」というヒソヒソ話が聞こえてくる。
まあ、いい。
俺は戦いに来たわけじゃない。
ただ、庭の手入れに来ただけだ。
そう自分に言い聞かせ、俺はゲートへと足を踏み入れた。
目指すは、美オを救うための希望。
そして、俺自身の可能性だ。
Fランク? 戦闘能力なし?
上等だ。
庭師の底力、見せてやるよ。
……なんて、カッコつけてみたけど。
まさかあんなことになるとは、この時の俺は夢にも思っていなかったのだ。
俺の『剪定』が、世界を揺るがすほどの大事件を引き起こすことになるなんて。
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