密会
一人の男が岩山を歩いていた。辺り一面を白い岩肌が覆っている。草木は見られぬ寂しい場所である。
男は手に小さな花束を抱えていた。赤と黄色と紫の野花を寄せ集めた小さな花束である。
男は黙々と歩き続け、一つの石柱に辿り着いた。
「久しぶり」
男は石柱に話しかけた。男の背丈を優に超える大きな石柱である。
「会いに来たよ」
男は持っていた花束をその根元に優しく寝かせた。
「もう何年になるか」
男は石柱のざらざらとした表面を撫で、懐かしそうに呟く。その手には幾本もの深い皺が刻まれている。
「今は娘たちと洞窟で暮らしている。豊かではないが、幸せな暮らしだ」
男は石柱のもとに腰を下ろした。眼下には広大な湖を望む。
「娘たちは子供を産んだ。どちらも元気な男の子だった」
燦々と照る太陽の下、男は石柱に寄り添う。その瞳には湖の煌めきを映して。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
幾刻か沈黙の後、男はゆっくりと立ち上がった。石柱は相も変わらず岩壁に聳え立ち、湖を見下ろしている。
「バレたら俺も塩柱にされちゃうからな」
男は名残惜しそうに石柱に触れると、静かに去っていった。
*ロトの妻の塩柱
神ヤハウェは、罪深き都市ソドムを滅ぼすことを決めた。ソドムに住む預言者アブラハムの甥ロトは、ヤハウェから遣わされた天使たちよりその決定を知る。天使たちは、ソドムの住人で唯一信仰と道徳を保っていたロトに、妻と娘二人と共に逃げるよう促した。天使は、逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」とロトたちへ指示をした。しかし、ロトの妻は振り返ってしまったため、「塩の柱」へと変えられてしまった。
「創世記」に載るこの話が何を意味しているのかは定かでない。何故、振り返ってはいけなかったのか。何故、「塩の柱」にされたのか。ロトの妻は過去への執着を戒められたのかもしれない。
ソドムの廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられている。死海は地球上で最も塩分濃度の高い場所である。その死海西岸の山の上には、「ロトの妻の塩柱」とされる石柱が立っており、現在は観光地にもなっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます