第6話「だからそこが行き止まりだっつってんだよこのアマアッ!」
バキバキバキッ!
ジープのフロントバンパーが低木をなぎ倒し、太い枝が鞭のようにフロントガラスを叩く。
車体は右へ左へと激しく揺れ、高田は後部座席で洗濯機の中の洗濯物のように転がり回っていた。
「ひいぃっ! 舌、舌噛みます! 本当に噛みますってば!」
「黙って掴まってろ!」
助手席の樺島は、天井のグリップを両手で必死に掴みながら叫んだ。前方のヘッドライトが照らし出したのは、もはや道ではない。急勾配の斜面と、行く手を阻む岩塊だった。
「おい壬生! 無茶だ! これ以上進めねーよ! タイヤが空転してるじゃねえか!」
樺島の言う通り、四輪駆動のジープといえど、これ以上の登坂は物理的に不可能に見えた。泥と落ち葉に足を取られ、エンジン音だけが虚しく唸りを上げる。
だが、さゆりの目は前方の闇一点を見据えたままだった。
「関係ない!」
「はあ!? おい、ブレーキ! ブレーキ踏めッ!」
さゆりはブレーキを踏むどころか、さらにアクセルを踏み込んだ。
「この先の尾根まで……車で行けるところまで行くのよ!」
「だからそこが行き止まりだっつってんだよこのアマアッ!」
ドゴォォォォンッ!!
鈍い衝撃音と共に、ジープの前輪が巨大な切り株に乗り上げ、そのまま横転しかけて岩盤に激突した。
ボンネットから白い蒸気がシューッと吹き出し、ヘッドライトの片方が砕け散って消える。
エンジンが咳き込むように数回震え、プスン、と完全に沈黙した。
静寂が戻る。
いや、遠くで燃える炎のパチパチという音と、虫の音だけが響いている。
「……い、生きてるか……?」
樺島が呻くように言い、エアバッグのないダッシュボードから顔を上げた。額から血が滲んでいる。
「……な、なんとか……」
高田は前の座席の隙間に挟まっていた。奇跡的に怪我はないようだが、腰が抜けて動けない。
「おい、壬生さんよぉ……」
樺島がドアを蹴り開け、よろめきながら外に出た。ひしゃげたバンパーと、完全にシャフトがイカれた前輪を見て、呆れ果てたように吐き捨てた。
「どうすんだよ? これ。廃車確定だぞ。ここからじゃ無線も届かねえ。俺たちは遭難だ」
運転席のドアが、キイィ……と不気味な音を立てて開いた。
さゆりが降りてくる。
麻のブラウスは汚れ、ウェービーな髪には葉っぱが絡まっている。だが、その立ち姿は乱れがないどころか、これから試合開始のコートに立つアスリートのように凛々しかった。
彼女はひしゃげたボンネットを一瞥もしない。
「どうもこうもないわ」
さゆりは手早く後部ドアを開けると、機材の詰まった重いリュックをひょいと肩に担ぎ上げた。さらに、両手には懐中電灯と、大型のポータブル無線機。
「車がダメなら、歩く。それだけでしょ」
樺島と高田は、開いた口が塞がらなかった。
ポカン、とした表情で、仁王立ちするさゆりを見つめる。
この女、まさか本気でこの真夜中の山道を、機材を担いで登るつもりなのか?
「な、何言って……ここから現場まで、どれくらいあると思ってるんですか!?」
高田が涙目で訴える。
「それに、装備だって……僕たち、革靴とスラックスですよ!?」
さゆりは懐中電灯をカチリと点灯させ、その光を二人の方へ向けた。
逆光の中で、彼女のシルエットが浮かび上がる。
「高田君。あなたの革靴は泥だらけになる。樺島さんのスーツは破れる。でもね」
さゆりは光を、遥か上空、炎で赤く染まる稜線へと向けた。
「あそこで待ってる人たちは、もっと酷い目に遭ってるのよ」
その言葉の重さに、二人は押し黙った。
さゆりは踵を返し、獣道へと足を踏み入れる。
「さあ、行くわよ。ここからは白兵戦(はくへいせん)よ! 遅れたら置いていくから!」
彼女の背中は、セントバーナードというよりは、群れを率いる野生の狼のようだった。
「……マジかよ」
樺島は頭をガシガシとかきむしり、くわえタバコを地面に叩きつけた。
「ちくしょう、これだから女帝は……! おい高田! カメラ持て! 置いてかれるぞ!」
「は、はいぃぃ!」
大破したジープを捨て、三人のテレビマンたちは闇の中へ。
道なき道を切り拓く、過酷な登山が始まった。その先にある凄惨な光景を、まだ誰も知らずに。
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