第22話『千早が……逝きました』
さゆりが病院であかりとの面会を果たし、一時的な保護の許可を得ようと奔走していた、まさにその時だった。
京都から、一本の電話が入った。
受話器を取ったのは、まだ上野村の現地本部に残っていた樺島だった。
「はい、東京朝日放送……えっ? 壬生の、実家?」
受話器の向こうの声は、冷え切っていた。
感情が爆発するのを、ギリギリのところで抑え込んでいるような、震える老婦人の声。
『……さゆりは、おりますか』
「い、いえ、今は東京の病院の方へ……」
『そうですか。……あの子に、伝えてください』
一呼吸置いて、その言葉は放たれた。
『千早が……逝きました』
「……は?」
樺島は自分の耳を疑った。「え、いや、ちょっと待ってください。千早ちゃんって……まさか」
『今朝方、大きな発作が起きまして。……救急車で運びましたが、間に合いませんでした』
淡々とした言葉。しかし、その裏には凄まじい絶望と怒りが渦巻いていた。
『あの子は、最期まで「ママ」と呼んでいました。ママはいつ帰ってくるの、と』
樺島の背筋に氷水が流れる。
さゆりが、命がけで他人の子――あかりを救い出し、世間からバッシングを受けながらも「私が守る」と息巻いていた、まさにその裏で。
彼女の実の娘、千早が、たった一人で息を引き取っていた。
『さゆりがあの晩、ちゃんと帰ってきていれば。約束通り、千早のそばにいてやれば……あの子は、一人で死なずに済んだんです!』
ついに、声が怒号に変わった。
電話の主は、さゆりの義母(元夫の母)ではなく、さゆりの実母である茂子(しげこ)だった。
厳格で、しかし誰よりも孫を愛していた母。
『他人の子を助けて、英雄気取りですか? ニュースで見ましたよ。泥だらけになって、カメラの前で……。自分の娘を見殺しにしておいて、よくもまあ!』
「お、お母さん、落ち着いてください! 壬生は、壬生なりに……」
『落ち着いてなどいられますか! さゆりは母親失格です! 娘を裏切り、親を裏切り……私は、あの子を許しません! 二度と、この家の敷居を跨がせないでください! 千早の葬式にも、顔を出す資格はありません!』
ガチャンッ!!
耳をつんざくような音と共に、電話は切れた。
「…………」
樺島は受話器を持ったまま、呆然と立ち尽くした。
周りのスタッフが怪訝な顔で彼を見ている。
「……嘘だろ……」
なんという皮肉。なんという残酷な運命。
さゆりは「あかり」という光を救った代償に、自分の命よりも大切な「千早」という宝物を永遠に失ってしまったのだ。
しかも、千早の最期の言葉は「ママ」。
さゆりがあかりに「ママ」と呼ばれて慕われているその時、実の娘はママを求めながら息絶えた。
「これ……あいつに、どう伝えればいいんだ……」
樺島は頭を抱えた。
もしこれを伝えれば、さゆりは壊れるかもしれない。
あの強靭な精神力を持つ「セントバーナード」でさえ、この事実に耐えられるだろうか。
他人の命を救い、我が子の死に目に会えなかった女。
世間からの「身勝手」という誹謗中傷が、今度は逃れようのない「真実」となって、さゆりの心臓をえぐり取ることになる。
運命の歯車は、あまりにも無慈悲に、さゆりを地獄の底へと突き落とそうとしていた。
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